『テアトル東向島アカデミー賞』『華麗なる一族』

ここに書くのもうんざりしてきたが、今日もジムに行くつもりが、朝起きるのが遅かった上に昼寝をして当然のごとく無為に一日が過ぎてしまった。
いや〜、一日が速い事(笑)

今週は久しぶりに映画に行くつもり。『蟲師』。
後はカメラショーだな。

毎週火曜日の朝。五反田の駅周辺で無料配布雑誌コミック・ガンボ「GUMBO」誌が配られている。
最初は気にも留めなかったのだが、先週から江川達也の漫画の連載が始まったので進んで貰うようになった。夏目漱石の『坊ちゃん』を原作にしたものだ。
おもしろい。
だが、『BE FREE』も『東京大学物語』も最初は食いつくのだが、後の方になってだんだん離れていくのがオイラの江川漫画に対するものだ。
江川自身はついてこれない読者や曲解する者達の愚かさを嘆いている。それは読者であるオイラも自身の事として謙虚に認めるが、やはり後半になるに従って出てくる江川自身の作劇法にも問題があるのではないかとも思えるのだ。
よく言えば、天才にありがちな飽きっぽさというか。
江川の作品は物語としては完結してなくても、言うべきテーマは物語の前半で語りつくしていると考えられる。
だから『BE FREE』も学校を壊した所が一番面白かったのだ。
それ以降、江川自身は教育に対する再構築を漫画でやっていたようだが、あまりに天才的すぎて、たぶん普通の人間ではできないものであろうと思われる。
世間は天才を中心に動いてるわけではないからね。
取りあえず、江川の新連載は、今の所楽しく読んでいる。



『テアトル東向島アカデミー賞』
福井晴敏の映画評というかコラム。
笑いをさそう文章ながら、ピンポイントで鋭く観た映画を評しているのが快感だ。
オイラも映画の感想ならこういう感じのものを書きたいなと思った。
しかも取り上げてる映画が殆どすべてメジャーなエンターテイメントハリウッド作品(ベッソンの映画『ニキータ』はフランス映画ではあるが)。
ヨーロッパの映画はまったくこの本の俎上には載っていない。
福井がヨーロッパ映画を観ていないわけではない。事実『ニキータ』のところでゴダールやトリュフォーの名前が出ている。
多分福井はヨーロッパ系の映画を評論の俎上に乗せた時に見える"ちょっとインテリ"風(笑)という認知に対して力強い否定をしているのではないだろうか。
対象になった映画に似たタイプとの比較、監督に対する人物評、更に時事を絡めたり、自分の映画の宣伝だったり(笑)etc..と比較的短い文章でありながら情報量がパじゃないぐらい詰め込まれてる。
だから対象映画そのものを語るというよりは、その他の周辺情報を盛り込む事で対象に近づく評論をしているんだと考えられる。
つーか、その周辺と言われる情報の引き出しを持ってなければできない事だよ。
プロの映画評論家だって、映画の評論と言いながらあら筋を書いてたりするんだから。
しかもほとんど全ての作品に対して肯定的な文章なのだ。
ある意味、福井は普通の映画好きを突き抜けた映画通のヒトなんだと思う。
ヨーロッパ映画を語るから知的に見えるわけではない。インテリが映画を語るから知的に見えるのである。


『華麗なる一族』
非常に精緻に作られながら微妙に(笑)突っ込む隙があったのがこのTVドラマの成功(視聴率的に)だったのではないだろうか。
木村拓哉と北大路 欣也のオーバーアクト紙一重の演技は鬼気迫るものがあった。
しかしあの演技を映画でやられたら鬱陶しいだろうなとも思う。
多分、TVという媒体が日常生活から完全に切り離されていない分、視聴者の眼を途切れさせないよう、常にオーバーアクトにならざるを得ないのだと思う。
反対に映画館は完全に日常から切り離された空間であるので(だから携帯の音や、おしゃべりなんかをするヤツに殺したい程腹が立つ)観る側は映像に集中でき、役者は演技を抑え気味にする事ができる。尚かつ、ピンポイントでオーバーアクトを入れ込む事でメリハリを付けられるのだ。
このドラマに関しては演技がTVという媒体にマッチしていたので、それが見応えになった好例であったと思う。

演出面もかなり抑制の利いたもので好感がもてた。
色々あるが鉄平が自殺するシーン。靴を脱ぎ、靴下を脱ぐシーンはあっても、その裸足の指で引き金を引く描写がない。
観る側はその一連の描写で展開をそれぞれに想像するしかないのだが、分かり易さを売るTVドラマの演出としては結構な勇気がいったのではないだろうか。
また視聴者も「なんで鉄平は死ぬ前に靴と靴下を脱いだんですか?」などという無粋をいう者がいなくなった(5人ぐらいはいたかもしれんが(笑))ということもあるのかもしれない。
考えてみれば
足指で引き金を引くカットなんて美しいものではないし、ある意味そんな描写を入れ込むのは下品に見えるものだ。
原作小説の方では血だらけの凄惨な描写をしていたが、これもまたTVという媒体での抑制であろう。別にTVの描写だって悪くはない。

このドラマの最大の悪人はキムタク似の(笑)ジジイ、万俵敬介だと思われる。
息子の嫁をレイプして
「公家の女の肌はマシュマロ云々...」
と言ってのけ、良心の呵責もない人格の壊れ方。
こういう人間に限って以外と世間では人格者で通ってたりして慕われてたりするんだよね。
世間では慕われていながら家庭では息子の嫁をレイプする父親をの行状を見せられれば、その息子の大介はものすごい屈折をするよな。
そりゃあ寝室に女房と愛人のベッドを置くわな(笑)

自分の息子の嫁に手を出すおぞましさというのを言ったら、以外や以外、嫁に手を出すジジイというのが結構いるらしいというのを知った。
別にセックスしちゃうまでいかなくても、風呂場をのぞく、身体をさわる、などするらしい。
う〜ん、オイラがここで正論をブツのは面白くないしつまんないのだが、はっきりいっておぞましさ以外にないですな、こういう事は。
オイラは嫁も彼女もいませんけど、自分の身内がそんなことしようものなら死なない程度に殺して身内の縁をすっぱり斬りますな。
うん、大介の屈折は親父とそれをとりまく財閥をすっぱり斬る事ができない事が原因だったのでしょうな。

ところで、このドラマを観てつくづく感じたのは"血"の濃さという事ですな。
養子など納得づくなら問題ないかもしれないが(問題はなくはない。あとあと血が繋がってなかったからという言い訳が出る事だってあるから)、例え何年も一緒に生活していても血の繋がりがない家族のわだかまりというのは埋められるものではないということだ。
これは理性では抑えられない感情的な部分を多分に含んでいるわけである。
血は水よりも濃いという血縁幻想がかくも強力なものなのだとあらためて痛感した。
by 16mm | 2007-03-21 22:31 | | Comments(0)


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