先週土曜日、歯のメンテナンス。
いつものように美形で剽軽な歯科衛生士女史がやってきて前回入れた仮歯をとってもらう。
その刹那、右の親知らずの色が変わっていることを目ざとく見つける女史(笑)。
オイラが
「気のせいだ」
と言っても聞く耳もたずに先生に密告(笑)。
次回治療となる予定(笑)。
「親知らずなら抜いちゃってもいいのではないか?」
以前親知らずの抜歯をした時、まったく痛みがなかったもんだから調子に乗っているオイラ。
「親知らず抜けば、小顔になるんでしょ」
というボンクラなオイラの言葉に
「そういう問題ではない」
と冷静に却下する女史(笑)。
治療後先生のブツを見せてもらう。
Vario-Tessar FE 16-35mm F4 ZA OSS である。
16mmから35mmというオイラが広角域で一番重宝しそうな画角帯である。
この帯域は個別に単焦点を持ってはいいるが、全部フィルム時代のZEISS。
デジカメ対応の新設計のレンズもこの帯域で欲しいところ。
惜しむらくは絞りがF4。
F2.8が望みなんだが、おそらく本機の価格の2倍以上になるんではないか。
これだって16万円近いお値段(笑)。
100万以上のレンズの借金を背負うオイラには無理だな(笑)。
更に、超小型の三脚を見せてもらう。
おそらく自分のメイン・カメラには絶対載せられないが、スマホにつけるぐらいのレンズなら有効だろうね。
スマホ用なら小型軽量がやはり重要だと思う。
本日日曜日、岩盤浴、ストレッチ、日光浴。
岩盤浴はキャンペーン実施中で通常料金で60分のところを90分。
しかし、そんなサービスされても90分もいれない(笑)。
45分ほどで退散してきた。
非常にお見苦しい画像で申し訳ないのですが、
非常に汚いオイラの机の上に
BB−8のラミネートのポップが汚部屋やってきた(笑)。
ゼロハリの改造をしていただいたパカ助さんが非売品のこの子をショップから
拉致、ではなくw助け出して連れ出してきてくれたのである。
一応パカ助さんの名誉の為に行っておくが、店員さんにちゃんとことわりをいれてからの拉致、ではなく助け出し連れ出しである(笑)。
それをオイラにも送ってくれたのだ。
ラミネートでしっかり作ってあるので非常に良い感じでオイラを見下ろしておる(笑)。
『バガボンド(23)(24)(25)』
書店で書籍購入。
本書は数年前に1〜3巻ぐらいまでを単行本で購入していたが途中から止めた。
重厚でリアルな画の合間に入るギャグな感じの画が非常にノイズになって気に入らなくなったからだ。
それでも10年ぐらい前には掲載誌に載っていればなんとなく読んでいた。
その10年ぐらい前がこの23〜25巻あたりだと思う。
その時読んだ一節がどうしてもまた読みたくなってそれが載ってる巻だけ購入した。
23巻で研ぎ師の本阿弥光悦が自分の美学とも言うべきものを吐露する。
これが読みたかったのだ。
興味深かったのは刀を研ぐ技術を"業(わざ)"と言っている。
多分研ぐ技術の”技(わざ)”と"業(わざ)"をかけているのだろう。
"業(わざ)"は"業(ごう)"とも読み、「業が深い」とか「業の肯定」とかいわれたりする。
"業(ごう)"っていうのはオイラが思うに
「分かっちゃいるけど止められない」
という人間のどうしようもなさの事だと思ってる。
辞書をひけば"業(ごう)"っていうのは"カルマ"などのむつかしい宗教用語として説明されているが、オイラとしては「分かっちゃいるけど止められない」という人間の度し難さと雑に考えた方が腑に落ちる。
晩飯になるまで待ってるのが正しいけどつまみ食いは旨い、とか、恋人の携帯電話の着信を見てはいけないと思いつつ見ちゃう、とか。
戦争などもそう。
戦争なんかして総体で見れば勝った方も負けた方も国力は圧倒的に下がるもんだ。
善悪というものが分かっており、結果すら分かっているにもかかわらずやってしまう。
結果というのは確実に不幸な結果なんだけど。
戦争なんか絶対良いことないと片方で分かっていながらやっちゃう。
こういうのを"業(ごう)"って言うんだな。
本書に出てくる本阿弥光悦って研ぎ師として極限まで求道的だ。
自分の仕事に対して真面目に対峙し続けた。
若い時から歳を重ねて50年。
その間にも研ぎ師としての技は高度なものとなり、時の将軍に研ぎを依頼されるまでになる。
しかし、本阿弥光悦は家康公の刀を研ぐ地位になりたいがために研鑽を積んできたわけではない。
黒鉄の中にある美しいものを見つける、今よりももっと美しいものを見つけるために研ぎ続ける。
しかし、この本阿弥光悦という人は自分が研いでいるものは人を斬る為の道具であるということも自覚している。
人を美しい断面で斬る為の美しさを掘り起こす作業だ。
そして刀を美しいものとたらしめるには、むしろ
「刀であってはならないような気がした」
という域に達する。
もうなんか禅問答のような様相を呈してきたが(笑)、美しい刀を美しくできるのは研ぎ師ではなく、剣を己の人生の真ん中に置いている人間だけだという境地に本阿弥光悦は達した。
本阿弥光悦はたとえそいう人間が持てばどんな刀でも美しいという。
"刀であってはならない"というのは刀に美しさが必要なのか?自分が長年研鑽を積んできた結果見えてきたのは、刀とは持つべき者が持てば鈍な刀でさえ美しくなるのではないか、という絶望。
自分が研いだから美しいのではない。
それでもそういう数少ない人間が持つものとして刀を研ぎたい。
で、上の図の本阿弥光悦の言葉になるんだが、この言葉は逆説として読み取るべきではないだろうか。
つまり、「刀を美しくするような人間は無闇矢鱈に人は斬らない」と。
この件を再読できてよかった。
もう『バガボンド』はこれ以上いいかな(笑)。
『本当にあった笑える話なぐさめてあげるッ編: (1) 』
AmazonでKindle版購入。
Kindle版5円(笑)。
安すぎだろう、うれしいが(笑)。
桜木さゆみの本のKindle化が進んでいるようでうれしい限り。
4コマで140ページなんだがかなり読み応えがある。
『双子の帝國 1巻』
AmazonでKindle版購入。
待望の鬼頭莫宏の新作。
が、この一巻だと世界観の全貌が全く見えてこない。
なんとなく鬼頭の『終わりと始まりのマイルス』の語り直しに近いのかなとも思う。
それでも非常に興味深い物語に感じるので続巻に期待する。
まちがっても『のりりん』や『なにかもちがってますか』のような明らかな投げ出しはやめてもらいたいと切に願う。
なんかiTunesで配信を受け取っていたTBSラジオのPodcastが"TBSラジオクラウド"とかいうものに一元化されてストリーミング放送になると。
2016年6月いっぱいでPodcastでの配信は終わり。
一応"TBSラジオクラウド"のユーザー登録すれば無料で聴くことができるようだが、これまでのようにデータをDLできないと。
なので聴取期限が設定されているのでそれをすぎるとそれ以降は聴けなくなるらしい。
......。
しかたねえ。
ユーなんとかチューブに上がってるデータをDLするか(笑)。
『おそ松さん』
え〜、ひじょーに奥歯にモノが挟まったような言い方になりますが、本作公式に販売あるいはレンタルされているソフトを観ての感想ではありません(笑)。
ネットのとある場所にいくと本作の全話がどこぞの国の(英語ではない)字幕つきで観れるようになっていて、それを観てるのである。
全25話中13話まで観たところ。
はっきり言おう。
すっげええおもしれええ(笑)。
デザインが現代的にリファインされているということもあるんだが、あの子供だったおそ松くん達が大人になって、童貞のニートになっていると(笑)。
で、『おそ松くん』から『おそ松さん』になったと(笑)。
通常面白いのが分かると、オイラの場合必ずソフトを買うかレンタルするんだが、本作に関してはそれをしていない。
なぜか。
本放送で放映されたものがソフト化される段階で欠番になってたりしてるのだ。
どの話数が欠番になっているのかはwikiなどで調べないと詳しいことはわからんが、第1話がそもそも欠番になってるわけ。
第1話ってもう破壊的に面白いわけ(笑)。
いや、面白さで言ったら他の話で第一話より面白いのはたくさんある。
しかしね、第1話の面白さも水準以上なわけ。
それを欠番にしてること自体、本作のソフトを金を出して集めようって気にならなくなったんだよね。
直近で観たばかりだから印象が強い第13話のなかの一編"じょし松さん"がツボだった(笑)。
『おそ松さん』たちが女性になった話で、しかも声を当ててる声優はもちろん男(笑)。
この一編の最後の方でおそ子(おそ松)が言うセリフが良い(笑)。
"別にこっちはどうも思ってないのに勝手に親切にされて困ってますう〜もしかして好意をもたれてるんでしょうか〜って自慢か!自慢だろうが!全部バレてんだよ!浅いんだよ底が!ちょっと可愛くてかよわいフリしただけで引っかかる男も男だろ!オマエらクソ男の目は節穴か!そういうファック(ス)でキレイになるぞ女に限って二股三股あたりまえ!恐怖の相談女!未婚既婚問わずの肉食系ってなんでわかんない!こっちは気ィつかってネエさんキャラで時間かけて距離詰めてジワジワおびき寄せてようやく捕食って時にかっさらっていくのはなんなんだよ!バカか男は男はバカなのか死ね〜"
(笑)
これ、おそらく女性のシナリオライターが書いたセリフだと思うんだけど、それをいわば女性キャラに声をあててる男の声優に言わせるというところがね、皮肉が効いててよかったよ(笑)。
これを書いたシナリオライター、気分よかったろうな(笑)。
すいません。
男ってバカなんです(笑)。
マジに(笑)。
『64-ロクヨン- 後編』
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
ひと月前に観た『前編』に引き続き『後編』も鑑賞。
『前編』は一週間しかなかった昭和64年の身代金誘拐殺人事件を背景にした県警と警察庁の組織や人事の対立、県警の広報と記者クラブとの軋轢などに重点がおかれていた。
なので時効間際の誘拐事件は前述したそれぞれの対立の背景にとどめ置かれていた感じ。
この手の対立は、オイラ大好物の部類なのでこういう感じで話が進むのかなと思ったら、『後編』はいよいよその誘拐事件の解決がメインになる。
なので『前編』で大活躍していた
瑛太は見せ場なし。
そればかりではなく、前編で県警と強く渡り合っていた記者クラブの面々も東京本社から来た記者に良いようにバカにされる存在だということが浮き彫りになる。
県警と警察庁、地方記者と本社記者というあらたな対立構造が後編で立ち上がりつつ、誘拐事件の解決のために物語が加速していく。
『後編』は『前編』で出番が少なかった三浦友和と『後編』でやっと出てきた
緒形直人がすげえ熱演。
本作、基本良い顔の俳優を集めた顔相撲の映画ではあるのだが、その中でも非常に良い演技をしていた。
結構難しい役なのに、ちょっと見直したかな。
もっとじゃんじゃん映画に出てもらいたいものである。
で、映画自体は退屈せずに観れた。
これはひとえに俳優達の力演によるところが大きい。
不満があるとしたら内容に対するリアリティと演出がちょっとばかり甘いかなという部分。
内容に対するリアリティというと実はオイラ原作小説を読んでいないのだが、たしか映画の冒頭で”D県警”という名のテロップがでてたんだよね。
それがさ、
上の画像ではちょっと見えづらいけど腕章が"群馬県警"になってるんだよね(笑)。
地理的に前橋だとかが画面で出てくるのに原作がそうだからといって"D県警"ってのはないんじゃないかね。
"D"とかのアルファベットはある種の架空性の為のものだと思うけど、映像としてそのものを映し出す映画作品で架空の都市というものを作り上げるのは難しいんじゃないかね。
"D県警"とかいっときながら群馬県の話かという興ざめがあったかな。
あと、『前編』を全部覚えているわけではないので自信はないのだが、『後編』で佐藤浩一演じる三上がトイレの個室に隠れていて多分三浦友和演じる松岡のクセらしいハンカチをバサバサと振る音で三上が松岡がトイレにいると確信するところ。
このハンカチのバサバサは伏線としてもっとわかりやすく事前に映画に組み込んでおけばもっとスマートに観ることができたのにと思う。
何度も言うが有名で手練れの俳優が多数出演していることで監督が演出的に俳優の手綱を絞るのは難しいというのはわかる。
それでも三浦友和あたりのベテランだとオーバーアクトを本当に抑えた演技でバランスを取っているのはわかるが
劇中の永瀬正敏の鼻水はやりすぎかなあと思うんだけど。
永瀬は良い役者なのは分かるけど、もうちっと抑えた方がよかったんじゃないかな。
顔相撲の映画で他の役者と拮抗しようとしたのか、それとも監督の演出か?
監督の演出だとしたら、役者に非はないんだけどねえ、単に演出過多だと思うだけなんだが。
それとこの物語の根幹に関わることなのだが、15年前の電話の声を正確に記憶するってのは可能なのかね?
最愛の娘を奪われた親の執念だと言えばそう思えてしまえなくもないよ、もちろん。
本作、犯人を特定したのは親が記憶していた電話の声だけなんだよね。
その声を探して何年も公衆電話から電話帳で一人一人声を確認していく。
暑い日も寒い日も。
真夏の電話ボックスなんて地獄のようだと思うけど、それをものともしないで電話をしていく親の執念という部分で納得させられそうだけど、オイラはどうにも飲み込みづらい感じだったかなあ。
役者の演技の良さを楽しむことはできたが、物語にリアリティを感じることはできない作品であった。