『ゲド戦記』

土曜日に仕事を16時に切り上げて"MOVIXさいたま"で『ゲド戦記』を観る。
前日あまり寝ていないので途中寝るかもなと思ったが、最後まで観続ける事ができた。
面白かった。
少なくとも料金分の価値はあると思う。



菅原文太はもとより岡田准一の声が良かった。今までのジブリの少年役の声では一番好きかもしれん。
予告編ではヒヤヒヤしながら聴いていた手嶌葵も本番では良くなっていてホっとしてりして(笑)何よりも劇中アカペラで歌う"テルーの唄"にぐぐぐっときて、おおおっとなりましたよ(意味不明w)。
今日、ツタヤでサントラを借りてきて聴いてますがなかなか良いですね。

全体として面白いと思えたし、少なくとも料金分は楽しめた。
しかし、"ジブリ"と冠がついた映画を観る時の期待値からは可成り低いとも思ったのも事実である。
それはとりもなおさず、今まで宮崎駿や高畑勲が作り出してきたクオリティーがケタ違いに高かったとも言えるだろう。
顕著だったのが絵のクオリティーである。ラスト近く、クモとの対決のシーンは絵の拙さが露呈していた。
今まで、初見で絵の拙さを意識できたジブリの映画はなかった。
絵のクオリティーにバラつきがあるのは、作画に対する管理の甘さだ。上手い所は上手いわけであるから(オバちゃん二人のやりとりの演技なんて上手いと思う)。
宮崎駿はもとより、絵を描かない高畑勲でさえも、作画に対する要求と水準の高さの維持に凶悪なまでの強権を発揮していた事が伺える。
それまでしてのクオリティーだとしたら、やはりジブリは依存で成り立った組織であるといえるだろう。
そのような鬼のような強権を発揮する為の土台を持っていない宮崎吾朗監督では、いくら背後に亡霊のような父親の姿がチラついたとしても、作画を担当するアニメーターに監督である自分の意志を徹底させる事は不可能だったであろう。
押井守が言っていたが、アニメーターは自分より上手いヤツの言う事しか聞かない人間だと。
そういう意味では宮崎駿に反論出来るアニメーターはいまい。
彼の質・量を越えるアニメーターなど、今の所皆無なのだから。
TVシリーズの全カットのレイアウト作成。レイアウトを作成しながら設定まで作る。
劇場作品で全カットの事実上の作画監督。
そういう人間でなければ束ねられないのが今のジブリの現状なのであろう。
今後宮崎吾朗が自分の中でアニメーターを束ねるだけの根拠を構築出来れば次作も作れるだろう。
実際、高畑勲も押井守も絵は描かない。が、アニメーターに有無を言わせないだけの理屈で理論武装している。絵が描けなければこれは必須であろう。
鈴木Pが雑誌のインタビューで、宮崎吾朗がプロデューサーになるというのもアリだとかと言っていたが、はっきり言えば宮崎駿の名前が背後に意識できるようなものであれば、ジブリが存続していけると踏んでいるのだろう。
今回の『ゲド戦記』では宮崎吾朗の監督としての力量がまったく分からない。
アニメーターがなんとなく勝手に作ったようにも見えるからだ。
だとしたら、黒澤明の倅のようにプロデューサーに収まるのが妥当なところだろうかね。

絵を『風の谷のナウシカ』のタッチに戻したとの事だが、宮崎吾朗の初監督作品として絵の負荷を軽減する為のものとしか思えなかった。
色々理屈は付けていたが絵的に20年以上後退させてどうする。
今観れば古いタッチである『風の谷のナウシカ』も、その当時に絵的に古いという感覚でやっていた筈ではないと思うのだ。

絵的にまったく観るべき所がないかと言えば、冒頭の狼だか犬だかの襲撃のアクションなど構図が斜めであったり、主人公の少年が眼を剥いたりと、今までのジブリにない絵であったと思う。
後は脚に何かつけてるとは言え、脚が太くみえたのが微笑ましい(笑)今までのジブリの女性キャラはみんな足首が細かったからね(笑)

『ゲド戦記』の原作は読んでいないのだが、読んでいないと多少置いてきぼりをくうなという部分もある。
これは映画を楽しむ為のたしなみとして原作を読まなければいけないかなと思ったりする。
若干の伏線があったとはいえ、テルーが龍になるのは唐突な感じがするし、なぜ国王として王道を行ってるような父親を息子のアレンは刺したのか。
想像はできるが、やはり説明が足りないとは思う。

この映画を観て思った事がある。
『風の谷のナウシカ』も『天空の城ラピュタ』も『シュナの旅』も『もののけ姫』も『千と千尋の神隠し』も。
オイラはそれら宮崎駿の諸作の背後で、すでに『ゲド戦記』観ていたんだと理解した。
『ゲド戦記』の原作者の許可が下りずに作られてきたその諸作によって宮崎駿の『ゲド戦記』への思いも浄化されてきたのだと。
それを考えると、宮崎駿にとって今更『ゲド戦記』でもなかったのではないだろうか。
今更、駿版『ゲド戦記』を観たいとは思わないが、『風の谷のナウシカ』の頃になら観たかったと思う。
詮なき事ではあるが......。


追記
宮崎駿が、米アカデミー賞会員を辞退していたとのこと。
もしかしたら辞退するかな、と今までのインタビューなどの言動を思い返していた。
常識的に考えたらハリウッド映画のみならず世界中の映画をある程度観てなければ賞の為の投票など出来るわけがないのだよね。
そうするとアメリカでも映画監督やプロデューサーで忙しいヤツらが多くの映画を観てアカデミックな判断を下して一票を投じるなんて事が事実上できるのであろうか?
スピルバーグが会員かどうか知らんが、たとえ会員であっても、ひとは映画を観るためだけに生きてるわけではない。
自分の監督以外に他人の映画をプロデュースして、会社のボスであり、父親であり夫であり、風呂に入る時間から歯を磨く時間だって必要だ(笑)
「創作活動に専念するために云々」
という宮崎駿の辞退の理由ものすごくまっとうな意見であり、聞きようによっては非常にアイロニックなものだなと思った。
by 16mm | 2006-07-30 21:14 | 映画・DVDの感想など。 | Comments(0)


<< 閑話諸々 『オペレッタ狸御殿』出来事その他 >>