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『無限の住人 21』『愛しい人へ』

昨日『ダイ・ハード4.0』の先行を観に行くつもりが時間が合わずに断念。
今日は寝坊でまたまたジムに行けず。行かないと身体が重く感じるのだが来週も行けなさそうなので、ますます巨大化しそうな予感(笑)

先週末会社近くのカプセルに泊まったのだが、身体中蟲さされに。
...なるべくなら池袋のカプセルに行ける時間に会社を脱出するべきであったな。

『無限の住人 21』
終章に突入。この絵柄でギャグを加味する余裕もあるところがこの作品の良い所。
徹底した節度と美意識を持ったこの作者は尊敬に値する。

『愛しい人へ』
途中観るのがタルくなってきて視聴を止めようかと思った『精霊の守人』であるが、物語のスピードに慣れた所為か、また面白くなってきた。
最初の頃はこの独特の物語の世界観を説明する為、主人公のバルサとチャグムから離れた展開に終始していた為に物語が停滞して見えたのだと思う。
ここに来てようやっと主役二人に寄り添った展開になったようだ。
日本的な要素を使って異世界を構築しようとする試みにかなり呻吟している様子が伺える。
つまり日本を舞台にして『ロード・オブ・ザ・リング』を作れるのか?という試みであるとも言える。
この作品のエンディングが『愛しい人へ』という歌なのだが、ずっと気になっていて今日シングルを買った。
なんとも『精霊の守人』の二人そのままの歌詞ではないか。

"「強くなりたい」願い続けてはまた躓いて 傷つくけど信じられるあなたがいるから立ち上がれるよ"

歌詞全部がツボであるのだが、タイナカサチというボーカルの歌声の力強さと繊細さが心地良い。
by 16mm | 2007-06-24 20:12 | | Trackback | Comments(2)

いよいよ!

数日前、噂で知ったのだが昨日記者会見があったようだ。
押井守の新作映画。
『スカイ・クロラ』
青が清々しいイメージヴィジュアルでいやが上にも期待は高まる。
しかも押井の原作ではないので映画としても面白くなりそうな予感(笑)
殊エンターテイメントして考えるなら、押井は他人の原作をアレンジして自分に引き込んだ方が作品としての完成度が高まると思われる。
ストーリーテラーというよりもアレンジャーと言った方が良いのかもしれない。
なんでも今度の作品には"濡れ場"も用意してあるとか。
押井は今度の作品で積極的に宣伝にも関わるようなので、"濡れ場"といっても額面通り受け取っていいものかどうかわからん(笑)
アニメーションでエロ以外の要素を加味した"濡れ場"を表現する事の困難を誰よりもよくしっているだろうからね。
ふたひねりぐらいひねった"濡れ場"になるのではないかと予想している(笑)


『アサヒカメラ 2007 7』『CAPA nude』
カメラ誌でヌードの特集があるとなんとなく買ってしまうのだが、今回も非常に心躍る特集であった。
こんな写真を撮りたいと思いつつ、どうしたらいいのか途方に暮れつつ......。
by 16mm | 2007-06-21 23:54 | 閑話 | Trackback | Comments(0)

アンリ・カルティエ=ブレッソン

自分で撮る気も才能もないので、スナップ写真という分野は見るのも撮るのも敬遠していたのだが、やはりすごいスナップというものはあるものだな。
"pen"という雑誌でアンリ・カルティエ=ブレッソンの特集をやっていた。立ち読みだけのつもりが購入してしまったのは掲載されている作品があまりにもすばらしいからだ。
ブレッソンの名も作品も幾つかは知っていたが、まとまった数の作品を見たのは初めてだ。
オイラがなにをどう批評しようがすでに言われていることであるが、まず構図がすばらしい。
構図というか画面の構成がすばらしい。
もしかしたら演出がはいってるんじゃないの?と勘ぐりたくなるような絶妙さなのだ。
構図ではなく、画面の構成。
人物がただ写っているのではなく、画面の中の絶妙な位置に絶妙な一瞬の雰囲気を焼き付けている。
それが所謂"決定的瞬間"というやつなのであろう。
手持ちで撮っているであろう筈なのに、画面に不用意な傾きがないところがすごい。どんな持ち方したらこんな安定した画面になるのだろう。
機会があったら写真集を買う事にしよう。

あ、それからエリオット・アーウィットもいいな。
by 16mm | 2007-06-19 00:35 | | Trackback(1) | Comments(0)

『原田眞人の監督術』『ゾディアック』『ゲドを読む』

本日ジムに行くつもりが...暑いので止めました(笑)

『原田眞人の監督術』
久々に買って損した本。給料まで十日以上あった先週に大枚2000円も突っ込んで買う程のものでは全くなかった。
Q&A形式の体裁を取りつつ映画製作や演出に関するアレコレが記されているのだが、その大半がどーでもいい事柄の羅列に過ぎなかった。
要するに10人いれば10通りの正解がある監督術なるものに対し決定的な事がいえるわけではない......と、ここまで書いて気がついた。だから"原田眞人の監督術"だったんだ(笑)
じゃあ、この監督のこの本を買ってしまったオイラが迂闊だっただけじゃん(笑)
原田の映画は学生時代に観た『ガンヘッド』のみなのだが、あれ一本で今後この監督の映画は観ないと決めたようなものであったのだ。
それから定期的に映画が撮れている所をみると、そこそこ好成績をあげているのかもしれんが、オイラはまったく興味がもてない監督なのである。
ではなぜそんな監督の本を買ったかと言えば、たまたま読む本が無かったという事と、たまたまめくった頁に"スタンリー・キューブリック"の文字が見えたからだ。
『フルメタル・ジャケット』の字幕に激怒したキューブリックが原田を指名して字幕を作り直させた事があり、それに関してキューブリックに対する詳細な記述があるかなと期待していたら、まったくなかった(笑)
原田がこういう本をエラそうにかけるのは、一つに英語が堪能?らしいという事からくると思われる。
日本語字幕が如何にひどいかという事についても言及しているが、オイラを含めて多くの人が洋画を最低限楽しむ為に必要なものである筈なのだ。
では洋画を字幕なしで観て会話の深さを理解している筈であろう原田が、それをフィードバックして自分の映画に昇華しているのであるのなら、もっと多くの観客が原田の映画を期待するのではないのか?
オイラから見てだが、三流以下の監督が自著の中で世界の名匠監督を二言三言で、しかも彼らと同レベルにいるかのごとく書き記すなどというのは、まったく自分が見えていない謙虚さの足りない奴に他ならない。
虫酸が走るので、とっとと古本屋に売りたいと思ってる。


『ゾディアック』
デヴィッド・フィンチャーの久々の監督作。
印象としてはやはり『セヴン』には及ばなかったが、楽しめた。
上映時間が157分というのが長いとは感じなかったが、容疑者が多数表れては消え、また復活するため後半誰が誰だか分からなくなった。
これは洋画観ていて顔と名前が一致しなくなるというのはオイラには良くある事であるので、観る機会があればDVDで再見したいと思う。
機会があればというのは、今現在だと再見したいとは思えないからだ。
どーも自分にとって『セヴン』の印象が良すぎた所為か両者を比較してしまうのだ。
『ゾディアック』も『セヴン』も普通の顔をした人の中の狂気というものを描いていた。
人を殺すという犯罪で『セブン』は死体は見せても殺す瞬間を一切見せないという構成が素晴らしかったと思っている。正確にはラストシーンで唯一殺す瞬間を見せ、逆に死体は見せていないのだが。
『ゾディアック』は映像の見せ方は地味に見えて、結構凝った事をやっていた。
ラストちょっと前の鏡を使った効果など非常にうまい。
ただオイラがフィンチャーに期待していたものとは違っていた為の違和感というのは拭えなかったのかもしれない。
逆にあまり奇をてらわない方法論で映画を作り語りきったフィンチャーは映画監督としてのステージは着実に上がっていっていると考えられる。
なので今後この監督の作品は観続けようと思っている。
それから時代設定にあわせた車や景観への気の配りにも感心した。
キャストもよかった。ジェイク・ギレンホール 、マーク・ラファロ 、ロバート・ダウニー・Jr 。あとジェイク・ギレンホールの奥さん役の眼鏡の女性に個人的に萌え(笑)


『ゲドを読む』
あまり人気がない黒い小冊子のみが残っていた。
多分中身は同じなのだろう。
フリーペーパーでありながら結構中身が濃いので感心した。
しかし、正直に言えばこのような副読本に頼らない映画を作るべきだったとも思える。
by 16mm | 2007-06-17 20:40 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(1) | Comments(2)

『ぼく、オタリーマン。』『銭 伍巻』

先週、観たい映画なし。
今週は『ゾディアック』を観る予定。
久々のデビット・フィンチャーの映画。
やはり観た中では『セヴン』が一番好きかな。

同様に今週末はひと月ぶりで歯のメンテナンスに。
たぶんヒドイ有様になっていると思われる(笑)

月刊プレイボーイ誌を買う。世界の映画監督特集とかでそれなりに読み応えがある。
ただ原田眞人がエラクエラそうな事を言っているのが気に入らない(笑)
原田程度の監督で1000万も貰ってるのか?貰い過ぎぢゃないの?w
『ガンヘッド』しか観た事ないんだけどね(笑)
逆に岩井俊二や山崎貴や矢口史靖や周防正行なんかは原田と同じぐらいかヘタするとそれ以下ってことになっちゃうのか?

ジムに行った帰り、本屋で立ち読み。
KINO(vol.4)という本をたち読んでいたら、アラびっくり。『無限の住人』の沙村広明氏の御尊顔を拝することができた。
なんか普通のおだやかそうなアンちゃんでしたな。

『ぼく、オタリーマン。』
気にはなっていたが買わないだろうと思っていた本。
たまたま会社の帰宅時に読む本が無くて買ったのだが、これがなかなかオモシロい(笑)
画が上手いというのは言うまでもないが、内容も自分の身につまされる所為か泣ける感じに共感したりしてね。涙でませんけど(笑)
作者が本当にこの漫画どおりの人間かは別にして、まじめに一所懸命でありながらなぜか確実に地雷を踏んでしまうという人物像を上手く笑いに転嫁して相対化している所に好感が持てる。というかそういう資質があるからこういう漫画が描けたのだと思う。
内容全部面白いのだが、『妖怪人間ベム』の替え歌の『ダメ人間ベム』でフきましたな(笑)
たとえ漫画であっても自分と同じような状況にいる人間がいると分かるとホっとするものですな。
孤立するにあらず、ってな感じで。


『銭 伍巻』
鈴木みその最新刊。
安定した内容と、感を重ねる毎に進化する画風が魅力。
"メイド喫茶の値段"に出てくる万田さんがなかなかカワイイな(笑)
世間体とオタクとしての主張との間で右往左往しつつも、自分のやってる事、自分と同じような事をやってる仲間を常に肯定しようとしている様がなかなか萌えてしまうのだが、オヂさんは(笑)
by 16mm | 2007-06-10 20:57 | | Trackback | Comments(4)

『監督・ばんざい!』『大日本人』

土曜日にMOVIXさいたまで『監督・ばんざい!』『大日本人』を観た。
久々の二本立てでの鑑賞であったが『大日本人』は上映一時間後に退場していた。
劇場も『監督・ばんざい!』より『大日本人』の方が大きいのがたけしフリークとしては腹立たしい所ではあるのだが(笑)
どちらも日本の芸人さんとしてはトップクラスの人物であり、オイラも松本人志の番組を観て笑っているぐらいなのでキラいではないのだがね......

『監督・ばんざい!』
前作の『TAKESHIS'』の時の感想と基本的には同じである。
所謂普通の映画を作るのに飽きたかつまらなく感じているたけしの気持ちが伝わってくる。
それ故に所謂普通の映画を壊してみせる映画を二本続けて作ったのだと思う。
たけしの苛立というのは、その普通の映画を壊す事ができても、自分自身が新しい映画を提示する事ができない、考えつかないという部分であろう。
必死にピカソやなにかの絵画の表現を引き合いにだしてはいるが、それすらもたけし本人の混乱を示しているにすぎない。
本作で俎上にあげられた小津風、SF風、ホラー風、ラブロマンス風等の断片を作ってはいるものの、本人の思いとは裏腹にたけしがどう頑張っても最後まで作れない映画であろうと思う。
バイオレンスを封印して別のジャンルをというのは監督としての能力を試したい気持ちの表れなのだろうと思うが、私にしれみればバイオレンスを封印する事自体が間違いなのである。
その証拠に冒頭のバイオレンス映画の部分が一番生き生きとしていたように見えたから。
これまでたけしは、バイオレンス風ラブストーリーも、バイオレンス風コメディーも、バイオレンス風時代劇も、バイオレンス風小津映画も(これは『HANABI』がそうかなとオイラはおもっている)作ってきた。
それでいいじゃないかと思う。
他の映画を散々批判するのもたけしらしくないとも思うのであるが、国内で自分の映画が評価されない事への苛立なのだと理解する。
『座頭市』を自分が本気になれば興行的にヒットする映画も作れるんだと自慢気に話していても、多分オイラを含めた生粋のたけし映画のファンはうれしくもないのである。
本作『監督・ばんざい!』については、あまり難しく考えずに観れば面白いコメディー映画になっていたと思う。
物語の筋で見せるというよりも登場人物の面白さで見せる映画であった。
鈴木杏と岸本加世子の詐欺師親子も良かった。鈴木杏は岸本に負けない演技で拮抗していた。たいした女優である。
それからなんと言っても江守徹。
岸本にしても鈴木杏にしても江守徹にしても、コメディーから遠いと思われている俳優が笑いの演技をするのを観れるというのが、この映画での唯一と言っていいポイントであると思う。
つまりそれしかない映画だと思う。
映画を破壊する映画をもう一本撮るというが、そんな無駄はやらずにちゃんとした美しいバイオレンス映画を作って貰いたいと切に願う。
オイラの自慢は興行二週間で打ち切りになったという『ソナチネ』を劇場で観て、それを最高に良い映画だと感じられた事だと思っている。


『大日本人』
多分であるが、冒頭大佐藤が出てきて獣と戦った後から気を失って(笑)起きたら工員風のユニフォームを着たオッサン二人のインタビューになっていた。その時点での退場である。
上映開始から40分ぐらいで出たのだが、観たのは冒頭の10分ぐらいであろう。
たけしにも松本にもいえるのだが、今既存のものを壊すという発想の方が安易だという事を分かっているのだろうか。
たぶん分かっているのだろう。
マンネリであるとか普通であるとか言われつつもその中で僅かでも新しい事を見つけようとしている職業監督がいる中で、たけしや松本はそれが出来ないから最初から「既存の映画を壊してます」という言葉を言い訳にして映画の出来に対する批判をそらしているにすぎないのだ。
それでもたけしはこれまでの映画で、所謂普通の映画の撮り方を踏襲した作りの作品を作ってきている。その上で映画を壊すという行動にでたのも分からなくはない。
しかし、松本の場合、映画で壊すべき自分の実績すらないのに最初から壊そうとしたって壊せないだろう。
この映画ドキュメンタリー形式の体裁をとって進行しているのは冒頭から分かっていた。
このドキュメンタリー風というのを言い訳にしているのだ。
つまりライティングも構図も行き当たりばったりで良い。更にカット割を考えなくてもいい。
映画監督が腐心する部分で楽をしているとしか言いようが無い。
というか、松本はカットが割れないから、画が作れないからこんな形式にしたんだと思う。
冒頭の大佐藤と獣のほぼフルCGでの戦いはなかなかすごいとは思ったが、これはCGがすごいのであって、演出の力ではあるまい。なので作品上無駄なすごさなのだ。
とにかく伏線や"まえふり"と思える台詞を喋っているのは分かるのだが、あきらかに観ていてかったるい。
深読みすれば、有名タレントである松本人志とそれを取り巻く環境を戯画化してドキュメンタリー風に仕上げたとも言えるのだが、オイラはそんな映画を面白いとは思わない。
よく引き合いに出されるのはフェデリコ・フェリーニの自己言及的な映画の存在であるが、あれはフェリーニだから許されるジャンルだという事を謙虚に受け止めるべきであろう。

松本はもう映画を作らんだろうな。
by 16mm | 2007-06-03 21:40 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(3) | Comments(2)

『OUR HISTORY AGAIN-時の彼方に-』『伊丹十三の映画』

感想は明日かくと思いますが、本日『監督・ばんざい!』と『大日本人』を観てきた。
『大日本人』途中退場でございました(笑)

ブログでリンクさせてもらっている偏屈王さんのところで、山田太一のドラマについて書かれていて、ふと昔のNHK大河ドラマ『獅子の時代』を思い出した。
いままでいくつか大河ドラマを観てきたが『獅子の時代』を越えるものはオイラの中には無い。
江戸から明治に変わる瞬間の時代とその市井の人々が魅力的に描かれていた。
このドラマを観て明治に興味を持ったともいえるかもしれない。
いや、歴史を学ぶという事は面白いかもしれないと気付いたというか、もしかしたら山田が室町時代のドラマをかいていたら室町に興味を持ったかもしれない。
それほどにこのドラマは面白いと感じた。
しかし、このドラマを再見したいとは思わないのは大河ドラマだけに全部観ると約50時間近くなるだろうという観るのにキツい量ということもあるが、それよりも自分の思い出の中での『獅子の時代』は相当に自分の都合のいいように美化されていると思えるからだ。
観たのは小学5年生ぐらいだったと思うが、今現在の多少肥えた眼で観たら非常に拙い部分が見えてくるに決まっている。
自分の頭の中では、最高の状態でドラマが廻っているのに、わざわざ夢を壊す事もあるまいと思えるしね。
このドラマNHKなのに音楽をダウン・タウン・ブギウギ・バンドがやってたりした。
そのメインテーマも良いのだが、毎回挿入されていた『OUR HISTORY AGAIN-時の彼方に-』という歌がまた非常にアツクてガキの心を鷲掴みであった。
そんなわけで、久々にあの歌を聴いてみたくなりCDを買って聴いてみた。
......
いい。
良かったよ。
だけどやっぱり時を残酷ですな。音の厚みが貧弱に聴こえてしょうがなかったです(笑)
思い出の中にあるものというのは、どんなものでも美しくなってるものだなと思いました。



『伊丹十三の映画』
伊丹十三の映画の関係者のインタビュー本。
今だに死因に謎の多い伊丹であるが、この人に関しては松田優作が言った一言が一番的を射ていたと思っている。
「頭は良いが、感が鈍い」
この人は自分の感の鈍さに覚的であって、それを補い隠す為に過度とも思える知識で武装していたのではないかと思う。
所謂クリエイターに知識も必要であろうが、感の良さというのは必須なのではないだろうか。
その必須さが自分に欠けているという事に自覚的だったから理屈や理論を重視していたのだと思う。
だからまだ理屈が固まりきっていない頃の『お葬式』『タンポポ』『マルサの女』辺りまでは自分も好きだった。
しかし後期にいくにしたがって、伊丹にあった僅かな感も過度な理屈に押しつぶされていったように感じられた。
簡単に言えば、その役の格好を観ただけで良い役か悪い役かが分かってしまうような演出になってしまっていた。
演出の登場人物の作り込みの加減がやり過ぎかそうでないかも判断できなくなったのではないかと。そうういう意味では感の悪さが後期に行くにしたがって露呈していったように見える。
伊丹の作っていた映画は蘊蓄をベースにした高度な情報を詰め込んだ映画ではあったが、その割には物語そのものは単純そのものであった。
私が伊丹映画の後期をほとんど観ていないのはそんな理由である。
一部で有名な『スウィート・ホーム』の裁判であっても、感の悪い二人の監督がどっちの方が感が悪いかを言い争っているようなものだと思った。
『スウィート・ホーム』は明らかに駄作であるのだが、それが勘の悪いプロデューサー(伊丹)が介入し過ぎたのが原因か、監督の黒澤清がヘボだったか。
それはともかく、伊丹十三が宮本信子の良さを引き出せるのは自分だけど常々言っていたわけだが、彼の映画を観ても彼女の演技してる感全開の演技は鼻につくだけど魅力的には見えなかった。
そんな宮本信子であるが、この本の最後に"伊丹監督へ"という一文を寄せているのだが、これが実に良い。
本々文章力があった人なのか、それとも監督への愛情がなせるわざであるのか。
悲しくもすがすがしくなるような素晴らしい愛の言葉、まさにラブレターであると思う。
申し訳ないが、伊丹十三は主演女優には恵まれなかったかもしれないが、最高の伴侶を手に入れていたんだなと思った次第。
by 16mm | 2007-06-02 21:24 | | Trackback(2) | Comments(4)