『ジャンゴ 繋がれざる者』

先週は都合二日ほどのカプセル泊。
このままだと残業時間の80時間を越えると会社側に釘を刺されて、朝の早出の分をザクザクと削って調整(笑)。
ウハハハハ。
これで満足か(笑)。


先週土曜日、歯のメンテナンスに。
いつものように美形の歯科衛生士さんにガリガリやってもらう。
歯科衛生士さんはなんも言わなかったが、ここんところ歯みがきをかなり端折りぎみにやっていたのを自覚してるので、あまり歯の状態がよくなかったかもしれん。
反省反省。
いつもの様に先生とお話。
カメラの話ができるのは行きつけのカメラ店の店主と歯の先生だけなので、オイラにとってはかなり貴重な時間なのである。


レンズについての覚え書き。
レンズについてなので、興味の無い人は読み飛ばしてください。
レンズといってもカメラのレンズに限定。
レンズの良し悪しについて語られる時、所謂カメラ雑誌や写真雑誌のレビューでは、歪曲収差の無さ、周辺光量落ちの無さ、レンズフレアの無さ等を評価基準にしている。
大体これはレンズを通して像を結んだ時の解像力の良さについて評価とも言える。
解像力とは何かと言えば、簡単に言えばどれだけ細かいものを表現しえるかということだ。
例えば集合写真なんかで何十人何百人と並ぶ顔の中に確実に自分の顔だと認識できるほどの解像力があるか?ということ。
ただこれはデジタルカメラの画素数や、モニターの解像度、プリンターの解像度にも依拠するので解像力のあるレンズを使えば、解像力のある表現を得られるというわけではない。
しかし、とにかくレンズの評価基準として解像力が重要視されているということだ。
解像度は数値やテストチャートによる客観的な評価をしやすい。
数値やテストチャートは基本的に嘘がないので、例え数値が低いレンズであってもそのレンズを作ったメーカーに対しては評価の根拠になり得るわけだ。
この解像力至上主義的な考えで言うと、映画監督のジェームズ・キャメロンがアナモルフィック・レンズについての発言で
「被写界深度が浅くなり奥行きが曖昧になるので嫌いだ」
という。
アナモルフィック・レンズとは
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上の画像のようにレンズの奥が縦長になっているレンズで、それで撮影すると
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上の様に横に圧縮した像を結ぶ。
で、この画像を特殊なレンズを通すと
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上の画像の様に圧縮の解けた普通に見える画像となる。
なぜこんな事をするかというと、映画のフィルムの面積をいっぱいに使って撮影できるからだ。
ただ問題がないとはいいつつも縦長の像を横長にする、しかもレンズを使ってというのがそれだけで解像度を損なうんじゃないかという事も考えられる。
レンズの解像度とは別問題とはいえ、キャメロンの嫌う深度の浅さという問題もこのレンズには出てくる。
解像度を基準にした場合、アナモルフィック・レンズの優位性というものが無い様に思える。
が、しかし、このアナモルフィック・レンズ、
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こんな感じの横長のレンズ・フレアが出るのだ。
レンズ・フレアを蛇蝎のごとく嫌う人はこれが優位性とは感じないだろうが、例えば2012年版の『トータル・リコール』の特徴的なレンズ・フレアを綺麗だと思っていたオイラにしてみれば、このレンズの表現はとても魅力的なのだ。
つまりである。
解像度を価値基準とした場合この手の表現力がスポイルされる。
オイラのような女性しかとらない人間からすれば深度の浅いカメラは願ってもないもので、更に人によってはレンズの前にソフト・フィルターを装着して、言うなれば高解像度のレンズをわざわざ解像度を落とす様にして使ってもいるのだ。
オイラのような撮影者にしてみればレンズ・フレアも周辺光量落ちも輪郭のソフトさも大事な表現になるのだが、実のところそれを客観的計る術が無い。
なぜなら、レンズ・フレアの美しさやボケ具合などというものは数値化出来ない主観的なものでしかないからだ。
マイクロフォーサーズやミラーレスのカメラによってレンズをメーカーや年代を問わずに選択出来る様になった。
30年以上前のレンズを使って写真を撮ってる人もいる。
コーティングやレンズ研磨の精度で言えば現行のレンズの方が圧倒的にシャープでコントラストが高い。
しかし、最新式のレンズでは得られない、それこそ言葉にも数値にもできない表現の可能性というものがあるのだ。
クラッシック・レンズが現行品と同じ位の値段で取引されているのはそういう理由もあるのだろう。
ちなみにオイラはなるべくシャープでコントラストの低い(階調の幅が広い)レンズが好みだ。
なぜなら、特徴の無い画像の方がPhotoShopでいかようにも出来るからに他ならない。


先週はカプセルの風呂で15分の長風呂と本日日曜日の岩盤浴とサウナでのストレッチで体調管理は万全、の筈である(笑)。
肩がこったりすると、ストレッチか岩盤浴のどちらかが足りてないなと思う様になった(笑)。


先週またしても左脚のくるぶしの上あたりが痛くなり会社でびっこをひく。
行きたくなかったが会社の診療上に。
痛風の発作かとビビるが、痛い場所が痛風でおこる場所ではないのと腫れてもいないので違うだろうとも思っていた。
取りあえず痛み止めを貰って飲んだら徐々に痛みがひいていった。
原因は何かと考えてみると、ブーツかもしんない(笑)。
10年以上前に買った合皮のブカブカなエンジニアリングブーツにソールで嵩上げしてはきつぶしていたのだが、このブーツ、シークレットシューズなみに踵が高い(笑)。
今まで何度も脚を捻ってきたのであるが、そのブーツを2年ほど履いてきた結果、踵が外側に向かって鋭角的に削れてしまっていた。
なので普通に歩いているつもりでも脚を内側に捻る着地をしていたのだ。
このところの疲れがたまたま負荷がかかっていた脚にでてしまったのだろうというのがオイラの見立てなのである。
そんなブーツ、さっさと捨ててしまえばいいのだが、そうできないのが貧乏性なところ(笑)。
なんとなく穴があくまで捨てられないので今年いっぱいぐらいははき続けるんだろうな(笑)。


Kindle版『無限の住人』
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Kindleで『無限の住人』を一巻から買い始めて再読し始めている。
再読だからこそ分かる面白さというのは当然あるわけだが、そういう意味で本作は読みがいがある。
一番最初に出てきた天津影久って物語後半の雰囲気とは微妙に違うイケスカない若造特有の全能感をもったヤツだったのだ。
なんかキャラクターが後半と合わないんじゃないかなと思ったんだけど、最初の登場から物語の本筋である凛の復讐劇に入るまで2年経ってるんだよね。
つまりその二年の間に天津も人間として、統主としての成長があったという解釈が成り立ち、それなりの慇懃さを備えるに至ったと思えるのだ。
実際に作者がどう思っているのかは別にして、結果的にキャラクターの整合性が損なわれていないのはすごい。
連載は19年だけど、万次と凛の旅というのは一年に満たないものなんだよね。
何年も旅した様におもえるけど。
読者としてのオイラも、凛も、万次とともに濃密な時を過ごしたと思っていても、永遠の命を持った万次にとっては90年もたてば忘却してしまうような一瞬の出来事でしかない。
歴史に自分がどんなに深く傷跡を刻印したと思っていても、時の流れと彼方に向かって忘却されていく現実の前では凹みにすら至ってない。
その切なさがリアルタイムで読んできたオイラには痛いほど分かる。
本当にこの作品をリアルタイムで読めて良かった。


『ぼく、オタリーマン。6』
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Amazonで購入。
作者が会社勤めを辞めて、漫画家専業に。
もう「オタリーマン。」ではなく、単なるオタになったわけだが。
今後の活躍にものすごく期待してるよ、オイラは。


『エガリテ』
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Kindleで購入。
ずっと読みたかった鈴木みその本。
通販でPDFやらで売っていたらしいが、鈴木みそのブログで『エガリテ』がKindleで出ると告知があったので心待ちしていたのだ。
といってもオールカラーの漫画なのでiPadで読んだのだが。
テニスに関する蘊蓄漫画と思いきや、技術論というよりも鈴木みそが体験したテニスのある日常やシャラポワの乳首のポッチリまでを笑いにつつんで描いている良作。
鈴木みそにハズレはないなあ。
この人のはカラーで読みたい漫画家の一人だね。


『ジャンゴ 繋がれざる者』
ネタバレあります。
先週土曜日。
109シネマズ菖蒲。
今年の米アカデミー賞の助演男優賞はクリストフ・ヴァルツ。
『イングロリアス・バスターズ』に続き二度目のオスカー受賞。
ともにクエンティン・タランティーノの作品である。
オスカー受賞のスピーチを観ると、非常にもの静かな印象で本作で演じた元歯医者の賞金稼ぎドクター・キング・シュルツのエキセントリックさは微塵も感じられない。
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助演扱いだけど、こいつが主役でもいいぐらいにカッコ良かったよ。
このドクター・キング・シュルツという役は本作で唯一といっていいかもしれない近代人だね。
ああ、
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レオナルド・ディカプリオ演じる悪役、カルヴィン・J・キャンディも近代人と言えるかもしれない。
ちなみに本作でのディカプリオも良かった。
彼がオスカー候補にならないってのも平等を欠いて要るんじゃないかな。
それはともかく、タランティーノの血しぶきアクションとセンスのいい音楽の選択に身を任せて楽しめた映画であった。
タランティーノは本作でアメリカの奴隷制での白人を徹底的に嗤っている。
クー・クラックス・クランの前身のような団体が出てきて、例のマスクを被るんだけど、それが袋に穴を開けただけのモノだから馬で移動する度に穴がズレて前が見えないと不平をいったりとか(笑)。
連邦保安官や裁判所などの言葉に疑いも無く信じてしまう知性の無さとか(笑)。
しかし、結末から言えば奴隷制というものはドクター・キング・シュルツやカルヴィン・J・キャンディのような近代人であっても突破出来ない問題なのだ。
彼等両方とも死んじゃうので。
ではこの問題はどうしたら解決できるのか?
その答えは、白人のタランティーノが黒人俳優とともに映画を作ったということにあるのではないかと思っている。
娯楽映画としては傑作であろう。
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この黒人なのに黒人差別するおっさん。
誰が演じてるかと思ったらサミュエル・L・ジャクソン(笑)。
顔つきがゴツくてサミュエルに見えなかった(笑)。
町山智浩が言う様に、サミュエル・L・ジャクソンと言えば映画界一説教の上手い役者。
そしてなによりも
「mother-fucker」
の台詞回しが最高に上手い役者(笑)。
「マザーファッカー」
ではなく、サミュエル・L・ジャクソンが言うと
「マダファカッ」
に聴こえて、これがカッコいいんだわw。
本作でも最後に言ってくれましたよ(笑)
断末魔の叫びで
「マダファカッマダファカッ」
待ってましたサミュエル(笑)。
もう嬉しくておかしくて一人で笑ってしまった(笑)。
その他タランティーノらしい映画のパロディーが盛りだくさん。
Blu-ray購入での再見が楽しみである。

ところで本年度アカデミー賞にロバート・デ・ニーロも候補になってたようだけど、彼の不幸な点は普通にスゴイ演技をしても誰も褒めてくれないところなんだよね(笑)。
彼に期待してるのはスゴイ演技ではなく、ロバート・デ・ニーロのスゴイ演技なんだよな(笑)。
戦う相手が他の役者ではなく過去の自分であるというのが彼の大変なところなんだけど。
by 16mm | 2013-03-03 22:25 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Comments(2)
Commented by chata at 2013-03-05 20:46 x
カプセル泊ときくと、どとはんの体調が心配になりますが大丈夫でしょうか?

横圧縮は昔のカンフー映画のエンディング等を思い出させますw

ネ申原画集、5/31に決定みたいですねぇ(・∀・)
Commented by 16mm at 2013-03-05 22:47
■re:chataさん
ご心配おかけしました。
でもカプセル泊の方が自宅に帰るより楽チンではあります。
が、精神的にも金銭的にもキツイっすね(笑)。

>横圧縮
オイラは子供の頃にTVで放映した東映漫画祭のデビルマンがエンディングで横圧縮されて、ものすごーくデブになっていてギョッとしたことがありました(笑)。

>ネ申
なんと!!!
発売中止ではなかったのか(笑)。
今度は延期も中止もナシで(笑)。


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