『生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR』『奥様は、取り扱い注意』『百日紅~MissHOKUSAI~』

先週土曜日、今年初の歯のメンテナンス。
昨年ブリッヂしたところは良好だとのこと。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石をとってもらう。


『生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR』
昨日日曜日、デブの重い腰をあげてみる(笑)。
普段デブ症、もとい、出不精なので友人知人の付き合いを不義理にしているどころか、自分一人でどっか旅行なり目的もなく遠足することすらしない、オタクな人間だ。
そんな人間でもたまに書を捨てよ町へ出ようという衝動に駆られるのである。
すてるほど書を読んでるわけではないが(笑)。
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上野の森美術館にて『生賴範義 展』。
いかいでか。
生賴範義の名前を意識したのは御多分にもれず
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『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』の国際版のポスター。
生賴の手によるこのポスターヴィジュアルが全世界に展開されたということに感動もしたが、オイラはこのポスターを切っ掛けに生賴の名を知ったので、むしろそれ以降画集や『幻魔大戦』の画などを追っていくにつれ画の力に圧倒されていった。
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画集に挿入されていた自画像のタッチ。
神様みたいな顔だと思った。
無駄な線が全くない画というものに圧倒。
当時中学生だったか?どうしたらこんな画が描けるのか?練習し努力すれば描けるのか?すら考え付かない。
生賴範義の肩書きってだいたい"イラストレーター"だったと思うが、オイラはどちらかというと日本語で言う所の"画家"といった方がしっくりいくと思った。
別に"画家"より"イラストレーター"が下だと言っているわけではない。念の為。
そして生賴範義を追いかけるにつれ、努力しても追いつけないどころか背中すら見えない才能と人の存在があるものなんだという気持ちに落ち着かせた。
なので生賴範義はもう徹底的にその画の力に身を委ねて圧倒されるのを楽しむ事にしたのだ。
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この展覧会、写真撮って良いとのことだったのでカメラ持って行ったのだが、撮影して良いのはポスターとか小説の表紙絵などの所謂印刷物だけ。
やはり原画は撮影不可だった。
当たり前か(笑)。
ただね、小説の表紙だとか映画のポスターなんかもそこそこ大きくは描いているんだけど、生賴が仕事抜きで描いた画も展示されてたんだが、それがどれもこれもバカでかい(笑)。
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↑この画は"破壊される人間"というタイトルの作品。
商業志向の画とは一線を画したというか、この手の生賴のオリジナルの画は展示してある物に関して言えばペシミスティックというか非常に色彩もテーマも重く感じられる。
しかし画そのものは紛れもなく生賴範義のそれだ。
ありきたりの言葉しかでないが圧倒的な画の巧さと自分のイメージを的確に再現できるテクニックを持つものだけが行ける頂き。
それでも生賴範義はそれを頂きとは思っていなかったのだろう。
以下、非常に長く、常識的にはやってはいけない引用(今回の展覧会の図録に掲載された作者の序文。元の出典は『生賴範義 イラストレーション』から)。
それを分かってやってしまうのはこの文章があまりにも素敵すぎて、そして自分を傲慢にしない戒めの言葉として留めておきたいのだ。
"私はおよそ二十五年の間、真正なる画家になろうと務めながら、いまだに半可通な絵描きにとどまる者であり、生活者としてはイラストレーターなる適切な訳語もない言葉で呼ばれて、うしろめたさと恥ずかしさを覚えるものである。ここに集められた作品の殆ど全ては、その生活者が、様々な依頼者の指示の下に制作してきた、おびただしい数の旧作の中から拾い上げられたもので、良くも悪くも、多少の想いのこもるものばかりである。
絵を描くことは肉体労働に他ならぬと考える日銭生活者の私は、仕事が選べるほどに優雅ではない。寄せられる仕事は可能な限り引き受け、依頼者の示す条件を満たすべき作品に仕上げようと努力する。私に描けるか否かは、発注の時点で検討済みであろうし、その期待を裏切るわけにはいかない。主題が何であれ、描けないということは出来ない。生活者の五分の魂にかけて、いかなる主題といえども描き上げねばならない。
それらしく描き上げねばならぬ主題は広範囲にわたる。細胞と宇宙、女体と軍艦、超えた政治家と痩せた狼男、義経とパーマー、三国志と近未来戦争、恐竜と拳銃、ベートーベンと日本赤軍・・・・・・世界の多様性そのままに、主題は脈絡もなく移り変わり、情緒と感覚だけでは処理しきれない。資料の良否が作品の出来具合を決定する。写真、切り抜き、他人の絵、百科事典、週刊誌、専門書に現物のモデル・・・・・・使える資料は可能な限り集めよう。一隻の船、人物の顔一つという主題が単一の場合は、資料の精密さのみが頼りであるが、複数多数の要素を最大限に取り入れねばならぬ時は、遠近法も相対的な事物の大きさも位置関係も敢えて無視しよう。依頼者の指示は、主題、期限は当然として、さらに画面の構成、資料の配分、材質、寸法、用途、果ては色彩の微妙な感じにまで及び、私の受けるべき報酬と充分に匹敵し得るものとなる。
私は肉体労働者であり、作業の全行程を手仕事で進めたい。定規、コンパス、筆、ペン、鉛筆とできるだけ単純、ありきたりな道具を使い、制作中に機械による丸写しや、無機質な絵肌を作ることを好まない。一貫して、眼と手によって画面を支配したい。習練を積むことで手は更にその働きを滑らかにし、女の肌から鋼鉄の輝きに至る無限の諧調を描きわけてくれるだろうし、眼はその手の操作を充分に制御してくれる筈だ。この手と眼に対する絶対信頼は原始的な信仰の如きものであり、過酷な時間との競争、非個性的な作業の連続を耐えさせてくれる。
生活者たる私は、依頼された作品を制作するに当り、主題の事物の裏に展開し得るだろう別な世界に想いを巡らすことなど決してしたくない。形象そのものの改変、異なる世界の構築などという深遠なる大事業は、自由にして真正なる者の作業領分であって、生活者としては資格の欠如の逸脱行為であり、依頼者との即刻決別を意味する。触知し得る外観にのみ視野を限り、事物の形、光と影を描き写すことに今は専念しよう。
依頼者は依頼者のための、絵による解説図を求めるいるのであり、その版図は形象の彼岸にのに拡がっているのだから。"
なんつーか生賴範義がここまで謙虚に徹しているならばオイラなど仕事について文句を言ったり「できません」などというのは論外ということであろう。
この展覧会で原画を見れるのであれば是非確認したいことがあった。
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寺田克也の『絵を描いて生きていく方法?』の中で、生賴範義の原画って絵の具がモリモリに盛られて起伏にとんでいると思ったら、ものすごく平滑だったと。
確かにオイラも確認したが、ものすごくフラット。
寺田が言うにはそれは絵の具をキャンバスに塗る前に彩度と明度のコントロールを完璧にしていて、ほぼ一発で狙った色を置いているということらしい。
オイラも高校の美術の授業、油絵の時間などキャンパス上で絵の具を何回もぬっては色を調整してたっけ。
調整できないけど(笑)。
周りの同級生もだいたい同じように厚塗りになってたっけ。
生賴範義の原画を今回初めて見たわけだが、近づいて見た時は結構筆のタッチが荒々しくおかれてるんだよね。
だけど、絵から離れていくにしたがってそのタッチが精密なディティールとして立ち上がってくるわけ。
今回原画を間近で見れて得るものが色々あった。
リキテックスに埋没せずに残ってる鉛筆のラフ。
ああ、ラフの画と微妙に位置を変えているのだな、とか。
とにかく、怠け者のオイラにしてみれば、オイラごときが傲慢に怠けるべきではないと嫌というほど思い知った。
思い知っても定期的に思い知らないとまた怠けるけど(笑)。
この展覧会では生賴範義デザインの
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『幻魔大戦』のベガを、寺田克也が造形用にデザインして、造形師の竹谷隆之が制作。
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これは撮影可でした。
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いやはやすげえ。
眼福である。
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行けるんならもう一度行きたいものである。
ところで展覧会図録を買った。
2700円。
糸かがり製本だからページが大股びらきで奥まで見えます(笑)。
カバーの裏から、カバーを取った本体の表1表4まで絵がついている。


『コミュニケーション不全症候群』
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AmazonでKindle版購入。
たしか今から25年ぐらい前に単行本で読んだ。
栗本薫の短編小説ぐらいしか読んでなかったかな。
面白かった。
中島梓名義だと山藤章二と組んだエッセイぐらいかな。
面白かった。
で、中島梓名義での社会評論として本書を読んで、むちゃくちゃ衝撃を受けた。
素直に中島梓ってすげえなあ、と。
今の人は知らんだろうが赤ん坊を職場に連れていく是非を巡って林真理子とアグネス・チャンが論争したわけよ。
当時はアグネス・チャンがエラそうに子供を職場であるTV局なりに連れていくことの主張があまりにも高圧的というか、自分の立場を普遍的に考えすぎているというかね。
イケすかねーなー、なんて思ってたわけ。
だからと言ってアグネスの行為に反対していた林真理子にも組したくないわけ(笑)。
林真理子嫌いだから(笑)。
正直に言えば双方の意見のどちらかに強烈な対論があったり、まったく組しない、などという気持ちもない、どっちつかずの状態だったわけよ、オイラは。
この論争って当時結構話題になって、これに関する本なんかも出てた。
読むには読んだんだが、それもなんとなく納得いくようないかないようなものばかりで。
だいたい、インテリ層は林真理子を支持し、フェミニズムな方々がアグネスを支持、みたいな感じだったかな。
今から考えるとあれって論争なんかじゃなく、悪口に言い合い、というか、如何に相手のウィークポイントを突いて優位に立つか、というもののようにも感じられる。
そんなことをオイラが考える前に、上記の論争が終わったあたりに、本書がでてきて目から鱗がボタボタ落ちた(笑)。
「他の存在様式にたいする想像力の欠如」の氾濫。
「この世界にはいろいろさまざまな立場の人間がいる」
本書は上記のようなコミュニケーション不全を修正するためのものではない。
コミュニケーション不全症候群というかたちで私たちは現代という、適応不能が頂点に達した時代に適応しようとしているのではないか、という鋭い提言の本であったのだ。
つまり、傾いた家をまっすぐに立て直して済むのではなく、傾いて斜めになった状態の家に住人が慣れて生活していくのではないか?ということなのだ。
この他にオタクであるとかダイエットや少年愛などを俎上に上げて、これらをコミュニケーション不全症候群の症例として論じている。
繰り返すが本書はコミュニケーション不全症候群を是とも否ともしていない。
そりゃ屈託無く誰とでも和かに関係できるに越したことはないだろうけど。
どちらかというと、自分の変なところに対して自覚的で、それでもその原因が分からないという人なら、気分が軽くなるでしょう。
今読んでも良書であると思う。


『奥様は、取り扱い注意』
ネタバレあります。
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vaioに録画したのを年末年始で鑑賞。
金城一紀の原案脚本という興味で録画していた。
綾瀬はるかが元某国のエージェント(作中で"CIA"という言葉に反応していたので、多分アメリカのアレだろうw)という役回り。
カットは割ってはいるものの、綾瀬はるか、なかなかアクションしてるじゃん。
多分ワイヤーアクション多用でもなかなかできるもんじゃない。
そう言う意味では綾瀬はるかがCIAのエージェントということの説得力はあったと思う。
同じ金城の『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』に比べると、本作は若干コメディよりにしているので、徹頭徹尾シリアスという感じではない。
上手い感じで世界観を作ったなと思う。
それと綾瀬はるかを含めた3人の女性キャストが良かった。
広末涼子と本田翼。
広末主役にしたら結構ディスがあったかもしれんが(笑)、二番手で結構重めの役回りで女優と配役のバランスをとっていると思われる。
広末涼子って、まあ私生活は無茶苦茶なようだが(笑)、華のある女優だねえ。
主役の綾瀬はるかを食ってるとは言わないけど、画面に出た時の雰囲気の支配力がパないと思った。
この二番手の役回りというのが今の広末にとっては嫌味なく受け入れられる感じだし、ポジション的にも美味しいと思う。
よく知らなかった本田翼も良かった。
本作ではコメディメーカー的な役回りだけど、普通に主役も張れる人なんじゃないのかな?
なので女優の脇の二人が非常に贅沢な配役であると思う。
で、観てて面白かったんだけど、観てる側は綾瀬はるかが特Aのエージェントというのはわかるし、事件に彼女が関与していかないと物語が進まないということもわかる。
が、このドラマの世界観で綾瀬はるかは単なる主婦と周りに認識させてるわけじゃん。
それを考えると、事件の起こってる場所にいすぎ(笑)。
単なる主婦ならいちゃいけない状況にいるんだけど、それに対する説得力が希薄なんだ。
説得力がもたせられるようなものではないとは思うけどね。
主婦だから。
それと
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最終回の夫婦の対峙。
住宅地の玄関先。
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サイレンサーを付けてない拳銃。
そして暗転後に発砲。
公安のくせに結構迂闊だと思うんだが(笑)。
この辺ぬかりがあるんじゃないか、金城一紀。
まあ、それはそれとしても、次作も楽しみにしている。


『百日紅~MissHOKUSAI~』
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wowowでの録画視聴。
実は昨年早々に録画していて一度観て感想書き忘れていた(笑)。
で、今年早々に二度観た。
面白かった。
画を描く人間の話なので興味があるんだと思う。
それは本作を作った、原恵一もそうなんだろう。
画を描く以外何もできない人間をものすごく肯定的に描いている。
それと
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ライティングの感じが非常にリアル。
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昼間でも屋内の薄暗い感じ。
太陽光のみの明るさ。
反対に
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昼間の屋外のコントラストのついた鮮やかさ。
本作は"眼に見えないもの"についての映画でもあると思う。
眼に見えない、見たことがない、ものをあたかも見てきたかのように描いてみせる。
本作の葛飾北斎や娘のお栄はそうやって画を描いている。
龍や幽霊は描けても生娘のお栄は春画の男を描くことができない(笑)。
描くことができない、というよりも、描いてもリアルに見えない。
お栄には更にどこがリアルでないかが分からない。
画を描く上での煩悶伝わってくる(笑)。
北斎の末娘でお栄の妹は病弱で眼が見えない。
お栄は自分が見ている情景を言葉で妹に聞かせ、情景を思い描かせる。
想像を喚起することができたなら、世界は闇ではないという希望なのだろう。
非常に良い作品だった。
ウィキペディア見たら葛飾北斎って生涯にかなり頻繁に改号したらしい。
「宗理」「百琳」「戴斗」「為一」「卍」。
なんだ、今更だったが、『無限の住人』の名前って北斎だったのね(笑)。


今週末は心療内科。

by 16mm | 2018-01-08 20:22 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(2)
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Commented by chata at 2018-01-08 20:33 x
奥様は映画化されるんでしたっけ。
銃声で物語を締めたので、サイレンサーつきだと「プスン」になっちゃってましたねw
なんかゲストもそれなりの俳優さんが多くて面白かったどす。
Commented by 16mm at 2018-01-08 20:50
■re:chataさん
映画化、されるんですかねえ?
止め他方が(笑)。
『SP』以上にエライこっちゃになりそうな予感が(笑)。

ああ、確かに「プスン」じゃカッコつかないですね。
音響加工して「ブシュッ」とか「ボスっ」ってな重めの音だったらもしかしたら(笑)。

結構ゲストに気合入ってましたね。
高岡早紀とか。

オイラとしては金城には『クライシス』路線で一つお願いしたいところである。


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