『愛のコリーダ』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

先週土曜日、岩盤浴、ストレッチ。
岩盤浴は40分ほどで我慢出来ずに退散。


髪の毛が鬱陶しい。
ヘアカットは三週間ぐらい先だ(笑)。


『げんしけん』
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今更というむきもあろうがw『げんしけん』を読んでみた。
切っ掛けはと言えば同じ作者の
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『Spotted Flower 1』のAmazonに載っているプロットに興味がひかれたのだ。
しかし『Spotted Flower 1』はまだKindle版がない。
早急なKindle化を求む(笑)。
wikiを読んだら『Spotted Flower 1』の二人って『げんしけん』の班目と春日部らしいというようなことが書いてあって、なんか余計に複雑な気分になるなあ(笑)。
まあそれはおいといて『げんしけん』。
上の安彦良和の漫画のように『げんしけん』で出てくる女性がことごとくオイラのツボで、みんな素敵なんだよな(笑)。
女性キャラ全員に萌えましたな。
ただオイラが本作を読んでの痛烈な一撃は荻上の話なんだよね。
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世間のモノ作りやクリエイティブな事象に対する根源的とも言える"好意的な無理解"に対する一撃。
オイラからすると"モノ作り"なんてのを会社のキャッチフレーズにしてるのを見る度に「イタタタタw」なのである(笑)。
モノ作りを連呼するような輩ほどそこから一番遠い存在であり、そいう奴らが非常時にまっ先に人の創造性なんかを否定するんだよね。
社会一般の創造性というモノ作りに対する幻想は"主体性"とか"唯一無二"であるとかの部分であり、それを会社はカネに代えようとして会社のキャッチにしてるわけなんだ。
明らかにモノ作りというものを一面的にしか見ていないが為の好意的な無理解。
言うまでもないがモノ作りや創造性というものは個人個人の根源に根ざしたものだ。
程度の差はあっても自分のアイデンティティが如実に反映される。
例えば、痩せたモデルの女性をスケッチしていたとして、自分の女性の好みがポッチャリだったりすると痩せた女性が若干ふっくら描かれるというような事はよくある事だ。
まあ自分がデブ専である、なんていう妄想は毒にも薬にもならんもんだろうけど、そんな妄想が個人の枠を越えて他人に影響を及ぼす事は多々ある。
女性をふっくらと愛らしく描く事は微笑ましいだろうが、ピチピチのラバースーツを身につけ、鞭を持ったSMデブ女を描いたら、それを微笑ましく好意的に受け止める人は何人いるだろうか?
世間的な判断で言えば、大多数の人間が好意的に感じられるもののみが"モノ作り"であり"創造性"であり"クリエイティブ"なものになり、会社が欲しいと思っている創造性もそういうものなのだ。
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口では"モノ作り""創造性""クリエイティブ"などと口当たりの良い事は言っても、社会通念で許されていない妄想は徹底的にスポイルされる。
どんな優秀なクリエイターでも自分の妄想を直接的に表現する事はないだろうけど、ニュアンスは様々な方法で表現の中に隠している。
なぜ直接的な表現をしないかと言えば、社会的な外圧が怖い、というよりも、自分の妄想をストレートに描く事で自分とい個がすべてさらけ出されてしまう恥ずかしさに堪えられないからだと思う。
だから本作で荻上が
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こんな妄想をストレートに描いてしまうというのは、オイラからすると「若いなあw」という事になるのである。
荻上は過去に自分の妄想によって同級生の男の子を不登校にさせてしまった過去があった。
その同級生は自分も少なからず好意を抱いていた男の子だったからトラウマは深刻である。
自己否定と自己嫌悪が荻上を苛む。
しかし、ね。
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妄想は他人を傷つける危険性というものが常に孕んでいる。
それでも止められないというものが"モノ作り"の根源ではないのか。
よく言われる様にホラービデオを観すぎていたから殺人をおかした。
ロリコンのエロゲーをしすぎていたから幼女を誘拐した。
etc.......。
その度にホラービデオやエロゲーが事件真相としてまことしやかに責任を負わされる。
ハッキリ言おう。
ホラービデオやエロゲーなどをやって、その人の人格に影響を与えない筈はないのである。
その人の人生の一部をつかって熱狂させるような文化に影響力がないわけないではないか。
そんな事は良心的で自覚的な製作者なら分かっている。
上の荻上だって分かっている。
分かっている上で数少ない"モノ作り"の僕達は制作を止める事が出来ない。
それはモノ作りというものがもつ呪いみたいなものだ。
モノ作りをする者の性(さが)だ。
無自覚にモノ作りを賞賛して会社のキャッチにまでしちまうヤツ。
こいつらの無知さ加減の方が凶悪であり罪だと思うぞ。
その部分を本作は無茶苦茶端的に描いている。
この辺りものすごく溜飲がさがったし、自分自身に対する覚悟というものも考えさせられた。
いや〜、本当に名作だは。
今更本作を読んで感動するってのもイタイのかもしれんが。
本作は全九巻であるがその続編が既に単行本化されKindleでも出ているのでいずれ手に入れるであろう。
掲載誌である月刊アフタヌーン誌。
本当に侮れねえ。


『愛のコリーダ』
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Blu-rayで視聴。
公開は1976年との事である。
オイラが9歳ぐらいだな。
たしかNHKのニュースセンター9時かなんかでこの映画の写真集についての裁判をやっているというのを知った。
TV画面にそのスチールもいくつか写ったのでチンコの皮もむけてない美少年だった(笑)オイラもこの映画がHなものなのだな、という事はなんとなく分かっていた。
それから38年たった現在。
やっとこ本編全てを観る事が出来た。
海外版なのでボカシなし(笑)。
チンコマンコがモロ見えである(笑)。
ちなみに日本では当然無修正版は販売されていない。
で、率直な感想であるが、制作当時は色々と物議を醸し出したのだろうけど、今後この作品が時代を越えていく事は難しいだろうなと思う。
つまり、観てない人がわざわざ観なくてもいいかなあということ。
照明はもう如何にもライトを当ててますよと言わんばかりのもので物語のリアリティがまったく感じられない。
それに主演二人の演技もなんともペラく感じた。
物語的な新鮮さもなし。
映像的な美しさや興味深さもない。
ライティングがわざとらしいのは前述したが、ピントも結構外してて、それが観る上での微妙なノイズになってる。
1976年といえばヘアヌードなんて影も形もない頃なわけなので、言うなればチンコマンコを映像に写して"繋がってる"のをカメラで撮るということのみが目的意識化された映画だと言えるのではないか。
その当時でいえば、それが事件であり、センセーショナルなものであったのはわかる。
しかし時代がすすんで、日本は相変わらずチンコマンコ禁止なわけだけど、ネットはもとより、コンビニで売っている雑誌でもたまにチンコマンコを見る事ができるようななった。
チンコもマンコも特に見るのが難しいものではなくなってしまったのだ。
そんな時代に本作を観る動機ってのは、せいぜいオイラのような映画好きが"知識"として観ておこうか、ぐらいのものでしかない。
なによりもエロスを感じないんだよね。
クライマックスで定が吉蔵のチンコとタマを切るシーンがあるわけだけど、それは自分の愛した男のモノを誰にも触られず自分だけの所有物にしておきたいという愛情溢れるものである筈なんだけど、映像的にあきらかにニセモノなチンコとタマを切ってるというのが分かってしまって、映像的に没入できず製作者の意図した様に観る事ができなかった。
これなら『戦場のメリークリスマス』の
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生き埋めにされ、死の淵にあるセリアズの髪の毛を切り取るヨノイの描写の方にエロスを感じるし、この映画は時代を越える普遍性を獲得していると思える。
『愛のコリーダ』はいまや観るべきものがない作品であるというのがオイラの感想である。


『ウルフ・オブ・ウォールストリート』
AmazonでBlu-ray購入。
劇場公開時に鑑賞以来の再見。
オレたちが一番観たかったスコセッシ(笑)。
もう最初の
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マシュー・マコノヒーの演じる投資会社の上司のクソキレまくったクソ下品さ(笑)。
冒頭からクソ面白さにおぢさん狂喜したよ(笑)。
で、このマシュー・マコノヒーの(アドリブでやったらしい)チェスト・ソングが本作における熱狂であるとか、攻撃性であるとか、個人を鼓舞する力を見事に表現していた。
まさに全編を通しての柱の一本ではないかね。
聴いたら忘れられないもんw。
レオナルド・ディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォートが上司役のマシュー・マコノヒーとのランチ。
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このシーンでベルフォートは上司から株の世界でのリアルな生き方を教わる。
株屋というものは徹頭徹尾客に夢を売りつける商売だ。
8ドルの株が16ドルになってそれを客が現金にしてしまったらそこで夢は終わってしまう。
夢を終わらさない為には、その16ドルで他の株を買わせる。
またも客は夢を見続けるその隙に、株屋は手数料という現実のカネを懐に入れる。
客は手には入れられないが夢のような大金を常にもっていると勘違いし続ける。
回り続ける観覧車に客を乗せ続けることで株屋は儲かるという仕組み。
このシーンの株に関する話は無茶苦茶面白かった。
例えが愉快で面白いのと、なんと言ってもマシュー・マコノヒーの悪徳上司が実に魅力的なんだよね。
なんか本当に騙すより騙される方が悪いと思えてきちゃう(笑)。
貧すれば鈍する。
貧乏人が悪いのだ、と(笑)。
若いベルフォートの客が幸せになれば株屋の自分も幸せになる、という図式はこのように早々にして打ち砕かれる。
このウォールストリートでの僅かな経験が後のベルフォートのその後の生き方を決定づけたといってもいいだろうね。
マネーゲームというものがいかに愚劣であるのか。
ただ愚劣であるんだけど、この上司を含めた株の世界というものがものすごく魅力的に描写されるんだよね。
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甘言を弄して客を籠絡し、電話の向うでは中指を立てて客のバカさかげんを笑ってる。
ファック!ファック!!ファック!!!
株屋という人間を本作では徹底的に下衆で下品な奴らとして描いている。
なんでそんな下衆な人間にオイラは感情移入できてしまうんだろう。
男がヤクザ(暴力団ではなく)に憧れるようなものかもね。
守らなければならない社会規範やモラルから逸脱することができるのがヤクザ。
ドラッグでハイになり、女をとっかえひっかえでき、気に入らないヤツは話すより先に顔面の真ん中にパンチを打ち込む。
ヤクザには彼等独自の規範はあるんだけど、カタギから見れば自分たちがしたくても出来ない事を自由にやってるように見える。
ヤクザがヤクザたらしめてる自由を獲得している力が圧倒的な暴力だとすれば、株屋の力というものはカネである。
劇中の株屋はカタギが買うかどうか迷うか、買う事自体を諦めてるようなものをいとも容易く手に入れて、しかもそれをゾンザイに扱う(笑)。
理屈で説明するにはアホらしすぎる、力への渇望や憧れと富を蕩尽するその様がたまらなく魅力的なんだろうね。
ヒリヒリする日常と巨額の富をリスクを犯して勝ち取る世界へは、やはりカタギが踏み出すには高すぎるハードルだ。
本作は株屋のベルフォートに観客が感情移入できるように作っているが、普通の観客はオイラを含めてあきらかにベルフォートの電話の向うにいる人間だというアイロニー。
ベルフォートをムショに送ったFBIの捜査官は正義を成した誰よりも立派な人間である筈なのに、地下鉄で家路につく時の描写の何とも言えないせつなさ(笑)。
ムショのベルフォートはカネにものを言わせてテニスなんてやってたりする。
悪の力は正義の力よりも強い。
もうこの不穏さはやはりスコセッシだなと思う。
オイラとしては『タクシードライバー』以来の、そしてスコセッシ一番の傑作だと思う。


今週は母親の通院の送迎と歯のメンテナンス。

by 16mm | 2014-06-01 23:18 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(2)
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Commented by chata at 2014-06-01 23:58 x
『Spotted Flower』男の見た目がマダラメっぽいなーとは思ってましたがマジかーw

荻上=トラウマ持ってるオナゴが好物なのはわかってましたので(ヌフフ…

オレは16日に健康診断で採血してきます(ヌルフフフ…
Commented by 16mm at 2014-06-02 06:04
◼re:chataさん
>『Spotted Flower』
なんかそうらしいですw。
すごく、なんかうれしくなりましたけどね(笑)。

>荻上
荻上は良い奴ですw。
大野さんも、あの女会長もすきですよん(笑)。

>16日
いま採血したらオイラ大変な事になりそうですw。


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