流れよわが涙、と、おぢさんはゆった:映画・Blu-ray・DVDの感想など。
2023-12-14T20:56:43+09:00
16mm
主に映画の感想などを。
Excite Blog
『ナポレオン』
http://rts3.exblog.jp/33185925/
2023-12-10T17:32:00+09:00
2023-12-14T20:56:43+09:00
2023-12-14T20:56:43+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
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今週は二点だけ。
枚数は毎年少なくなっているが今年も年賀状を作成するのに画を”画像生成AI SeaArt”に作成させていたからだ。
いつものように没が多く出たが、とりあえずハンサムな龍ができたのでそれで本日年賀状をFUJIでNETで依頼。
画像生成されたものではあるがハンサムな龍の画は元旦に公開。
■マジか?
スピルバーグのこの発言はマジか?
マジなのか?
おそらくスピルバーグはイスラエルのガザへの蛮行を知らないわけはないだろう。
知っててなおイスラエルに肩入れしているということだ。
それが第二次対戦中にドイツがユダヤ人に行った蛮行と同じことをしているとしても、なおイスラエル人がやるなら許されると思ってるとしかいいようがない。
イスラエル軍が病院を破壊し、そればかりかガザの公文書館を破壊して、100年以上にわたるパレスチナ人の生活の様々な歴史資料を意図的に抹消したという。
歴史や記録を抹消する蛮行は民族浄化に値する。
ユダヤ人が「本を焼く者は、やがて人も焼くようになる」といったらしいが、この言葉とその後の歴史的事実の因果が近いうちにがイスラエルに突きつけられるのだろう。
作られたい映画と作家は別だ、という意見はあろうが、映画というものは大体において監督で語るべきモノであるとオイラは考える。
だとしたらこんな蛮行を許容するような作家の映画とは今後距離を置くことにしたいと思う。
『シンドラーのリスト』なんかはユダヤ人をテーマにしながらより普遍的なものだと思っていたが、作っている作家自身はユダヤ人意外は蚊帳の外意識の外なのだったと思わざるをえないということだ。
●【世界解禁】映画『マッドマックス:フュリオサ』US版予告 2024年公開
ついに『マッドマックス』の予告編公開。
『フューリーロード』に出ていたフュリオサが主人公となるスピンオフらしい。
時系列的に『フューリーロード』の前の話のようなので前作のシャーリーズ・セロンより若い俳優がキャスティングされたようだが、それが吉と出るか・・・。
シャーリーズ、すごかったからな。
ただ予告編は非常に興味を惹くものだったので楽しみだ。
予告編からすでにフュリオサが義手になっているところがでてきているので、そこにどんなドラマがあったのか。
楽しみである。
『ナポレオン』
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
iMaxで鑑賞。
はっきり言おう。
観る前に懸念していた上映時間158分、2時間38分は恐るるにたらず(笑)。
まったく眠気も退屈もせずに上映時間は過ぎ去ったと言って良い。
というのも本作世界史やナポレオンにガチな人たちに言わせれば史実的に大事な部分の省略が甚だしくあるらしい。
なので本作はナポレオン・ボナパルトの自伝とはいえかなりダイジェストだったようなのだ。
ただオイラのように世界史やナポレオンに無知な人間からすると戦闘シーンとナポの高速ピストン(しかも二回も(笑))のようなエンタテインメント的な部分のつるべ打ちで楽しめたということだと思う。
私のような世界史に無知な者がフランス革命からのナポレオンの時代の映画を観るというのは、外国人が日本の織田信長や本能寺の変を知らずに北野武の『首』を観るようなもので物語に入り込めないのではないか?という風に思うのだが、本作は当時の政治的なやりとりなどは最小限にして、戦争に次ぐ戦争で物語を進めていくのと、その合間にナポレオンと嫁のジョゼフィーヌの愛憎生活というかなり俗な要素で物語を繋いでいるので歴史の知見や教養などを気にせずに物語に入っていけたということなのだろう。
さらに本作でオイラの興味を引いたのが映像。
映像派の看板とか枕詞をもつリドリー・スコットって作りだす映像や美術などは創意にとんだすごい映画監督なのだが、その見せ方というのが意外とあっさりしているというか、苦労して撮ったであろう映像も比較的あっさりと観客に提示するのがスコットはカッコいいと思っているふしがあるようなのだ。
したがって観る方は逆にそのあっさりした提示を二度観三度観するほど凝視することになる。
そんな映像表現をする監督だと思っていたのだが、本作は割とあからさまな映像の提示をしていたように感じた。
全てのカットが絵画になりそうな一枚絵を意識した切り取り方をして画を比較的じっくり観せていたように思う。
当時を表現した絵画のようなアングルと印象的なライティング。
その室内の窓から差し込む光の柔らかいフレアと逆光線の美しさを堪能した。
屋外の撮影でもカフェのような場で外は風が吹いてすべてが揺れているも、それを見ている側の屋内は穏やかに感じになっていたり。
とにかく映像演出が凝っている。
やりたい表現を追求して諦めない感じか。
それもおそらく比較されるであろうスタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』に対する対抗だとも思える。
キューブリックが撮影直前までいった『ナポレオン』の伝記映画を諦めたのは有名な話だ。
その機能限定版と言ってもいいだろう『バリー・リンドン』と『ナポレオン』は比較対象になるであろうことはスコット自身覚悟したであろうから、特に映像についてはリッチさで負けない気合を感じた。
キューブリックのように
f0・7のツァイスレンズと高感度フィルムを増感して
蠟燭の光だけで撮影するという面倒くさい事はしてない。
キューブリックの頃よりも撮影機材がかなりアップデートしたわけなので現状では蝋燭の照明の雰囲気を出しつつ薄暗い中でのピントの送りが可能になった。
なのでキューブリックの『バリー・リンドン』での蝋燭撮影はキャストが微動だにしない(動くと薄い被写界深度がいとも簡単に外れてピンボケになるから)ほぼ静止したような、まさに絵画のような格調をもった映像という印象であった。
キューブリックの静止画をそのように好意的に解釈はしても、キューブリックだってカメラを動かせるなら動かしたかったに決まっている。
それをスコットはやって見せたということなのだろう。
本人にどのくらい自覚があるかわからんが、スコットって結構キューブリックの背中を追いかけている印象がある。
『エイリアン』の前日譚である『プロメテウス』や『エイリアン: コヴェナント』に出てくるアンドロイドは人間より賢く理知的で、『2001年宇宙の旅』で出てきたHAL9000のようだ。
しかも『2001年宇宙の旅』でそのHAL9000を殺したのはデヴィッド・ボーマン。
『プロメテウス』や『エイリアン: コヴェナント』に出てくるアンドロイドの名前もデヴィッド。
しかもリドリー・スコットの映画の方のデヴィッドは逆に人間を抹殺して『2001年宇宙の旅』での復讐をしているようなていだ(笑)。
更に本作ではキューブリックが生涯造りたかったと思い続けたであろう『ナポレオン』を映画化してみせた。
出身地アメリカでイギリス在住のキューブリックとイギリス生まれのスコット。
彼ら二人の関りは知られているだけでも友好的であったようだ。
スコットの『ブレードランナー』のラストの自然あふれる風景の描写はキューブリックの『シャイニング』で使われなかったフィルムを譲ってもらったものだしね。
そういう意味でもスコットの大先輩であるキューブリックを意識してない筈がない。
そしてこれまでの作品も本作もキューブリックを意識していると堂々と言える映画をスコットは作り続けていた。
こうしてみるとキューブリックの『ナポレオン』が観たかったと切に思うね。
本作に関して言えばオイラとしては大満足、いずれ配信で4時間バージョンが公開されるらしいのでそれも観てみたい。
ところでナポレオンの不肖の嫁、ジョゼフィーヌなんだが、このジョゼフィーヌって色々象徴的な名前であるかもしれないと思った。
リュック・ベッソンの『ニキータ』の主役の女のコードネームもジョゼフィーヌだったりするのでフランスではその名前に色々意味を込めやすいのかもしれんな。
更に言うと本作、スコットの女性感が結構あからさまに出ているような気がした。
未読なのだが
リドリー・スコットの家に家政婦で働いていた日本人のエッセイ。
レビューによるとスコットのお母さんはかなりの女傑のような強い人だったようで、その印象が本作のジョゼフィーヌやナポレオンの母親などにも投影されている感じ。
強くて男を尻に引くような女性が好みなのかもしれんなサー・リドリー・スコットは(笑)。
ジョゼフィーヌ役の
ヴァネッサ・カービーが無茶苦茶魅力的であったな。
できればBlu-rayの円盤が出て欲しいが・・・配信だし、でないんだろうなあ・・・。
今週末は歯のメンテナンス。
多分今年最後。
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『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』
http://rts3.exblog.jp/33165697/
2023-12-03T15:38:00+09:00
2023-12-04T20:37:48+09:00
2023-12-04T20:37:31+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
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油絵風の画像を作ろうという目論見だが、自分の思い描いたような感じにはならず。
ブラシのタッチを最小限にしつつディティールが出るような細密画にしたいのだが難しい。
できるのかどうかすらわからん。
それと毎度のことながら生成される人体の形状のバグは相変わらずで、パッと見気にならないのだが口を開けた時の歯が結構壊滅的。
遠目で歯に見えるがアップにするとなんか別物のプラスチックみたいな、しかも欠けてるようなものが歯になってたりする。
SeaArt上で修正できるがそれも思い通りいかないことの方が多いので、指だけ直せば上出来なモノでも諦めたりする。
●山田太一 死去
山田太一が89歳で11月29日に老衰で死去との報。
脚本家、というかオリジナルの物語を自分で作れる人だから倉本聰と同様に劇作家と言った方が良いのかもしれない。
まあオイラとしては山田や倉本のように脚本家が極度に権力を握って現場に介入するということについてはどうなのか?と言う風には思っているが・・・それはさておき。
学生時代に読んだ本で山田と寺山修司が大学の同窓で知己の間柄だったと言うことを知った。
自分が好きな作家が繋がっているというのが嬉しく思ったりした。
山田の膨大な作品群でいえば世代に人によって代表作や好きな作品は色々様々であろうが、オイラはなんと言ってもNHK大河ドラマの『獅子の時代』だな。
あ、いま『獅子の時代』の"獅子"を変換したら"志士"と出た。
"志士"という方が物語に合致しすぎる感じでもあるんだがダブルミーニング的な事もあったのだろうか?
とにかくオイラはこの『獅子の時代』で山田太一という平凡すぎるような名前の脚本家が幕末の物語を魅力的に描いた非凡さにハートを鷲掴みされた。
最終回の秩父事件で菅原文太演じる平沼銑次が"自由自治元年"と書かれた旗を掲げて戦う。
当時中学一年ぐらいであったであろうオイラにはこの旗の言葉の意味するところをきちんと理解していなかったんだが、一人の漢が命をかけてその旗を死守するぐらいに重いものなのだろうことは理解できた。
"国民は愚かものばかりにあらず。
もし国民の声を聞かず政府官僚が独裁独善に陥れば必ず国は破局に向かう。
願わくば日本国憲法は国民の自由自治を根本とした……"
平沼銑次の盟友であり妹の夫であった加藤剛演じる苅谷嘉顕の言葉はそのまま山田言葉だ。
しかし、その旗は銃撃で穴だらけとなって打ち捨てられていた。
未だに国民の"自由自治"の元年は達成されていないとも言える。
国民を衆愚などと切り捨てず希望を語っていたこの言葉のためにも我々国民は愚かさと怠惰から脱却するべきだ。
この強い言葉は今現在も生きている。
今現在もいきているから未だに国民は怠惰だとも言えるが、肝に銘じたい。
オイラの考え方の中芯を初めて与えてくれた山田太一に衷心より哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りいたします。
先週土曜日、歯のメンテナンス。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
前歯の後ろにそこそこ歯石があったようで、ガリガリと女史に取ってもらった後は自分でもスベスベ感がわかるぐらい。
先生とカメラ話。
現状仕事でスタジオでのパシリをやっている所為か撮影の話題に事欠かない。
オイラも先生も全然写真撮らないのに(笑)。
『安彦良和の歴史画報』
Amazonで書籍版購入。
書籍版買ってしまったが電書でも出して欲しかった。
画集としての側面もあるが安彦自身の解説も多いので、電書ならいつでもどこでも読めるのにな。
後発でも良いから電書出してもらいたい。
しかしこの本、ヴィジュアルブックとはいえ4400円、高いよな。
以前ならこの手の本には値段を気にせず買っていたのだが、この不景気、上がらない給料で購入に躊躇するようになってしまった。
ところで本書の宣伝の惹句で安彦が坂本龍一と対談しているとあり???となった。
安彦も対談のなかで言っていたことなのだがオイラも二人にまったく接点が想像できなかった。
坂本が病気療養中に安彦の本を読んで思想的な共通項を見出したらしいと語っていて合点がいった。
たしかに思想性は安彦と坂本で共通はするよな。
しかも本書で坂本が自著の『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』で安彦について触れていると書かれていてひっくり返った。
オイラ、その部分を読んでなかった。
慌てて該当箇所を探し出してみたら数行ではあるが坂本は安彦との対談の好感触を語っていた。
更にオタクなら誰でも聞いてみたいがこんなこと聞いたら武闘派でならした教授に半殺しにされかねない(笑)と思う、YMOの名曲『雷電、RYDEEN』と安彦が関わったアニメ『勇者ライディーン』との関連性を恐れを知らない安彦が聞いてみたりもして微笑ましかった。
『婦人画報 2021年3月号 (2021-02-01)』
AmazonでKindle版購入。
前述した安彦良和と坂本龍一の対談のオリジナルが読みたくて(『安彦良和の歴史画報』での対談はすごく少ない抜粋版だったので)購入。
しかしこのオリジナルの方の対談も正味3ページぐらいなもので期待していたのよりかなり少ない。
まあ雑誌の趣旨からすればアニメ作家と作曲家の対談などにそれ以上ページは割けないということなのだろうけど、残念でならない。
オイラからすれば安彦と坂本の対談なんて通常ありえない組み合わせかつ奇跡と対談だと思っているのだが、そう思っているのは世界で8人ぐらいしかいない気合の入った筋金入りのオタクぐらいなものだろうからな。
坂本龍一が安彦良和を「安彦先生」「安彦さん」と敬称がブレているのが微笑ましい。
二人の会話で米トランプ元大統領の酷さは一致しつつも、だからと言ってオバマやブッシュがまともな政策をしていたわけではないという論評を下すところ、そういう多角的な考え方見方ができるようにオイラはなりたい。
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』
以前、読んだ気になって感想を書いてしまったが、前述の『安彦良和の歴史画報』の記述で再読。
読んでなかった"著者に代わってのあとがき"を読んだ。
この本の"あとがき"は坂本が亡くなってからの出版で坂本と親交のあった編集者によるものであった。
この編集者のコメントも読み応えがあるのだが、坂本が断続的に短文で書いていたという日記とも雑感ともいえるような文章がどれも素晴らしい。
読んで心震えるという大袈裟ではない表現の文章。
神懸かった知性と教養が短い文章に込められている。
坂本のこの文章が読めてよかった。
オイラにとって非常に良い指針となる言葉だった。
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』
ネタバレあります。
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
『ナポレオン』にするか『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』にするか迷った。
『ナポレオン』は長いし歴史モノなので途中で気絶する危険もあったが観たい映画ではあった。
結局『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』にしたのは評判が良さげであったのとTwitterで水木しげるの
『総員玉砕せよ』の成分が入っているという事を知って俄然強く興味を持った。
世界観は戦後10年ほど経った昭和31年。
まずこの昭和31年の描写が絶妙。
オイラは昭和42年生まれだがその近辺の時代でもまだ列車の中には灰皿があり、タバコは自由に喫めていた時代。
それこそ近くに咳き込む子供がいようがお構いなしだった時代だ。
主人公は水木という製薬会社の出世意欲の強いサラリーマン。
この主人公の名前って↓の宇多丸の映画評を聴いて反芻するまで
作者の水木しげるの"みずき"から来てる事を気がつかなかった。
宇多丸の番組ってYouTubeで動画配信されてるのね。
久々に宇多丸と古川耕が動いている姿を観て嬉しくなったりした。
それはさておき、戦争中散々理不尽な目にあっておきながら、その理不尽さを払拭するではなく相変わらず立場を強くして力を持って、他人にその理不尽さを押し付けた上での勝利を目指す。
しかしそんな理不尽さの上に築いたのは最終的には勝利ではなかったのあ日本の敗戦を見れば明らかであった。
理不尽さの上にたった勝利者と呼ばれる人間たちの醜悪さ、当事者たちは微塵も自らを醜悪とは思わない人間達を人間ではないおぞましい存在として幽霊とか亡霊とか妖怪と規定していたのかもしれないが、やはりというべきか人間が本性的に悪質で醜悪。
それは幽霊以上に人間は醜悪だ、ということだ。
オイラもなんの不思議もなく多少具合が悪くても仕事に行くのは普通だと思っていたが、やはり普通じゃないんだよ。
本作は不死ではないにしても疲れを知らない人間を作る薬品をめぐる話でもある。
戦争が終われば会社員として"24時間戦える兵隊(会社員)"が是となる碌でもない社会になった日本。
それがいかに碌でもないということをわかっているのがそんな兵隊を使う側。
ヤツらはわかっていてそれをやっているから悪質さが根深い。
戦後民主主義となり戦争の理不尽さを払拭したと思いきや、それは形を変えて現在でもある。
おそらく水木しげるは結局払拭しえなかった戦争の世界観を戦後にまで残してしまったことへの忸怩たる思いが強かったのかな、と本作を観て理解できた気がした。
本作でも生きながら妖怪の血を搾り取りそれをもとに人間に疲れを感じさせない薬品を作る。企業の利益、一部の悪辣な資本家の為に無自覚に労働者血の一滴まで奉仕するのが是だと信じ込まされている。
本作の舞台として製薬会社のある都市部と土俗的でおぞましい慣習をもった田舎を出し、その田舎の都会に憧れていた少女沙代に最終的には田舎にも都会にも希望がないという絶望を与えることになる。
本作、物語的に非常に思索にとんだ重厚なテーマで物語を構築している。
物語だけでもかなり魅力的ではあるが、更に作画についても相当に強い。
多くの人が言っていたが中盤の崖から迫り出したような展望建築でのゲゲ郎と龍賀一族の兵隊とのアクションシーンがすさまじかった。
動きがいいのは勿論のこと、格闘アクションのアイデアが非常に秀逸であり素晴らしいの一言。
悔しかったら実写映画でこれだけ手の込んだ魅力的なアクションを作ってみろと言いたいぐらい。
本作は謎解きの要素もありゲゲ郎が行方不明の妻を探してその顛末の悲しさに泣けてくる思い。
ただオイラちょっと見逃しのだと思うがゲゲ郎が目玉おやじとなる描写が判然としなかったので、これはBlu-rayでの再見で確認したい。
エンディングの音楽もオイラが知っている
♪カラ~んころ~んカランからんころん
のあの音楽をベースにアレンジしたの川井憲次はやはり素晴らしいと思った。
本年度ベストの映画の一つに数えたい。
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『首』
http://rts3.exblog.jp/33159280/
2023-11-26T20:21:00+09:00
2023-11-26T21:25:50+09:00
2023-11-26T21:25:50+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
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画像を撮ったり描いたりする代わりにAIなんていうお手軽な方法で生成しているのだからせめて出来上がった画像の選択ぐらいは自分の責任で一択にしたいのだが、それでもどちらか迷うんだよね。
結果的にみっともない話だが上図のように二つ掲載。
見ている人は当然どちらも同じに見えるだろうし、そんな迷うほどのものでもないだろうという思いはわかる。
わかるからこそ絶対一択にするべきなんだけどね。
Twitterなどの掲載は一番上の暗い方の画像をアップした。
こうして見ると下の白い方でもよかったかと思ったりもする。
ちなみに上図二つは実写調の画像と絵画的な画像の混合。
混合と濃度調整などはPhotoshopとプラグインでやった。
SeaArt上だけで絵画風を実現するのは未だにオイラにはノウハウが見つけられずにいる。
スタジオ撮影風の画像生成は未だにボツが多い。
たまに気に入った画像ができると嬉しくなるんだが、だいたい指の本数や形がおかしかったりするのでSeaArtやAdobe Fireflyの部分修正を行うんだが、これもうまく修正できない失敗の方が多いような気がする。
ちょっとした指の歪さなどの不具合でも我慢がならなければ他の部分が良くても没にしている。
指の補正などPhotoshopで時間をかければ解決するんだが、元々がお手軽に作成した画像である所為か手を掛ける気が全く湧かないので部分修正が叶わなければそれ以上は手を入れないことにしているのである。
プロンプトに"ランジェリー"の代わりに"甲冑" "鎧" "裸に甲冑"などと"裸エプロン"のごとき画像を生成しようと目論んだ。
目論見は成功したんだが、なんかこれなら普通にランジェリーの方が萌えたなと思って生成を止めた。
またも便秘気味。
現状の仕事だと業務中に個室に立て篭もる時間がないので一週間まとめてBOMするしかない。
コーラック二日続けて飲まないと効かない状態である。
先週土曜日、マッサージ。
完全にコリを解消できたわけではないが先週不調だった右肩甲骨の痺れが取れた。
ある程度自分でもストレッチをしなければならんのだが、最近サボっていたからな。
『あっかんべぇ一休』復刊
来年の話であるが坂口尚の『あっかんべぇ一休』が来年1~2月頃の刊行予定で復刊される。
しかも電書込みで。
オイラは講談社で刊行されたコミックスは持っているが、それでも待望していたのは電書なのだ。
紙の本では色々な意味で重くて読みきれない理解しきれなかった世阿弥のところも電書となればきちんとゆっくり読めると思っているので楽しみだ。
先行して坂口尚の『石の花』は電書も紙も復刊されているが、『石の花』などはいまこの時期にこそ読むべき作品だよ。
間違いない。
手塚治虫の『アドルフに告ぐ』同様に先人がくれた超貴重で大切な贈り物だと意識するべきだね。
刊行元がKADOKAWAというのが気に入らないところではあるが、いたしかたなし。
夏野 剛なんぞが社長をやってる会社だもんね。
ヤツに漫画や映画などの文化がわかってるとは思えないけどな。
『アンメット(13) ーある脳外科医の日記ー』
AmazonでKindle版購入。
主要キャラではなく、妖艶な麻酔科医の彩度ストーリーが面白かった。
それと失語症についても色々興味深かった。
言葉が思うように頭に思い浮かばず言葉を発せられないだけが失語症ではなく、文字が読めないというのも失語症の範疇とは。
しかも書かれた文字を見て読めなくても、その文字を指でなぞることで読めるということもあるという不思議。
人間の脳みそは本当に色々未知だ。
だからこそ希望を託せるとも言えるのだが。
失語症はコミュニケーションと深く関わるので社会的な立場というものに非常に影響する。
しかし、それもある程度周りの人間の理解で失語症になった人でも社会的な立場を確立できるという希望がある。
そう、周りの人間の理解が重要な要素でなのである。
『リエゾン(15) ーこどものこころ診療所ー』
AmazonでKindle版購入。
"仕事に全てのエネルギーを注げる者が生き残っていく それが社会が作り上げた厳然たる摂理だよ"
本作の主人公である佐山の過去とその患者である女の子の話。
それとは直接関係ないが、男の取る育休問題についてはオイラもいまその最中にあって悩ましい。
会社のその男は忙しい部署にあって自分の休みは主張する。
育休なんだけどね。
しかも自分の負荷を当方であるオイラの都合考えずにオイラにやらせる一択で仕事を振ってくる。
「オマエは育休を錦の御旗にして休みを申請できて結構なご身分だな」
という黒い気持ちが沸々と湧いてくる。
育児をするというのがどんなに大変なことかは結婚もしてない子供もいないオイラにだってある程度は想像がつく。
とはいえ・・・人によりけりとはいえ納得いかないばかりか腹たって腹たって。
本作の感想にも戻る。
前述したように主人公佐山の過去の女の子の患者が成長した年月を
表札の色の褪せで表現したのは秀逸だと思う。
画的な演出としては説明過多にもならずナイスだなと思った。
後半の佐山が出てこないサイドストーリーの"訪問看護"についての話も興味深くこのエピソードの続きは次巻に持ち越しとなるが楽しみである。
『首』
ネタバレあります。
先週木曜日、109シネマズ菖蒲。
とりあえず本作を観ての一言・・・なんでこうなった・・・?
やっと観賞できた、という感慨。
いや、本作のキーヴィジュアルを観て、予告編を観て半年以上待ったという程度ではない。
本作の惹句である構想30年というのは間違いないというのは、その30年前のオイラが学生の頃に北野武は雑誌の映画評論のなかで時代劇の構想をすでに披露していたのだ。
たしか信長や秀吉は出てくるもメインではなく画面上の背景に過ぎず、主人公はそれら殿様を遠くから見ている侍になりたい百姓が主人公である、とのことだった。
当時で言えば浪人や仕官していない武士が活躍するような映画の代表作と言えば黒澤明の諸作はあったが、わざわざ信長などのビックネームを出しながら背景にするという試みは斬新であったなと思った。
で、30年経って・・・なんでこうなった・・・?
この30年後に作られた北野武の時代劇、原作は北野自身の小説だがオイラは未読。
はっきりいうが北野武は小説の才はないと思う。
出版の有名人枠で本来なら本など出せるレベルではない作品であっても著者が有名人だと本が出る、というね。
例えば富野由悠季の小説版『機動戦士ガンダム』とか、安彦良和の『シアトル喧嘩エレジー』とかね。
有名人と言いつつ、例に出したのがニッチな有名人になってしまったが(笑)。
それはともかく、当初の北野武の目論見から外れて本作は有名な戦国武将の活躍暗躍がメインのオールスターキャストの映画になった。
辛うじて中村獅童が演じた
茂助という役が当初の北野武の目論見の片鱗が見える程度。
・・・なんでこうなった・・・?
いくつか本作のレビューを見たり読んだりしたんだが、極端に酷評がない代わりにだいたい口を揃えて皆
「期待が大き過ぎた」
「思っていたのと違う」
etc・・・
割と奥歯に物が挟まったような物言いが多い。
かくいうオイラも同じ様なモノで確かに酷評はできないし期待が大き過ぎて気持ち的に目減りしたのは否めない。
ビートたけしの漫才のネタのように既成の約束事を笑うというのは確かに面白かった。
例えば切腹する時の手順の多さ(舞を舞ったり辞世の句をしたためたり)がまどろっこしくて、それを見物している秀吉が短気を起こして
「まだ死なねえのか」
と言ったりするのはブラックな面白さが確かにあった。
その他報奨のために友人を殺したり。
そもそもタイトルの"首"は本作の象徴というか所謂マクガフィンの様なモノであるにもかかわらず、その扱いは総じて雑の一言。
最終的には目的の明智光秀の首もそれと知ることなく
「汚ねえ首だ」
と蹴り飛ばす始末。
映画はこの蹴り飛ばしで唐突に終わる。
この大事な象徴をつまらないものとして扱ったり、映画の余韻を無視して終わらせるという一種の権威主義を否定しているあたりビートたけしの面目躍如とも言える、んだが・・・。
・・・
しかし、この映画は時代劇的な合戦描写がアップデートできてないのがオイラとしては物足りない。
未だに鎧の上から刀で斬って血を吹かせたり絶命させたりと言う描写は、本来北野武が真っ先に揶揄する様なことではないのか?
甲冑をつけた人間を刀の一撃で絶命させるなんてありえない。
この辺りはすでに黒澤明の『七人の侍』で三船敏郎扮する菊千代が刀を何本も地面に刺して
「何人も切ったら刀は斬れなくなる」
と言わせている。
オイラにしてみれば肝心のチャンバラでその感覚を全くアップデートできてないのはそれこそ手落ちでしかないと思う。
さらに言えば、これは個人の趣味や性癖なのでとやかくは言いたくないが、北野武の同性愛嫌悪を目の当たりにした感じ。
戦国武将は戰場に女を連れて行けない代わりに美形な小姓を連れて行って男色の契りを結んでいたことは知られている。
が、北野武の本作にはそこにあるはずの衆道のエロスが全くない。
北野武的に言えば同性愛を非常に醜悪なものとして描いている。
前述したがこれは北野の趣味や性癖の問題でもあるので文句は言えないわけだが、オイラとしては映画で描かれるような粗暴なだけの信長や感じの悪いだけの秀吉の様な者に部下が付き従うとは思えないのだ。
だからこそなのか、本作で信長は自分の小姓としていい様に使っていた異人に罵られながら首を落とされる。
本質的に誠心誠意仕えていないから最後に無惨な結果になるというのは辻褄があってるようだが、その部分だけだ。
信長に恋慕する光秀や、光秀と恋仲だった荒木村重の同衾などにエロスや行為の美しさや敬意すら感じられない。
ただただ「たけしって同性愛が気持ち悪いんだろうな」という感じしか出てこない。
大島渚の『戦場のメリークリスマス』に出ていながらこう言う感覚を全く理解していなかったのか?
考えてみればこれまでの北野の映画でエロスを表現したものってなかった、様な気がする。
女性が出てきてセックスシーンがあったとしてもそれはエロスではなくバイオレンスの一形態であったと思う。
『キッズ・リターン』は男同士が出てくるがこれには辛うじてエロスの匂いがするがやはりホモセクシャルというよりはホモソーシャルだ。
本作は戦国武将の悪辣さを表立って表現するなら、言葉による説明なしならば、男同士の肯定的なエロスの表現がなければ、なぜ理不尽なことをされながら信長に仕えているのかという納得できる理由が見えてこない。
この部分は明らかに失敗していると思う。
ビジュアル的にもこれまでの映画の様に観るべき画というものが乏しい感じ。
北野映画独自の描写といえば屍を俯瞰で撮ったりとすでに死んでいる者たちを描写するところは個人的には感心した。
一言で言えば、北野武に戦国合戦のような広い場所の景観よりも、一人の男の半径10メートル程度の範囲で起こった出来事を描写した方が作風に合っていると思う。
それとキャストは全員素晴らしい。
特にあれだ映画監督としてはお粗末極まりないようだが曽呂利新左衛門の木村祐一はすごく存在感があってよかった。
・・・
つくづく以前は映画の神様に愛された男だと思った人間の凋落を見ることになってしまった気がする。
それでも他の凡庸な映画監督よりは5億倍ましな映画作るだろうなは思うが。
今週末は歯のメンテナンス。
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『ジェン・ブイ』
http://rts3.exblog.jp/33148435/
2023-11-12T21:57:00+09:00
2023-11-12T22:00:21+09:00
2023-11-12T21:57:08+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
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Robert Mapplethorpeの写真のように単純な背景でシャープでカッチョいい画像ができないものか・・・。
やってみて分かったことだがオイラのその思惑がどれほど思い上がったハードルの高いものかと思い知らされた。
これまで散々生成してきた”廃墟” ”戦車” ”メカニック” ”夜景” ”雨”などを背景にした女性画像の生成はたとえポーズが面白みのない棒立ちであっても背景の情報量でなんとなく見応えのあるものに仕上がってしまうのだ。
しかし"白バック" "白い空間"という設定で画像を生成するだけではまったく見応えのないつまらない画像になりがちになる。
それでもそういう画像をアップしてしまうのは生成した者の欲目のようなもので、それでも一晩寝ればなんて凡庸な画像なんだろうと思わざるを得なくなる。
Robert Mapplethorpeの写真は"テーマ" "ライティング" "モデルのポーズ"などが考え抜かれた形になっているのだと思う。
もしかしたら考えるまでもなく感覚的に撮影していたのかもしれない。
他力本願のAI画像生成だと思っていたのと違うけど良さ気なものを新鮮に思って"良きもの"と思ってしまうが、今後は少なくとも棒立ちのポーズでないもの、棒立ちでも何かしらの強さがあるようなものを意識的に選んでいきたいと思う。
先週土曜日、糖尿病の診察。
約二ヶ月ぶりの診察。
採血と尿検査。
今回のHbA1cの値が6.2。
前回の値が6.7だったので自分としては下げ止まってる感じ。
担当医はかなり劇的に数値が下がっているのをオイラの努力として褒めてくださっているが、実際はほぼ毎日明治トリプルヨーグルトを飲んでいるのと、肩こり防止にストレッチ"用"ポールをサボりつつ使っている程度のこと。
担当医には言ってなかったが最近はチョコレートも食べたり、ご飯も茶碗いっぱい程度ではないくらいに食べたりしている。
だから下げ止まっているとも言えるが。
実際下がっている大きな原因は処方薬のおかげだ。
更に前回から尿酸値を下げる薬も飲んでいてそれも下がったようだ。
ところでHbA1cは下がったことを担当医に褒められたが、所謂血糖値は結構高いと思うのだがそれは問題ではないのだろうか?
次回は年明けだができれば基準値以下の数値にしたいところである。
先週土曜日、一週間で車の空調が直って帰ってくる。
突然車の暖房が効かなくなってディーラーに修理に。
修理は一週間とのことでトヨタのディーラーで初めて代車を貸してもらえた。
当然無料で(笑)。
ディーラーで車をレンタルしたら暖房の修理と同じぐらいの金額がかかると知って難色を示したら、代車を出すことにしてくれた。
ディーラーとしても見積もりまで取って代車を気軽に貸してくれる町工場の車屋に持ち込まれるのを嫌ったのではないか?
と言っても修理費用は3万円んちょい(当初の見積もりは4万円ちょい)だったんだが、天下のトヨタも3万円でも代車を出してでも欲しいぐらいに世の中不景気なのか。
先週土曜日、歯のメンテナンス。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
女史に勧められたトリプルヨーグルトを飲んで血糖値が下がった手前何事も強く出れずにいる。
色々ひどい目にもあってきたが(笑)このトリプルヨーグルトとストレッチ"用"ポールを勧めてくれたことには感謝している。
先生とカメラ話。
その内容は↓。
『Leica SOFORT 2』
楽天市場で購入。
発売日に手に入れることができた。
数年前、Leica SOFORTの最初のバージョンが出てそれを歯の先生が購入して見せてもらった。
Leicaがチェキを出した、という衝撃と、それがチェキがブランドになった気がして俄然興味がわいたのだ。
が、その後発にフジでも同様なチェキカメラがでてしかもそれはカメラ内部で画像処理ができたりする機能があったのだ。
最初のLeica SOFORTにはその編集機能がついておらず、機能的な足りなさを感じた。
デジカメにチェキがついているというコンセプトは魅力だったのでフジのカメラを買おうとも思ったが、やはりそこはブランド志向のオイラ(笑)、いずれライカもフジと同じような昨日のカメラを出すだろうと待ち続けて数年(笑)。
やっと出た感じ。
Leicaとしても出てすぐに機能を追加してバージョン2は出せなかったろうからね。
とりあえず使ってみた。
通常は撮影した画像はモニターで確認するのに慣れてるし満足しているが、小さくても実態としてのプリントが出るというのは気分がいい。
しかもデータがあれば何枚でも同じプリントができる。
ちょっと面倒だが、他のカメラで撮影した画像データをプリントすることもできる。
といってもチェキの画質なので高解像度のプリントというわけにはいかないが、だからこそ手軽に使い倒せそうな気がするのだ。
解像度も2560×1920画素(490万画素)だしね。
それでもプリントされて出てきた時には感動したよ。
今までチェキ使ったことなかったし。
この意識的なチープさというのが心地いい。
Leicaなのでもって嬉しい所有感があるんだよね。
申し訳ないがそこんとこが性能が良いのはわかるフジと、ブランドの力のみの強さの(笑)Leicaというところか。
久々にカメラを買ったわけだし、購入できて大満足である。
が、しかし本カメラに同梱されていた説明書は不親切すぎる。
ほぼスイッチやダイヤル類の申し訳程度の説明のみで、例えばスマホとのリンクのさせ方とかアップデートの仕方とか書いてない。
ので、購入したユーザーが解説しているYouTubeを見てやり方を知ったりしている。
まあ説明書の説明も程度問題であまりにも詳細であり過ぎると読むのが億劫になるとは思うのだが、Leica SOFORT 2の説明書についてはちょっともう少し親切にしてもらいたかった。
更に言えば詳しい親切な説明書を作ると製作費に跳ね返り、ユーザーへの価格に跳ね返るので痛し痒しではあるのだろうが。
『アオイホノオ(29)』
AmazonでKindle版購入。
いつのまにかホノオくんとトンコさんとの顛末とか、庵野や山賀の活躍などが描かれなくても興味をそそる展開になってきた。
当初からその傾向はあったが、アシスタントのマウント武士がホノオくんをdisったりするんだが、それも微笑ましい感じなんだよな。
超有名な売れっ子、あだち充の話も出てくるんだが、茶化してはいるもののそれでも徹底的な脅威と畏怖を感じて、以前のようなdisがないのが物足りない。
超売れっ子の漫画家にも通常言えないような強気な言葉を期待している(笑)。
『ザ・ファブル The second contact(9)』
AmazonでKindle版購入。
本作のラストで描かれているような殺し方が、どうか作者の妄想でありますようにと願わずにはいられない。
その妄想のような殺し方を知ってるはずのない佐藤が直感で察知しているのは恐れ入る。
最終章とアニメ化に期待。
『ジェン・ブイ』
Amazonプライムビデオでレンタル視聴。
メインの『ザ・ボーイズ』のスピンオフシリーズで、それに劣らずジェンダー問題、人種問題、格差問題などを盛り込みつつも無類に下品で(褒め言葉)面白い本作は、スーパーヒーローのための大学を舞台にした物語だ。
本作メインの『ザ・ボーイズ』描かれるスーパーヒーローなので、営利企業に所属する商品を作るためのもので必ずしも正義を標榜せず、その大学に学ぶ多くのスーパーヒーロー候補生達も常に好感度を気にしているような俗物ばかり(笑)。
『ウォッチメン』から始まったスーパーヒーローの相対化、彼らが普通の人間より特殊な能力に長けてしまった為に俗物度が増し増しになってしまったがための社会や世界を描いている。
それが現実の現在の社会とリンクして今時の問題として描かれているのは脚本の開発に金と時間と人員を惜しみなく割いているからに他ならないだろう。
本作もスピンオフでありながらシーズン2の制作が決定されており本シリーズの最後も明確な終わり方ではなく続編に続くようになっているので、おそらく土壇場でシーズン2にブリッジするように書き換えたのだろうと考えられる。
なんだかんだ言ってもアメリカの映像業界の底力というものを感じざるを得ない。
本作のシーズン2も楽しみだがメインの『ザ・ボーイズ』の続きも楽しみである。
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『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』『ゴジラ-1.0』
http://rts3.exblog.jp/33142335/
2023-11-05T21:21:00+09:00
2023-11-05T21:24:14+09:00
2023-11-05T21:21:06+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
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↑左右の目元が微妙に歪さがある感じ。
実際に画を描くにしても、実際に写真を撮るにしてもこの歪さは排除されるようなものだと思うが(実際のモデルの顔が歪であっても)、AIによる画像生成だとこの歪さが一点のポートレイト画像としての個性のように感じられる。
たとえそれが美しさの観点から排除されるべき歪さであっても、コンピュータの計算の完璧さから逸脱して大量生産品としての頸木から逃れられているような気がするのだ。
↑プロンプトに"Taxi Driver" "M-1965 field jacket" "TANK crew"などを入れて狙ってみた。
セクシーさは抑え気味であるが顔立ちや雰囲気は非常に好みである。
↑"雨の中" "逆光" "ランジェリー"その他のプロンプト。
逆光での水の弾きが綺麗だなと思う。
こういった雨の中の撮影ってアマチュアのオイラには非常に困難だったりするんだが、AIだと色々できて楽しい。
↑顔立ちが好みの上にセクシーさがあってお気に入り。
オイラにこれ以上のセクシーさは必要ないかなと思う限界値。
これよりもっと巨乳に、という気にはなれないということである。
↑面食いを自称しているオイラでこの生成した女性もオイラとしては好みの美形なんだが、一般的には微妙なお顔立ちなのかもしれない。
失礼な話であるがだからこそリアリティがあるように感じる。
↑なかなか全身の画像が生成できない中で気に入った一点。
画像生成AIあるあるで、できた画像の指の本数が多くなったり少なかったり歪だったり。
そういう形状のもの、さらにあからさまに脚が3本あったりするような画像は削除しているのだが、結構削除の点数が多い。
表情や背景の出来はいいんだけど腕や足が2本以上だったりするものは泣く泣く削除。
それは足先の造形についても言えることで、その所為かどうかわからぬが生成される画像の多くはバストアップであるとか足首までだったり手とか指を見えないようなポーズで生成される。
AIも己の弱点を多少なりとも認識しているのかしらん?
それでもTwitterでAI画像を載せている人はそんな腕や足の本数にお構いなく掲載しているというのがオイラには正直わからない。
結構有名な人でもその点については無頓着のような気がする。
オイラとてその手の歪さをチェックしきれなくて載せてしまってるものもあるにはあるが、基本は載せないようにしている。
・・・
ふと思ったのだが、この腕や足や指の歪さを無神経に"排除"とか"削除"という言葉に出していいものか不安になる。
世の中には生まれながらにして大多数の人とは違った身体の形状をしている人がいるわけで、そういう人について考えると自分とは違った身体の形状だからといって"排除"などというのは失礼かつおこがましいとも思える。
先週土曜日、心療内科。
12週、発作もなく過ごせた旨を担当医に報告。
減薬できればしたい旨を話したら薬の形状的に一個を半分に砕いての減薬しかできないとのことなので、毎日のんでいた薬を1日おきに飲むということにした。
担当医の考えだと所謂"寛解"ということらしいが、どうにもオイラにはピンとこない。
薬のおかげで発作を抑えてきたという気持ちが強いし、患者のオイラが「発作もなく安定しています」という言葉だけで(本当はそれだけではないと思うが)"寛解"としていいのかどうなのか。
所謂脳内物質であるセロトニンの減少でパニックディスオーダーが引き起こされているというが、オイラはこのセロトニンが大少ないを数値として認識していないしそれに付随する科学的な検査もしたことがない。
言い過ぎかもしれんがオイラとか担当医の塩梅だけで"寛解"を決めていいのか?というのが不安である。
とりあえず来年にまた診察を受けるがその時までの状況がどうであったか?本当に"寛解"としていいのかを納得するまで聞こうと思う。
車の空調の修理に出す。
珍しくトヨタが代車を出してくれた。
それでも代車が出るまでひと月ぐらいまったんだけど(笑)。
『漫画専門学校講師のマンガ業界ウラの裏 』
AmazonでKindle版購入。
漫画家が描く担当編集者が出てくる漫画ってだいたい酷い編集者として描かれることが多い。
その方がネタとして面白いからで実際は暴言や恫喝などせずにビジネスライクに接するものだと思っている。
実際そんな感じの描かれ方の編集者もいるからね。
一流どころの大学を出て一流どころの出版社に就職した人間がパワハラで漫画家と付き合うなんてのはないだろう、と思っていたんだが、考えてみれば私の勤務している会社の営業職も全員とは言わないが、無責任、丸投げ、恫喝気質な人間もいるのだよな。
人によりけりか。
本作によると若い漫画家の志望者たちもSNSの台頭でオイラの頃とは考え方や漫画家という職業そのものの捉え方が違うようだ。
それらを非常にうまくカリカチュアした葛西りいちの力量は相変わらず面白くて凄みがあると思う。
先週再び便秘気味。
週末にコーラックで。
アレかな、ストレッチ"用"ポールでのストレッチをサボったからかな。
それで内臓の動きが鈍かったとか・・・。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
ネタバレなし。
先週金曜日、109シネマズ菖蒲。
劇場鑑賞が叶わないと諦めていたが先週週末が三連休で余裕があったので観に行った。
懸念していた206分という3時間半近い上映時間も観終えてみれば体感的には2時間ぐらいに感じられた。
それでもたまに気絶しかけのウトウト気味ではあったが、内容が飛ぶほどの気絶っぷりではなかった。
ひとえにテンポと語り方の巧さではなかったろうか。
アメリカの時代劇ではあるので本作の歴史を知っていた方が絶対理解は深まると思うが、それでもストーリーテリングとセリフでの説明の巧さで極端にわからなくなることはなかったように思う。
本作はネイティブ・アメリカン(インディアン)である先住民オーセージ族が白人に追われ行き着いた先のオクラホマ州で石油が出た。
オーセージ族はその土地の石油鉱業権を保持して金持ちになった。
それが面白くない白人たちはオーセージ族の女と婚姻関係を結び、それに乗じて石油鉱業権を巻き上げていく。
その目的の手段の過程でオーセージ族の不審死が相次ぐ。
結構驚いたのは白人はネイティブ・アメリカン(インディアン)を徹底的に蔑ろにしていて、力でネイティブ・アメリカン(インディアン)の権利を奪い取るのかと思いきや、一応法律に乗っ取って思いの外無茶はしないんだな、ということ。
ただ法律に則っているという建前がある故に事態の真相が分かりにくくなっているとは言える。
法律に則ってるから不正があるわけはない。
同様に愛して結婚した嫁の糖尿病の為のインシュリンの中に毒を入れたりするわけはないではないか、とか。
そういう意味ではこの映画におけるマーティン・スコセッシのアメリカ史の欺瞞のあばき方は容赦がないと感じた。
当初本作の主演キャスト レオナルド・ディカプリオはその地で発生した連続殺人事件を捜査しにきたFBI捜査官の役だったらしい。
それをディカプリオ自身が申し出てロバート・デ・ニーロ演じる悪徳白人の叔父であるウィリアム・ヘイルの腰巾着のバカなチンピラの役をやることにしたらしい。
ディカプリオ演じる正義のFBI捜査官が悪い白人を捕まえました、という話にしてしまうと本作の軸であるアメリカの欺瞞の上に更に欺瞞を重ねかねない。
白人アメリカンのディカプリオがバッドガイを演じる事でよりアメリカの欺瞞が浮かび上がったと思う。
キャストの重厚さはさすがスコセッシというとことか。
レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロの口の結び方が同じでね(笑)。
同じように口をへの字に結んでおる(笑)。
更に本作でボンクラ旦那のディカプリオの聡明すぎる嫁役モーリー・バークハート
リリー・グラッドストーンの演技が秀逸。
最初に戻るが、オーセージ族が追いやられた土地に石油が出なければ、と考えなくもないが、富を手に入れて裕福に暮らしたいという気持ちを否定することはできない。
それはすでに白人がそれをやって見せびらかしているから。
つくづく資本主義というのは罪深い一面があるものだ。
Blu-rayは出そうもないから配信で再見せねばな。
『ゴジラ-1.0』
ネタバレなし。
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
予告編を観てたのしみにしていた。
このところ監督の山﨑貴の映画は観てはいたがずっと半笑い続きであった。
が、予告編を観て無茶苦茶期待していた。
特に『シン・ゴジラ』にノレなかったオイラとしては期待値は爆上がり。
『シン・ゴジラ』のエリート官僚目線での物語ではなく、もっと地を這うような庶民の目線でのゴジラ映画かもしれないという期待。
実際そのような目線で作られてはいた。
が、オイラにはちょっとメロドラマが過ぎる感じ。
全体的に面白くはあるんだが、映像に目新しさというのが感じられない。
山崎貴がどれくらい意識して引用しているのか?それともオイラの思い過ごしなのかもしれないが、海でゴジラが木造船を追いかけるところは『風の谷のナウシカ』の冒頭シーンの玉蟲の暴走シーンのように思えたし、ゴジラの背鰭がガシンガシンと立ち上がる様は『エヴァ』の二号機のビーストモードのように見えたし。
極め付けは『スカイクロラ』的な局地戦闘機まででてきた。
それら観ていてアガるし面白いとも思ったんだけど、やりすぎだとも思った。
更にいうと(詳細は伏せるが)あの爆風で生きてるはずないだろ、と思った。
というか、あのカップルがあまりにもやってることが幼稚というか(ある意味やってないのが問題だと思うのだが)。
大人じみた子供が大人の真似をしてゴジラを作ったという印象だろうか。
これは演出だけではなくキャストにも言えて
Twitterにも載っていたんだが上図左が1954年『ゴジラ』の山根博士=志村喬(49歳)。
右が2023年『ゴジラ−1.0』の野田博士=吉岡秀隆(53歳)。
今回の吉岡秀隆、かなり重めに演じていて好感はもてたんだけど、最初の『ゴジラ』の志村喬より年上でありながら貫禄が明らかにないんだよな。
これは吉岡秀隆だけの問題ではなくオイラの世代というのがいかに大人になりきれてないかということだと思う。
いい加減50歳代だというのに(笑)。
まあ『シン・ゴジラ』よりはノレたとは思います。
今週末は糖尿病の検診と歯のメンテナンス。
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『イコライザー THE FINAL』『BAD LANDS バッド・ランズ』
http://rts3.exblog.jp/33119345/
2023-10-09T17:34:00+09:00
2023-10-10T10:19:32+09:00
2023-10-10T10:19:32+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
とうとうやってもーた。
自分としてはかなり否定的であった画像生成AIに手を出してしまった。
この手を出したというのは無料で使えるのを使ったというわけではなく、わざわざ課金してまで手を出したということだ。
上の画像は課金してレンダリングの設定を可成りいいものにして出来上がったオイラお好みのお顔立ちだ(笑)。
ああそうさ、オイラは狸顔の丸顔が好きさ(笑)。
上の画像が美形に見えないという人も勿論いるだろう。
しかし、面食いを自称するオイラとしては上の画像は美形とも言える女性と認識しており、オイラは画像生成AIでこの顔が出ちゃったらもう後には引けなくなっちゃったのよ。
SeaArtというブラウザで行う画像生成AIだ。
延々と課金が尽きる3〜4時間かけて好みの女性が生成されるまでボタン押しまくり。
基本的に同じプロンプトを入れても同じ顔つきが出ることはないのでほぼ一期一会。
好みの画像を元に画像を生成することもできるのだが、まあそれがこの画像生成AIの抱える著作権とか肖像権の問題に抵触してくる。
なので上の画像もオリジナルの顔つきだと思いつつ、どこかに全く同じ顔の人がいないとも限らない。
一応姑息にも3つの顔の女性のブレンドにはパラメーター上しているが、怪しいものだ。
しかし今更であるがオイラはこの画像生成AIで何がしたいんだろうか?
写真を撮ってそれをレタッチしたり、画を描いたりするのはそれがたとえ下手くそであっても創作活動だとは言えるんだが、画像生成AIで作り出したものを自信を持って創作物だとは言い切れない。
オイラの守備範囲である写真、画、そして画像生成AIはで創作するということで言えば、思い通りのものが作れるかというのがポイントとなろう。
写真や画は例えば思い描いたような作品を仕上げるにはそれら道具を使うスキルというものが必要となる。
経験値なしにとんでもない作品を作る人は確かにいるが、それでも普通は写真の撮り方、デッサンなどのスキルを持つことは重要でそれなくして思い通りの作品は作れない。
では、画像生成AIはどうかというとプロンプトやガイドになる画像の選択などはあっても出来上がりは運次第の行き当たりばったり。
こういう女性がこういうアングルでそういう背景で立っている、というのをプロンプトで書いても全く思い通りにはならない。
画像生成AIで上手くいったいかないは出来上がった偶然が好みのものかどうかということでしかない。
思い描いていたのとは違うけど出来上がったこれも悪くないよね、いや、むしろ思っていたものよりもいいかもしれない、という判断でしかない。
写真や画のスキルがあったとしても例えばプロと呼ばれる人たちだって必ずしも思い通りのものが創作できるとは限らない。
全くの素人よりは思い通りになることが多いという事にすぎない。
ならば、思い通りのものができないという点においては写真や画や画像生成AIは同じものではないか、とも思える。
が、それでもやはり単にボタンをおしてそこそこ満足できる落書きができてしまうというのは胸を張って創作物だとはいえない。
創作物というのは苦労して努力して掴み取ったスキルを使って奇跡的に作られらものが見る人を感動させるのだと思っているから。
それは多くの人ができないやらない苦労や努力の末に出来上がった結晶をを見る感動だとも思うからだ。
こんなのできない、描けないとい畏怖が創作物には必要。
画像生成AIでできる作品というのは誰にでもできる偶然のものでしかなく、そこには圧倒的に努力や苦労が足りてない。
オイラはそんなものが創作物足り得ないと思っている。
あとは実際自分で描いたような画とか、実際に写真を撮ったような結果を持つ画像生成AIは現状できてはいるが、それでできあがったモノを実際の絵筆で、実際のカメラで撮りました、などという詐称は恥ずかしいと思うか思わないか、だ。
とはいえ、この画像生成AIに<すぐ飽きるかもしれないが>のめり込みつつあるわけだが、それで作成したものは必ずタグや但し書きで"画像生成AI"の一文を入れる事にしている。
まあ現状ありえないような背景であるとかで画像生成AIだと判断できそうだが、いらん誤解を見ている人に与えないようにするつもり。
しっかしなあ、Twitterでフォローさせてもらったししている画家の方々は当たり前だが画像生成AIには否定的であって、なんか申し訳ないとか恥ずかしい気持ちになっている。
ここんところずっと便秘気味だったのが多少解消の方向に。
それでも毎日ではなく2〜3日に一回ぐらいな感じであるが。
これまでほぼ一週間分をコーラックを使って出していたのが先週は使ってないからね。
糖尿病って内臓系の血流も悪くするらしいから、処方された薬を飲んで解消されてきたのかねえ。
とりあえず悪くならんようにせねばな。
『イコライザー THE FINAL』
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
本作の『パート1』が良すぎた所為か、前作の『パート2』がかなりがっかりで、今回はどうかしらん?という感じで観にいった。
結果、『パート2』よりは面白かったかな、『パート1』の足元にも及ばない感じであった。
監督がアントワーン・フークアで三作とも同じだが、『パート1』が常にデンゼル・ワシントン演じるロバート・マッコールに寄り添って彼を中心に物語が展開していたのが『パート2』や本作は彼の同僚や敵方のエピソードにフォーカスするためにロバート・マッコールへの焦点がブレて散漫になった所為だと感じる。
主人公以外の登場人物達のバックストーリーを語るのは悪くはないんだが本作についてはとんでもない強さを持つロバート・マッコールという人物のディティールを見せる事が魅力だったと思ったのだ。
例えば『パート1』で出てきた傷口に蜂蜜を塗るとかのディテールはすごくフレッシュだったし、ロバート・マッコールどう窮地を脱していくかというのを追っていくので良いと思ったのだ。
しかしそれは演出的な問題だけではなく肝心のデンゼル・ワシントンが御歳68歳。
こんなお爺ちゃんに常にアクションさせることはできんよな。
ロケ地のイタリアの景観は非常に良かったかな。
本作はタイトル通りで『ファイナル』らしいが(『ファイナル』は邦題だけだけど)、終わりにする潮時ではあるかもしれない。
『BAD LANDS バッド・ランズ』
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。予告編を観て興味があり、映画好きの年上の友人もお勧めであったので、当初スルーするつもりだったが観に行くことに。
印象として安藤サクラのハードボイルドというのは悪くない。
山田涼介にはちょっとばかり不安があったが、鑑賞後役に見事に役柄にハマっていて、安藤とのバディとしても良好だった。
つーか役者陣は全員ピースがハマるように良かったと思った。
では本作が傑作だったかといえば然にあらず。
監督が原田眞人というのがオイラには無条件にろくでなしのビッグマウス認定なヤツだ。
なので観る前からそんなバイアスが原田にかかっているので素直に楽しめないしオイラがまっとうな評価や感想が言えるとも思えない(笑)。
本作でもオープニングクレジットで並みいる役者よりデカい文字で"監督・脚本・プロデュース 原田某"というのが最初から気に入らない。
監督が作品を作る、責任者であるという意味では仮に他の監督がやったらおいらもそんな反感はおきないが、原田、だからねえ。
お前ずいぶん偉そうだな。
脚本も原田でこいつの書くセリフが小賢しくて洒落臭いのだ。
セリフで唐突にドストエフスキーが出てきたりね。
俺って教養あるでしょ、という感じが透けて見えて鼻持ちならん。
ちょっとした楽屋落ちで『燃えよ剣』の池田屋のセットで賭場を再現した時に、沖田総司役だった山田涼介に匂わせの一言を言わせたりとかも気に入らん。
オイラがこんなに嫌いなのに安藤サクラはおろか、今回ちょい役での出演だった岡田准一なんかも原田の映画の常連だったりするのが分からない、
『関ケ原』を劇場で観た時のセリフの聴き取り難さは相当なもので、これもわざと聴き取り難くする事で逆に観客にセリフを意識させようという姑息な演出かと思ったりね。
配信で観た『燃えよ剣』は普通にセリフが聴きとれたんだが、本作はまたセリフが早口なうえによくわからんことになっている。
アレか、配信やBlu-rayになる時は音声の整音をしなおしてるのか?
まあこんな感じでやっぱりオイラは原田の映画には合わないなと再認識した次。
ただラストの安藤サクラが脱出していくシーンは不覚にも感動したよ。
ベタといえばベタなんだが、あの最後は込められた力が解放されたようなラストでよかったとも思う。
今週末は歯のメンテナンス。
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『すずめの戸締まり』『アメリカン・ゴッズ』『沈黙の艦隊』
http://rts3.exblog.jp/33111281/
2023-10-01T15:35:00+09:00
2023-10-04T20:50:12+09:00
2023-10-04T20:33:14+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
今週から異動先である。
前の部署は自分が望んで希望が受け入れられて配属された形となり幸せなものであったと関係各位に感謝してもしたりないことであった。
今回の異動は自分で希望は出していたが、一番の希望は聞き入れてもらえず、結果的に自分を含めた誰もが得をしない、いやむしろオイラが一方的に周りに迷惑をかけてしまったものになった。
このブログ、誰が読んでるかわからない、というかこの件の関係各位の誰も読んでいないと思うが、色々と本音は書けないのである(笑)。
異動先の仕事も今までの仕事と全く違うというわけではないが、より専門性の高い業務になると思うのでその辺は心せねばなるまいと思っている。
このコロナが消えてなくなったわけではない昨今、週末で家族やプライベートに費やすべき時間をわざわざ削ってオイラの送別会を開いてくれた同僚たちには本当に申し訳ない気持ちであったが、最後に色々ぶっちゃけられたことで色々清々とできた。
みなさん、ありがとうございます。
先週土曜日、マッサージ。
我慢したが脹脛の施術が結構痛かった。
相当コッているようだ。
『Vivian Maier: Street Photographer』『Vivian Maier: Self-Portraits』
AmazonでKindle版購入。
歯の先生に教えてもらったヴィヴィアン・メイヤーという写真家。
寡聞にして知らなかったのもしょうがないのはこの人もうお亡くなりになっているんだが存命中は全くの無名で、写真家というカテゴリーにすら入っていなかったであろう、趣味人とかアマチュアカメラマンとでも言ったら良いのか。
で、死後に発表された作品の数々がまあすごい。
少なくともこうして死後であっても写真集として編まれるわけなので撮影者だけが満足するようなものではなく、この撮影者であるヴィヴィアン・メイヤー以外の人、オイラのような者にも激しくアピールするものがあると思う。
所謂街中のスナップに近いとは思うのだが、一つ一つの人の顔の撮り方が丁寧でポートレイト撮影しているような趣で私も大好きな写真だ。
日本人に多いのかもしれないがスナップでのブレだとかボケを躍動感と称しているような写真はオイラは好みではないのでね。
さらに言えば『Vivian Maier: Self-Portraits』の方に顕著なのだが、ヴィヴィアン・メイヤーのセルフポートレイトの写真集が素晴らしい。
多くは鏡やガラスに写った自分を撮っているのだが、それだけではなく自分の影を写し込んでセルフポートレイトするようなウィットとユーモアを感じられた。
ウォーリーを探せ、みたいな感じでもある。
生活している街に同化している自分という表現とでもいうのだろうか。
このヴィヴィアン・メイヤーがフォトジェニックでポートレイトのモデルとしても成立するような容貌。
二眼のローライを腹のところで構えて撮影してる。
デジカメがないフィルムの時代だから結構お金もかかったろうし失敗もあったろうなと想像したりする。
今となっては二眼のローライを使って撮影というのはハードルが高いけど、スマホって二眼のローライのようにお縦長だからスマホをつかってヴィヴィアン・メイヤーのようなスタイリッシュな写真を撮る人が出てくるかもしれんなと楽しみにしている。
このヴィヴィアン・メイヤーに乗じる事になって心苦しくもあるのだが、
"イラストレーターとか、夢を追うのも自由だが、そもそもインボイス導入で困る人って作品に需要がない。つまり才能がない。介護・外食など人手不足な業界は幾らでもある。イラストは趣味でやれ。プロ辞めろ"
こんな事言う人は現在売れまくっているクリエイターやアーティストにしか価値がないと思ってるんだろうね。
こんな人はヴィヴィアン・メイヤーの良さなんて一ミリもわかんないんだろうな。
"あ、これ間違ってます。才能があってもなかなか売れなかった人、たくさん知ってます。才能ある人を発掘する仕事をしている人もいますが、見落とされる才能もあります。亡くなってから評価される人もいます。世の中、そんなに単純ではありません。"
こういうことだよな。
何かを作り出そうとする人に対して一定の謙虚さを持っていると思っているオイラとしては売れる売れないなんかの尺度が作品の良さなどとは全く思えない。
『わが夫はアニメーターである』
AmazonでKindle版購入。
Twitterで断片的に読み知っていたのが書籍化されたようで購入。
ほぼ全部がフルカラーとなりかわいくて上手い描線と相まって見応えも十分。
アニメーターや漫画家という人となりに興味があるオイラとしては大好物なものであろう。
作者である見原 由真が眼の不調である時にアニメーターの夫の寄り添い方が感動的ですらある。
夫だけではなく夫の両親までもを巻き込んで嫁となるであろう人を大事に大事に盛り上げていく様のなんて優しい人たちなんだろう、と。
眼が見えなくなるという恐怖は普通に生活していてもあることなのに、これが絵描であったなら本当に絶望するだろう。
それに対して臆する事なく支えようというのは読みである見原 由真の人柄もさることながら旦那家族の人間性に負うことも多いだろう。
とにかく非常に気持ちの良い読後感であった。
『つるばみ色のなぎ子たち』
いよいよ出た片渕須直の最新作告知。"枕草子""清少納言"というキーワードで当初中学高校の古典の時間か、と教条主義的な感じでなんとなくな抵抗があったんだがこのプロモ映像観たらオイラの抵抗など霧散したよ。
虫、というか蚊が結構出てくるんだね。
"つるばみ色"とか"なぎ子"とか聞きなれない言葉が出てきてそれを分からないと感じるのもゾクゾクする。
『つるばみ色のなぎ子たち』、よくわからないが魅力的なタイトルだ。
自分が分からないものを観ることができるという喜びと希望に満ちた期待を感じる。
『すずめの戸締まり』
AmazonでBlu-ray版購入。
コメンタリーで鑑賞。
劇場公開時の拙ブログのエントリで不満を書いた最後の言葉問題。
オイラは物語の締めくくりでは草太の「ただいま」で終わらせるのが相応しいと書いた。
が、オイラが思うようなことはすでに新海誠は考えており、実際「ただいま」か「おかえり」かでかなり悩んでいたとのこと。
結果的に「おかえり」というセリフになった理由も解説していてそれでその言葉の意味することに合点が言った感じ。
『アメリカン・ゴッズ』
Amazonプライムビデオでレンタル視聴。
『グッド・オーメンズ』のニール・ゲイマンの原作。
北欧神話から始まり、ギリシア神話やインドやアフリカなどの古の世界中とも言える神々と、唯物的というか現代的なテクノロジーとか資本主義的なるものを神として、その双方の闘争を描く。
とはいえ物語の中心はアメリカなので、所謂多民族国家であるアメリカは民族の数だけ神々や神話があり、神々もその民族と同じようにアメリカに移民してきたというていだ。
そのせいなのかOPの音楽がレッド・ツェッペリンの「移民の歌」っぽい印象。
というよりもヴィジュアルなどを観るとむしろ「移民の歌」をOPに使った『ドラゴン・タトゥーの女』のような印象に感じた。
正直、神話や宗教についての知見があった方が楽しめるだろう。
オイラはところどころで面白く思えたり置いてきぼりにされたりという感じであった。
映像表現はすごいと感心する。
『沈黙の艦隊』
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
iMax版。
その昔、オイラがガキの頃、『仮面ライダー』がTV放映された折、それを観た子供がライダーキックを真似してジャングルジムからダイブして怪我をするなんてのが社会問題になったりもした。
子供の親としては子供がバカな真似をするようなTV番組を批判して排除しようとする。
子供のTVで行われることは自分でも出来るとという無知無能な故の全知全能感は社会経験や慣習による矯正によって補正されていく。
つまり普通の人間は高いところか落ちたら死ぬとか、無闇矢鱈に他人にキックやパンチを浴びせていいものではないということを学んでいくわけだ。
この学びはある意味無知無能な子供だから成り立つものなのだ。
では、だ。
例えば産まれて40年50年経ったような大人が超リアルな大人も信じられるような『仮面ライダー』を観てその真似をしようとした場合、それを誰が咎めることができるだろうか?
この実写版『沈黙の艦隊』は大人にとっての超リアルな『仮面ライダー』になりうる、かもしれない。
本作の主人公である海江田四郎。
コミック版でもそうだが、常に冷静沈着、そしてそのすべてが正しく間違いがない。
全てが、だ。
潜水艦という場というか、戦場で指揮官として兵士をいたずらに死なせないというのは部下から絶大な信頼を得るだろうし、部下からはこの指揮官のためなら死力をつくそうと思うかもしれない。
理想的な指揮官とは如何に兵士を殺さずに作戦を遂行するかということに最大限の知力を使う人のことだろう。
しかしね、残念ながら部下である兵士を一人も死なせずに作戦を遂行できる指揮官などはいない。
どんなに綿密な計画を立てて一人も死なせない事を目標としつつも作戦遂行には最低限の死傷者が出るであろうことは現実である。
戦場の指揮官というのはそのようなリアリズムの累積の上にあるといっていい。
そういう意味では本作で描かれている海江田四郎は完全無欠でまさに神のごとき存在。
部下たちは一切の迷いなく海江田に従っている。
カリスマ性がありなによりも間違いのない指揮官を疑わない。
この手のリアリズムにのっとった戦争モノといわれるジャンルでは適当ではない言葉だが、これは宗教団体と変わらない。
宗教は非科学的であってリアルな戦争モノという本作とは相いれない、ということはないだろう。
だって原作はコミックだし本作は映画だ。
そもそも原子力潜水艦が国家を宣言して対抗勢力を撃破していくなんてのは誇大妄想でしかなかろう。
リアルに見えるような詐術としての演出がなされているだけで本当のリアルではない。
こんな完全無欠な指揮官がいるとか待望するとか冗談じゃない。
『北斗の拳』のケンシロウがどこにもいないようにこの世界に海江田四郎はいないのだ。
コミックやアニメはどんなにリアリティたっぷりに描こうと結局のところ"絵空事"というフィルターがはいるものだが。
それでも本作の連載中に衆議院内閣委員会で国会議員が防衛庁長官に「防衛庁長官はこの(『沈黙の艦隊』)作品はお読みになったことございますか」と質問している。
それこそリアリズムを討議する場で漫画の話題を出してどうするんだ。
作者や出版社は溜飲がさがったろうけど、政治家がコミックを政治の場にわざわざ出すなんて大衆迎合以外の何物でもないと思う。
漫画の政治利用は大反対である。
話を戻す。
有名宗教団体のトップが偽善で通俗的な俗物であるというのが普通だとオイラは知っている。
映画で描かれるような一人クラッシックを聴く完全無欠な指揮官というものにリアリティが感じられないのと同様に、海江田に対して無批判に従っていく潜水艦乗り約70名いるというのが気持ち悪い。
この手の物語の問題はちょっと意気揚々自信満々な人間が最も容易く我こそは海江田四郎なりと嘯いて周りの人間どころか国家をも翻弄しかねないということだ。
『沈黙の艦隊』の海江田四郎は『仮面ライダー』なのだ。
夢や希望や理想を体現したフィクションだ。
真似したり自分こそ海江田四郎的なリーダーシップが取れる人間だ、などというのは思い上がりも甚だしい。
昨今威勢のいい物言いをどんな自信で述べてるかわからような奴らが幅を利かせているようできな臭い。
そういう奴らが『沈黙の艦隊』の海江田四郎を真似て、なんて言い出す世界にゾッとする。
『仮面ライダー』になりたいと思う子供は大人が後頭部をドつけばすむわけであるが、いい歳した大人が自分は『仮面ライダー』であると言い出した場合誰が諌められるのか?
大人は『仮面ライダー』がフィクションであることは知っているが、多少知恵がついた大人だからこそ『沈黙の艦隊』の海江田四郎にリアリティを感じるんだろう。
本作の海江田四郎を完全無欠だと言ったが、過去に一人だけ部下を死なせたことがあることが語られる。
なまじ微妙に人間的な機微を見せちゃってるから始末が悪い。
製作者にとってはこれが海江田という人物が人間であるというリアリティな表現であるというのは分かるんだが・・・。
ちなみに本作、告知はされてないが長い原作漫画の冒頭部分のみの映画化。
北極でのアメリカの潜水艦との戦いもないし、海江田がアメリカに上陸することもない。
続編が作られるか微妙だったからタイトルに『パート1』とかついていないんだろうけど、映画として完結するものを期待していたオイラとしては肩透かしである。
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『アリスとテレスのまぼろし工場』『グランツーリスモ』
http://rts3.exblog.jp/33099815/
2023-09-19T04:24:00+09:00
2023-09-20T15:52:41+09:00
2023-09-20T15:52:41+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
上の奥歯のあたりが腫れているとの指摘を女史から受ける。
いつものように麻酔なしで治療をチラつかせてオイラをビビらせる。
本当に感じ悪い女である(笑)。
先生とカメラ話。
良いレンズを持っているので触らせてもらう。
欲しいなと思いつつもそれを使う機会がなかなか見出せないので手が出せない。
本来今の所故障がないとはいえメインで使っているα7Rは購入から10年。
プロ並みには使ってないもののそれでも10年だ。
あたらしい機種が欲しいところではあるが・・・。
[ソト (SOTO)] 日本製 小型 強力 耐風 バーナー 軽量 コンパクト 普段使い キャンプ ポケトーチ 【PT-14SKCR スケルトン/ PT-14SBCR スケルトンブラック/ PT-14MT Amazon.co.jp限定 モノトーン】
Amazonで購入。
100円ライター使用のバーナーというかトーチ。
毎度父親の墓場で線香に火が点かない問題を解消するために購入。
テストしてみたら風にも負けずにうまい具合に線香に火が点く。
ただこのライターを交換する時に取り外すキャップが非常に硬い。
YouTubeなどでは簡単に取り外しているがオイラの非力さではどうにもならず、マイナスドライバーでほじくって外すことができた。
『去年の雪 』
AmazonでKindle版購入。
寡聞にして知らない作家。
Twitter(当分"X"とは言わない予定w)でサンプルを見て岡田史子について描いてあるのを知って購入。
とはいえ岡田史子を知っているわけではなく、幻の漫画家となっていた岡田について多少なりとも知ろうと思ったからだ。
残念ではあるが岡田も岡田について描いたこの書籍の作者村岡にも興味が持てずに終わった。
『あだち勉物語 ~あだち充を漫画家にした男~(5)』
AmazonでKindle版購入。
この巻からあだち充の快進撃が始まり、赤塚不二夫の漫画家としての凋落が始まる。
このあだち勉というあだち充の兄は他人に言う事は非常に的を射た的確なことを言うんだが、それを自分で実行しない。
それが上から目線で鼻持ちならない風にもなるんだが、それでも漫画家や漫画を見る目は的確なような気もする。
だからあだち勉の近くにいた人は面倒くさくて近づきたくない対象だったのではないだろうか?
こうやって評伝として描かれるとあらゆる意味で良い人に見えるから不思議(笑)。
【Amazon.co.jp限定】心音(しんおん)※映画「アリスとテレスのまぼろし工場」主題歌(CD)(外付け特典:メガジャケ+CDジャケットサイズ・ステッカー)
AmazonでCD購入。
『アリスとテレスのまぼろし工場』の予告編が劇場で流れ、その主題歌がなかなか良くてしかも中島みゆきだったら買うしかないじゃないか(笑)。
後々出るアルバムに入ることを考えればシングルは普段買わないのだが、それでもこの『心音』という曲が非常に良さげに感じた。
この曲に限らず中島みゆきのシングル、ドラマの主題歌などは非常にキャッチーでメジャーな感じが多い。
『アリスとテレスのまぼろし工場』
先週金曜日、109シネマズ菖蒲。
内容全く知らずに予告編の
この食べるカットと中島みゆきの歌唱でハートを持ってかれての鑑賞。
実は途中で不覚にも気絶しかけて世界観が把握できずに観終わってしまった。
どうして製鉄所が爆発したことで世界と隔絶してしまったのか?
五実が狼少女のごとくであったのにラストでそうではなくなったのはなぜなのか?
この辺りってオイラが気絶して把握してないだけで作品内で解決してたんだよね?きっと。
そして本作のタイトルである『アリスとテレスのまぼろし工場』の"アリスとテレス"って言葉遊び以外の意味ってあるのかしらん?
その昔のドラマで『安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜』"安堂ロイド"なんて碌でもない語呂のタイトルと同じ感じか?
本作に"アリストテレス"に関する何かが含まれているとは思えないんだが・・・。
そうだとしたら衒学的で鼻持ちならんなあ。
後は災厄の表現が新海誠の映画のそれっぽいとか。
本作の監督って岡田麿里で前作が『さよならの朝に約束の花をかざろう』って作品を作っていて、それを観たオイラの感想は同じ監督の次作は観ないとブログに書いてあった(笑)。
土日月と三連休だったのでもう一度観ようかとも思ったんだが、再見するなら円盤が出た時でも良いかなとも思い中止。
なんか色々作品への興味はないわけではないのだが、それよりも登場人物が気に入らないというかノイズがすぎるのだ、オイラにとって。
たとえば睦実の義父で製鉄所従業員とかいう男のスピリチュアルというかエキセントリックさが観てて気に入らない。
主人公正宗の同級生とかいう絶対女の子にモテないであろう妙な茶々をいれるデブとかも観ていて痛い。
更に本作は少年少女の恋愛について描きつつも生々しい性欲をも描こうとしているようだが、オイラからすると女性の性欲には踏み込みつつ綺麗に描いていると男のオイラは感じるんだが、それに引き換え男の性欲表現が物足りなさすぎる。
物足りないというか奇麗すぎる。
男のオイラにはこの作品で女性の性欲にどの程度踏み込んでいるのかいないのかわからぬが、有り体に言えば男の勃起を描かなければこの作品にある性というものの表現としては片手落ちに感じる。
男からするとそんな男のドロドロした性欲は観たくはないのが正直なところではあるが、本作を制作したスタッフもそんなものを描きたいとは思わないだろう。
しかし本作の男が本当に綺麗すぎて感情移入ができない。
悩んでることも悩んでる姿も綺麗すぎて、一種の女性から観た理想化された男というもののセーブした表現で終わっているように感じて、作品世界に足りなさを感じざるを得ない。
上図の五実が頬張るチーズの粘りとか、睦実が正宗に自分のスカートをめくって見せるとかをオイラが間近で見せられたら恥も外聞もなく勃起もするしオカズにしてオナニーもするぐらいの事態だ。
それらは女性が自分の性欲の発露で最大限男を誘っている態度ではないのか?
それともアレか劇中であった五実や睦実の行為は男の性欲大爆発ほどではない、まだまだ序の口のことだから男の表現もそれなりにセーブしたということなのか?
どうにもこうにも感情移入が出来ずに理解が及ばない。
再見するかどうなのか微妙な状態。
『グランツーリスモ』
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
実話らしい。
『グランツーリスモ』という日本が産んだ"TVゲーム"。
"TVゲーム"というとバカにした感じになるだろうから"ゲーム"。
しかし『グランツーリスモ』を愛好している人たちはこれを"ゲーム"ではなく"ドライビングシミュレーター"と称しており"ゲーム"などと言うと眉間に皺を寄せる。
そんなの"ロボット"を"モビルスーツ"と言い換えたり"タイガー戦車"を"ティーガー"と言い方の問題で些細なことだろ、と思うのは門外漢のオイラだからなのかもしれん。
しかしねこの映画を観たらそんな拘りをするに値するものなのかもしれないと思い直した。
まずこの"ドライビングシミュレーター"『グランツーリスモ』の産みの親である山内一典をプロの役者に演じさせているが映画に出している。
ここに本作の制作者たちの並々ならぬ熱意を感じた。
全世界で(2018年5月)累計8040万本超の販売数を誇る"ドライビングシミュレーター"がどれだけの人たちに支持され、それを作った人間をどれだけリスペクトしているかわかるってものだ。
この映画ってハリウッドの大予算を使い『第九地区』のニール・ブロムカンプを監督にし、キャストにオーランド・ブルームにデヴィッド・ハーバーという強力な布陣。
同じように全世界でリスペクトされて作られた筈の『ドラゴンボール・エボリューション』のような失敗にはならなかった。
スタッフの作品を作る衝動とか熱意が『グランツーリスモ』と『ドラゴンボール・エボリューション』で同じだとしたら、差は監督の力量の差というところなのかな。
ハリウッドが日本発のものを映画の題材として取り上げる事は少なくないが、それでもどこかその日本発のものは真剣に作ってくれないものなのではないかとなんとなく思っていた。
その点本作はかなり例外なのかなとも思う。
映画の内容は"ドライビングシミュレーター"『グランツーリスモ』で高得点をマークした者を本物のレーシングカーのレーサーにしてしまおうという、冗談のような実話である。
オイラがそんな引きこもりのゲーマーがモノホンのレーシングカーを転がせるはずはないだろうという疑念は実際そうで、劇中でもシムレーサー("ドライビングシミュレーター"のレーサー)はメカニックのオヤジに半笑いでバカにされたりする。
"ドライビングシミュレーター"がどんなに精巧に作られていたとしても実際のレーシングカーのコーナリングの時の遠心力に耐えながらステアリングを操るなんてことはないのだ。
本物のレーサーはだからこそ身体も鍛えなきゃならないし場合によっては体重だってコントロールせなばしなくてはならないことだってある。
ポテチやコーラを飲みながら気楽に仮想空間で車を転がすのとはわけが違う。
しかも"ドライビングシミュレーター"ではどんな無茶をしても死ぬことはない。
だから実際のレーシングカーでは行えないような車の挙動すら"ドライビングシミュレーター"では可能ではあるが、それは実際の車でやったら紙一重で死ぬこともあるのだ。
事程左様にゲーマーをモノホンのレーサーにするなどというのは素人のオイラですらバカげたことだとわかる。
ただゲームが上手ければ本当のレーサーになれる、という仕組みは夢のある話だなとも思う。
開発費に何十億とかかるであろうレーシングカーを素人に預けるなんて博打は普通は打たない。
本作では日産がスポンサーとなってシムレーサーをリアルレーサーにするという取り組みをしていたが、日産とて慈善事業や夢だけでこんなことをしてるわけではないという事が劇中で語られる。
モータースポーツの振興のため、日産の利益の為、シムレーサーの選抜でも成績よりもフォトジェニックな者を選ぼうともしていた。
乗る人間の反射神経など本物のレーシングカーの挙動によって激しく制限されるはずなので"ドライビングシミュレーター"での反射神経の良さは本物のレーシングカーの前では役に立たないと言っていい。
ただリアルレーサーに対してシムレーサーにアドバンテージがあるとしたら、シミュレーションでとはいえ本物のレーサーよりも実際のレースコースを多く体験しているかもしれないという部分だ。
実際のレーシングカーで納得いくまで本物のコースを走り続けるなんてのは不可能だろうからね。
そして実際にこの取り組みでレーサーになった者は好成績を残している。
なにがどううまくいってこんなシムレーサーが本物のレーサーとして大成できたのか、いまだにわからぬがそれが事実だから仕方がない。
本作がまた悪人とか感じ悪い奴が全然出てこないんだよね。
オーランド・ブルームが演じた日産の広報が所謂サラリーマンで嫌な奴かなと思ったら、最終的にはシムレーサーからリアルレーサーになった主人公を心配しているのが分かったりして。
映画としては非常に後味が良くて面白いものであった。]]>
『グッド・オーメンズ』『ザ・ループ TALES FROM THE LOOP』
http://rts3.exblog.jp/33093786/
2023-09-12T16:04:00+09:00
2023-09-12T13:22:38+09:00
2023-09-12T13:20:10+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
久しぶりに病院で予約時間から1時間待たされる。
まあ土曜日だし仕方ない。
患者に対して丁寧に説明をしようとしたら時間がかかるのは当然だと納得している部分ではある。
自分の問診の時だって雑談含めて時間をとって丁寧に対応してくれてたからな。
で、一ヶ月半前の血液検査でのHbA1cの値が7.5。
今回処方してもらった薬を飲んで、更に森永トリプルヨーグルトも飲み続けての検査結果。
HbA1cの値が6.7。
・・・
う〜ん下がってはいるが、トリプルヨーグルトに薬だから4ぐらいになってないかと思ったんだが。
担当医師は血糖値のコントロールが上手くいっていると言っている。
本来HbA1cの値は6が上限であろうと思っていたが、担当医師によれば7を超えると合併症のリスクが高くなるので7以下なら上出来だとのことらしい。
とりあえず次回は11月にに診察なのでその頃にはせめて6を切っていればいいなと思っている。
薬を飲んでも下げ止まりになっていると今度は運動を真剣にやらねばならぬことになる。
それはできれば避けたいね。
現状糖尿病の教育入院はなんとか避けることができたので。
その他、尿酸値が若干高いのでその薬も処方してもらう。
薬代、高いなあ。
撮影画像を画像生成AIでレタッチ素材を作る。
今も昔も現状のAIが人間の脳みそを模した人工知能ではありえないのでインチキだと思ってるし、参照する情報について著作権などの問題も山積しているので、たとえば画像生成AIを使って丸々一つの作品を作るつもりはない。
あくまでも画像レタッチのための素材だ。
例えば履いているサンダルを他の靴に置き換えたいという時に足の部分だけの素材を出すということだ。
一応使ったのは"SeaArt"と"Adobe Firefly"。
"Adobe Firefly"はいまのところ枚数制限なしだが(じきに枚数課金性に移ることが決まっておる)"SeaArt"は1日の枚数が決まっていて試行錯誤するには課金するしかない。
課金してまでなあ、と言う気分と思い通りの画像が生成できるならお金出してもいいかなと思ったり。
"Adobe Firefly"のセミナーを受けた時、Adobeの説明員がやたらと3億点の画像データから生成するって豪語してたけど、3億点って決して多いとは思えない。
ただ"Adobe Firefly"は商業利用が可能なように参照画像が著作権フリーのもの限定となっているのが安心ではあるんだが、その分生成される画像はその他の画像生成AIに比べると見劣りすることがあるんだよね。
『花の雨が降る ROCAエピソード集』
AmazonでKindle版購入。
作品の内容も秀逸なのだが、やはり いしいひさいち の画力が堪能できる。
ロカのこの表情の悩ましい事。
素晴らしいとしか言いようのない描線。
更に本書の最終頁の背景オンリーの
画が圧巻。
すごすぎるとしか言いようがない。
『文藝春秋2023年9月号』『文藝春秋2023年10月号』
AmazonでKindle版購入。
目的は『君たちはどう生きるか』の作画監督を担った本田雄のインタビュー。
とにかくこの『君たちはどう生きるか』の作画に関わったスタッフの証言って先日発売されたSwitch誌と同じで本田雄しかないんだよね。
その他Switch誌ではCV担当のキャストのインタビューと鈴木敏夫と池澤夏樹の分かってるんだかわかってないんだかよくわからん対談ぐらい。
今回の文藝春秋誌の本田のインタビューはこのよくわからない『君たちはどう生きるか』という作品を読み解くためのガイドにするというよりは、本田が宮崎駿にどんな目にあわされたのか(笑)、という興味だったんだよね。
そもそも本田は『シン・エヴァンゲリオン劇場版 EVANGELION:3.0+1.11 THRICE UPON A TIME』の作画監督としての参加が決まっていたところを宮崎駿の泣き落としと鈴木敏夫の暗躍でほぼ無理矢理『君たちはどう生きるか』に引き入れられたようで。
なんか本田も色々可哀そうで、鈴木が庵野秀明に本田をジブリに出向させてくれと頼んだ際、当初こそ庵野は『エヴァ』の制作が始まろうというときに本田を手放すというのは野球でペナントレースが始まる間際に四番打者を取られるようなものだ、と固辞していたらしい。
で、あまりにも鈴木がしつこいもんだから庵野は最終的には本田の意思に任せると言っちゃった。
これってつまり庵野の了解は得た、後は鈴木が本田を説得しさえすれば良いということなのだ。
もうこれで本田のジブリへの移籍は決定したようなものだった。
鈴木も宮崎も恫喝と懐柔によって人を動かすのに長けているわけなので、普通鈴木、いや宮崎駿にお願いされて断れるアニメーターなどいないことを考えれば、庵野の一手は最悪なものだったろう。
これを読んで庵野ってつくづく傲慢なヤツだなと思った。
つまりそれは本田を束縛せずにやりたい方をやらせる懐の広い男、などではなく、おそらく庵野は本田なら迷いなく自分を『エヴァ』を選ぶはずだとタカをくくっていたんではないか?
それが庵野は本田がジブリと『エヴァ』で迷って逡巡している様、迷っているという事実だけで相談にも乗らず引き留めも満足にしないで見切りをつけたようなのだ。
本田もいきなり『エヴァ』関係の会議から締め出され、長年庵野の無茶ぶりに耐えながらやってきた作品から追い出されるような形になったことに精神的に痛手を負ったことは想像に難くない。
庵野って本当に人間関係の機微というものをわかってないな、会社を率いるボスの立場にありながら。
ところで本田と宮崎駿の仕事上の関係だが、あまりピリピリした感じがないように感じた。
『千と千尋の神隠し』時の作画監督 安藤雅司の時のような対立が生まれるような事態にはならなかったようだ。
それはまず宮崎駿が以前の宮崎駿よりも老いからくる性格の丸くなった様だとか、後はこれまで本田とは原画と監督としての付き合いはあったものの、作画監督と監督として深く付き合ったことがなかった所為もあるのだと思う。
対立構造が出るとしたら次作(があれば)からだろうな。
実際本田も宮崎が以前よりも表現を追求する力が衰えているように感じていたようだし、宮崎と本田が対立するようならやはり次作だろうなと思った。
そういう意味ではレジェンドの宮崎駿と一緒に机を並べて仕事をしたというのは得難い経験であるだろうが、仕事的には当初の予定通り『エヴァ』をやってた方がよかったんではないかね。
それどころか『文藝春秋2023年10月号』では『機動戦士ガンダム』の1stと安彦良和について熱く語ってるというか本当に文藝春秋の記事なのか?と思うぐらいアニメ誌に語るようなオタク大爆発な暑苦しい語りをしていて非常に好感が持てた(笑)。
本田雄って宮崎駿よりも安彦良和の方がマッチングするんではないかね。
『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』 のような制作体制なら安彦も多少の無理でアニメーションが作れそうだから、その時には安彦と本田という組み合わせが見れることを期待したい。
『グッド・オーメンズ シーズン1』
『グッド・オーメンズ シーズン2』
Amazonプライムビデオでレンタル視聴。
『グッド・オーメンズ』というタイトルは以前、テリー・ギリアムが映画化しようとしていたらしい話は知っていた。
が、本作はギリアムは関わっていない。
が、オープニングのアニメーションのテイストや本編のヴィジュアルの効果などは紛うことなくテリー・ギリアム、というかモンティ・パイソン。
内容も皮肉が効いた天使と悪魔の物語、これだけでもモンティ・パイソンだよな(笑)。
慣れ親しんだ地球にハルマゲドンを起こさせないために天使と悪魔が結託して世界の破壊を回避させようとする。
このシーズン1が最初から映画の『オーメン』のもろなパロディで(笑)。
人間が信奉している天使や神という存在は人類が思うほどに優しい存在ではないのではないか、とか。
悪魔の悪意は偽悪であり、それが人間の度し難い行いをも許しをあたえるのではないか。
たとえばノアの箱舟の話、ノアの家族と一対の動物たちだけを助けて他は全部、女子供も病人も赤子もすべて助けずに洪水の藻屑にしてしまうというのは神としてどうなのか?
神を信じなくても、信じていない人間も分け隔てなく助けるのが神なのではないか?
こんなアイロニカルというか皮肉が効いた物語だ。
物語としては非常にLGBTに配慮したものであまりヘテロセクシャルなカップリングがない。
辛うじて男と女のカップリングがガブリエルとベルゼブブぐらい。
これも本来的に男と女ののか分らんが(笑)。
本作は『シーズン2』でとりあえず終了しているのだが、その『シーズン2』の最後に天使が非常に最低な事をして終わる。
天使と悪魔が長く共闘してきていながら、天使は悪魔が光の世界、白く濁りのない正しい世界につれていけば悪魔が喜ぶと思うという傲慢さをだしてきた。
分かり合えたと思っていた悪魔の絶望的な気分。
清く正しいだけでは世界は作り出せない。
人間は存在できないというのを悪魔の側から発したという事になる。
色々示唆に富んで非常に面白い作品であった。
『ザ・ループ TALES FROM THE LOOP』
Amazonプライムビデオでレンタル視聴。
一つの世界観、一つの場所で綴られる短編の連作Sci-fi作品。
短編8話の連作でそれぞれ独立した話にはなっているが、各話相互に関連した結びつきがあるように作られている。
これ、非常に面白かった。
特に第一話のヴィジュアル、
バラバラになっていく家屋、氷柱を通す光、
廃屋にそそぐ光と粒子etc・・・。
映像が非常に美しい。
この物語の原作って北欧を舞台にしているようだが、この映像作品の舞台はアメリカ。
やはり北欧の沈まない太陽、夜のこない世界の冷たさがあれば最高だったのにと思った。
映画でいうところの『ドラゴン・タトゥーの女』で描かれたような冷たく透徹な雰囲気こそが本作の物語にあってほしかった。
まあそれは言っても詮無いことではあるんだが、それがなくても傑作であると言える。
役者が子役から成人から老人まですべて完璧で最高の演者達。
オイラとしては『未来世紀ブラジル』の主人公の
ジョナサン・プライスが出ててうれしかったということと、最後のエピソードに出てきた
左の子役の面構えがすばらしい。
ラストカットがこの子役の顔のクローズアップで終わることからしてすばらしさのお墨付きなようなもので。
ちなみに右は最終話の監督をやったジョディ・フォスター。
物語は日常から地続き感のあるものの連作で藤子・F・不二雄のSFのような。
ボーイ・ミーツ・ガールがあり(実はボーイ・ミーツ・ガールではないんだけど)、老いをテーマにしたものあり、映画『転校生』のような入れ替わりがあり、LGBTのテーマがあり、時間が止まる話があり、一つ一つは真新しいテーマではないものの、それらの切り口をアップデートした見せ方をすることで非常に新鮮味のある物語群となっていた。
この作品の円盤(Blu-ray)が出るなら絶対買うんだけどな。
本当に美しい映像にリリカルとも言えるような内容だと思う。
今週末は歯のメンテナンス。]]>
『アステロイド・シティ』
http://rts3.exblog.jp/33088506/
2023-09-04T04:20:00+09:00
2023-09-05T17:10:38+09:00
2023-09-05T17:10:38+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
あぶなく約50リットルで1万円になるところ。
いったいこんな事態、いや、こんな日本に誰がした。
言うまでもないがこんな事態にオイラも加担してきたという自覚はある。
選挙に行かないのがカッコイイと思っていた大馬鹿野郎ですから。
大馬鹿野郎のオイラとて中学の社会科の時間で習ったよ、不景気の時は減税するもんだ、ということを。
逆に今の日本政府は税金上げる政策ばかり。
来月にはインボイスだと。
なにもオイラはクズの集まり国会議員の歳費ほどの給料が欲しいとは言わん。
せめて生活が成り立つ程度の、オイラのお気に入りの魚屋などがつぶれない程度の経済状況を求めているだけだ。
なんか知らず知らずのうちに500mlのペットボトルと思っていたお茶が400ml台のペットボトルに変わっとるがな。
こんだけ多くの国民が苦しんでいるのに減税をしない、関東大震災時に日本人以外の人達を虐殺した事実をなかったことにしようとしたり、第二次大戦時にアジア諸国で行った日本人の蛮行をなかったことにしたり、汚染水を処理水と言い換えたり、神宮外苑の再開発を推し進める都知事とか、直球の増税になるインボイスを推進する、国民の税金でフランス視察という名の旅行をするバカ議員。
こんなバカをする人間を我々の代表とした責任はオイラにもある。
あるのは分かるが、それでも政府与党に与する人間はおいしいおこぼれを貰ってるのか?
前述したがオイラは最低限の生活が成り立てば特別金持ちにならんでもいいわけよ。
良い給料もらってる財務官僚とか国会議員とて彼らが王様でいるにはオイラのような奴隷が必要なわけだよ。
奴隷が生きていられなくなったら王様の生活も成り立たないということがわからんか。
今の政府与党の奴らはバカなのか?
奴隷を生かさず殺さずではなく、完全に殺しにかかってる。
奴隷が死んだら王様とて生きられないという事がわからんほど愚かな奴ら。
こんな杜撰な事をやっているのが今の日本の国民の代表共だ。
□朝鮮人虐殺
関東大震災時のデマ。
朝鮮人が地震に乗じて暴動を起こした、とか、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ、とか。
人間の習性であるのか、それとも日本人の特性なのか、パニックという現象によって頭に血が上って異常心理になって呵責なしに他者を殺す、というだけでなく、非常に嫌なのだがその暴力性が狭い範囲の正義とが自警行為と結びついて正当化されなおかつ殺人が快楽のような酩酊状態を起こして発生した事件だったのではないか。
この朝鮮人虐殺については高校の社会科でも教えられるし、なによりもこれは日本政府も認めてるし公文書としても残っている間違いない事実だ。
それをこの虐殺はなかったことにしようという勢力が出てきた。
過去の話、昔話は時間が経つにつれて当事者が減り伝わっている言葉や記憶は曖昧になっていく。
だからこそ文書として、公文書として残してあるのだ。
上図の田中角栄の言葉は戦争についてだが、昨今の朝鮮人虐殺についても言えることだ。
朝鮮人虐殺について徹底的に教え込まれた世代はそれについて疑いようもないので議論する必要もない。
ただ時間が経ち意図的に朝鮮人虐殺について懐疑的なデマを流すことで事実を歪めようとする。
このデマにさらされた世代が立ち止まらずにそれに乗っていくことに激しく危惧を感じる。
過去の残酷さを直視するのは誰でもつらい。
しかし、直視できないような事態を再び起こさないためにも過去の過ちに蓋をするべきではないのだ。
そしてまさかオイラと同じ世代の人間が朝鮮人虐殺をなかったことにしようとするヤツがいるとは思わなんだ。
先週土曜日、糖尿病の診察、だと思ったら一週間違い(笑)。
今週末であった。
先週土曜日、マッサージに行った。
『健康で文化的な最低限度の生活(12)』
AmazonでKindle版購入。
本作の当初にあったであろう生活保護ネタが時節柄きつくなってきたのか、後半は災害のサバイバルの話になっていて、これはこれで面白そうである。
『昭和天皇物語(13)』
AmazonでKindle版購入。
石原莞爾という人物に興味があるのは安彦良和の『虹色のトロツキー』で知ったからであるが、オイラの場合知識自体が付け焼刃故によくわからない。
好漢であるような気もしつつ満州事変を起こしたことでそれがその後の陸軍軍人たちの悪しき見本になった感は否めない。
本巻では米内光政が出てきた。
かわぐちかいじの『ジパング』に出てきて初めて名前を知った。
どちらかというと『ジパング』で描かれた米内は主人公たちに寄り添う人物として描かれていたが、本書で描かれた米内はやはり軍人らしく悪党に見えた。
生物学者であった昭和天皇が顕微鏡を覗いている画とアジアでの戦闘の画が交互にカットバックする。
なんとなく戦時における昭和天皇の当事者意識の希薄さ、というか、自分の預かり知らぬ事態になっていることへの逃避のようにも感じられる。
そして帝国軍人で五本の指に入るであろう最低最悪な軍人、牟田口廉也が登場。
『3月のライオン 17』
AmazonでKindle版購入。
主人公の桐山が破顔した笑顔はこの単行本の表紙が初めてではないか?
二海堂とともに本当に幸せな顔を拝むことができた。
出来れば桐山も本編でこんな笑顔が見たいぞ。
本巻までの多くが主人公たち以外の棋士たちのサイドストーリーが多めだった。
登場した人物のすべてに物語を作るのか?というぐらいにそのサイドストーリー多めは悪くはないのだが、本筋の物語が停滞気味になりそれはそれでもやもやしていた。
が、本巻になってやっと本筋の桐山と二海堂の暑苦しい対局から。
いや暑苦しいのは二海堂なんだけどそれはその対局を二海堂とのモノローグで描いているから。
二海堂が対局しながらその局面の思いを独白することで桐山がどんな人間なのかが浮かび上がる。
桐山が桐山自身を語るなんてことはできないわけなのでこの作劇の演出は非常に巧い。
緊迫した中での二海堂特有のユーモアを織り交ぜ決して重すぎにならない。
盤面でどんなに過酷な殴り合いをしようとも対局後は清々しい読後となる。
その他川本家長女のあかりの商売っ気のない商売の様を描いていてそれもまた微笑ましい。
本巻川本のじいさんの言葉とナリがカッコイイ。
職人で最後のコマのポーズとかもイカシテル。
『恋人以上友人未満 1』
AmazonでKindle版購入。
Xで(Twitterじゃなくなったんだよな)紹介されていたのに興味が出て購入。
元AV男優とAV女優がお見合いして付き合い始める。
お互いの裸は知ってるけど、それ以外のつまりお互いの裸を知る前に知っとくべき人となりを後回しで知っていく。
なかなか面白そうな話だ。
短編で4巻ぐらいで終わっているのでちょうどいい。
話の展開上二人がセックスするのは最終話になるだろうと予想。
セックスにもつれ込むまでの物語のバリエーションなんてそうそうないし、意味なく引き伸ばすのはこの漫画のアイデアをつまらないものにしかねないからね。
続巻を買う予定。
『アステロイド・シティ』
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
玉砕(笑)。
ウェス・アンダーソンの映画を観て感想を書けば頭良さ気思われるのではないか?という気でいた。
つーかウェス・アンダーソンよく知らないし(笑)。
上図のキービジュアル見てもフランスのBDのようなルックに見える。
なんかヨーロッパ風な雰囲気がちょっと知的かしらと思ってたらウェス・アンダーソン、思い切りアメリカ人でテキサス出身。
もう最初っからズッコケてる。
ただウェス・アンダーソンの『グランド・ブダペスト・ホテル』はBlu-rayを買ってあるんだよな。
購入したのに未見なのだが(笑)。
このようにウェス・アンダーソンの映画って内容云々よりもビジュアルや雰囲気でジャケ買いさせられる感じなんだよな。
で、本作なんだが、もう最初っからうつらうつらしちゃって内容が頭に入ってこない(笑)。
シュールという言葉が相応しいんだろうけど、なにやってんだか最後まで分からず仕舞い。
この映画は静止画を楽しんだ方がオイラには合っていたのかもな。
今週末は糖尿病の治療で病院通い。
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『リボルバー・リリー』『バービー』『SAND LAND』
http://rts3.exblog.jp/33081776/
2023-08-20T11:03:00+09:00
2023-08-27T21:05:55+09:00
2023-08-27T21:05:55+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
一週間に一度文章を書き上げるという気力が乏しくなっている。
この自堕落さはいかんけど文章がなかなか思いつかないと滞るんだが、それでも日にちをあければなんかかけてしまうので、それ故書き上げが繰延になっていく。
悪循環だなあ。
またも長い夏休みだったが、またもダラダラと無為に過ごしてしまった。
休み最終日になってやっと多少やる気になって画像のレタッチなんかをし始めるも、なんで休み中にもっとやらなかったのかと今更後悔。
特に劇場で『SAND LAND』観た後は自分の不甲斐なさに愕然とした。
『SAND LAND』を作った(原作の鳥山明を含めて)人たちは怠惰になりたい気持ちと戦って(そもそもそういう人たちは怠惰になる気持ちはないのかもしれないが)作品を作り上げる。
こう考えると出来たものが傑作であろうが駄作であろうが何かを作り上げた人たちとオイラなどは同じ土俵に立ててすらいない。
2年前ぐらいからの懸念事項だったくるまのタイヤの交換を行う。
一番安いヨコハマタイヤでも12万円。
前買った時は10万円以下だったような気がするんだが・・・。
先々週土曜日歯のメンテナンス。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
相変わらず健康面でマウントを取られる。
先生からソール・ライターのお高い写真集をいただく。
渋谷でやっている写真展に行ってきたらしい。
なんだかんだ言って写真にかなり貪欲な先生だと思う。
先週土曜日ヘアカット。
担当美容師に直接言われたことではなかったのでオイラも言い淀んでいた、彼の娘さんの話。
担当美容師はオイラに直接言ったと思っていたらしいが娘さんがいることをオイラはInstagramで知ったのだ。
微笑ましい父娘のInstagram色々ほっこりしていたのだが、なんとなく本人から娘さんの話を聞いていなかったのでこっちは話せずにいてそれがやっと解禁になった気分でうれしいものである。
『ザ・ファブル The second contact(8)』
AmazonでKindle版購入。
『The second contact』終了まであと一巻。
思えばこの章ってファブル達のだいたい半径500m圏内での出来事だったよな。
出来事自体は非日常とはいえ、平穏に見える日常に隠れた些細な暴力性というのが大きな事態になるというリアリティが感じられた。
いずれ抗争になるにしても本章の最初の火種はクロの些細なケンカからだった。
『ROCA: 吉川ロカ ストーリーライブ』
AmazonでKindle版購入。
分かってはいたが いしいひさいち の画の巧さに呆気に取られて脱帽せざるを得ない。
この『ロカ』という作品を知ったのは
『いしいひさいち 仁義なきお笑い』というムックで とり・みき が いしいひさいち が描いたロカという女の子がいかにセクシーに描かれているかを語っていたのだ。
とり・みき わざわざ模写までして描いたロカはたしかに自分の思い描いていた いしいひさいち タッチとは明らかに異質で失礼ながらこんなセクシーな女の子も描けるのか?という驚きであった。
ただこの『ロカ』という作品がどの単行本に収録されているか分からず途方に暮れていたらこのほど『ロカ』だけを抜粋した本が刊行され速攻で購入。
作風は既刊のいしい作品同様シニカルでクールなものであるが主人公のロカの
女子高生バージョンと
歌手として歌っているバージョンの画が全く違う(笑)。
このギャップがすごい。
その全く違うという画をこんなにも魅力的に描けるというのが今更ながら驚いたのだ。
このファイティングポーズのリアリティ。
すごすぎる。
いしいの画の巧さは知ってはいたがポーズの取り方や骨格の描き方をデフォルメしつつリアルにここまで描けるとは思わなかった。
オイラにもどこか4コマ漫画だから画なんてテキトーでいいんだろうぐらいに思っていたのが恥ずかしい。
画として真似してみたいようなタッチであった。
そしてこのロカという女の子の歌手を今を生きる人としてではなく
かつていた人として描くことで実在感が増し、さみしさというか郷愁を感じさせる。
今更ながら いしいひさいち すげえ。
『SWITCH Vol.41 No.9 特集 ジブリをめぐる冒険』
Amazonで書籍購入。
スタジオジブリ、というか宮崎駿が公開前も後も『君たちはどう生きるか』について何も語らないもんだから、公開当初は皆確信が持てずにおっかなびっくりでSNSなどで語っていたものの、いまでは皆開き直って結構色々語るようになった。
そもそも一月もすれば所謂アニメ誌"アニメージュ"とか"ニュータイプ"などで特集が組まれると思いきやそんなことにもなっていないよう。
特に徳間書店の"アニメージュ"は特集やるだろと思っていたがそんなこともなく(笑)。
しかも遅れて発売された映画のパンフは聞くところによると内容スカスカなものであるらしい。
買う価値がないと。
考えてみれば作った本人が作品の解説をするなんておかしな話で、宮崎駿も常々言っていることだが自分の言いたいことは作品にあるってことで、観ればわかる、後は観客次第、というのは、まあその通りなんだけど、みんながみんな宮崎駿ほどの教養人ではないのでわからんところもあるものだ。
分からないものをそのままにしたくない人は意味を知りたくなる。
手っ取り早いのが作った人に解説してもらうということなんだけど、これって作った人間にとっては苦行だよな。
作った人間は観た人間が理解できると思って作った挙句に理解できなかったと言われるのは結構きついことだよなとは思う。
だからオイラなどは自分のない頭で考えても分からない場合は、自分が信頼できるなと思っている評論家の解説なんかを聞く。
それで自分では見てなかった角度での作品解説を読んで理解の手がかりにする。
面白いものでどんな評論家の言葉であっても完全同意というものは少なくてあっちの解説こっちの評論家の言葉、と、情報がパッチワークのように自分の頭の中に形成されていく。
で、満を持して件の"SITCH"誌で最初のと言っていいだろう『君たちはどう生きるか』の特集が組まれた。
以前ならこの手の宮崎駿やジブリの特集だと渋谷陽一の"CUT"誌の独壇場だったんだけど、なんかあったのか?
とまあ邪推はありつつも件の"SITCH"誌は主に鈴木敏夫のインタビューと作画監督の本田雄のインタビュー。
宮崎駿のインタビューはない。
鈴木敏夫のインタビューは結構長そうなのでまだ読んでいない。
それよりも本田雄のインタビューに興味があった。
庵野秀明の『エヴァ』の劇場版を袖にしてまで参加した『君たちはどう生きるか』についての語りに興味があったのだ。
それを通じて宮崎駿と関係がこじれていてた安藤雅司とのエピソードなどもあり結構微笑ましいものを聞いた感じではあった。
『アンメット(12) ーある脳外科医の日記ー』
AmazonでKindle版購入。
病院の生臭い話があり、その中での正義感の通し方などが非常に心地よい。
障害者対策というものの難しさ、オイラ自身も敬遠していた問題が突きつけられる。
『リエゾン(14) ーこどものこころ診療所ー』
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本作で扱われている児童養護施設。
自分の中でも偏見があると自覚した。
本作を読みつつその偏見を少しでも是正したいと切に思っている。
どうしたらいいか?
●山本二三 死去
2023年8月19日。
胃がんで70歳で死去との報。
山本二三の仕事は神々しいとしか言いようがない。
どれが好きかと特定するのもおこがましいのだが、一番最初の衝撃は『天空の城 ラピュタ』の冒頭のシーン。
断崖のような雲の間を進むタイガーモス号のカット。
これを劇場で観た時の衝撃は今でも忘れない。
雲の果てしない立体感というか本当にスクリーンが凹んでいるかのような錯覚。
これオイラだけでなく劇場で観た人の多くはひっくり返ってた。
わざわざ口に出して「すごい立体感」とつぶやいた観客もいたんだから。
ただこの衝撃は劇場のスクリーンではないと十全に味わえない。
後々TVで観たら変わらず立体感は出ているものの、劇場で観た時の衝撃までは感じられなかった。
絵筆で描いたものがここまで立体的に見えた衝撃を体験できたことのなんと幸せな事か。
山本二三のエピソードは色々ある。
例えば上図の画は『名探偵ホームズ』のものだ。
壁紙に注目すると単なるストライプではなく間に四葉のクローバーのような意匠が描かれている。
これ、この画一枚なら良いけどこの部屋が出るときには必ずこの四葉のクローバーを描かなければならないことの面倒くささ。
アニメーションで背景を描く人だって枚数を描かなければお金にならないのは言うまでもない。
それこそ背景の上にキャラクターのセルがのれば壁紙が単なるストライプだろうが気にする人はそうはいないはずなのだ。
しかし山本二三は製作上自分で自分の首を絞めることになってもそれを止めなかった。
手を抜く、妥協をすることで残るであろう作品に後悔を残したくない。
もっと言えば観ている観客が壁紙のクローバーに気が付いてくれるかもしれないという希望。
これはおそらく山本の苦労をわかってほしいというものではなく、その壁紙に気が付いた時に作品がリッチに見えて観客が喜んでくれるだろうという希望だと思う。
同じく『名探偵ホームズ』で精密に描いたロンドンの街並みに霧の都を表現するのに水を含んだ刷毛で描いた街並みをぼやかす。
どうせぼかすならそんなに精密に描かなくても、と言われても、自分はこういう描き方しかできないからとつぶやいたとか。
職人のはた迷惑さは十分に分かるが、山本のように半歩でも自分の理想ににじり寄る努力や意思というものは尊重するというか尊重して然るべきだとも思う。
今回山本の事を書くにあたって、若いときの画像を掲載したかった。
あまりないんだけどなんとか一つ見つけた。
70歳なんてまだまだ早いよ。
ほんとうにまだまだ才能ある作家と組んで作品を観たかった。
いつも思うけど「死んでまえ」と思うようなヤツは長生きで、なぜこの人がという人が早世してしまうのを理不尽としか言いようがない。
心を豊かにしてくれる作品を作ってくださった感謝と心よりのご冥福をお祈りいたします。
『リボルバー・リリー』
ネタバレあります。
8月12日。
109シネマズ菖蒲。
ガンアクション、綾瀬はるか、行定勲、第二次大戦前の軍部、etc・・・。
自分としては興味のあるトピックス満載で期待していた。
特に綾瀬はるかの格闘のアクションはよかった。
特にパンチを繰り出す時の腕の引き具合がすごくよかったと思う。
が、オイラの観た印象としては期待していたもの以上の余計なものが入っていたり、期待していたものが抜けていたりとした作品となった。
荒唐無稽な設定の中でぎりぎりリアリティを保っていたと思ったが、オカルトの要素は全く余計であったと思わざるを得ない。
期待していて抜けていたもので言えばヴィジュアルに官能性が乏しくて残念に思った。
主にライティングとか構図なんだけどね。
やっぱり撮影監督次第なのかなあ。
それと抜けていたものの最たるものが佐藤二朗の扱い。
佐藤の役所の落とし前が致命的についていない。
綾瀬はるかとその息子の感情的な繋がりがとぼしい。
これはオイラの主観であるが綾瀬はるかの髪型がいまいち好きになれなかった。
全体の世界観はオイラの好みではあるんだが・・・。
『バービー』
8月12日。
109シネマズ菖蒲。
皮肉が効いていて非常に面白かった。
冒頭の某超有名なSci-Fi映画のパロディからハートを鷲掴み。
この映画バービーというおもちゃにある程度知見があって尚且つそのおもちゃが発売された時の時勢や会社のことなどを知っていた方が面白さがわかる。
全体がピンクの画面でおちゃらけていると思ったら大間違い。
かなり硬派な作りになっている。
初見でわからなかったところはいつものように
BLACKHOLEの面々に解説してもらって理解できた。
特に最後のショットがわからなかったのを明快に解説して理解できた。
Blu-rayを買うつもりなので再見がすごく楽しみである。
『SAND LAND』
先々週土曜日、109シネマズ菖蒲。
予告編を観て楽しみでしょうがなかった作品。
アニメの『ドラゴンボール』は観ていないので面白さは分からぬが、この『SAND LAND』は原作を読んで知っており、鳥山のミリタリー趣味が出ていて非常に面白く感じていたのだ。
戦車と銃器が非常に魅力的に描かれていて、今回の映画を観るまで忘れていたのだが、劇中で戦車の内が非常にうるさい(駆動音から銃弾が当たる音の響きで)という描写はすでに原作でもなされていた。
本当は悪魔のようなクリーチャーではなく全部人間のキャラクターの物語が良いなとは思っていたが、鳥山ほどの絵描だともう人間なんて造作もなく描けてしまうので退屈でつまらないのだろうな。
オイラとしては1981年の『週刊少年ジャンプ』の愛読者賞1位となった
『POLA&ROID』ようなキャラクターの造形ならもっと感情移入できたと思うんだが・・・言っても詮ないことだ。
とにかく本作の劇場版映画、文句なしに面白い。
どのくらい面白いかと言えば、『君たちはどう生きるか』を観て人生の悩みを持たざるを得ないような強要される映画よりも、その昔宮崎駿がやっていたような漫画映画の心意気が本作には備わっていると思う。
劇中で出てくるメカは鳥山のテイストそのもので柔らかくリアルだ。
鳥山メカが動くという醍醐味が十全に楽しめたと言える。
ハリウッド映画での映画化で原作者の意に沿わない作品を作られたが、その雪辱を日本のアニメで晴らしたというのは痛快であったろう。
本作アニメーションなので原画がありアニメーターが画を描いてもいたが動きをモーションキャプチャーをガイドにもしているようだ。
しかもこれまでのモーションキャプチャーを使った多くのアニメってモーションキャプチャーの動きを全て使っていたから余計な予備動作まで入っていて非常に鬱陶しい。
モーションキャプチャーでアニメーションをすると実写以上に動きが強調されるせいか採取した動きを全部無編集に使うと見づらいということがあるんだと思う。
その点本作はモーションキャプチャーでの自然で整理された動きのみを編集して使っていた所為かリアルでありながら動きが整理されていて非常に良かった。
モーションキャプチャーは便利で精密であるからその動き全部使えば良い動きになるということはないのだと思う。
適切に見せたいポイントに絞ることで動きに力感が出るんだと思う。
そういう意味では本作の動きはアニメーションの動きの楽しさもあった。
物語自体も原作を適切にアレンジしているのも好感が持てるし、演出家は良い仕事をしていると感じた。
キャラクター・ヴォイスでは主人公のベルゼブブの声の
田村睦心が良かった。
オイラの中でこの人といえば『映像研には手を出すな!』の
金森サンなわけだが、この声とも違う非常に手練れの声優だと改めて納得した。
非常に魅力的。
更に観ている時は気がつかなかったのだが、劇中でてくる脇のキャラというか憎めない悪役の
スイマーズのパパ役が杉田智和。
そういうもんなの?
杉田ほどの役者が主役でない役を?
まさかこのスイマーズのパパを杉田に当て書きしたとは思えないので、更にまさかの杉田がオーディションでこの役取ったということか?
すげえな杉田。
役への貪欲さというかすげえ役者だよ。
とまあ、かなり大絶賛だが、劇中ちょっとふざけすぎて周りのトーンに合ってない演出もあるがそれは目を瞑る。
とにかく大満足。
これは蛇足なんだが原作者が本作を描いた当時も、多分この劇場版を作ったスタッフもさほど意識はしていなかったと思うのでオイラの勝手な解釈ではあるんだが、この映画の物語って国王が水を管理していてそれを国民に高値で売りつけるという事をやってるわけ。
で、オイラはこの件を観て真っ先に
この左端のバカ様の顔とやろうと目論んでいる所業を既視として感じたよ。
宮崎駿が言うように"時代の子"としてのアニメーションは何かしらその時代を写すものだと言う事なのかなと納得した次第。
これもBlu-rayが楽しみ。
気に入ったので久々にパンフも買ってしまったしね。
今週末は糖尿病の検診。
一月以上血糖値を下げる薬を飲んでどれほど下がったか楽しみではある。
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『映像研には手を出すな!(8)』『壬生義士伝 13』『白竜HADOU 34 白竜HADOU』『銃声 (OTOMO THE COMPLETE WORKS)』
http://rts3.exblog.jp/33054840/
2023-07-23T20:30:00+09:00
2023-07-29T13:19:15+09:00
2023-07-29T13:19:15+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
会社の診療所で紹介状を書いてもらったので逃げられない、とはいえ、以前紹介状を書いてもらった挙句バックれたことがある(笑)。
ただ今回は自分としても自覚症状があったので真剣に向き合わざるを得ないと観念した次第。
会社の診療所ではオイラの糖尿病に対する舐めた態度を危惧して教育入院なるものを提案していた。
で、白岡中央総合病院の担当してくれた医師なんだが初老の非常に穏やかな医師で今までのオイラを診てくれた医師たちの脅しにかかるような感じではなく、非常に穏やかに現状の説明をする感じ。
これまでの医師は割と素人の患者に対してマウント取りたいんじゃないの?という圧は感じていた。
別にだからと言って嫌な気分にばかりなったわけではないんだが、それこそいろんな医師がいるし、脅しのように聞こえる言葉も患者に少しでも危機感を与えて治療を始めてもらいたいということからということもあるのでそれらを一緒くたに聞いてて気分悪、感じ悪、という風には思っていない。
白岡中央総合病院の医師も紹介状の今年の3月のHbA1cの結果"9"(適正値の上限は"6")や3年前の数値の"13"などを見て、教育入院やむなしという方向であったし、オイラも教育入院するなら受け入れようという気にもなっていた。
で、その白岡中央総合病院で当日血液検査と尿検査をしてみたならば、HbA1cの値が7.5。
これは白岡中央総合病院の医師も驚いたがオイラも驚いた。
なんとなくだが
行きつけの歯科医院の美形で剽軽で感じの悪いドS歯科衛生士女史に勧められていた森永乳業 トリプルヨーグルト砂糖不使用 ドリンクタイプを継続して飲んでいる所為で年々血糖値やHbA1cが下がっていたんではないかと思っている。
ここ二、三年でHbA1cが下がった理由が見つからないのだ。
オイラのやっていたなんちゃって糖質制限だけでは血糖値は減らないが、件の飲み物のおかげでHbA1cが改善していると考えられる。
白岡中央総合病院の医師も三ヶ月で"7.5"まで下がっているとは思わず、下がって理由を聞いてきたところ、とりあえず件の飲み物の話はした。
オイラももしかしたら"9"から"8"ぐらいには下がっているかも、と思っていたらそれ以上に下がっていた。
なのでとりあえず教育入院の件は保留となり投薬で様子見となることになった。
真面目に薬を飲みつつ件のトリプルヨーグルトも継続するつもりである。
先週土曜日、マッサージ2時間半。
■PC-E Micro NIKKOR 85mm f/2.8D
久々にカメラにバッテリーの炎を入れたところか、件のレンズを久々に引っ張り出した。
なぜかというと会社で使うCGのテクスチャーを無償で撮影してやったのだ(笑)。
会社はまったく誉めないだろうけどな。
別に良い。
自分のためにやったと思う。
何をしたかというとMacBookのキーボードの部分をテクスチャとして高解像度の画像データが欲しかったからだ。
で、1stショット
これはコシナが作った名レンズCarl Zeiss Makro-Planar T* 2/50。
通常のマクロ撮影もポートレイト撮影もオイラ好みの描写をしてくれる無敵のレンズ、なのだが、画像の右下に大きく影が出ている。
これは背後からのライトによって落ちた撮影しているカメラの影なんだよね。
通常撮影するには理屈的にこうなってしまうんだがオイラにはPC-E Micro NIKKOR 85mm f/2.8Dという比較的特殊なレンズがある。
これで撮影すると
影がなくなる。
画像処理などしていない。
不思議だ(笑)。
このレンズの不思議さを説明するのは面倒なので割愛する。
が、オイラがこのレンズの特殊性を意識したのはアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』で真正面から水面を写しているのにカメラが写ってないという当時信じられないような描写があったのだ。
当然だが昨今では水面を真正面から写そうが面倒さと予算を厭わなければCGでのポスト処理でなんでもできる。
しかし、そんな処理ができるとも思われなかったフィルムでの撮影時での事で非常に驚いたものだ。
最初のCarl Zeiss Makro-Planar T* 2/50。で撮影した画像もPhotoshopで画像処理して影を消すことはできるが、はっきり言ってめんどくさい。
1時間も頑張ればできないことないんだけど、それがめんどくさい。
しかしそんなデジタルで処理しなくても撮影時になんとかできる方法があるなら使わない手はないわけだ(笑)。
『映像研には手を出すな!(8)』
AmazonでKindle版購入。
毎度この作品を読んで思う。
オイラがこの作品の登場人物たちのように頭が良くて論理的に正しく主張ができるようなガキだったら・・・。
大人の理不尽相手に戦うのはシンドイわけだが、堂々と渡り合える言葉と勇気がガキの頃にあったなら。
そんな思いで本作を読んでいてなすことができなかった事の正解の言葉を知る事でせいせいとした気分になっていられる。
『壬生義士伝 13』
AmazonでKindle版購入。
本巻で最終巻。
作者の後書きで本作が売れてないという嘆きの言葉を作者が言っていた。
ながやす巧ほどの作家が経済的な憂いがあるなんて間違っている。
クール・ジャパンとやらの眼は節穴であるらしい。
ながやす巧に少なくとも経済的な憂いがないように国が保護すれば日本って国も捨てたもんじゃないと国内外から称賛されるぞ。
そういうのがわからん奴らがやってるのがクール・ジャパン。
とにかく長丁場の作品の完結を労いたい。
『白竜HADOU 34 白竜HADOU』
AmazonでKindle版購入。
食品会社の新章なのだが白竜抜きで状況の説明だけが進んでいく。
『白竜』の『ゴルゴ13』化が進んでおる(笑)。
それでも面白さは担保されるんだけどね。
『銃声 (OTOMO THE COMPLETE WORKS)』
書店で書籍購入。
甘く見ていた。
大友克洋って超若いとき(高校生ぐらい?)からマンガが上手かったことがこの全集の第一巻を読んで明らかになった。
画もそうだが物語の作り方もすごく上手い。
これだけマンガが上手いからか単行本の『BOOGIE WOOGIE WALTZ』の頃のようなよくわからない話を作ったり明確なオチを作らなかったりと、とにかく"普通"さに飽きちゃったのかもしれんな。
頭がいいのも考えものである。
オイラとしては画も物語も『BOOGIE WOOGIE WALTZ』の頃は楽しめずにいるんだが。
『Fire-Ball (OTOMO THE COMPLETE WORKS)』
書店で書籍購入。
この巻に入ってる作品はすでに既読。
お布施のつもりでの購入である。
前述したが『BOOGIE WOOGIE WALTZ』以降のこのころからの画や物語は共感もできて今でも好きだし面白いと感じる。
『童夢』や『アキラ』に繋がる画ではあると思う。
ところで『アキラ』思い出したが、この全集で映画『アキラ』のレイアウトと複製セルがが同梱したものが発売されていたんだが、オイラ以外の人たちは興味あるんだね。
オイラは全く興味がわかなくて購入しなかった。
映画にもなったし時間もたって今更こんな単なる映画製作の素材を出してうれしいか?というのがオイラの率直な感想。
完成品は映画であるべきで作品として語られるのも映画本編であるべきだと思うんだがな。
レイアウトもセルも映画になる前段のもので、完成された映画があるのにその素材を作品扱いする気には全くならない。
それでも映画公開直後なら興味も沸いたろうが、本当に今更?という感じ。
あんな埃が降り積もったようなものを出すぐらいなら今回の『銃声 (OTOMO THE COMPLETE WORKS)』と『Fire-Ball (OTOMO THE COMPLETE WORKS)』をさっさと出してもらいたかった。
その他まだまだ単行本未収録の作品があるんだから、そっちの方がオイラは興味がある。
実際あの『アキラ』のレイアウトと複製セルの全集が出ちゃった為にマンガの方の全集が遅れたんだろうしね。
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『君たちはどう生きるか』
http://rts3.exblog.jp/33044104/
2023-07-17T14:38:00+09:00
2023-07-23T20:08:24+09:00
2023-07-17T14:38:08+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
小さいゴミのようなものが右目の中で浮遊しているのは20代からあってそれは当時眼科に行った時に「気にしないで生活しなさい」程度。
オイラも問題なければと気にしないでいたら本当に気にならずにいれたんだが、最近この飛蚊症が小さなゴミから糸くずというか毛糸が丸まったようなものが眼に現れ始め多少びびる。
で、会社の診療所の眼科で診察してもらったところ、以前先日の親指巻き爪の時と同じで診察してくれた先生に
「糖尿病ですか?」
と、ダイレクトに言われ
「いや、血糖値が多少高いけど一応年々解消の方向でして」
と抗弁。
はっきりお医者の先生は糖尿病という言われたくないパワーワードを容赦なく仰ってくる(笑)。
会社の健康診断の血糖値やHba1cの結果を見つつ先生からマイルドに説教。
あなたが思っている以上に結構深刻な事態ですよ、と脅される。
一応年単位で血糖値やHba1cや血圧や体重も高値安定ながら下がってきてはいるんだが、それぐらいでは間に合わない瀬戸際に来ているようだ。
地元の眼科の総合病院の紹介状を書いてもらいつつ、その延長でその病院で治療を始めた方がいい旨を説諭される。
はぁ〜、オイラも薬での治療をなんとか回避しようとしていたんだがもうこれが潮時かなと思うようにはなった。
このブログの盟友であったchataさんにも親身に色々言われ続けそれでもそれに従わなかったツケを払わなかうてはならなくなった。
色々思うと足の痺れとか浮腫とか便秘、そして飛蚊症って全部血糖値問題からの可能性が多いと今更ながら納得せざるを得なくなった。
で、先週土曜日紹介状書いてもらった総合病院に行ったら眼科は土曜日はやってないとのこと。
平日に通院できないから手軽に地元の総合病院なら眼科から内科への治療を受ける手立てができるとの目論見が崩れる。
試しにもう一つ地元の総合病院でその昔無茶苦茶評判の悪いところに土曜日の眼科の診察はやっていますか?と聞いたらそこでも土曜日は眼科はやってないと。
なんだなんだ?
総合病院の眼科は一律土曜日休みという規約でもあるのか?
とりあえず来週また会社の診療所に行き今度は内科系の紹介状を書いてもらって血糖値の治療、いや糖尿病の治療に真剣に向き合うつもりである。
先週土曜日、歯のメンテナンス。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
女史に前述した眼科の顛末について愚痴る。
女史も総合病院の眼科がことごとく土曜日休みなのに驚く。
総合病院ではなく町のクリニックとか診療所でもいいんじゃないか?とも言われたが総合病院だと眼科から内科系の血糖値や高血圧の診察への移行が簡単にいきそうな感じがしたので一緒の方が良いというのと、大きい病院だと眼の特殊な検査機械なんかもあるのでと紹介状を書いてくれた会社の診療所の医師に言われてもいた。
ちなみに眼を酷使する筈の歯医者さんをやっていながら女史も先生も飛蚊症にはなっていないとのこと。
羨ましい。
先生に
シグマ35mm F1.2 DG DNを触らせてもらう。
この F1.2という深度の浅さは驚異的。
50mm好きで35mmは苦手としてきたんだが、なんか使いやすそうに感じる。
それは多分AFが付いていて手ブレ補正もあるので手持ちでもいけそうだということなんだが。
大口径レンズを開放でブラさず手持ちで撮れたらそれは良いとは思うんだが、このレンズそのものが結構な重量なんだよね。
三脚を使いつつ臨機応変に手持ちでも信頼度があれば文句はない。
文句はないが現状今オイラが撮影のモチベーションが限りなくゼロになっているのが問題で(笑)、このレンズを買ったところで使うのか怪しい。
とは言いつつもこのレンズ結構コスパに優れていて、これだけのレンズが15万円ぐらいで買えてしまうのは驚異的な安さだとは思っている。
でもお金は大事だしね。
悩みどころである。
『君たちはどう生きるか』
多少ネタバレありなのでまったく情報を入れたくない方は読まないでください。
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
IMAX版鑑賞。
・・・
公開前まで上図のビジュアルのみでほぼ情報なしの宮崎駿の新作映画。
このある種贅沢で暴挙とも言えるような情報を一切流さない公開方法は言うまでもなく宮崎の新作映画だから可能だったと言って良い。
これまでの宮崎アニメのヒットとか面白さが担保されてのことだ。
そして当然の如く都心の映画館では終日満員だったとか。
埼玉県のオイラの地元の映画館でも土曜日の最終、レイトショーでは7割ぐらいの入りであったと思う。
しっかしこの映画、映画評論家泣かせだよな。
マスコミ向けの試写会もやってないようだし、事前情報を自分の評論なりのガイドに使うこともできず。
理解するには身銭を切って映画を何度か観ないといかんだろうからね。
感想を話すにしても評論するにしても宮崎駿をだけでなく製作者達からの情報も皆無なので自分たちの言葉の正しさの拠り所がないので言葉に詰まるだろう。
そもそも昨今の評論は作られた作品だけではなくその作られた時代背景や製作者の心情なども加味しないと厚みのある言葉が紡げないということはある。
そして今、オイラもそうだがこの厄介な宮崎駿の作品がどんな見方をしてしかるべきか?というのを猛烈に欲している。
製作者たちはもちろん観た側のそれぞれの解釈で楽しんでもらえれば、などとは言うだろうが、それでもオイラは一定の正解が欲しいのだ。
自分の見方は正しかったのかどうなのか?
製作者たちが必ずしも正しい解釈のもとに作品を作ったかどうかというのはある。
それでも、それならそれとしてどんな考えをもとに作品を作っていたのかを知りたいのだ、特にオイラのような一本筋の通った面倒臭いオタクとしては(笑)。
現状YouTubeでは感想や評論が出てはいて、その中には感心するものもあるが自分としてはまだ足りない。
映画のパンフも関連書籍も出ていない。
この手の情報の飢餓感で映画の興行を煽ってるとも言えなくないが、オイラはこの映画を複数回観たいとは思っていない。
今後はまず宮崎駿の絵コンテ集を読むのと、もしかしたらBlu-rayを購入して再見するかもね?という程度。
一応自分の感想を言っておくと内容面は理解が及んでいないかもしれないので置いておくが、作画面は見るべきところは当然の如く多いのだが例えば『天空の城 ラピュタ』の頃とかに比べると宮崎駿のアニメーションとしては圧倒的に目減りしている。
絵の動き自体は相当にすごいものだ。
冒頭の空襲時の全部が歪んだように動く作画やその他様々な所作や自転車で引っ張る人力車の重量の移動による傾きの表現などは呆れるほどに感動した。
これは指示を出した演出の力もさることながらこれを達成した個々のアニメーターの力量の賜物であると言える。
オイラが物足りないと感じたのは画面の構成力だ。
『天空の城 ラピュタ』の頃と比べるのは酷というものだというのは分かる。
宮崎駿だって歳をとっているのだ。
それでも鈴木敏夫が新作は冒険活劇だなんだと煽り情報を一切出さずにもったいつけていればもしかしたら『天空の城 ラピュタ』の頃の宮崎駿復活、と期待する。
『天空の城 ラピュタ』の頃にあった舞台設定の巧みさ、高低差つけた位置関係による眩むような表現とか、構図と動きによる官能性が本作には足りてないと思った。
はっきり言えばこの作品で情報を外に出さないというような仰々しいことをするほどのこともないよなと思う。
アニメーションの動きに関しては『シン・エヴァンゲリオン劇場版 EVANGELION:3.0+1.11 THRICE UPON A TIME』をやらずに本作に力を傾注した本田雄や以前のジブリのアニメーターが参加しているのでレベルが高いのは当たり前だとも思える。
所謂レイアウトというものを創出する粘りが宮崎駿には無くなっていたという残念な確認であった。
それでも他のアニメ作品よりは見応えのある画面構成や動きは約束されている。
特にメインヴィジュアルにあったアオサギをはじめとした鳥の動きなどは素晴らしいとは感じた。
エンドクレジットを観てたら思いのほか原画のアニメーターの数が少なく感じた。
少数精鋭としたのか?
その分というか動画の人数はかなり多いと感じた。
この映画の制作に6〜7年かかってるようだけど、かかりすぎではないのかね?
少数の優秀なアニメーターを囲い込んで時間をかけて作ったというのは褒め言葉になるのかもしれんが、それも映像のアイデアが『天空の城 ラピュタ』のレベルで本作のようなアニメーターと時間と金を使っていたとしたら。
金と時間をかけた割には、というのがオイラの現状の感想ではある。
オイラとしては仰々しくならず上図のような内容とか多砲塔戦車の物語を時間をかけて丹念に作ってくれたらよかったかな。
宮崎駿的には今更なテーマかもしれんがこれを待っている観客を多いと思う。
最後に優秀なアニメーターや同僚の色指定の人などが鬼籍に入っていたり、ジブリの解散で元のスタッフを従前に使えないなどのことがありながら最後まで作り切ったことには感心した。
偉そうだが(笑)。
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『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』
http://rts3.exblog.jp/33022638/
2023-07-02T17:43:00+09:00
2023-07-04T15:20:52+09:00
2023-07-04T15:20:52+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
女史の健康診断の結果が出て結局血圧以外は良好な(血圧だってたいしたことない)結果だった、と。
ついでに骨密度まで良好であったとホクホクしていてイラっとしたりムカついたりした(笑)。
先生とカメラの雑談。
相変わらず撮影のモチベーションが二人ともあがらないというボヤき。
それでもオイラに関して言えば撮影可能な女性がいればいつでも撮影する気になるので勝ち負けで言ったらオイラの勝ちであろうと思う(笑)。
●足の親指の巻き爪問題(笑)。
以前からオイラの足指の爪は色々問題があって大変だったんだが、とうとう先週右足の親指の左端の爪が鋭く足指に突き刺さるという事態となり、それが膿んだりして病院通い。
先週は会社側から下らない残業時間で詰められて16時で帰宅することになったのでそれを使って飯田橋の皮膚科に三回通う。
一回目は様子見で抗生物質と塗り薬をもらい、二回目は患部の足指に麻酔の注射をされつつ問題の爪を切っていくという卒倒しそうなことをすることに(笑)。
まず麻酔の注射を指に打つんだが、事前に「痛いですよ」と告知されていてこれまでオイラも足指に注射なんてされたことなどない未体験ゾーン。
思わず「痛くしないで」とか「やさしくして」などと口走りそうになるが注射してくれるのがこれまた美形な女性の医師だったために見栄を張らざるを得なくなり口をへの字に結ぶことに。
が、意に反して注射が全く痛くない。
全く感じないということではなくチクチクとかはするが飛び上がるほど痛いわけではない。
これをいつもの美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に言ったところ「あなたは変態だからうれしいんでしょ」と言われた。
馬鹿言ってんじゃねーよ、初めて針を刺される部位にに緊張してるのに嬉しがる要素などないわドアホ。
注射をしてくれた美形な女史もオイラがあまり痛がったりしないので不審に思い
「痛くないんですか」と、問われ、
「思ってるほど痛くないんで先生の注射が上手いのかなと思いまして」
などと言ったら先生おもむろに
「もしかしたら糖尿病だったりしますか?」
などと思いっきり突かれたくない確信をついてきやがって
「い、いや糖尿病というよりも血糖値が多少高めではあります」
としどろもどろになりながら抗弁。
「足を注射して痛くないのは高血糖とか糖尿病の痺れで末梢神経がおかしくなっている可能性があるのでちゃんと治療しましょう。傷の治りにも関係しますので」
と、どきどきすることをおっしゃる。
いや一時に高かった血糖値も二年かけて徐々に低くなってきているのでこれでいけば来年の血糖値はさらに低くなることは考えられるのです、と声にならない言葉で抗弁した。
で、治療の結果膿んでいた足指の腫れも完全に引いて、抗生物質も飲みきり後は傷跡の多少の痛みが引けば前と同じだ。
今後は爪の切り方を今まで以上に丁寧にせねばならんだろうな。
便秘が治らない。
先週の抗生物質の所為なのかコーラックを飲んでも便秘が解消せず。
薬剤師さんに抗生物質を飲むと下剤が効きにくくなりますか?と聞いてみたがそんなことはないとの回答。
さらに腹筋が弱くなったせいか踏ん張りが効かなくて難儀する。
■車の不調
またも車の不調。
エンジン回りで色々交換して10万円。
先週はエンストするかと思うぐらい咳き込むは、初めてインジケーターでエンジンマークが光ったのを見たよ。
一気筒死んでて電装系のトラブルとのことであった。
ディーラーで修理してもらった。
1時間半ほどディーラーにいたが車を買えとの営業トークが今回は無くてよかった。
『スコセッシ論!#1 タクシードライバーに至るスコセッシ創世記篇 高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホーク』
高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホークのこの三人の洞察力の凄まじさに空いた口が塞がらない。
それともオイラが映画の読解力が足らないのか?
いや、足らないのは否定しない。
この三人の鼎談での『タクシードライバー』は1:28:15から。
これ結構目から鱗だったのよ。
オイラは素直にロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィス・ビックルはベトナム帰還兵でPTSDで不眠症で多少精神がおかしくなったヤツと認識していたが、高橋ヨシキは本作を
「観れば観るほど信用できない語り手の映画」
「狂人の主観で語られる映画」
そして高橋はあの後半のクライマックスの殴り込みのシーン、実はなんにも起きてない可能性があるとまで言っていた。
これ、確かに本当に言われてみればそうなんだよな。
トラヴィスがタクシー会社のボスに話す件で、自分はベトナム帰還兵で海兵隊で名誉除隊だと自己紹介するもタクシー会社のボスも海兵隊だと聞いた瞬間に態度がよそよそしくなる、とか。
例えばこのカットできているジャケットはオイラも買ったよ(笑)M65フィールドジャケットという海兵隊も着ていた野戦服だけど、冒頭のタクシー会社で着ていたのは
タンカージャケットという戦車兵のものなんだよね。
こうやってみると今まで認識していたトラヴィス・ビックル像がブレ始める(笑)。
つまりトラヴィスというのは虚言癖のあるちょっと精神的にチャレンジングなレイシストだということになる。
なんかこれまでも頭おかしいと思いつつもデ・ニーロとスコセッシのおかげでこのトラヴィスという男に好感をもっていたんだが・・・。
確かに最後の売春宿の殴り込みもトラヴィスの妄想だと考えることもできる。
あんだけ人殺しといて(少女を助けるという名目があったにしても)あっという間に娑婆に出てきて大怪我の傷も癒えていて社会復帰しているというのは考えてみればおかしい。
やっぱり一つの映画の多面性というものをずっと考えるべきだなと感じた次第。
高橋ヨシキ+柳下毅一郎+てらさわホークの鼎談は非常に有意義で興味深い示唆に富んでいたと思う。
『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』
ネタバレあります。
先週土曜日、109シネマズ菖蒲。
IMAX 字幕版鑑賞。
高校時代からの『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』からワクワクが始まった『インディ・ジョーンズ』シリーズも本作で終了とのこと。
冒険活劇というものを新しい形で提示してくれた『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』だが当時から例えば潜水艦の外側のどこにしがみつけば安全に潜水艦と一緒に移動できるのか?潜航したら確実にインディ溺れると思うんだが、という宮崎駿の指摘とか、オイラも冒頭のアヴァンでインディは複座の飛行艇で脱出したけど、その前に従者として後二人いたけど彼らの脱出の席は最初から考えてなかったのか?とか活劇に説得力を持たせなければならんところがかなり行き当たりばったりすぎてもやもやしたりとかはあるにはあったんだが、それでも考古学者というアカデミックな人間が己の知力と体術で困難を超えていく様は興味深く面白かったのだ。
二作目の『魔宮の伝説』以外は敵がナチスとなり勧善懲悪的な快感は最高なものとなったと思う。
しかし前作の『クリスタル・スカルの王国』で大いに色々がっかりして、もう『インディ・ジョーンズ』は時代じゃないんだな、と納得したりもした。
が、現金なものでやっぱり『インディ・ジョーンズ』の新作となれば期待もするしワクワクもする。
ただ本作はスティーヴン・スピルバーグから監督変更というか交代したというのが懸念事項ではあったんだが、交代した監督が『LOGAN/ローガン』とか『フォードvsフェラーリ』のジェームズ・マンゴールドだったので懸念はすぐに杞憂になったと言っていい。
ジェームズ・マンゴールドだったら間違いない、と思っちゃったんだよね。
はっきり言おう、『インディ』はもう時代ではないとはっきりした。
だから面白くなかった。
今後も作ったら観ちゃうから作らないでもらいたいよ(笑)。
インディ・ジョーンズが力を持てたのは第二次大戦前までで、つまり不思議なものが不思議なものとして成立していた時代までなのだ。
『最後の聖戦』までの三部作で終了であってそれ以降の年代にはインディ・ジョーンズが活躍できる鉱脈はない。
アーク《聖櫃》やシャンカラストーンや聖杯などが物語の強大な力を持つアイテムとして出てきたが、それも原子爆弾なるものが出てきた瞬間に無力なものとなった。
前作の『クリスタル・スカルの王国』で箱詰めにされていたからアーク《聖櫃》がむき出しになっても何も起こらない。
どんな世界の不思議な力も原子爆弾で一掃されてしまった。
そんな気分は本作でもあって『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の頃はDr.インディアナ・ジョーンズの考古学教室は人気講座であったであろうが戦後の1969年となっては多くの学生は興味を示さなくなっている。
過去の遺物よりもアメリカはアポロ計画の月面着陸を成功させたことに夢中になっている時代。
Dr.インディアナ・ジョーンズもまったく覇気のない男に成り下がっていた。
制作者たちも分かっているのだ。
戦後の科学が万能と思い込まされている時代にインディアナ・ジョーンズの居場所はないという事を。
制作者達はそれを踏まえてもインディを輝かせることはできると思ったんだろうな。
だから続編を作ったんだと信じたい。
行き当たりばったりでこれまで楽しませてくれたヒーローを担ぎ上げたとは思いたくない。
しかし、目論見は崩れ去っていたと言っていい。
まずインディ役のハリソン・フォードが歳を取り過ぎた。
インディ・ジョーンズが痛い目にあいながら身体を動かすことで世界が動き出す醍醐味の筈だった。
御年80歳だものね。
無茶じゃなくてもアクション自体を本人がこなすには難しいお歳頃。
本作冒頭の第二次大戦中のドイツでのシークエンス。
若いインディが出てくるんだが、これ演技自体は現在のハリソン・フォードが行いつつ顔はILMのアーカイブから若いころの顔を抽出して合成しているという触れ込み。
だが冒頭のシークエンス、結構アクションしてるんだよねインディ。
だから実はアクションもハリソン・フォード以外のスタントダブルがやってたんではないか?
今回インディと帯同するヒロインが
フィービー・ウォーラー=ブリッジという女優扮するヘレナ・ショーなんだけど結構アクション出来る人なんだよね。
だからこのヘレナが爆撃機に連れ去らわれたインディを救出するために雨の中バイクを走らせ爆撃機の着陸ギアに飛び乗って機内に潜り込み、最終的にインディを救出するっていうのをやるんだけど、これこれまでを考えれば役割が逆だよね。
インディがバイクに乗ってヒロインを助けるとこじゃないのか?
男女同権の立場に立てばいつも助けられる女性というのは問題かもしれんが、それでもインディはエスコートヒーローだ。
それがみんなのアコガレ、インディ・ジョーンズだ、それでこそだ。
もうインディは、ハリソン・フォードはそんなアクションができないんだよね。
そしてインディ達は劇中で荒唐無稽な事態になってアルキメデスの時代にタイムスリップしちゃうんだよね。
で、インディ、このアルキメデスの時代に残りたいっていうんだ。
そりゃそうだよな。
その気持ち痛いほどわかる。
この紀元前212年にアルキメデスと一緒にとどまれれば残りの余生を自分の考古学的な知的好奇心で満たすことができる。
現代の現実に帰れば前作で結婚した古女房とは離婚係争中で、一人息子は多分死んだんだろう。
大学教授としては明らかにロートルとなり自分の居場所が明らかにないのにそんだ現実の現代に帰ってどうなるんだ?とオイラも思う。
が、このフィービー・ウォーラー=ブリッジがインディをぶん殴ってほぼむりくり現実の現代に連れ帰っちゃうんだよね。
これは本当にインディの幸せだとか物語の顛末だとかを考えても紀元前212年のアリストテレスの時代に居るべきだったと思うよ。
その後の本作の顛末は離婚係争中だった古女房が帰ってきてめでたしめでたし風なんだけどオイラはまったく目出たいと思えない。
どう考えても古女房のマリオンと生活するよりもアルキメデスと一緒にいた方がエキサイティングだったはずだ。
それを強引にめでたしにしたとしか思えない。
本作の冒険の顛末が別れかけていた古女房との余生を手に入れた、ってんじゃ割に合わんと思うけどね。
スティーヴン・スピルバーグが『007』のような映画を作りたいという発想からこの『インディ・ジョーンズ』は生まれたわけだ。
『007』は最新兵器が似合うアクション映画であったが、逆に『インディ・ジョーンズ』は新しいガジェットが全く似合わない作品だったと思う。
だからインディが活躍できた時代というのも本当に短い期間だったんだと思う。
人間が不思議なものを不思議なものとして認識できていた時代というのも実はかなり短かったのかもしれないなと思う次第。
もうインディは作らんでいいぞ(笑)。
でも作られたら観ちゃうと思うけど(笑)。
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『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 Case.2 First Guardian Case.3 恩讐の彼方に』』
http://rts3.exblog.jp/33001156/
2023-06-13T19:56:00+09:00
2023-06-20T08:01:32+09:00
2023-06-16T07:07:47+09:00
16mm
映画・Blu-ray・DVDの感想など。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
歯石はあまりついていないと言いつつガリガリとこそぎ落としてくれている。
健康診断で血圧が高いと弱気になっているものの、オイラより大分低い値なのでイラっとする(笑)。
オイラと同じで血糖値や血圧に不安を抱えつつも甘いものは止められないという業をもつ女史(笑)。
それでもオイラはかなり甘味を控えるようにはなったかな。
先生とカメラの話。
ライカQ3はカッコイイよねという話題。
写真を撮るモチベーションを新しいカメラを買うことで復活させようという考えのオイラと先生。
が、二人とも新しいカメラを買ってもモチベーションは一時しのぎであるということも知っているので最終的には一歩が踏み出せない。
オイラとてカメラを購入して借金持ちになるのは考えものだしね。
『ザイム真理教』
AmazonでKindle版購入。
Twitterのお勧めにあったので購入。
まだ読み始めだが非常に分かりやすく読みやすい。
今更この手の経済学に興味が出てくるのなら大学時代にもっとまじめに学問に向き合えばよかったと若干後悔しているが、こういうのって歳を経ないと興味が出てこないということもあるよな、と思う。
『ある裁判の戦記』
AmazonでKindle版購入。
著者が竹田恒泰と裁判をしていてその費用をクラウドファンディングで集めていたのは知っていたが、今更だがそれに協力しなかったのをはげしく後悔している。
この本を買ったのはせめて著作を購入してその後悔をある程度払拭したいという気持ちもあるが、それよりもやはりこの裁判の顛末に興味があったからという方が正しい。
本書山崎と竹田の裁判の顛末の話ではあるんだが、これまで裁判に関わったりましてや被告になったことのないオイラなどからすると色々興味深い内容であった。
例えば裁判で負けた方が勝った方の裁判費用、主に弁護士費用などだと思うが、負担するという事になっているのだが、それが全額ではなく二万数千円だとのこと。
全額ではないんだ、という驚きと、本書でも書かれていたが裁判に負けた場合のダメージを考えて訴訟を見送らなくてはならないケースを出てくることを考えるとあまりの高額化は考えものだともいえる。
弁護士の費用の例として弁護士に依頼すると着手金が44万円。
仮に竹田が提訴を見送っても相手側の要求額の減額分16%を弁護士に支払う。
つまりこの裁判で竹田が山崎に起こした要求額が500万円なので減額分は80万円となり竹田が提訴を見送っても山崎は120万円を超える出費を求められることになる。
弁護士の仕事やその専門性を考えれば妥当な金額かもしれないが、オイラに翻って見れば山崎同様にその金額に眩暈を覚えて頭を抱えるだろう。
自分は間違っていないという自信があったとしても裁判は何が起こるかわからない。
自分に正当性があったとしても負けることがある。
負けた上に経済的なダメージというのは本当に痛い。
ここに竹田が山崎に言っていた
「貴殿は私の訴訟に耐えられるかな?」
という言葉の真意がある。
つまり竹田は訴訟を起こすことで山崎に経済的なダメージを与える恐怖を感じさせ言葉を封殺し謝罪させることが目的なのだ。
はっきり言って竹田にとっては裁判の勝ち負けすら問題ではないのだ。
だから山崎が後述する内田樹と相談して裁判費用をクラウドファンディングで集めたことに対してく竹田は山崎を口汚く罵ったのだ。
竹田の目論見が崩れたからだ。
経済的ダメージを感じさせて山崎に謝罪をさせるということが出来ずに裁判になることを恐れていたのは言うまでもなく竹田の方だったのだ。
これが本書でも言われている「スラップ訴訟」というものなのだ。
そもそも事の発端はある地方の教育委員会が竹田に中高生向けの講演を企画したという事について山崎が竹田を
「人権侵害の常習犯の差別主義者」
と、論評したことを名誉棄損だと竹田が提訴したことである。
どこぞの教育委員会はどういう了見で竹田を講演者として招聘したのだろうか?
おそらくTwitterのような情報源をまったく参考にせず竹田恒泰が明治天皇の玄孫という肩書に目を奪われたか?
由緒正しき人と思ったんだろうね。
正確には由緒正しいがレイシストというのが竹田恒泰という人物なのだがね。
オイラのような人間ですら竹田恒泰のような人間に中高生に対して講演させる教育関係者がいるとは夢にも思わなかった。
非常に公共性の高い講演でなおかつまだ成人すらしていない中高生にレイシストのど真ん中を行く竹田に講演させるなど正気を疑うレベル。
なので山崎の竹田に対する「人権侵害の常習犯の差別主義者」というのはまっとうな意見でしかないと思っていた。
レイシストに対してレイシストと批判して何が悪い?
しかし、竹田自身は自分をレイシストだと微塵も思っていなかったのではないか?
というよりは韓国を差別することは差別に値しないとでも思っていたのであろう。
韓国人だって個人レベルで自分と合う合わない人はいるだろう。
それはいい。
しかしそれを一般化して十把一絡げで民族全体を差別的に扱うのは大問題だ。
竹田がやっているのはそういうことだ。
『「ある裁判の戦記」を読む かもがわブックレット』
AmazonでKindle版購入。
この山崎 雅弘と竹田恒泰との裁判での内田樹の関りは、山崎の「人権侵害の常習犯の差別主義者」という竹田に対する言葉を内田がそれをTwitterでリツイートしたら竹田から自分を名誉棄損したツイートをリツイートした人に対しても訴訟をするという「訴訟の脅し」がきたことで山崎と内田が共闘した形となった。
文中で山崎 雅弘も言っているがこの問題、そもそも裁判沙汰にするようなことではなく、お互い文筆家同士、お互いの言葉で論争をすればいいだけの話だ。
山崎や竹田の名前なら紙面を提供してくれる出版社はありそうだし、なければTwitter上で論争してくれればいいだけだ。
この竹田の鼻持ちならないところは自分の正当性というものを明治天皇の玄孫という権威で担保しようとしているところだ。
裁判の訴状に竹田には
"原告は、作家で明治天皇の玄孫にあたり"
という一文があったという。
竹田恒泰が明治天皇の玄孫であるというのは単なる事実でしかなく、では裁判になったら訴状には必ず当人の出自が書かれなくてはならないのか?
そんなことあるはずがない。
竹田は明治天皇の玄孫という虎の威をわざわざ表明することで裁判が有利になると信じたからにほかならない。
裁判官が竹田に恐れをなすとでも考えたのだろう。
なんたって明治天皇の玄孫だからね。
だから竹田という男は法治国家での法やその裁判制度が肩書で左右される程度のものと高を括って軽く見ていたんではあるまいか。
通常考えるなら裁判は何が起こるかわからない。
それこそ山崎に正当性があったとしても負ける可能性は0ではないのだ。
それを謙虚に考えていれば己が権威と考えて崇拝しているであろう天皇の名前を出したうえで裁判に負けたら、それこそ天皇制自体に泥を塗りかねないと考えなかったか。
考えなかったんだろうね。
それほど竹田は自分の明治天皇の玄孫という立場を強い権威だと、もっと言えば裁判程度で負けるような権威ではないと信じていたんだろうな。
そういう竹田の態度はこの裁判を担当した裁判官にもわかるものだろう。
判決は山崎の竹田に対する「差別主義者を差別主義者と言っても名誉棄損にはならない」ということだ。
山崎の言葉は合理的な論評であると裁判所が認めたということなのだ。
もっと言えば裁判所は被告の山崎よりも原告であった竹田を差別主義者として認定し裁いたと言っていい。
様々な裁判で不信感があることもあったがこの裁判においては裁判官に正当性とか正義という差別を憎む心情を感じて胸熱になったよ。
竹田の行った悪辣かつ稚拙なスラップ訴訟はまさに財政・組織・人材などで優位に立つ側が、表現の自由で保障されている意見表明行為(集会、デモ、記事)に対して名誉棄損などを主張して多額の賠償金を請求するというそのまんまなものだ。
内田樹は
「本当の目的は言論活動を委縮させるいわばどう喝。さらに、潜在的な発言もためらわせる。訴訟の勝敗にこだわっていない点も悪質だ」
裁判所はこの不正義の事柄に意見表明をして鉄槌を下したと思っている。
『のボルダ 3巻』
AmazonでKindle版購入。
ボルダリングには多少興味があるものの近くにジムがあるわけではないので自分でやる機会はない。
単に鬼頭莫宏の漫画を見捨てられずにいるので購入しているにすぎない。
いずれまた『なるたる』や『ぼくらの』のような漫画を描いてくれるんじゃないかという期待。
本作のような趣味的な蘊蓄満載の漫画がきらいなのではなく、『のりりん』のような感じになってもらいたくないという願いではある。
『安彦良和 マイ・バック・ページズ 『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』編』
AmazonでKindle版購入。
この本はすでに書籍として持っていて
直筆サイン本を購入していたのだ。
しかしこんなお宝を通常の読書でヨレヨレにするのは忍び難く、電書が出ると知っていたので内容は電書で読むと決めて封印していた。
結局電書が出るまで三か月待つことになったわけだが、出てよかった。
やっと内容が楽しめると思った。
前作の『安彦良和 マイ・バック・ページズ』同様、気合の入ったコアな安彦良和ファンのオイラとしては安彦の人となりや仕事への姿勢などの情報はうれしい限りである。
更に本作は 『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の製作スタッフから見た安彦の情報もあるし、翻って安彦がスタッフをどう見ているか、対人対スタッフに対する考え方なども知ることができた。
本当にこれらの本は安彦良和ファンの為の至れり尽くせりの情報に溢れている。
共著になっている構成やインタビューを担当したであろう石井 誠 の痒いところに手が届くいていていいんだが、あのなんていうの、劇中でコアブースターに載ったスレッガーが操縦するジムがコミカルに大破するところはやりすぎで作中のシリアスなトーンに合わない、という突っ込みは入れてほしかったけど、そう思ってるのはオイラだけなのだろうか?(笑)。
安彦って読み手の考えとは別に自信満々で作中のトーンに合わないことをたまにするからなあ(笑)。
コミックの『天の血脈』のラストみたいな(笑)。
まあとにかく読み応えのある本であったのは間違いないところであった。
『詩歌川百景(3)』
AmazonでKindle版購入。
『BANANA FISH』や『YASHA-夜叉-』で吉田秋生のファンとなったオイラとしてはこれまでのように地方都市での生活の物語がなんとなく物足りないと思っていたんだが、実際はそんなことはなかった。
特に本巻を読むと会話の応酬がスピーディでスリリングなアクションのように感じられた。
本当に上手い描き手なら会話だけでもまったく退屈しないものだと思った。
舞台となっているこの田舎街でも"ポリコレ"という言葉がでてきて、自己啓発セミナーに引っかかる人がいたり、と、偏見ではあるがこの街にそういうものがが相応しくないなと感じつつも、否が応にもそれらを意識して警戒しなくては生きづらくなってきているのがヒシヒシと感じられる。
作中に出てくるデブでコンプレックスの塊のような光司というキャラクター。
実際ひどいヤツだとは思うんだが光司が作中にあるような考えにいたる気持ちはオイラにもわかる。
多分作者の吉田も光司の悪意は肯定しなくても理解はしてるんだろうなと感じる。
吉田は『BANANA FISH』でも、特にクライマックスでもアッシュを殺した男に対しても肯定せずとも理解のある描き方をしていたと思っている。
人間の信条ってのは一筋縄ではいかないという事を吉田の漫画を読んで感じるところである。
『GENIC|【完全保存版】知ることは次の扉を開くこと ~撮影と表現のQ&A~ vol.67』
書店で書籍購入。
表紙の副題である"~撮影と表現のQ&A~"が興味深くて久々に書籍購入。
本書は電書がでてないからだ。
写真家やカメラマンだけでなく撮影を趣味にしているタレントなども加わって"~撮影と表現のQ&A~"が構成されている。
技術論的なものではなく割と撮影やカメラに対する心情的な想いが多いんだけど、最近撮影のモチベーションが下がっているオイラにはこうした他のカメラマンの言葉が必要だと感じたのだ。
これまでオイラはあまり他のカメラマンの心情など興味がなかったんだが、そういう言葉が必要な時もあるんだなと感じた。
『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰』
『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.2 First Guardian』
『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.3 恩讐の彼方に』
Amazonプライムビデオでレンタル視聴。
この『Sinners of the System』の三作は『PSYCHO-PASS サイコパス 第1期』なみに面白く満足できた。
なんかこの三作がダメ押しとなって霜月美佳の禊が済まされたような気がするんだが、だったらなんで『PSYCHO-PASS サイコパス 第2期』であんな展開になったのか?
同じ霜月美佳とは思えないんだよなオイラとしては。
まあはねっ返りで思慮の足りなさは相変わらずではあるんだが、それでも『PSYCHO-PASS サイコパス 第2期』の霜月はやりすぎだったと思っている。
これはおそらく制作側の問題だとおもうんだけどね。
さて次は問題の『PSYCHO-PASS サイコパス 3』シリーズである(笑)。
『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』と時系列をわざとテレコにしたためによくわからんんことになっていたアレである(笑)。
テレコにするなら『PSYCHO-PASS サイコパス 3』公開後すぐに『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』をやるべきだったよな。
細かいところ忘れちゃってるからこうしてこの『 PSYCHO-PASS サイコパス』シリーズを最初から観直しているんだから。
まあそれでなくても色々忘れていたので再見は意味があったと言える。
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