『DEATH NOTE -デスノート-』

最初に、『DEATH NOTE -デスノート-』好きで、私に勧めてくれた友人知人の方々に「ごめんなさい」と謝ります。
本当に本気でごめんなさい。
別にみなさんの感性を否定しているわけではありませんので。
それでも申し訳ない。
ごめんなさい。



オイラは劇場版『DEATH NOTE -デスノート-』に何を期待していたのであろうか?
原作漫画を読み始めての面白さからの期待だったのであろうか?
金子修介は、所謂平成『ガメラ』シリーズの監督であった。
印象としては特技監督の樋口真嗣の気合いと泣きの(笑)VFXに感心した覚えがあるが、金子監督自身が演出したであろう生身の俳優のシーンはカッタるかったなあなあ、と思い出した。
その他、金子監督の『山田村ワルツ』や『1999年の夏休み』も学生の頃ビデオで観たがほとんど印象に残っていない。
金子監督の名前を覚えているのは押井守の大学の後輩として対談していたからだ(笑)

劇場版『DEATH NOTE -デスノート-』を観てきた。
友人知人で『デスノート』好きが多くて、映画も楽しめたという感想があるなか水を差すような事は言いたくない。
しかし、言わずにはいられない程オイラも原作が好きになってしまった。
原作についての感想は最終巻読了後にまとめて書きたいと思っている。
一言で言えばあの能書きの多さを愛しているのだ(笑)

作られた映画に対して「オレならこうするのに」と批判するのは、ビール片手に不甲斐ないプレイをした野球選手を罵倒するオヤジと変わらないという事を自覚している。
不毛を承知で言えば、この劇場版『DEATH NOTE -デスノート-』は夜神 月(以下"ライト")の視点ではなく、Lの視点で語られるべきだった。
ライトを藤原竜也は実に良く演じていた(声が低くて非常にカッチョいいw)。
しかし、藤原はライトよりも、雰囲気や髪型も含めてLの方がハマっていたのではないか。少なくともオイラのイメージでは藤原=Lの方が納得がいく。
藤原竜也に客を呼べる吸引力があるとして、役柄を変えても、彼が演じるLがメインになるように話を作り替えさえすれば興行的な問題はない筈だ。
いや、問題があるとすればライトファンにはソッポを向かれるだろうが、映画としてはLをメインにした方がはるかに原作のテイストに近くなった事であろう。
ライトが出ずっぱりなおかげで、今回の映画ではLはまったく良いとこナシ。
原作の醍醐味である二人の先手を奪い合う知能戦のモノローグがまったくない。
いや、映画で原作漫画並みのモノローグをやるなんてのはナンセンスであり、そんな事をしても原作に忠実などという事にはならない。
今回の劇場版のLはほぼ何もせずに事件を傍観しているのみ。単なる無能なデクの棒。
ライトによるデスノートのカラクリもライト自身に解説させる始末。
事件を解説するのはLの役目だろう。
謎の連続殺人をLが推理し、科学的な根拠と洞察でライトにあと一歩という所まで近づくも逃げられる。
Lの側からライトの犯罪を観ていけば二人の知能戦という図式が成り立ち、追う者追われる者としてのサスペンスも盛り込める。
Lが己の知力を持ってしてもライト辿り着けないファクターは当然科学の外にある"デスノート"にあるわけで、それをこの映画の終盤、あるいは次作の後編で明らかにすれば良かったのだ。リュークの露出も最小限が望ましかった。
奇妙な連続殺人を科学的に検証しようとしてあがくLが見たいのであって、最初から殺人のタネが非科学的なものとして出されたら興ざめである。
原作の登場人物を適度に整理し、独自のキャラクターを出すぐらいの融通があるのなら、映画の視点を徹頭徹尾Lの視点にし、ライトによる犯罪や犯罪の可能性をLに推理させた方が映画のサスペンスの要素は盛り上がる筈だ。
原作にも多少の笑いの要素があるが前編後編合わせても4時間ぐらいしかない劇場映画で、金子監督自身がおふざけに出演するなどという事があって良いわけはなかろう。
神の力をもった者と、己の知力のみで神の力に拮抗しようとする、二人の戦いである。
ずっと暗く、ハードに、シリアスに徹するべきだ。
そのように話を作り、演出するべきであった。
なので弥海砂も不要だと思う。

そういう意味で金子監督ではダメだ。

俳優諸氏は善戦していたと思う。たぶん監督の演出というよりも俳優個人の力と言っていいのではないだろうか。
『ローレライ』では大根ではwと思っていた香椎由宇もちゃんと演技していた(笑)
リュークの声の中村獅童も上手くハマってたと思う。
警察庁長官、長門洋之かと思ったら津川雅彦でビックリ(笑)あんなマフラーしてる警察庁長官はないだろう(笑)

ライトは原作的に言えば、冷徹でカリスマで、なにより美貌であるからして、なにも男優に演じさせる必要はない、筈だ。
それこそ金子監督の『1999年の夏休み』では女優達(深津絵里も含む)に男装させた、イメージとしての性を作り出していいたわけだ。
今こそそれをやるべきではなかったか。

瀬戸朝香の死に様は血も流れなかったし。美術館風のロケで床を汚すのをためらったのかな。

後編は、よっぽど予告編の出来が良くない限り行かないぞ。
by 16mm | 2006-06-18 21:55 | 映画・DVDの感想など。 | Comments(4)
Commented by chata at 2006-06-18 22:58 x
ホワイトマフラー思い出して、いまさら爆笑wwなにアレwwww
フジワライトは声優もやってみてほしいすね。
ワタリがワタリすぎて「なんかチガウ」と思ってしまいました。むふ。
Commented by 16mm at 2006-06-18 23:07
■re:chataさん
申し訳ない。劇場版とは言え人様に勧められたものを罵倒するのは気がめいります。
なら罵倒しなければいいんだけど、そこは言わずにおれないオイラの業みたいなもので。
......
なんか2006年10月から日本テレビ系でアニメ化が決定、らしいですね。声優、本当にフジワライトで。
ワタリ、ハマリすぎましたかね(笑)
獅童氏のリュークも良かったです。
Commented by at 2006-06-26 01:53 x
なるほど~、あぢまさんの視点だとこういう感想になるのですね!
水を差すなんて気にしすぎですよw

たしかにLの出番少なすぎでしたよねぇ。ライト視点で話が進んでいたのは、ライト好きの私にはごく自然だったのですが(笑)たしかにL視点のほうがより2人の対決をリアルに描けたかもしれませんよね。

話の流れや重点云々より、とにかく「キャラ」しか見てなかったのでもうよく覚えてませんwしょせんヲタクの視点ですから・・・・w

でもあぢまさんが原作をそんなに好きになってくれたというのがすごく嬉しいですv
とりあえず後半も観に行ってきまーすw
Commented by 16mm at 2006-06-26 09:05
■re:流さん。
やっぱりねえ、他人様から勧められたものを悪く言うのは抵抗あるんですよね。
まあ配役も筋も良いとして、やはり許せんのは金子監督が1cut出るというのがなんとも納得いかない(笑)
いや、マジにですけど。
弥海砂の番組収録シーンだかCM撮影のシーンだか忘れたが、<多分ディレクターかなんかの役なのであろう>1秒程度のシーンではあるが「ミサミサ、カワイー」なんて台詞までありやがんの(笑)
ヒッチコックは自分の映画に1シーン必ず出るとかしてるが、それはヒッチコックだから許される冗談なわけだし、スピルバーグだって『シンドラーのリスト』で自分が画面に映るなんていう愚は犯さない。
そういう意味で言うと、金子監督というのは本当にこの『デスノート』を分ってない、ぬるま湯な監督だと思ったよ。
昨日この映画が観客動員70万人突破っていうのはめでたいと思うけど、そんなわけで素直によろこべんのよ。


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