『太陽』『レヴェナント:蘇えりし者』『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』『アヴァロン』『G.I.ジェーン』『羊たちの沈黙』

今週月曜日、久々に池袋シネマ・ロサに映画を観に行ったのだが、予告編がどれも面白そうなので公開時期に観に行こうかと思っている。

『君の名は。』

美術というか背景というか、人間以外のヴィジュアルの表現にに独特の美しさと個性があった新海誠の新作。
今作は作画監督に元スタジオ・ジブリの宮崎駿に愛想をつかした(笑)凄腕アニメーターの安藤雅司が参加している。
なのでキャラクターの表現も期待できるかなと思っている。

『任侠野郎』

大嫌いな蛭子能収が主演で「マジかよバカ」とものすごーくバカにした視線で予告編観てたら、意外や意外、蛭子能収がちゃんと雰囲気出して演じてるがな(笑)。
脚本が『変態仮面』『アオイホノオ』の福田雄一とな。
ちょっと観てみたいかもしれん。

『葛城事件』

三浦友和、本当に良い役者だよな。
この人にとってハンサムで爽やかな二枚目俳優なんてレッテルは呪いでしかなかったろう。
歳を重ねて厚みが出ている。
好きな役者の一人である。


『太陽』
ネタバレあります。
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今週月曜日、池袋シネマ・ロサ。
『太陽』というと、
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数年前イッセー尾形が昭和天皇の映画が同じタイトルで存在する。
本作はそれとはまったく別で、元は舞台劇で上演されたものであり、それを映画化したものだ。
本作の存在を知ったのはまたしても宇多丸のラジオ番組の評論から。
監督は入江悠。
入江悠といえば
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2012年の『タマフルTHE MOVIE 〜暗黒街の黒い霧〜』なんだよな、オイラにとっては(笑)。
映画ではなくDVDで発売された映像作品でちゃんとストーリーもある。
が、宇多丸とそのラジオ番組にある程度のリテラシーがないと面白さが十分に伝わらないかもしれんなあ。
普段はpodcastで聴いているので良いリスナーとは言えないのだが、この『タマフルTHE MOVIE 〜暗黒街の黒い霧〜』はものすごく楽しめた。
おそらく短い期間で予算も少ない中、それでも映像的にはちゃんとリッチに作ってあったし、なによりも面白かったんだよね。
で、その後、結構大きな資本を投下した『ジョーカー・ゲーム』があり、意気揚々と劇場に観に行ってコテンパンにされたり(笑)。
もちろん悪い意味で(笑)。
アイドルやスターが出る大きな資本と大きな仕掛けの映画ってのは監督も部品の一つでしかなく、演出を十全にコントロールすることの不可能を痛感した。
一応ヒットはしたようだけど、なんでこんなつまんない映画を入江悠は作ったかなと思ったからね。
なので本作『太陽』も警戒していたのよ。
比較的小さいバジェットであることは公開規模などからわかっていたので、さらにショボかったらどうしよう、という危惧があった。
しかし昨年試写をみた宇多丸がベストに入れたと聴いてとりあえず観ることにした。
......
すまん。
つまらん杞憂をして悪かった(笑)。
つーか本作のおそらく何十倍もの予算と規模で作った『進撃の巨人』『テラフォーマーズ』の製作者たちも本作を観て脱帽しろ(笑)。
傑作だね。
本年度ベスト
オイラ的には生涯ベストに入れてもいい。
そして見事なSF映画だった。
ひなびた農村を映した映画がSFだよ(笑)。
人食いの巨人がでてきたり、火星をものすごい予算をかけて作ってゴキブリとのバイオレンスの映画がSFだと思ったら大間違い。
本作の方が5億倍SFの要素をもっていた。
内容もヴィジュアルも。
21世紀初頭に起こったバイオテロによって人類の大半が死滅。
生き残った人類はウィルスの感染を克服したノクスと、日々ウィルスの感染に怯えて生きるキュリオとに分かれた。
ノクスはウィルスを体内で内在化して心身ともに進化した人類という位置付けではあるが、強い光、つまり太陽の下では生きられない身体になっていた。
そんな進化したノクスに支配される形になったキュリオ(骨董品という意味である差別用語ということが劇中であかされる)は太陽の下で生活ができる旧人類でさらに昭和初期の貧しい農村のような場所で、ウィルス感染に日々怯えて暮らしている。
このノクスとキュリオを分かつのに長い橋と
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このようなゲートがある。
このゲートを隔てて貧しい生活を余儀なくされているキュリオがある一方で、支配階層のノクスは無茶苦茶カッチョいい文明的文化的生活を謳歌している。
さらに言えばノクスの人間はキュリオを完全に見下しているわけ。
で、キュリオからノクスに転換することは年齢制限があるものの可能だったりする。
ここまでが本作の概要と言っていい。
太陽に弱いノクスは明らかに吸血鬼のメタファーだ。
ノクスの血をキュリオが浴びるとウィルスに感染するというのもヴァンパイヤなイメージだろう。
ヴァンパイヤというジャンル・ムービーはイマイチ日本ではウケが悪いのに暗喩とは言えこのような設定を持ってくるのは大英断だったのではないか。
日本を舞台に吸血鬼の物語を農村でやる(笑)、普通誰も考えないよな(笑)。
このある種手垢のついた設定をリッチにフレッシュに見せる工夫が本作では随所になされている。
例えば上の画像のゲートと橋。
橋は
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この滝沢ダムを呆れるほど上手く映して橋に見立ててる。
橋は本作の重要な場所であるので、よくこのロケーションを探し出し、上手く見立てるように撮影したと感心する。
本作の撮影は本当に印象深いものばかり。
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太陽の光を充したようなススキの場面は貧しいキュリオの村で生命力にあふれた美しい映像だ。
夜のシーンが多い本作であるが、昼間のシーンではキラキラとしたこんなシーンもあるのだ。
夜のシーンも暗さを表現しつつも光源を意識した的確なライティングで照明されていて決して見えにくいということはなかった。
印象的だったのはタイトル・バックのカットで煙越しに太陽を直接映しているのだが、それがまたなんとも言えない、『太陽』というタイトルに相応しい美しい映像だった。
緊張感のある長回しに十分に間を取った演技。
入江監督の演出力もさることながら撮影監督の力も相当に大きい。
そして本作を豊かなものにしている要素に効果音がある。
上の画像のゲートの開閉音をわざわざ重々しい音に換えてるんだよね。
このゲートは何度も開閉するからこだわるのは分かるけど、こういう部分を地味に考えるというか、そもそも日本の映画は効果音に対する考え方が相当にお粗末なんだと思う。
ハリウッドなどはスカイウォーカー・ランチなんていう超一流の音響効果の専門会社があるぐらいなのに。
効果音って日本では重要度がかなり下だと思うけど、ちょっとした気付きと工夫で映像の持つ意味がガラっと変わる。
件のゲートの音だって実音とは全く違うと思うけど、それが気にならないように最適化されている。
効果音で言えば、本作ではノクスの乗る車としてフォルクス・ワーゲンのビートルが出てくるんだが、そのエンジン音を変えている。
なんつーか、電気自動車のような静かな音で、シリンダーの中をピストンが激しく上下するような音ではない。
見た目は旧式のデザインでありながら駆動系は近未来のテクノロジーに置き換えられているというのは、ノクスのセレブが乗る車としての懐古趣味として成立させているし、観客の方にしてみればSF映画とはいえ一目で見慣れたデザインのビートルが出て来ればこれが車であるということを違和感なく認識させ、その上でエンジン音を変えることでこの車が現在のテクノロジーの上のものではないということを感じさせる。
もっと穿った見方をするならば、ノクスという新人類のセックスそのものを表しているようで。
ついでに言うと、ノクスの描写で男が二人でプールで泳いでいるなんともセクシャリティな感じであるとか、男女のセックスにしてもものすごく機械的に、所謂高校生の保健体育の教科書通りの種族保存の為のセックスという完璧な位置付けになっている。
特定のパートナーとの相性の問題で子供ができないのであれば、相性の良い他の相手とセックスして種族を保存するという選択肢がある世界。
一方で種族保存がなされさえいれば、セックスの相手が同性であっても、夫婦のパートナー以外とのセックスも問題ないのではないか?
セックスに特定のパートナー同士のコミュニケーションやエンタテインメント性というものを求めなくなったのが新人類であるノクス。
現行観客の我々は明らかにキュリオ的な慣習の中にいるわけなのでノクスのその考え方の乖離というものに違和感を感じるわけであるが、ではキュリオ的な世界観が"良きもの"とされているかといえば然にあらず。
村社会的な因習、村八分、相変わらず女は抱いてしまえば自分のものという男側からの女への暴力、自分より上位の人間の目を常に意識するものの上位の目が届かなければ何をやってるかわかったもんじゃないetc......。
そういう村社会の息苦しさを考えればどこまでもドライなノクスの社会も悪くないと思う。
なのでどちらの社会が良いのかというのは決められないだろうね。
本作のレビューやパンフにも僅かでも希望があるラストという書き方が多いんだけど、人類の未来という意味ではまったく希望のない映画だと思う。
映画で描かれるようにノクスにしてもキュリオにしても、どう考えても人口増になる社会とは思えないからだ。
生殖能力がノクスよりも強いキュリオであってもウィルス感染は続くわけなので、確実に人口は先細りしていくはずだ。
本作は人類が地球上からいなくなる黄昏を描いた作品だ。
本作には
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神木隆之介(左)演じる鉄彦と、門脇麦(右)演じる結という二人の主人公がいる。
ノクスになりたくてノクスへの転換を望む鉄彦を宇多丸は『銀河鉄道999』の鉄郎だと評したのは慧眼だ。
結は鉄彦とは逆に、自分と自分の父親を捨てて転換手術を受けてノクスの社会に入った母親とノクスを憎悪していた。
しかし、物語のラスト近く、結は転換手術を受けてノクスになり、あの橋のゲートのところで鉄彦と父親に会う。
このシーンがものすごくキたのよ、オイラにとって。
あんなにノクスを憎悪していた結が、キュリオの社会で少しでも幸せな人生を築こうとしていた結が、まったく違う人間として鉄彦と父親の前に現れたのだ。
「握手ぐらいではウィルスはうつらないよ」
と和かに能天気に父親に握手を求める結。
父親が自分が変わったことに動揺して握手が出来ないでいるということも思い至ることができないようになってしまったのだ。
目の前にいるのが鉄彦や父親がかつて知っている結ではないということの絶望。
これは本当に絶望的なシーンだ。
結の穏やかの表情と夜に降る雪が美しいのに絶望的なシーン。
心かき乱されるSF。
そのあと、本当のラスト・シークエンスが来るのだがそれが希望だといえばそう言えなくもないが、少なくとも人類存続への楽観的な希望ではない。
人類の黄昏の際の一瞬の幸せな時間が描かれていた。
ちなみに本作のこのラストやノクスが太陽を浴びると燃えるという設定は名作『ぼくのエリ 200歳の少女』への非常に真面目なオマージュとなっている。
撮影や演出の力も大きいけど役者陣も相当にすごい。
主人公の神木隆之介、コイツはすげえや。
可愛い顔したイケメン俳優だと思いきや、相当な強さのトルクをもったヤツだと確信したね。
難があるとしたら若干セリフが聴きとり辛かったところかな。
まあそれはBlu-ray買って再見すれば済むことだ。
というわけだが、特に有名俳優がでてるわけでなく、気楽に希望を語る類の映画ではないのでオススメしたいが万人にはオススメできないかなあ。
それでも多くの人に観てもらいたい作品ではある。
オススメである。


『レヴェナント:蘇えりし者』
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今週火曜日、109シネマズ菖蒲。
ポイントを使って鑑賞。
今年の米アカデミー賞で監督賞、撮影賞、主演男優賞を受賞。
監督賞、撮影賞まで受賞して作品賞を逃しているのがわかった。
とにかく長い(笑)。
長いというか長く感じてしまったというか。
最近では157分という尺は割とあるとは言え、アメリカ西部開拓時代の荒涼とした雪山の景観を背景にした復讐劇は長すぎる気がする。
本当に途中で飽きました(笑)。
監督のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの前作『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の一本の映画をワンカット(風)で撮るという野心的な試み同様、本作では雪原でのカメラワーク(人物の周りをカメラが動き回っても雪原にスタッフの足跡がない)とかライティングを自然光のみで行ったとか(要所でライティングはしている筈)、その技術面での関心で映像を観ていたにすぎない。
アカデミー賞で作品賞が取れなかったというのも技術的な側面にくらべて物語に対して深みがないといことかな。
アカデミーの主演男優賞をレオナルド・ディカプリオ本作で取り、本人にとっては念願叶ったというところだろうが、オイラからするとそれ以前の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』『ジョン・エドガー』『ジャンゴ 繋がれざる者』の演技の方が賞に相応しいような気がする。


『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』
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Amazonで『MovieNEX(初回限定版) [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]』購入。
アウター・ケースのBB-8がカワエエのお(笑)。
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こんな感じでバーナーでサムアップに見立てたり(笑)。
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メイキングを観るとこんな感じで動かしていると(笑)。
最初予告編で観た時にはどうなることかと思ったけど、このBB−8のデザインすごくいいね。
球体と半球をを重ねただけの単純な造形なのに、オドオドしたり、勇敢だったり、ションボリしたりが実にうまく表現できてる。
メイキングで半球に付くオメメの位置、それも微妙な位置の差を悩んでデザインしていたのが伺える。
更にこの球体をボディにすることでそれまでのR2-D2やC−3POなどには望むべくもなかった
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高速の移動というアクションが出来て動きにメリハリがついた。
ラストでBB-8は主役のドロイドとしてレイについていくかと思ったら、ついていったのはR2−D2。
まあ、ラストでルークのところに行くわけなので当然R2−D2だよな(笑)。
そもそもBB-8はポー・ダメロンのアストロ・メカロイドなわけだし。
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こんなアホなTシャツ来たオタクな兄ちゃんが剛腕を振るって本作を作ったJ.J.エイブラムス。
なんだかんだ言われつつよくやったよJ.J.。
オマエは日本のファッション誌かJ.J.(笑)。
フィンがタイ・ファイターでジャクーに不時着した時、同乗していたポーの安否をまったく出さなかったのに、中盤の見せ場で
「ヒャッハー」
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なんて何事もなかったように見参するのはどうよ?という感じはいまだに拭いきれん(笑)。
さらいに言えばジャクー脱出でそこに偶然
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"ポンコツ"のミレニアム・ファルコンがあったり(笑)。
ジャクーを抜けたミレニアム・ファルコンを拿捕したのが
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ハン・ソロとチューバッカのコンビだったりと、ご都合主義も極まれりってな感じ(笑)。
ただね、エンタテインメント作としてなら物語を進めるためのご都合主義というのは常套手段なわけで。
そういうご都合主義で映画が楽しめないというなら、楽しむ条件としての優先順位を変えたほうが良いと思うね。
エンタテインメント作においてご都合主義が悪いのではなく、映画がつまらないということ自体が悪いのだから。
その一つにあからさまなご都合主義というのが入っているに過ぎず。
本作で言えば、やはりなんやかんや言ってもオイラは楽しめたよ。
J.J.エイブラムスのエラいところはまったく演技のする気がないハリソン・フォードにちゃんと演技をさせたところではないかね。
チューバッカも本当に吠えてるばかりではなく、本作では演技をしていたよ。
更に言えば明確なユーモアを持ち込んでいる。
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こんな感じのカメラ目線での演技からはじまり(笑)、ことフィンとレイの言葉のハモりが数回出てくるんだけど、どれも微笑ましいというかね(笑)。
ジョージ・ルーカスが監督してたらこうはいかなかったろう。
そもそも
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このカッチョいいデイジー・リドリーをレイに選ばなかったんではないか(笑)。
このデイジー・リドリーは本当に良かった。
上の画像のようなライト・セイバーを持った姿のカッコよさ、様になりなさ。
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目力がパないね。
身体能力もかなりあって、メイキング観てたら結構アクション自分でやってる。
運動神経もかなりある俳優なんだろうね。
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ヌボ〜っとした馬面のアダム・ドライバー。
顔つきもイマイチ主要キャストの顔ではないような気がしたが、次作では本作でついた顔の傷によって迫力が出るように思われる。
本当に次作が楽しみでならない。


『アヴァロン』
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wowowで録画視聴。
劇場で一回。
以前wowowで一回。
で、今回のwowow録画視聴で3回観たことになる。
3回観てやっと面白さのポイントを見つけた感じ(笑)。
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上の画像のように爆発をレイヤー化した表現というのはセルアニメーションでの重ねたセルを横から見ているような表現。
公開当時、実写でこういう表現と発想は新鮮ですげえなと思ったものだ。
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こういう画的なカッコよさというものがありながら劇場公開時に気絶(笑)したのはなぜか?(笑)。
上映時間106分というのは決して長いものではなく、むしろ短い方だ。
それが果てしなく長く感じて眠気を催す(笑)。
なぜか?(笑)。
オイラの結論。
やっぱり上映時間が長すぎる(笑)。
押井守お得意の繰り返される日常というものを本当に映画のなかで繰り返してるわけ。
いや、同じようなカットでも構図やタイミングや演技は微妙に変えてるけど、はっきりいってまったく同じものを見せられているとしか思えないわけ。
そういうシーンってだいたいセリフがなく川井憲次の音楽が流れるだけだったりしてね。
この押井の思わせぶりな演出を真剣に観ようとすればするほど眠くなる(笑)。
だから繰り返しを止めてやれば90分以下になると思う。
押井守はかつて『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で同じような手法を使って繰り返される日常というものを表現したわけだが、実写で同じことをやるとなんでこんなにも鬱陶しくなるんだろうね?
言うまでもなく『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』 は傑作だと思っているが。
なので今回、再々見ということもあり同じようなシーンをかなりいい加減に観た。
具体的には繰り返される日常的な部分を早送りした(笑)。
そしたらあら不思議、結構ちゃんと内容が頭に入ってくるがな(笑)。
ゆったりと流れる時間というものを表現しようとした押井の意図は完全にシカトである(笑)。
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そもそも本作、ゲームの話で。
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こんな感じで頭から顔から覆うようなヘルメットを被って、おそらく脳の視覚を含めた他の感覚に直接作用するようなものになっていて、プレイヤーはゲームの中の出来事を現実のごとく体験できる、ということらしい。
その本作のなかのゲームを<アヴァロン>という。
現行のネットゲーム、オンラインゲームでも学校や会社などの社会生活を断ち切って引きこもって熱中する"廃人"がいるように、<アヴァロン>はもっと深刻で五感に作用するゲームに熱中するあまり仮想現実を現実と思い込んでゲームから抜け出してこない"未帰還者"という人間を大量発生させているという世界観。
だいたいさ、<アヴァロン>の中では
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カッチョいい戦士の自分なのに
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現実の自分はもっさりした冴えないおばさんだとしたら、現実には戻ってきたくはないわなあ(笑)。
そもそも本作って監督の押井守がパチンコなどと同じように膨大な時間をゲームに費やしているなら、そのゲームで金が稼げてもいいんじゃないか?という妄想から始まっている。
まあ押井の妄想なので面白いとは思うが現実的には成立しまい。
パチプロのような存在がゲームでも成立したら、という妄想の出発点はいいけどゲームのプレイヤーに金を払い出すという仕組みに無理がある。
ゲームはプレイヤーがお金を払うことによって創られるわけだからな、いったいプレイヤーに払うお金はどこから出てるんだ?ということを考えれば無理があるのは一目瞭然。
で、実は本作も結局はすべてが上の画像のアッシュという女性ゲーマーの妄想だったというオチ、なんだと思う。
本作の後半でアッシュは<アヴァロン>上での隠れキャラである"ゴースト"を見つけて"Class Real"にいる恋人のマーフィーを探しに行く。
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"Class Real"それまでのモノトーンからフルカラーになるわけ。
アッシュ以外のモブもちゃんと動いている。
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モノトーンの時はアッシュ以外の人物は出てくる数も少なくほぼまったく動かない。
"Class Real"は<アヴァロン>内のゲーム・フィールドと言いつつ現実そのもの。
実はそれまでのアッシュのいた世界がゲーム内の仮想現実だったのではないか?ということが暗示される。
フルカラーでモブが大量に動くなんてのは膨大なデータ量とハイスペックのマシンによる処理速度が必要だからね。
モノトーンで余分なモブは動かないというのはそういうゲーム上の理屈だと考えられる。
その理屈が関係ないとしたら、それは現実の世界でしかないはずだ。
"Class Real"に来たアッシュはそれまでの経験値をチャラにされ、時間は無制限だがこのフィールドにいる"未帰還者"を始末しなければコンプリートはない、と。
"未帰還者"、つまりマーフィー。
で、このマーフィーというのがさ
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こういうヤツでw。
コイツ、というかこの俳優、本作のメイキング観ててもやたらと演出に口出ししてくる自我の強いやつでw。
木っ端な俳優がよく言う
「(監督と意見が合わなくて)降板しようとおもってました」
なんてこというヤツなわけ。
如何に自分が大物であるかってのを誇示してる三流役者というところか。
スタッフもキャストもほぼ全員からなんでコイツをキャスティングしたんだってブーイングだったらしいんだけど、言うまでもなくこの俳優に決めたのは監督の押井守なんだけどね(笑)。
押井本人はアッシュみたいなヤツだからこういうムチャクチャなヤツと付き合うんだ、なんてもっともらしいこと言ってたけど、いくらなんでもコイツは選ばないだろう(笑)。
演技も台詞回しも大げさ、演技がデカくて辟易したんだが。
押井の役者の見る目のなさが図らずも露呈した感じではないかねえ。
アッシュがマーフィーを始末するんだけど、どうやら現実だと思っていた"Class Real"もやはりゲームのフィールドだったということが明らかになる。
ではアッシュの現実はどこにあるのか?
実はアッシュ自身が仮想現実のフィールドから逃れられていない、逃れられていないことに気づいていない"未帰還者"だった、というオチではないか?と今は思っておる。
映画としては非常に観ていてカッタるいのであるが、映像表現は節々でよく考えられていて、
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貫禄たっぷりのゲームマスターのこのオッサンがモニターから消える間際に
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はっきり悪魔のようなヴィジュアルでフェードアウトする。
こういう含みの持たせ方は上手いよな、押井は。
これが下手くそになると庵野秀明みたいになって(笑)、思わせぶりが鼻についたりするんだが。
まあ文句は言いつつ、おそらく何年か後にまた観るんだろうな、オイラ(笑)。
一応本作は今度公開される『GARM WARS The Last Druid』の機能限定版として位置付けられている。
『GARM WARS The Last Druid』が機能限定版の本作よりショぼくないことを祈る(笑)。
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『G.I.ジェーン』
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wowowで録画視聴。
日本公開が1988年。
監督がリドリー・スコットだし、主演がデミ・ムーアだから観に行きましたよ。
冒頭
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ポトマック川すれすれを移動する空撮からのタイトルバックのウォーターゲートビル。
公開時には気がつかなかったけど、本作が政治的な思惑がテーマであるという意思表示かね。
リドリー・スコットのスタイリッシュな映像を期待していって肩透かしを食った。
デミ・ムーアも坊主頭にしての新機軸を狙ったんだろうけど......。
う〜ん。
後年、『ブラックホーク・ダウン』で戦争のリアリズムを描くことになるリドリー・スコットだが、本作は軍隊の過酷さをサディスティックに描写している。
劇中ではアメリカ海軍特殊部隊であるSEALsをモデルにした架空の訓練プログラムを描いているんだが、
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女性の訓練兵がいたとしたら、訓練と称してレイプもしかねないというもので。
これって果たして職業としての軍人の訓練として正当なのかしらん?と当時も今も思っているが。
本当にここまでムチャクチャな訓練するのかなと思うとねえ。
女性兵士の地位向上を目指す議員ですら、それが政治的テモンストレーションでしかないということを自覚している。
真面目に訓練をする女性兵士や訓練する教官達も嫌気がさすよな。
受け入れる訓練部隊だってどれくらい本気で訓練すればいいのかわからんだろう。
軍隊というリアリズムのみで機能するシステムに覚悟のないあやふやな議員の意思が介入することのおぞましさというものが描かれている、と最近観て思った。
オイラが期待したリドリー・スコットの映像的官能性はほとんどない作品だと思う。
つまらなくはないけどね。


『羊たちの沈黙』
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wowowで録画視聴。
これは劇場では観てないが、1991年の劇場公開後のビデオレンタルでの初見だった。
初見時にはイマイチ面白さがよくわからず。
むしろそれから10年後にリドリー・スコットが監督した『ハンニバル』の方がすきだったりした。
しかし、今回改めて観たら面白かった(笑)。
主演のジョディー・フォスターの
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なんつーか垢抜けなさっつーか、田舎から出てきたばかりの世間知らずな真面目な女性っていう雰囲気が非常によく出てたわ。
コンプレックスを内に秘めたエリートという部分にものすごくハマってると思う。
ベテランで凄腕のFBI捜査官に見えてはいけない映画だからね。
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アートとしての猟奇殺人表現の先駆けだったかなと思う。
『セブン』は1995年だからね。
それから本作のOP、タイトルバックで長く尾を引く鳥の声のような効果音が入ってるんだが、これって『機動警察パトレイバー 2 the Movie』にも同じようなものが入ってたなあ。
『機動警察パトレイバー 2 the Movie』の効果音の元ネタって本作なのかなあと勘ぐったりして(笑)。

by 16mm | 2016-05-05 17:24 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Comments(2)
Commented by chata at 2016-05-08 14:08 x
BB-8のあの躍動感は、タイツ男が生み出してたわけですねw
門脇麦かわえぇだす。
Commented by 16mm at 2016-05-08 15:03
■re:chataさん
メイキング観てたら思いのほかタイツ男がガンバッテ動かしているのが多かった。
てっきりラジコンかとおもっていたんですがねえ。
後でタイツ男を消すのは面倒ではないのかしらん?

門脇麦、かわええですね。


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