『フォックスキャッチャー』

BREITLING NAVITIMER COSMONAUTE
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α7R ILCE-7R
Carl Zeiss Makro Planar T* 2/50 ZF.2


オイラの大学4年間はバイトが全てだった。
東京で一人暮らし。
親の仕送りは期待できないので金を稼ぐことは重要であった。
最初のバイト先は<今から思うと相当に理不尽な理由で>一ヶ月でクビになり。
次のバイトは短期で某○しまえん。
そこは大学の偏差値カーストで振り分けるという非常に気分の悪いものであった。
次に行ったのがその後卒業までお世話になった設計事務所。
当時にしてみれば結構時給が高くて、住んでるアパートから歩いて行けたので好都合であった。
考えてみれば何の経験もない学生を結構な高給で雇うなんてのは太っ腹だよな。
そこでは社長から専務から社員までみんなから気にかけてもらえた。
大学では今に続く友人は一人もいないが、このバイト先の人たちとは細々とながら繋がっていたりした。
で、そこの会社の2年目から世話になった上司がいる。
結構なイケメンで、元ミュージシャンで、男気があって、真面目で。
その人はオイラの実家から30分のところに家を建てた。
が、近場に住んでいるという距離感の所為もあり、卒業後25年ぐらい会うことがなかった。
その人が先週亡くなったという知らせを受けた。
59歳。
癌だったとのこと。
赤いちゃんちゃんこを着る前に。
というか、あのカッコいい人が赤いちゃんちゃんこというのもピンとこないわけだが。
とにかく死んだ。
死んでしまった。
いろいろ不義理をし続けた後輩のオイラを許せないだろうな。
ここで手をあわせるよりも、生きてるうちに会うべくだったとも思う。
こころよりご冥福をお祈りいたします。


先週土曜日、歯の治療。
先々週神経を抜いた歯に対する治療で、治療中はあまり硬いものをその歯で噛まないようにとのこと。
神経を抜いた歯は水っけがなくなりもろいのだそうだ。
で、いつものように美形で剽軽な歯科衛生士女史がやってきて歯石取りをしてくれるはずなのだが、しばらくはドS全開のハードな歯石取りができないとのことで、オイラも不満であるが女史も暗黒のドSを持て余して不満そうであった(笑)。


今週日曜日、赤外線サウナ、ジェットバス、ストレッチ。
いつものように健康ランドに来てみると
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酸素カプセルが横たわっておったがな(笑)。
田舎の健康ランドがいきなりその一角だけSFになった、というのは大げさであるが(笑)。
オイラが行った日が運用最初だったらしい。
本来予約が必要なのだが、誰もやっていなかったので飛び込みでやってみることに。
一時間1500円なり。
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中に入るとこんな感じで、まあ過度な閉所恐怖症の人はキツイかもしれないような棺桶感覚(笑)。
最初の10分は1.1気圧で様子見。
中にインターフォンが付いていて「マズイ」と思った時は外との連絡ができるようになっている。
加圧されるので耳抜きができないのもマズイかな。
オイラはとりあえず1.1気圧で問題なかったので10分後から上限の1.3気圧に上げてもらう。
ちょっとだけパニックの発作を起こしかけたが問題なかった。
最大値の効果を期待するならやはり1.3気圧らしい。
で、中に持ち込んだiPad miniでゲームやら漫画やらを読んであっという間に一時間。
効果が現れるのは3〜4回ぐらいやってからとのことだが、オイラに関してはカプセルから出た後に結構スッキリした感じになっていた。
カプセルの中で寝ちゃうかと思ったら逆に目が冴えちゃって。
更に気温の低い曇り空の下でも寒さをまるで感じない。
濃い酸素を取り込んで血管を拡張することで血の巡りが良くなるのかもしれん。
そういえば高血圧な人は使用を控えるようにとの能書きが書いてあったが、やってしまったら後の祭りである(笑)。
とりあえず体のダルさというのがなんとなく消えたので今後も定期的にやってみようかなと思う。


組曲(Suite)
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AmazonでCD購入。
"ライカM4"なんてタイトルの歌もあるが(笑)、"氷中花"が今回ツボだったかなあ。


『毎日かあさん9 育っちまった編』
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AmazonでKindle版購入。
なんか久々にサイバラの作品を購入。
9巻は紙の本でも買ってないものなので楽しめた。
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↑こういうことやるのオイラだけかと思ったら、男の子はみんなやるのね(笑)。
つくづく男の子ってのは女性から見るとバカなんだろうな(笑)。
男の子ってのはそういうもんだ、諦めてくれ(笑)。
息子さんは男の子だからアレだが(笑)、娘さんは本巻でものすごくしっかりと自分の意思を持った女性に育っていて、少なからず母親の薫陶が生きているのかなと思った。
巻末の"贈り物"という番外的なものも含めてかなり良質な巻であったと思う。


『スクールガールストライカーズ』
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相変わらずやっております。
毎度のように胸元を触ってたら上の画像のように言われました(笑)。
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オイラ率いるチーム眼鏡の面々(笑)。




『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』
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Amazonで書籍購入。
読了。
どうせ電書にはならんだろうと踏んでの購入だ。
舘野 仁美はちょっと気合いの入ったジブリ・ファンなら知っている動画チェッカーだ。
本書はおそらく舘野 仁美の口述を平林 享子 が構成してまとめたものだと思われる。
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ジブリのドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』での舘野 仁美。
結構美人だと思う。
実際若い時はモテたらしい。
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映画でも語っていた、宮崎駿と仕事をするということの意味。
本書でもその語りが丸々抜粋されているぐらいなので、かなり本質を突いたものだったのだろう。
当初「宮崎駿のせいで結婚できませんでした」という惹句があったらしい(笑)。
ところで、オイラもそれなりにアニメーションの制作過程を知ってはいるのだが、ココ何年も納得できないことがある。
原画と動画という職種についてだ。
原画という職種はそれはキャラクターやそのカット内で起こる自然現象などの動き、構図、タイミングを決める人の事を言う。
画面の、カットを支配する絵を作り上げるのが原画だ。
通常、原画になるには動画の過程を踏む。
例えば宮崎駿の昔いたスタジオでは動画を最低2年やらないと原画に昇格しないという不文律があったと本書はいう。
これでいくとアニメーターはみんな原画を描きたくて、動画を修行の場として考えているということだ。
これは一般的に言えば職業的なカーストになり、原画になる実力のない人が動画をやっている、という事になる。
一時期オイラもそう思っていた。
が、実はTVでも映画でもいいのだが、実際に映像として残る線は原画ではなく動画なのだ。
動画は原画の描いた動きの間を埋めつつ、さらに原画にいくつも引かれていた線だとか、線と線が繋がっていない部分をつなげたりする。
映画で観た『ガンダム』のキャラクターを観て
「さすが安彦さんのタッチはいいね」
などと呑気おもっていたが、実は最終的には安彦タッチのニュアンスを残した動画の絵なのである(笑)。
「荒れた原画で動画を泣かす」
なんて言葉があるぐらい(笑)、TVシリーズなんかだと雑な原画を動画が必死に線を拾って清書(クリンナップ)していく。
観る側に届ける絵の最終品質は動画が握っていると思うだよね。
単なる清書が動画だと思ったら大間違い。
安彦のような個性的かつニュアンスを似せるのが難しい原画から本当に雑で下手くそな原画までを統一した線で作っていくってのは結構なスキルが必要で、原画の腰掛けとしての職種であってはならず、独立したものにしなくてはならないのではないか?
入り口は動画であっても、その後原画にいくのか動画に行くのかを適正こみで選びやすい状態にするべきなのではないか。
今のままでは動画というものは本当に原画より下に見られる存在でしかない。
本書でも宮崎駿が
「動画チェック、何様だ!!」
と怒鳴ったり。
労働者というものについてきっちり考えているはずの宮崎駿でさえこうだ。
何様だとはなんだ、オマエなんてアザラシ顔した絵描きだろ、ってなもんだ(笑)。
結局宮崎駿がそんな風だから世間的な動画の認知が高いはずがない。
舘野という人はそういう一般論と戦い続けてきた人だ。
舘野が尊敬していた宮崎や高畑勲にそんな風に思われ、言われた事。
彼ら巨匠の右腕のような存在でありながらそんな理不尽な思われ方をされ続けてきたのが不憫でならない。
動画という職種に原画と同じギャラを払うべきではないか?
いや、それ以上でもいい。
なんせ観る側にとってみれば、動画の線が最終品質なんだから。
ここの優秀な絵描きがいるべきだと思う。
......
って言っても詮無い事だろう。
現在スタジオ・ジブリは制作部が解散。
あのでっかいスタジオがどうなっているのかわからんが。
結局、アニメーターの社員化までしておいて立ち行かなくなったら解散。
宮崎駿がいなくなったらスタジオ・ジブリは無力だからな。
ジブリに集ったアニメーター達にとっては納得づくなんだろうけど。
オイラのように破綻しつつある終身雇用にしがみついて各種の保証を受けられている状態がある意味異常なのかもしれない。
が、宮崎駿の下駄として一緒にやってきた人間をお払い箱ってのはどうなのよ。
宮崎駿は老い先問題ないぐらいの金は持ってるだろうけど、それ以外の人はそうじゃないからね。
自分の下駄として働いてきた人たちに対する責任というのをあまり感じてないか。
ちなみに舘野は現在アニメーションから離れてカフェを経営しているとのこと。
いや、カフェ経営が悪いわけではない。
舘野だって死ぬまでアニメーションに携わっていたかったのではないか?
長編ヤメて短編をやるって?
いい気なもんだ。
ジジイが悠々自適に趣味でアニメーション制作か。
その制作にだって人員は必要なのだ。
その時にまた舘野なりを呼び戻すつもりなのか。
本書の感想。
宮崎駿はクソッタレだということである(笑)。


『絵を描いて生きていく方法?』
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Amazonで書籍購入。
この本も電書にならんだろうという諦めで購入。
はっきり言ってとんでもない良書。
まだ全体の四分の一ぐらいしか読み進めていないが、とんでもない良書。
絵を描いて生きていく方法、というと絵でゼニをかせぐ方法と受け取られるかもしれないが、そうではない。
言うなれば、絵で稼ぐ稼げないは別として、絵が好きで、描くのが好きという病にかかった人間に対して、終生描き続けるための考え方や覚悟、そして多少なりとも上手く描くための方法論がかかれている。
オイラのように美大や美術の専門学校で勉強していない人間には結構目からウロコがダバダバ落ちた(笑)。
例えば
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↑のグリッドだとかデザイン・スケールとか言われている道具。
これの有効性を寺田克也が非常に平易にアカデミックに語っている。
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こんな感じに使うのはわかっていたし、同じように
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↑のようなはかり棒というやつの使い方は中学か高校の美術の時間に教わった。
が、なんとなくそういうものを使わないで描くのがカッコいいんだと思っちゃったんですよね(笑)。
ヘタクソが使うもんだと(笑)。
したら寺田克也が本書で、絵を描くということは対象物の位置関係を正しく捉えることだ、なんて言ってるわけ。
その対象物の位置関係を正しく把握して絵を描くことを"デッサンがとれてる"という。
慣れてくるとその位置関係、座標が頭の中で正確にイメージでき、描くのに余計な時間を使わなくなる。
これってさ、果てしなくデッサンやクロッキーをやらないとできないことだよ。
これ読んでオイラ泣けてきたよ。
自分の認識の甘さと怠惰に。
"やみくもにただ線を引いていたら、絵は上手くなるというわけではないので、「今、自分は何をしているのか」っていうことに対して、自分でわかってなくちゃいけないよね。デッサン取るなら、「位置情報を手に入れるため」みたいな、明確な目的がなければいけない。何をもって線を引くかを知ることが、絵を描くという行為ですね。ただいっぱい引きました!という目的のない線は、ほとんど役に立たない。(本書からの抜粋)"
......
いや、ほんとに無自覚でした。
こんな大切な話が本の冒頭数ページで出てきちゃうわけ。
はっきり言ってこの文章読んだだけでも本を買った価値は十分。
一体のこりのページ数でどんなに貴重な話が聞けるのか。
グリッドを使う、理詰めで考える...etc。
絵を描くというのは感覚的なものであると甘く見ていた。
他ならぬ寺田克也が言っていることだ。
間違いなくただしいことだよ。
オイラが今後死ぬまで努力しても、当然寺田克也の背中すら見えないだろうことはわかっている。
ただ絵を描いて生きていくということの本当の基礎を学べてことはとにかく貴重だと思う。
絵を描く人全員にオススメしたい。


『フォックスキャッチャー』
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DVDレンタルで鑑賞。
劇場公開時には全くの無印で、たしか地元の映画館でもやってなかったんではないだろうか?
とはいえ、カンヌで監督賞を受賞したり、オスカーでのノミネートもあった作品だから決して目立たない作品ではなかったはずだ。
観る気になったのはいつものように宇多丸の評論である。
宇多丸が語る本作の評論も見事ですばらしかった。
非常に思い入れたっぷりに感じられたので、本作のどこかが宇多丸の琴線にはげしく触れたのかな。
そもそも宇多丸の言ったあるキーワードを聴いて本作を観たくなったのだから。
"正しさが人を追い詰めることがある"
"正しさの鈍感さ"
"グウの音も出ないほどの正しさに向かって逆ギレしたくなったことはないか"
"身の丈を超えて膨らませたエゴだとか小人欲求を持て余したあげく、だれかにその理不尽な怒りをぶつけたくなることありませんか?他人事ですか?リア充爆発しろってのはそういう言葉でしょ"
この"正しさ"という言葉がパンチラインとなってオイラを観る気にさせたわけである。
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兄弟でオリンピックの金メダリストのとデイブ・シュルツ(上画像左)とマーク・シュルツ(上画像右)。
そして
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デュポン財閥(あのテフロン加工の)のジョン・デュポン。
ジョン・デュポンがデイブ・シュルツを射殺した実話事件をベースにした映画である。
宇多丸の話だと、本作の監督がこれを映画にしょうとした理由も変わっている。
ある時本作の監督に見ず知らずの男が封筒を差し出して、
「あなたはこれを映画にする」
と言って去っていったと(笑)。
その封筒の中にこの事件の新聞の切り抜きがあったとか(笑)。
これをきっかけに本作の監督は映画を作ったわけだが、なかなか不気味である(笑)。
この不気味さってのは映画全体を通して感じる事ができる不穏さとも言えるのだが。
具体的に言えば本作に漂うなんとなくジメっとしたホモセクシャル的な性行為の暗示の所為かもしれん。
この金メダリストのシュルツ兄弟。
兄貴のデイブ・シュルツは家庭的であり陽性な性格で広く人脈をもってコーチの誘いもバンバか来てる。
逆に弟のマークは暗く内向的な人間でうまく自分をアピールできない性格。
さらに言えば兄と弟の関係は選手としての立場とも等しく、弟に対しては兄は常に指導的な立場にいる。
そんなマークの元にジョン・デュポンが自ら率いるレスリング・チーム“フォックスキャッチャー”で金メダルを目指さないかと破格の誘いを受ける。
マークにしてみればやっと兄のデイブから自立できるという高揚した思いがあっただろう。
マークは自分を認めてくれたジョン・デュポンに対しても恩と友情で結ばれた関係を築きつつあった。
一方ジョン・デュポンはというと、明らかにスポーツをする感じではないのにレスリング・チームのコーチをやっている。
動きが緩慢なのだ。
で、自分主催のレスリングの大会で金にものを言わせて勝ってしまう。
それもこれもジョンは自分の母親に認められたい、承認されたいという強い思いがあり、物の見事にコンプレックスを拗らせており、そして自分が実力で得たものではないという事実をその母親に見透かされている。
ジョンのコンプレックスはゼニにものを言わせて招聘したマーク・シュルツでは解消できなかったのだ。
で、ジョンはどうしたか。
さらにゼニを積んで兄貴のデイブを招聘した。
有能で明るく家庭的で正しいデイブを自分のところに取り込む事で自分のコンプレックスをできると信じたジョン・デュポン。
マークとジョンは似たようなコンプレックスを抱える者同士で、マークにしれみれば自分と同じような傷を持つ人間との友情に理不尽を感じながらも応えていたのだ。
それなのに結局は兄であるデイブを求めるのか。
マークにとってみればもう一人の自分に裏切られた気分だったろう。
結局マークはソウル・オリンピックで負け、ジョンからお払い箱になる。
残ったデイブとジョンはどうなったかというと、ジョンという人間は"正しい"人間なのだ。
マークならジョンを讃えるやらせドキュメンタリーでも調子を合わせることができた。
が、"正しい"人間のデイブはそんなやらせに付き合わない。
なぜならデイブは"正しい"人間だから。
ジョンがデイブの家族と打ち解けようとしても、デイブにしてみれば器が小さいめんどくさい富豪の御曹司と休日を使ってまで仲良くしたいとは思ってない。
デイブが休日にジョンと打ち解けるなんてのはそもそも契約にないから。
マークのみが<たとえそれが正しくはなくても>ジョンを常に肯定しようとしていた。
ゼニや契約ではない、そんなものでは買えないものをジョンはマークに与えられていた事に気がつかなかったのだ。
自分の狭量さに対し、母親もデイブも正しかった。
この正しさに追い詰めれらたジョンはデイブを射殺する。
......
と、まあこんな話。
宇多丸は評論でデイブの正しさゆえの鈍感さを強く攻撃していたが、オイラはデイブが理不尽な(本人には自覚できない部分で)理由で殺されたというところが気の毒だなあという感じ。
別段にデイブの"正しさ"というものに不快になることはなかった。
それはレスリングというオイラのまったく関心のないフィールドの話だったからかもしれない。
ジョンはジョンなりにレスリングに対しては真摯に努力をしていたと思う。
マークだってそうだ。
しかし世の中には努力やゼニでは手にいれることができないものがある。
諦めのつかない事に折り合いをつけられない。
無いモノを生涯ねだり続ける。
オイラに関して言えば絵や写真で自分より上手い人間を疎ましく羨ましく思う事はある。
が、一方で
「オイラはまだ本気だしてないからな。本気出せばアイツよりすごいものができる」
ってな「本気を出してない」という心の保険を効かせてるせいかもしれん(笑)。
だた、本当に本気を出して死ぬほど努力してるのにうまくならなかったら、その時は本当に自分より上手いやつ、自分ほど努力してないようなのに自分より上手い奴を撃ちたくなるかもしれんね(笑)。
他人が持っていて自分が持っていないものを諦めきれずに拗らせてしまったジョン・デュポン。
同じような気分を味わいながら、自分が持ちえないものを諦め、方向転換する道を選んだマーク。
映画の最後でマークはアマレス界からは当時嘲笑の的であった総合格闘技の場に行った。
このことは人生を拗らせずに生きて行く方法論を身につけたマークの行き方にちょっと明るい希望を見た感じになった。
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本作、俳優のメイクアップもかなりすごかった。
上の画像、左側からスティーヴ・カレル(ジョン・デュポン) マーク・ラファロ(デイブ・シュルツ) ジョン・デュポン デイブ・シュルツ。
すっごく似せてきてるじゃん。
オイラ実はあんまり知らないのだがスティーヴ・カレルってコメディーの大スターだ。
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普段はこんな感じ。
この顔もそうだけど、彼が演じたジョン・デュポンなんて付け鼻などのメイクアップで役作りしてる。
この顔だけみると喜劇役者とは思えない感じ。
オスカーノミネートもうなづける。
さらにデイブ・シュルツを演じたマーク・ラファロ。
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デイブ・シュルツのハゲ頭の口髭の役者は『アベンジャーズ』のハルクだよ。
実在の人物の話だからやっぱり極限まで似せようとするんだろうね。
それにしてもメイクアップ技術ってすごいな。
まあ、アレだ。
映画自体は非常に心乱れるというかなんか色々突き動かされる良作であったと言える。

by 16mm | 2015-11-23 21:35 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 山名純 at 2015-11-28 21:20 x
懐かしいー!デッサンスケール!!

木炭デッサンするとき使ってた!

デッサンする時、対象物の裏側が描けなくて、悩んだなぁ。
Commented by 16mm at 2015-11-29 13:57
■re:山名純さん
ちゃんと絵の勉強してる人は使ってるんだ。
そういうこともオイラは知らずにきたんだなあTT
オイラは等身大の石像をどうやってあの小さいスケッチブックに収めるのか(笑)。
対象が大きすぎて紙からはみ出すがな、と、真剣に悩んでましたw。
Commented by chata at 2015-12-06 19:31 x
酸素カプセルやってみたい・・・にごった眼球が綺麗になりそうなイメージですw
映画観てもハルクの人だって気づかないかも。すご!
Commented by 16mm at 2015-12-06 20:52
■re:chataさん
オイラはもう2回ほどで止めてしまいました(笑)。
結構すっきりする感じはあったんですけど、一時間1500円というのが、ちょっとね(笑)。
健康取り戻せるなら安いとは思うんですけど......。


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