『未知との遭遇』

日がな一日。
延々とパソコンとにらめっこ。ちょっと思いついた事をずっとやっていたのだがなかなか形にならず休日が過ぎた。
飽きるとドラクエ8をやり。ドラクエに飽きるとまたパソコンに......
これで会社員ではなければ立派なヒッキーであろう(笑)

『未知との遭遇』。
wowowで録画したものを視聴。
副題が"ファイナルカット"とあった。
たしか"特別編"にあった宇宙人の大群を見上げるカットが切られていた。
映画の内容には特に感動したという事は、これまでもなかった。
ある意味、スピルバーグのパーソナルな部分が非常に色濃く出ているような気がする。
劇中、"星に願いを"がかかってたんだな。
そして、この映画、非常に贅沢な作りをしている。
なにせこの頃はCGで群衆を作り出すという事ができないもんだから、そういうシーンは完全に人を動員して作っているのだ。
それでもエキストラを何千人も使ってるわけではないので、数百人を数千人に見えるような人の配置やカット割、構図の工夫でかわしている。
そういう所はスピルバーグは上手いなと思う。映像的なセンスと力に満ちてヤツだったと思った。
冒頭の砂塵の舞うシーンがどれほど困難か想像できる。あのシーンだけでも相当な苦労があったであろう。
別に砂塵が舞わなくたってカットとしては成立するだろうが、砂塵の舞うそのシーンを見た後に、それが単なる砂漠のシーンだったらなどという事はまったく想像できない。単なる砂漠だったらという事が想像できない程にあの砂塵のシーンは印象的なのだ。
ある意味『羅生門』の雨のシーンに匹敵するのではないだろうか。
そういう意味では、映画を作る過程の苦労を想像できると感動としての付加価値を映画そのものの内容とは別に得ることができる。
今ならモブシーンや霧なんかもCGでできてしまう。
今映画でモブシーンがあれば
「あ、CGね」
となるだろう。
ちょっと前なら数千人を集めた、或は、少数を大人数に見えたという事に意識しなくても感動していた筈なのだ。
CGでモブシーンを作るのだって相当に大変だ。
しかし、イメージとしてCG=お手軽なものとして一般化されている以上、その辺はなかなか理解されないだろう。
良い悪いは別にして、手作りの苦労があらためて感動を呼び起こすようになってきたのではないだろうか。
今のスピルバーグは、彼の地位、CGの技術、予算等で撮れない画はないであろう。おそらく一般人の想像の範囲のものなら難なく映像化してしまう。
ただ『ジョーズ』や『未知との遭遇』を撮っていた頃の<ナイナイづくし(予算も時間もない。特撮も上手くいかない)のなかの試行錯誤>というものが明らかになくなり、その頃あった映像にブン殴られるような力や魔法の大半が消え失せてしまっていると思う。
キューブリック程ではないが『2001年宇宙の旅』のような、形而上的な言語に頼らない映画の構築を『未知との遭遇』でやろうとしていたのだろう。
by 16mm | 2006-03-21 22:52 | 映画・DVDの感想など。 | Comments(0)


<< 『アビエイター』 made in Akihabara >>