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無念、スコセッシ

このブログで「アカデミー賞無理とちゃう」と書いていた、ジェイミー・フォックスが主演男優賞か。
むう。オイラに見る目がないっちゅう事が明らかになりましたな。トホホ。
モーガン・フリーマンの助演男優賞はまったく文句はない。遅すぎたぐらいである。
......
それにしてもスコセッシ、残念だなあ。イーストウッドも良い映画たくさん作ってるし、今度の映画も間違いはないんだろうけど、それにしてもスコセッシTT

ヒッチッコックも無冠らしいし、キューブリックも監督賞はとってないわけだし、取らないで無冠である事の方が箔がつくってもんかもしれん。

アカデミー賞のビデオは今度の休みにゆっくり観る事にしよう。

ああ、それにしてもスコセッシ......TT
by 16mm | 2005-02-28 23:43 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(6)

『解夏』

今週土曜は『ローレライ』を観に行くとして、次の土曜日は『ロング・エンゲージメント』である。久しぶりに映画の週イチペースになる。更に一週おいて『アビエイター』も公開される。
DVDも観たいものはあるのだが、一週間レンタルになっていないので我慢しているものもある。『下妻物語』、『リディック』。『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還/エクステンデッド・エディション』などは4時間を超えるので内容的にも時間的にも一日で観るのはキツイ。更にレンタルしたDVDは最低2回は観る貧乏症なので一週間レンタルになってからにすることにする。

『解夏』をDVDレンタルで観た。
タイトルの『げげ』という音が好きになれなくて観るのを躊躇っていたのだ。
なんでもアルファベットやカタカナにすれば良いと言うわけではないが、漢字になると、日本のどうにもならないような暗くて重い土着なものを引きずり初めて鬱陶しくなってくる。私が観ないから、ということもあるが、内容はともかく(観てないから)予備知識なしに『半落ち』なんてタイトルの映画を積極的に観ようとは思わんのである。
案の定というか、劇中で"解夏"の意味を解説していたが、これがなんともわざわざ説明をする為のシーンであるのが見え見えである上に、この"解夏"という言葉が上手く機能しているとは思えなかったのだ。
主人公が失明をするまでを"行"と称し、失明した瞬間にその"行"(恐怖)からは解放される。
解放される日を"解夏"と呼ぶらしい。
眼が見えなくなれば、見えなくなる恐怖はなくなるだろうが、現実的な恐怖というものはそれからも続くのである。
仕事はどうする。親の面倒はetc......。
その辺りを逸らして支えあう男女のラブストーリーというものとしては、そこそこ上手くまとまっていると言えよう。
失明の恐怖を象徴的に夢で表現したり、建物内をやや暗く重く描写するなど映像は工夫してるぢゃん、とエラそうに思ったりした。
自分は、仕事でも趣味でもパソコンを使っているわけで、かなり眼を酷使しているのは間違いないので、失明の恐怖というのは人並み以上にあるので結構身につまされた。
ある意味以前観た『ジョゼと虎と魚たち』との比較をしてしまった。両方とも身体の一部を損傷している人物が主人公であり、『解夏』の方はその相方を生涯支えていこうとし、『ジョゼと虎と魚たち』は途中で支えるのを止めてしまう話と言える。観ているオイラとしては『解夏』の方が楽観的ではあっても映画の終わりにくるハッピーエンドの方が居心地が良かったのは言うまでもない。
が、『ジョゼと虎と魚たち』のように独りで力強く生きていいく決心をする映画の方がある意味前向きかもしれん。
わかりませんけどw

明日はアカデミー賞の発表である。友達と受賞を予想したコバクチをしているのだが、いいかげんスコセッシに取ってもらいたいものだ、監督賞。
by 16mm | 2005-02-27 21:41 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(4)

思考がロックする

近道を歩きたがる人々1

当方頭が弱いので論点がズレてしまっているかもしれませんがご容赦の程。

極論であるが、日本人において「恥の意識」と礼節さえ備わっていれば、取り立ててモノを考えなくてもいいのではないか?と私は思っています。

「恥の意識」と礼節を知る事は、最低限他人にあまり迷惑をかけないで生きていこうという事の意識化である。
人が共生して生きて行く上での最低限の部分さえもっていればそれ以上の事を無理に考える必要があるのだろうか?
あるかもしれないが、皆が皆それなりにモノを考えている社会になったら、お気楽に生きていけないだろうなと自堕落な私は思うのである。
そういう意味で私は考える力より、「恥の意識」と礼節を意識する事の方が大事だと考える。
それさえできていれば、後は本を読もうが映画を観ようが有名な絵画に触れようが、ゲームをしようが、それらに極端にのめり込んでも各々の趣味の問題である。
つまり、ごく一部であろうネットワークゲームのプレイヤーの程度の低さなどは単なる礼節の欠如であり、本を読む読まないとは関係ないのだと考える。
むしろゲームを取ったらかなりキケンなゾーンのバカなんてのもいそうだ。
社会で何か問題がおこると、その時代で最も力を持っていて、つけ込むスキのあるメディアが生け贄の羊にされてしまうのは世の常であり、今はゲームがその役を担っているのだと思う。
迷惑な程やたらと社会正義とやらに燃えている大人に限って、「貴重な時間をゲームで潰して云々」などという言い方をするが、ではその貴重な時間とやらを何をして潰せば有意義なのか具体的に言ってみろと言いたい。
本ばかり読んで引きこもって、人生について考え過ぎて悲観して道連れに殺人をおこす可能性だって人間にはある。
ゲームに考える力を養う事ができないとするならば、読書でそれができるなんてのは幻想でしかないと私は思う。
それこそ入試をゲームごときと同じにみるなと言うなら、私はゲームを入試ごときと一緒にするなと言い返すだろう。
ゲーム、映画、小説等に力があるとすれば、ある人間にモノを考える切っ掛けを与えるという程度にすぎない。
そして、それらに触れる事によって得られるものというのは必ずあると信じている。
ゲームだけをやってたってモノを考える奴は考える。
人を殺すようなヤツは何を見ても、見なくてもコロスのである。

思考力というのは訓練によって獲得できるという事に異論はありません。
ただ、それは人生を楽しく生きれるかも知れない為の道具、おまけみたいなもので、身に付けたい者のみが身につければ良いのだと思う。

「恥の意識」と礼節というのは言うまでもなく、しつけの問題である。
そして、更に問題なのは「恥の意識」と礼節と、そして思考力の落ちている私のような世代の人間が親になって、その子供が成長しつつあるという事実だ。
by 16mm | 2005-02-23 13:27 | 閑話 | Trackback | Comments(1)

『21グラム』

自分の前から天使が一人いなくなってしまった。
......
別に失恋の話ではないよ(笑)自分に対するメモです。

そんな自分の生活の機微に呼応しているわけではないが、ここずっと桜 玉吉さんの本を片っ端から買っては読みしている。
不覚にもこの人の絵の上手さを読み始めて分かった次第。

『21グラム』をDVDレンタルで観た。
すごい。傑作。
手持ちカメラ(だと思われる。スティディカムを使って意図的に揺らす事もできるから)と粒子の粗い映像にすっかり引き込まれてしまった。思えばDVD買って売っちゃったけど、ベニチオ・デル・トロが出てた『トラフィック』もそんな荒れた映像だったな。
物語の時間軸が行きつ戻りつし、そのフラッシュバックの様に物語の途中途中で挿入されるエピソードは観ている者に結末の暗さを暗示させ、それを刷り込んでいく。
しかし物語の結末は決して暗いものではなく、かといって明るいものでもなく......が、ある種の「希望」を描いていた、と思う。こう思うの楽観的すぎるであろうか。
役者陣もショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ、シャルロット・ゲーンズブールとある意味超豪華。
ナオミ・ワッツ。セックスシーンがあるから、というわけではないが(多少あるが(笑))、いっぱいいっぱいながらも力演と言えよう。ショーン・ペンとのセックスシーンでは眼の縁に涙を溜めてたように見えたのがすごくリアル。
ベニチオ・デル・トロの子供役の男の子がまた上手い。ベニチオ・デル・トロに頭を張られて立たされる時に後頭部を触る仕草がリアルで自然。役者の層厚さがわかるというものだ。
出ている役者全てが名演。役者の演技に酸欠になるような気分になったのは初めてかもしれん。
しばらくしたらDVD、買っちゃいそう(笑)

DVDを買うと言えば。買おうかどうか迷ってた『12モンキーズ』が3月下旬にレーザーディスクで別売りされてたメイキングを同梱して再発売されるようだ。今まで出ていたのを買わなくてよかった〜(笑)
同じように『マイノリティリポート』も最初に発売されたDVDにはメイキングが付いていたようだが、再販されている今のDVDにはついていないようだ。
今日、最初に発売されたDVDの中古を見つけたのだが......スピルバーグだからなあ、後々メイキングてんこ盛りで更に再販されそうだなと思い買うのを止めた(笑)
by 16mm | 2005-02-20 22:39 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(3) | Comments(4)

『ボーン・アイデンティティー』『Juvenile』

先週から調子の悪かった肩の痛みがやっとこ消えて来た。昨日は右腕までビリビリと痛かったのだが。
結局原因は肩こりなのだろうか?まだちょっとギリギリするが、痛みのピークの時よりはマシというものだ。
今はエレキバンを肩に貼っている。

『ボーン・アイデンティティー』をレンタルDVDで観る。
この手のスパイアクションものは、世界が"冷戦"と言われていた時から散々観てきたので取り立てての感想はない。DVDをかけッパにしてダラダラ観るには退屈はしなかったなと思う。
簡単だがそんだけの感想しか浮かびませんでした。

『Juvenile』。ジュブナイルと読む。レンタルビデオで観た。DVDが置いてなかったのだから仕方がない。
しばしば役者のクレジットの順番というのに妙な生々しさが出る事があって、それが鼻についたりする。
早い話が、劇中どう考えて主役とは思えない人物がクレジットの一番最初というのが、映画に没頭しようとした矢先や、没頭し終えた後に来ると一気にシラけるのである。
私はクレジットの一番というのは、劇中一番出番が多くて物語を引っ張って来た役者がなるべきものだと思ってる。たとえそれが無名な役者や子役であってもだ。
『グランブルー』はジャン=マルク・バールよりロザンナ・アークエットが先だったし、『太陽の帝国』はクリスチャン・ベールよりジョン・マルコビッチが。『修羅雪姫』はなんで釈由美子より伊藤英明が先なんだろう(笑)。
つまりは映画の本筋とは関係ない役者同士の力関係やら、もっと生臭く言えば事務所間の力関係によるものなのだろう。
このクレジットの序列の意地の張り合いというのは役者間の間では深刻なのだろうが、映画を観ている方、そして映画の制作スタッフは非常に冷ややかにみてるのだろうなと思う。
映画を観れば誰が主役か分かるわけだし、どう考えても助演の役者がクレジットのトップにくれば、その生臭ささに失笑してることだろう。
この『Juvenile』でもあきらかに助演の香取慎吾がクレジットのトップだった。
まあ香取慎吾もキライではないので別に文句はない。
この映画を観たのは、鈴木杏が出てるからという事もあるが(笑)『リターナー』の山崎 貴監督の最初の映画だからという事もある。
『リターナー』と比べるとイマイチ演出やCGがこなれてない感じであるが、まったく気にならない。面白い良い映画だと思う。
タイムトラベルものというのは、かなり手垢にまみれている題材ではあるが切り口次第でまだ違った見せ方ができるもののようだ。
『リターナー』然り『Juvenile』然り。小説では宮部みゆきが『蒲生邸事件』でタイムトラベルを扱ってる。これも大変良かった。
映画のある部分が、以前ガセネタとして流通したことのある『ドラえもん』の最終回ネタに似ていたりするのだが、私らの世代で言えばタイムトラベル、タイムマシンと言えば『ドラえもん』なわけである。
ラストクレジットに"for Mr.fujiko F fujio"という献辞があったりして非常に好感がもてた。
この監督は分かっている。それだけでこの監督は良い奴に違いないと思った(笑)
この監督の次回作が『三丁目の夕日』でタイムトラベルとは違うが、観客自体を過去にタイムスリップさせる目論見があるのかもしれん。東京タワーの立つ頃の風景自体が現在からするとファンタジーに見えるはずである。それを体験させようとしてるのかもしれない。
時間旅行のモチーフはこの監督のライフワークみたいなものか。
......
ところで、鈴木杏ちゃんの三つ編みおさげがカワイかった(笑)
エラそうな感想を書いても結局は一番の興味はそこだったわけである(笑)

山崎 貴や矢口史靖や岩井俊二等々。次回作が楽しみな監督が日本人で尚かつ自分とほぼ同世代というのが嬉しかったり、才能に嫉妬したり(笑)
今後数年は最低この3人がいれば日本映画は大丈夫だと思う。少なくとも私は必ずこの3人のは劇場で金を払うだろう。
by 16mm | 2005-02-13 22:06 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(6)

ソシテ ボクハ ツヨク テヲ ニギッタ

今週の日曜日ぐらいから、肩凝りのような、筋肉痛のような状態で痛くて首が回らない状態が続いています。
借金もないのに首がまわりません、などと言って乾いた同情の笑いをさそったりしてますw

そんな状態の所為か、「寝てる時、いびきだか寝言だかでブツブツ言ってるよ」と母親に言われたりしてたのである。
オレが寝てるのは二階、両親は一階。それで聞こえる寝言ってのも尋常ではないと思うが......

んで今日、朝飯を食べてる時に母親に
母親「あんた、夜中の事覚えてる?」
オレ「......また寝言言ってうるさかった?」
母親「心配で見に行ったんだけど」
オレ「ああ、気がつかなかった。つーか気がつかねーだろ、フツウ」
母親「オマエ大丈夫かい?って近付いたら」
オレ「ふんふん」
母親「アタシの手を握ってね」
オレ「ほうほう」
母親「行かないでクレ〜、メーテルゥゥぅぅぅぅ、だって」
父親「うははははははは」
オレ「......」
母親「あんたいったいどんな夢みてたの」
アホな息子をもった母親の気苦労がわかってるのかと言いたげな眼でオレを見ていた。
......
............
父親「ところでメーテルってなんだ?」
by 16mm | 2005-02-09 13:39 | 閑話 | Trackback | Comments(10)

『Ray』『インディー・ジョーンズ』

オレが手に触れた最初の伝記といったら『野口英世』だったりする。小学生の時だ。初心だったオレは、伝記と言うのは小説とは異なり実在した人物を書き記したものであり、創作された小説と違い真実が語られているものと信じていた。
そしてスレた大人になった今のオレは、伝記が全て真実を語っているなんて事はまったくない事を知っている。
子供向けの本ならせいぜい数百頁、映画でやっても2時間程度に脚色された中に、偉人の人生の全てをを盛り込めるわけがない。当然、そこには真実の誇張、歪曲、意図的な真実の抹消があり、そしてそれは必要なのである。特に映画のようなエンターテイメントや子供の教育目的に適うためには。
野口英世が囲炉裏に落ちて"てんぼう"になって貧しい中母親の献身と己の努力で医学者になった、というのは真実であろう。
が、子供向けの本に野口英世は金遣いが荒く、上昇志向丸出しの功名心に取り付かれた男、という部分はなかった。
実際この辺りを知ったのは漫画で『栄光なき天才』というシリーズで野口英世を扱ったものを読んでからだ。
伝記やドキュメンタリー、ノンフィクションの類いと言うものから少しでも真実を多く読み取りたかったら、関連するものを複数読む必要があるのは言うまでもない。

前置きが長くなったが、映画館で『Ray』を観て来た。たしか公開2週目だと思うが結構人が入っていたのはレイ・チャールズが好きな人が多いという事だと思う。
オレは特にレイ・チャールズのシンパではないので詳しい所はまるで分からない。
では自分がこの映画を観た動機を有り体に言えば、有名人の生活を覗いてみたいという俗な欲求からである。レイ・チャールズに興味がなく音楽に詳しくないオレが観る動機といえばそんなものである。
映画は女とドラッグと幼少時のトラウマに焦点をあてて、オレの期待に応えてくれていた。
そういう意味でいえば、この映画は女とドラッグと幼少時のトラウマという側面からしか作られていないと言える。
ある意味この手の話がオレだけでなく一般の観客を呼び込み易いものだ。
自分に興味がない所為かもしれないが、アーティストと呼ばれる人たちが芸術の為に女やドラッグに溺れるというのがまったく理解できない。私はドラッグをやったその体験が創作に生きるなどというヨタ話はまったく信用していない。
立川談志も女が芸の肥やしになるなんてウソだと言っているし、キューブリックもドラッグでラリった頭で他人に広く理解させるような論理的な作品が作られる筈がないというような事を言っていた。
レイ・チャールズという人が多くの人に愛されたのは、無形である自分の感性を形にできる一種の論理性を持っていたからにほかならない。そうでなければ国境を越えて多くの人間を魅了できる筈がないのだ。
この映画、ある程度レイ・チャールズにシンパシーがある人でないと楽しみ方がわからないのかもしれない。
飽きない面白い映画であると思うが、これをもってレイ・チャールズの事が分かった気にはならない方がいいだろう。
ところで、レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスだが、台詞回しが上手いかどうかは英語が分らないオレに判断はできない。しかし盲の演技というものに関して言えば、日本で座頭市を観てきた者からすれば勝新の演技の足下にも及ばない気がした。有り体にいえばジェイミー・フォックスの演技は、眼、見えてるんじゃないの?ってな感じに思えてしまうのだ。盲の人って顔に何か当たるのをいやがるだろうから、もうちょっと俯き加減で歩くのではないかな。所謂"らしさ"というのが足りない。いくら実際のレイ・チャールズがサングラスをかけていても、それで誤魔化しているように見えてしまった。
なんとなくだが、アカデミー賞は無理なんじゃないかなと思う。
オレはチャップリンの伝記映画『チャーリー』が好きなのであるが、演じたロバート・ダウニー・Jrのなりきり度はジェイミー・フォックスの比ではなかったように思える。ロバート・ダウニー・Jrはそれ以降パっとしなくなっっちゃったのが残念でならない。

今更だが、『インディー・ジョーンズ』のDVDボックスを買った。たしか一昨年の12月にでたものである筈だ。
『レイダース 失われたアーク』とメイキングにだけは興味があったのだが、期間限定の価格が9800円、それを過ぎると13800円になるので買う気が起きなかった。
土曜日、ビ●グカメラで見つけたら5980円になっていた。約半額。これならと思い購入に踏み切ったのだ。まだメイキングしかみていないのだが、『レイダース 失われたアーク』の冒頭でインディーのシェルパ役の現地人役が『スパイダーマン2』のドック・オク役のアルフレッド・モリーナだったという事が分かって、「へ〜w」となった(笑)
このシリーズでオレが一番好きなのは『レイダース 失われたアーク』である。3作の中で一番ハードな感じがするのだが、今観ると荒唐無稽な冒険活劇のをリアルにみせるツメが甘いよなと思ったりする。
潜水艦の外のどこに掴まってられるんだ、とか、普段世界を放浪してるような人間が果たして大学教授になれるの?(笑)とかね。
ルーカスの『スターウォーズ』で出て来たデス・スターという惑星型要塞。宇宙に浮かぶ球形の要塞に宇宙船は直角に入って行くが、この要塞、映画のスクリーンから見て下に向かって重力があるのか?(笑)
そういう意味では彼らの映画はツッコみどころ満載ということだ(笑)

ロッキーを観てボクシングジムに通い始めた友達がいたが、オレは『レイダース 失われたアーク』を高校の時リバイバルで観て考古学者になろうと思った。
が、現実の考古学者が鉄砲もったり鞭を振るったりして世界中を飛び回るなんてことをせず、地道に土をほじくってるという現実に、夢は砕けたのであった(笑)
by 16mm | 2005-02-06 23:09 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(10)

まごころを、チミにw

コンタックス~。つーか京セラぁぁぁぁぁあぁ。
オマエんとこはもうダメだあ~。
何百歩譲りまくってRTSIII生産完了は良いとしよう。
安価な標準レンズの「プラナー50mm F1.4MM」や、結構売れてたらしい「プラナー85mm F1.4(J)MM」まで生産完了っちゅうのは、京セラ、もうマニュアルカメラから完全撤退までカウントダウンちゆうっちゅうことか。
今のところ、Nシリーズの方とGシリーズの方は生産完了になってないようなのだが、完了させるならNシリーズの方が先だろーw
Nシリーズもなー、Nデジなんて欲しいなと思ったけどマニュアルレンズとの互換がないから買えなかった。もちろん値段的にも手がでないしな。最初はなんであんなレンズ径がでかいんだと思ってたけど、光を全て直角にCCDに受けさせる為の設計だったんだな。それは凄いと思うけど、オレのような貧乏人は必死になってRTSIIIとレンズ3本を揃えるのが精一杯(笑)更にレンジファインダーのGはマウント違うって言っても割り切れるけど、35mm一眼の新しいマウントを揃えていく財力も気力もなかったわけよ(笑)
世の中AFになり、そのAFも多点化することで精度と正確さとスピードをアップしている時、単なるマニュアルフォーカスでありながら35mm一眼の定価では一番高いボディだったRTSIII。もうその時点で時代の流れに背を向けてたんだから細々とでも続けてくれりゃよかったのに。
Nシリーズで時代に迎合しやがったんだよな。
コンタックスのユーザー(特に見栄で買ったオレのような貧乏人ユーザー)はそんなこと望んでなかったんだよ。AFが欲しけりゃ別のメーカーのカメラ使うって。
レンズ設計やマウントを新しくしなければコンタックスが求める水準(ツァイスの水準かもしれんが)に達しないちゅうのなら、そんな事その時点では見送っておったら良かったのだ。時代が流れれば構造を刷新しなくても技術的に可能な方法が見つかったかもしれなかろう。
設計はかなりキビシイのだろうが、ニコンは意固地にマウント変えずにがんばっとる。
他に比べてマニュアルなのにレンズもボディも割高だったわけだが、それもこのメーカーはそういうものだと納得して買って使ってたわけだから。この単純なつくりのレンズとボディなら作り続けてくれるもんだと思っていたのにああそれなのに・・・・・・
それともなにか?Nシリーズは今後も続けていくのか?
どちらにしてももう付き合えん。
RTSIIIと「プラナー50mm F1.4MM」は予備で欲しいところだが、そんな金はないので、せいぜい壊れないように大事に使う事にする。
Gシリーズは「ビオゴンT*21mm F2.8」が生産完了になったら注文することにしよう。

トホホ。

※タイトルと本文はまったく関係ありませんw
by 16mm | 2005-02-02 13:41 | 閑話 | Trackback | Comments(2)