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『ブレードランナー リサーチ試写版』『バイオハザードIV アフターライフ』『御法度』

今年観た新作の劇場映画は33本。
その他に旧作なんかをDVDだとかで観ているので大雑把にいってその倍ぐらいの映画に触れたであろうか。
数で言ったら映画を総論で語るには少なすぎるな。
宇多丸は少なくとも週一本観てるわけだから新作映画だけで約50本。もっと観てるだろうけど。
で、中途半端だけどオイラの今年の新作映画の8本を決めてみた。
なぜ8本かと言えば、同率一位にしたい映画が8本だったからである(笑)。
それに半ば強引に順位を付けてみた。

1.『ヒックとドラゴン』
2.『トイ・ストーリー3』
3.『告白』
4.『キック・アス』
5『ハート・ロッカー』
6.『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』
7.『機動戦士ガンダムUC』
次点『十三人の刺客』

気分次第でこの順位は変わる筈。
もしかしたら来年『告白』をDVDで観なおしたら『キック・アス』の下になるかもしれないけど(笑)。
この7本はDVDなりが出たら確実に買うであろう作品。
んで、新作ではないけどDVDやiPod touchで初めて観た映画を加えてのベスト10。
今年初めて観た映画ということで、今年観ても以前に観たものは外す。

1.『ヒックとドラゴン』
2.『トイ・ストーリー3』
3.『キングダム 見えざる敵』
4.『グラン・トリノ』
5.『告白』
6.『キック・アス』
7.『ウォンテッド』
8.『パンズ・ラビリンス』
9.『フライ,ダディ,フライ』
10.『ハート・ロッカー』


上記のようなところか。
実際の所無理矢理順位をつけてしまったが上の10点はすべてそれぞれの映画ベストな作品として作られていると思っている。
次点をあと二つ三つ増やそうとも思ったが切りがないので止める事にした。
『インセプション』を外したのはヴィジュアルやストーリーは感心しつつも監督のクリストファー・ノーランのアクション演出ベタや優等生すぎるところが鼻についた感じ(笑)。
『第9地区』は惜しいと思いつつも脚本のツメの甘さに気がついてしまって、上記の11点よりは落とさざるをえなかった。
『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』が断腸の思いでベスト10圏外になったのはヴィジュアル面においてサービスがたりなかったから。
しかし、今年観た映画についていうなら昨年の『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』のような、噴飯ものな駄作がなかったのが救いであった。


町山智浩のPodcastで『Space Battleship ヤマト』の感想。
本人も言っているが批評ではなく感想。
『Space Battleship ヤマト』対しこうあってくれればという欲望全開なPodcast(笑)。
溜飲のさがる部分もあれば"?"とわけのわからんしょうもない意見もあり、全体的に褒めてはいるようなのだが、更に全体的な印象でいえば「ディスってるのか」「ほめ殺しか」などと思えてしまう部分もあり(笑)。
町山をこうまで思い入れさせるイコンなのだな、『ヤマト』はw。
『Space Battleship ヤマト』については改めて批評の回を設けるとの事。
宇多丸が先行して『スポーツマン山田』としてまっとうな批評をしているのだが、『ハートロッカー』の時の様に二人が論戦したらどうしようとヒヤヒヤものである(笑)。


今年のは『龍馬伝』で始まり、『不毛地帯』と『JIN -仁-』を観て、『龍馬伝』で終わったオイラのTVドラマ鑑賞。
『龍馬伝』はDVDを買うか真剣に悩むところである。


『たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5~6個のこと』
30日夜放送の番組。
面白かった。
やはりたけしはすごい。
こういうカッコいい男になりたいもんである。
無理だが(笑)。


年末の休みは買い物で暮れた。
年末の挨拶程度のものをカメラ店に贈ったり。
自分のモノは革のワークブーツを買ったよw。38000円(笑)。
オイラにしたら結構な買い物。
ジーンズも買わなくちゃと西武へ。
商品券があったのでそれで買おうと。
リーバイスのごく普通のストレートを買ったつもりが定価20000円ナリ(笑)。
タケえ(笑)。
30%オフと商品券で8000円ほどに(笑)。
ジーンズ高いなぁ(笑)。


iTunesで『ヒックとドラゴン』のサントラ購入。
すごくいい。


先々週ぐらいからニギニギとしている、大桃美代子&山路徹&麻木久仁子問題について。
他人様の色恋についてとやかく言うのはヤボなんだけど、大桃美代子&麻木久仁子ってオイラがピンポイントでそそられる女性なんだよねw。
だれがどう悪いのかは分からぬが、この山路という男はとてつもなくいい男である事は分かった(笑)。
二人の女に好かれて、尚かつヒモのような状態であったと(笑)。
羨ましい(笑)。
マジに(笑)。
ヒモって唯一男にしか出来ないことだと常々思っていただよ。
しかも女に「ほっとけない男」と思わせるような。
大桃と麻木の二人からほっとけない男と思われたんだからね。
たいしたもんだよ。
そういう男に、私もなってみたい(笑)。


小栗旬が『時計じかけのオレンジ』のアレックス役。
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ポスター見る限り小栗旬ハマってるなとは思う。
正直舞台を観てみたい気もするなあ。
ガッカりもするかもしれんけど(笑)。
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このアレックスの扮装は多分スタンリー・キューブリックの映画のオリジナルだろう。
あまりにそれが強烈すぎて変えられなかったんだろうけどね。
だったら映画以上にやってもらいたいね。
ズボンとパンツをおろしてチンチン見せるなんてことも含めて。
そうでなければやる価値ないんじゃないかな。
不良少年のウルトラ・バイオレンスよりも国家の方が暴力的であるというアイロニカルな結末が生きないからね。


『ブレードランナー リサーチ試写版』
ネタバレあります。
iPod touchで何度目かの視聴。
『ブレードランナー』が一般公開される前に多分編集や宣伝の為のデータ集めにやった試写のバージョン。
一般公開から抜け落ちたカットなんかもあり、お好きな方にはたまらない(笑)。
ただ編集やタイミング調整がまだ十分にされていないので、『ブレードランナー』の他のバージョンに比べれば見劣りする。
特に後半、ロイ・バッティとデッカードのやり取りでの音楽の付け方が大味すぎるね。
映画としての完成度よりも『ブレードランナー』についての資料的価値ぐらいにしか意味はないだろう。
しかし『ブレードランナー』を観てると作品が後世に残る条件に物語やヴィジュアルとしての完璧さは必ずしも必要ないのだなと思う。
設定や台詞に明らかな矛盾があろうが、映像上のミステイクがあろうが関係ない。
まさに『ブレードランナー』がそういう映画だから。
では名作が名作たらしめる要素とは何か?
『ブレードランナー』が『ブレードランナー』たらしめるものはなんなのか?
町山智浩がそれらを"ヌキどころ"と表現していた。
アダルト・ビデオを観ていてヌけるところということであるが(笑)。
最初のダレ場があり、前戯でもりあがっていき、最後にイかせるというアダルトビデオのフォーマットである。
一般映画で言えばクライマックスとか山場という部分である。
山場が前半にあり後は盛り上がらず観ているのが苦痛だとか、そもそも山場がない映画もあったりして、客が金返せと言ってもしょうがないような一般映画も存在する。
アダルト・ビデオに関して言えばこの時間配分等のフォーマットは定型化されていてだいたいどんな作品を観ても同じような展開で同じような時間で収束していく。
観る側はそれを予定調和として安心してヌくわけである。
が、どんなビデオを観ても変わらないわけなので10本観ようが100本観ようが個別の作品として印象に残るという事はそうはないであろう。
ただ同じようなフォーマットのなかでヌいたとしても、例えば女の子が信じられないような巨乳であったとか、乳首が無茶苦茶きれいであるとか、一分間に200回腰をグラインドするとか、十代にしか見えないけど実は50歳の女性であるとか、etc...、観ている側が体験したことのないようなものを提示することによって印象に残るという事はある。
それが新しい価値観なのだ。
ヌキどころ+新しい価値観。
アダルト・ビデオでも一般映画でも印象に残るというのはそういうことだ。
しかし、新しいナニか、新しい価値観というのは言うは易し。
そうそう新しい価値観などが考えつく筈はないのだ。
結局名作というのが滅多に出来ないのはそう言う事なのだと思う。
『ブレードランナー』の内包する価値観はいまだに観た者のハートを鷲掴みしてる。


『バイオハザードIV アフターライフ』
ネタバレあります。
iPod touchで視聴。
Iは面白かったのでよく覚えている。
IIはアリスがビルを側面を駆け落ちていくとこだけは覚えている。
この前作のIIIをオイラは観ていない。
なのでIVでなぜ冒頭アリスがいっぱい出てくるのか分からずに物語が進行していった(笑)。
その辺りは別に前作の伏線を知らなくても物語の展開にはついていけたように思う。
本作は『アバター』で使った3Dカメラを用いて撮影している模様。
ところどころ3Dの効果を狙った演出が施されている。
が、『アバター』のように画面の奥行き感をだすような手慣れた使い方をせずに、勢い3Dにおけるケレンな演出をすることに使っている。
『アバター』のような映画を作るにはハード面のスキルだけではないのだなと。
そういう意味では『アバター』の映像演出は少なくとも2〜3年は先行しているだろう。


『御法度』
ネタバレあります。
iTunesでの映画レンタル。iPod touchで視聴。
初見は劇場で1999年に劇場で。
久しぶりに観たくなったのでレンタルしたのだが、当時の印象と同じく分かりにくい。
分かりにくいというのこの物語のキーになっている加納惣三郎だ。
加納が本当に衆道(男色)目覚めたのか、その気はないのに他の隊士達に合わせただけなのかがよく分からない。
というよりは加納が衆道に目覚めたとは思えない。
思わせぶりな態度をとって周りの男共を翻弄し玩ぶのを楽しんでいる、というのならわからないではないが。
そういうことなのだろうか。
"禁断の"という甘美が枕詞が、現在の男女の恋愛においてはあまり当てはまらなくなったからこそ男と男、女と女、という組み合わせの恋愛に燃えるような禁断の甘美さを付加できるのだと思う。
しかしこの映画ではこの甘美さが圧倒的に足りない。
ねっとりとしたエロスが表現されていない。
この映画の趣旨に照らしてもこれが十分に表現されてなければ最後に土方歳三と沖田総司が加納惣三郎を斬るところに説得力がない。
早い話が加納惣三郎を演じた松田龍平も監督の演出にも濃厚なエロスというものを表現することに躊躇したのではないか。
もっと言えば当時まだ若かった松田龍平にそんなエロスを体現する演技力も感情的にも備えていなかったのだと思う。
だから周りの男達が身を滅ぼすのを覚悟して入れあげるという佇まいが加納惣三郎には見えない。
何か分からない若い男に勝手に入れあげている感じは浅野忠信や田口トモロヲの演技によってある程度成立しているのだが、肝心の加納がまったくエロスを見せないのは致命的ではないか。
ハッキリ言ってなんで加納に男達がいれあげるのか全く分からない。
松田龍平の顔立ちはいいのだが、演技がついていかなかった。
確かこの映画一度中断しているのだが、最初のキャスティングでは加納惣三郎を木村拓哉が演じるということではなかったか。
今から考えると木村でも微妙のような気がするが。
松田も木村も"美少年"という見た目はクリアしているけど、そこから先のエロス、それも男が男に対して発するエロスを表現できる演技が備わっていたとは思い難い。
なのでテーマに対して演技力が足りない訳なので映画としては破綻してもおかしくないのだが、そうならなかったのは、私見だが、やはりビートたけしの存在の重さではないか。
たけしの存在の重さで男同士のエロスという映画の側面を断ち切り、新撰組のなかの異分子を排除するファッショ的な力を全面に出す事には成功している。
とくにラストの象徴的な展開にそれが意味付けられていると思う。
総論としては、つまらない映画ではまったくなく、小さく上手くまとまった映画であったという感想。



で、今年も後3時間ほどになりました。
現在『ダウンタウンのガキの使い!!大晦日年越しSP「笑ってはいけないスパイ24時」』観てる所です(笑)。
今年も拙ブログを読んで下さった方々ありがとうございました。
来年もこんな調子で続けていくつもりです。
またおつき合いくだされば幸いです。
来年はカメラ買うぞ(笑)。

では皆様、良いお年を。
by 16mm | 2010-12-31 20:14 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(1) | Comments(0)

『ヒックとドラゴン』

仕事のやり方が気に入らない方向に流れている。
結構トホホな展開。
オマエらの為にオイラは残業時間で総務に目をつけられてるんだっつの(笑)。
オマエらと同じくチンタラとした遅い時間に出勤するぞコラw。
またも金曜日に泊まり。
今度はカプセル泊であるが(笑)。
まったくクリスマスを意識しなかった週末であった(笑)。
明日会社に行きたくネーな、クソったれ(笑)。


本日日曜日ジムに。
ストレッチ、筋トレ、ランニング・マシン。
ランニング・マシンは65分で9.52km。
5kmの自己記録を更新したけど10kmの壁は厚いなあ(笑)。
体重91.55kg。


遅ればせながら自宅のネット環境を無線LANに。
といっても、モデムはオイラの部屋にあるので自分のマシンに対してはケーブルで結線したままにしておく。
隣の部屋の母親のマシンと階下のTVを無線でネットに繋げる様にした。
これで隣の部屋にまで這わせたケーブルが取れる。部屋のドアをケーブル分常に開けた状態だったのが解消される(笑)。NEC PA-WR8700N-HP/NE (無線LANブロードバンドルーター)。
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子機はBUFFALOのWLI-UC-G301N。
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合わせて21000円ほど。
まあこの出費は仕方あるまい。


自宅でキーボードを打つ時にパームレストを使っているのだがいい加減壊れてきたのでamazonで新しいのを注文。
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両方とも革製なのは理由がある。
以前ウレタン製のものを使っていた。
しかし、オイラはこのパームレストに手首をのせるだけでなく、しばしは肘までのせてしまうのであるw。
あげくの果てにパソコンのモニターを見ながらエルボーをグリグリとしてしまうもんだからウレタン製などひとたまりも無く、使っているうちに中身のゲルがでてきてしまうのだ(笑)。
100%オイラの使い方が問題なのだが、それを解消したのが上のパームレスト。
オイラのエルボーグリグリに耐えた後が痛々し(笑)。
下の方は新しいので、同じく革製であるが割と硬めなつくりなので使用が荒くても結構丈夫そうかな。
上の方も更に壊れるまで捨てずに使い切るつもりである(笑)。
単に貧乏性なのであるw。


またも都条例についてである。
何度も言うが元小説家と元"ミカド"作家の都知事と副知事は小説によって作り出されたフィクションは漫画のそれに及ばないと、幾千といる小説家を代表して宣言したに等しい。
そう、小説家の作り出したフィクションなど漫画の足下にもおよばないってこどだとオイラは解釈した。
だから規制の範囲が漫画とアニメーションなんだろ。
なので都知事がその昔、『完全な遊戯』で無軌道な若者が少女をレイプして輪姦し最終的に殺してしまう、なんて顛末が
<条例改正では、第三者機関「青少年健全育成審議会」から、強姦など著しく社会規範に反する性行為を「不当に賛美・誇張する」として「不健全図書」と指定された漫画を、成人コーナーへ移すことなどを書店側に義務付ける>
という部分に抵触していたとしても、しょせん小説家のかいた程度のものだから除外されたんだと思う事にする。
旅の道中で相棒とホモ行為をした『東海道中膝栗毛』や、親父の後妻なんかとやっちゃう乱れた性の饗宴『源氏物語』なんかも石原と猪瀬は所詮小説だからそんなもの読んでも社会が乱れる事はないと思っておる訳やね(笑)。
あるいは学力と教養の落ちた子供が古典文学など読む訳がないと思っているのだろうな。
アニマル誌の最終頁の著者のヒトコトで羽海野チカ氏が
「性教育マンガを私が描いた方がいいんでしょうか?」
と言っていた。
わざわざ彼女が性教育と銘打って漫画を描く事はないと思う。
性教育というものが必ず性交のシーンや裸を描くものではないとするならば、オイラは彼女の『ハチミツとクローバー』で十分にその役目を果たしているのではないかと。
そもそも羽海野チカ氏があえてそんな事をつぶやいてしまうほどに事態は深刻なのだ。
オイラはこの条例に賛成した人間を絶対に忘れない。


『018 ラブ・エイティーン 2』
一巻が出たと思ったらもう二巻がでて完結。
なんかよく分からんが画の官能性はすごい。
力の入った画には読ませる力があると再確認。
内容はまだちゃんと把握してないので、これから読む(笑)。


『SP(エスピー)警視庁警備部警護課第四係 3 』
全体的に上手い画なんだけど、やっぱり笹本がすばらしく描けてる。
ドラマ版とも違う。
笹本というキャラクターが掘り下げられている。
ほとんど笹本が主役みたい(笑)。
いや、まったく文句はないんですけどね(笑)。


不許可転載。
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なんか笑ってしまった(笑)。
成長した息子を見たサイバラのヒトコト。
女性からみると男ってこうなんだろうな(笑)。


今年はもう映画は打ち止めかな。
レンタルでいくつか観るかもしれないけど、新作はどうかなあ。
宇多丸の評論を聴いたら『インビクタス/負けざる者たち』を観たくなった。
あと今上映しているものなら『ノルウェイの森』も興味がわいたな。

『ヒックとドラゴン』 ネタバレあります。
by 16mm | 2010-12-26 21:23 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(2) | Comments(2)

2010年第5回更新のお知らせ

本日メインHPにて"Heavy Armor"をUPいたしました。
お暇な方、ご覧いただければ幸いです。

今回はランジェリーのモデルさんですので、周囲に気を配りつつご覧ください(笑)。

今年は撮影もメインHPの更新もこれでおしまいでございます。
来年もよろしくお願いします。
by 16mm | 2010-12-19 22:52 | メインHPと更新のお知らせ | Trackback | Comments(2)

『キック・アス』

木曜日夜から金曜日夜まで泊まり。
木曜日は帰って帰れない事は無かったのだが金曜日に研修があり、ケツの穴の小さい社長が冒頭にお言葉を述べられるとの事だったので遅刻しないようにと釘を刺されてしまい、仕方なくホテル泊まりw。
ちょっとイラっとしていたのでカプセル・ホテルではなく、広いベッド、デカいプラズマ・ディスプレイ、安っぽくもゴージャスに見える部屋、充実したアメニティー等、同値段のビジネス・ホテルでは獲得できないであろう充実したポテンシャルを秘めた空間。
ラブホ泊(笑)。
宇多丸のラジオで言っていたように独りでラブホに入る。
「KO-KO-U 孤高」w。
ラブホKO-KO-Uをしてきたのだ(笑)。
部屋に入った瞬間にマッパになってビールを呑んでツマミをガツガツと喰い、それではデカいプラズマ・ディスプレイでアダルトな映像でもゆわしたろか、と思ってチャンネル合わせたら、ひっじょうにハードなSMをやっていてw、その時のオイラのテンションと合わずに深夜のお笑い番組に切り替えた(笑)。
それも飽きてしまい、週刊文春の阿川佐和子をネタにKO-KO-Uセツクスをしようとしたら、ビール2本が効いたのかそのまま寝落ちに(笑)。
まあ、風呂も一人ゆっくり入れた事だし、たまには贅沢してもいいだろうw。


そんなわけで、土曜日に母親の病院への付き添いはすっぽかした(笑)。


その会社の研修であるが、会社の研修の割には有意義なものであった。
有り体に言えば、写真や絵に関し広告の場でのパクリや肖像権等に関する講義。
例えばである、街のスナップ写真で雰囲気のいいのがあったのでこれを企業の広告に使うという事が現状かなり困難だということだ。
街を行く人の顔が写り、背景には企業の看板やシンボルマークが写っている。
極端な話その写真を使うには、顔が写ってる人々は勿論、写り込んでいる企業すべてに対して許諾をしなければならない。
許諾をしなかった場合、いつ如何なる時に誰かにツッコミをいれられるかもしれないという得体の知れない恐怖が付いてまわる。
企業としてはそのようなリスクはおかしたくない。
この得体のしれない恐怖が広告の場において様々な面倒くささを生んでいる。
なのでドコのダレ、などという煩わしさが無い分だけ空間をCGで作成するというのは一見それらの問題を解決してくれるように見える。
しかしである、まったくないものをリアルに作るという事がどんな事なのかという事を考えていただきたい。
企業の看板、本のデザイン、陶器、パッケージのデザイン、車、etc....
本来それらは一つ一つにデザイナーが何人もいて徹底的叩かれてブラッシュアップされて世に出てきたものなのだ。
それらを原則使わないということになると、その空間に存在する全てのものをCGのオペレーターがデザインしなくてはならないといことだ。
ハッキリ言う。
そんな事は不可能。
短納期、ギャラは安い、具体的なイメージすらない得意先(笑)。
そんな状態だと部屋の中をCGで埋める事も困難なのだ。
なんでもCGで作ればいいというものではない。
デザインされた部屋は住んでいるのは学生なのか家族なのかで置いてある調度品まで違う。
それを考えなければ出来上がったものにリアルさが欠ける。
リアルさが欠ければ、それは単に綺麗なCGの画でしかない。
多くの得意先は綺麗なCGの画ではなく、所謂写真が欲しいのだ。
一人無いし二人程度のオペレーターでそんなあらゆるデザインなど出来る訳が無い。
ではどうするか?
パッケージのデザインなら既成のパッケージデザインの色を変えたり、デザインの部分部分を描いたり消したりして作るのだ。
それがリアルに見えるというのは絶対にどこかで見た事がある記憶によるもなのである。
まったく見た事もなものをいきなり画像で提示してもそれが本当にあるのか分からなければリアルに見えない。
現状、本意不本意は別にして仕事を確実に日程通りに終わらせるとしたらこのような方法がベターであると思っている。
ただ、その拝借したデザインが分かってしまった場合、問題になることがある。
拝借元のデザインを使ってる企業やらデザイナーから自分達のデザインに似ていると言われて裁判になるのだ。
その場合拝借した方はだいたい負ける。
判例でいえば色を変えたり意匠を少々変えたぐらいでは、拝借元の"知的財産権の同一性"というものが認められているから。
当たり前ではあるのだろうが。
そんなわけなので、得意先のアホなディレクターやデザイナーがCGで苦労して作ったものを平気で
「やっぱり要らないですね。ナシにしましょう。アハハハハ」
などと言うとコロしたくなりますね(笑)。
このバカ、この世で一番無惨な死に方しろw
などと不穏な気になります。
でもオイラも大人ですから、得意先の前ではニコニコしてますけど(笑)。
ガラスのコップなんてものはCGのモデリングとしては簡単に出来ますけど、そのデザインを見つけ出すまでそこそこ悩むわけですよ。
要らないならハナから作らせるなボケw
そんなドスぐろい気分の先週でした(笑)。


本日日曜日、ジムに。
ストレッチ、筋トレ、ランニング・マシン。
少々疲れ気味と思ったので65分で7.31km。
体重91.85kg。


『ヒックとドラゴン』のBLU-RAY+DVDのパッケージを買う。
本日それをデータにした。
DVDプレーヤーで一度は観ておこう。普段はiPod touchで観ちゃうんだろうけど。


土曜日の宇多丸のラジオ。
評論した映画は"スポーツマン山田"(笑)。
茶番ではあるがw、TBSが出資している『スペースバトルシップ・ヤマト』の名前を極力表に出さすに固有名詞の言い換えで評論するというのをやっていたのだ(笑)。
評論はともかく、番組の冒頭でその固有名詞の言い換えの説明を小島慶子がやっていたのだが、非情に無機質な感じでの説明が妙にウケました(笑)。


行きつけのカメラ店の店主との話。
自然の風景などを撮っているネイチャー・フォトという分野がある。
オイラのようにおネイチャン写真しか撮らない人間だと、普通の人からはだいたい蔑まれた目で見られていると感じるのはオイラの劣等感だらうか(笑)。
写真撮らない人からはたまに「風景撮らないの」って言われますけどね。
だけど反対に風景を撮ってる人に「オネイチャンのHな写真撮らないの?」とは聞かないやな(笑)。
いや、いいんです。
オイラは胸を張って自信を持ってHな心で女の子の写真を撮ってる訳ですから(笑)。
風景写真は撮ってもつまらないし、撮ればへたっぴだし(笑)。
それはともかくw。
全てのネイチャー・フォトグラファーがとはいわないが、コンテストで上位常連でいるようなアマチュア・カメラマンがどのようにして作品をつくっているのかを聞いてべっくり(笑)。
空間が抜ける様に邪魔な草木を切り落とし、自分で持ってきた好みの枝を地面に突き刺す。
その枝に鳥のヒナを巣からつまみ上げてのせる。
ヒナが枝にいるもんだから親鳥はそこに餌を運ぶ。
それを望遠レンズで撮影し、鳥の親子の仲の良さげな写真として発表する。
オイラを含めてコンテストの主催者や審査員のプロカメラマンもその鳥の習性を知らなければ所謂"決定的な瞬間"として見るだろう。
オイラもね、女の子の写真を撮っていて、まったく作為がない、とは言いませんよ(笑)。
撮影時の作為どころか、オイラの場合は撮った後もPhotoshopでどんどん作為を追加していくんだから(笑)。
ただね、世間的なネイチャー写真のイメージに対し、その写真を撮ってる人の中には薄汚な〜い方法で"自然"を撮ってる人がいるんだな、ということで(笑)。
富士山の写真なんかでも、通常の場所だとどこで撮っても同じ写真にしか見えないもんだから、近くに住んでいる人と仲良くなってその人の庭に桜の樹なんかを植えさせてもらっちゃって、桜と富士山をからめて写真を撮る人もいるらしい。
当然他のカメラマンはその場所に入れないから撮れない。
特定の人しか撮れない写真はそうやって作られる(笑)。
ハタからみれば滑稽だけど当事者は本当に真剣だからね。
ある意味撮影を趣味にしている人々にかけられた呪いみたいなものかもしれん。


『キック・アス』
ネタバレあります。
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土曜日。シネセゾン渋谷。
母親の通院の付き合いがあったので初日は無理かなと思っていたのだが(笑)。
会社に泊まって9時30分ぐらいにシネセゾン渋谷に着いて指定席を買う。
上映時には立ち見が出る満員。
満員の映画館なんて久しぶりだなあ。
オイラの本年度ベスト5の中に入る映画だ。
この映画、今年の春ぐらいにSHOWBIZ COUNTDOWNで観た覚えがある。
コメディのキワモノだろうと思って、オイラとしては観ない映画だと思っていた。
が、その後町山智浩や金城一紀の絶賛の声が聞こえてきて、ちょっと興味がわいてきた。
で、なんといっても面白そうだと決定的に思えたのが

この予告編。
クロエ・グレース・モレッツ演じるヒット・ガールのアクションがカッコイイかっこいい(笑)。
このカッコよさはなんだろう。
アクションとしてのコレオグラフの見事さもあるけど、やはり年端もいかないロリな女の子が拳銃を撃ちバタフライ・ナイフで舞い、
「このオマンコ野郎ども。楽しませてよ」
なんて常識的な子供が言わないであろう台詞ののギャップに萌えたのかもしれん(笑)。
実際ヒット・ガールがバタフライ・ナイフをカチャカチャやって開閉のアクションをする様はカッコよくて見事なんだよね。
物語はアメリカン・コミックスを原作としているが、映画用にアレンジが加えられている。
オイラは映画版もコミックス版も好きであるが、映画の方がちょっとハッピー・エンドに近いかな。
コミックスは最後まで主人公が傷つけられて終わって行くからね。
コミックスの暗さというのも現実のどうにもならなさを描いていて良かったとは思うが、映画にすると重すぎるかもしれない。
そう言う意味では原作コミックスを先に読んでしまってもネタバレ的になって面白さが損なわれるということはない。
原作版と映画版に共通する部分があるとすれば、少年期における性衝動と暴力性が転じた力への渇望という部分ではないだろうか。
それがストレートにヒーロー願望となるのだが、普通はそこから先はヒーローになった己を空想して終わる。
しかしこの映画の主役であるデイヴは、願望を現実に変えてしまった。
「可能性を本物の希望に変えよう!」(笑)
スーパーヒーロー願望を空想で終わらせずに現実にやってしまったら...というのがこの映画の骨子とも言える。
デイヴはどこの世界にでもいる本当に平均的な少年だ。
蜘蛛に噛まれてすさまじい体術を獲得するでなく。金持ちでもない。当然空も飛べない。
単なる非力なコスプレをした変わり者でしかない。
そんなのが目の前に来て、説教をはじめたら......
そりゃ、気味悪がって失笑して、逃げるか刺すよな(笑)。
刺しても正当防衛のようなきがするぐらい(笑)。
そもそも拳銃を携帯し、武術も多少学んでいるとはいえ実際は普通の人間と変わりないであろう警察官が、なんで暴力団等に強気ででられるかと言えば、とりもなおさずその背後に"国家"という存在があるからに他ならない。
例えば、日の丸を背負った警察官を殺しでもしたら、国家権力はそれを徹底的に潰しにかかるだろう。
その保険があるから警察官一人一人は強気で対する事ができるのである。
しかし、警察官ではない者が警察官の真似をする、所謂自警行為というものに国家の後ろ盾はない。
国民として国家に守られる権利はあるもののそれ以上のものではない。
だいたい自警行為自体がチンピラのそれとどう違うのか。
『スーパーマン』や『スパイダーマン』ではなく、『バットマン』のブルース・ウェインのような普通の人間が国家の後ろ盾もなく自警行為を行えるのは、彼の鍛えられた肉体もさることながら、莫大な金を持っているからという事なのだ。
国家権力に匹敵する装備を開発する金があるから出来る事なのだ。
そういうことになると『アイアンマン2』のように国家はその武装に対し脅威を感じて敵として認識するにいたる。
暴力団が何千人集まったところで国家を転覆させることはできないが、現実にバットモービルなりアイアンマンのスーツがあればそれが可能になる。
話を戻すが、では金持ちでもなく体術も突出していない者が自警団になったらどうなるのか。
あっという間に犯罪者に捕まり、拉致されて筆舌につくしがたい拷問を受けて苦しんで死ぬという末路だ。
ビッグ・ダディとヒット・ガールはその辺りは自覚的で、身を守る為のバカバカしいほどの訓練をつむ事で力を保持している。
ある意味、自警という行為が現実の中で如何に成立しないかということを実にリアルに描いていると思う。
この手の映画の定番となりつつあるものに鏡に写った自分と対話するシーンがある。
これは明らかに『タクシードライバー』からの引用だ。
思えば『タクシードライバー』も性衝動と暴力性に突き動かされた男のヒロイズムへのあこがれの映画だった。
モヒカン刈りがコスプレの代わり。
『タクシードライバー』のトラビスは最終的には街のヒーローになったし。
この『キック・アス』に関して言えば本当に良く出来た傑作だと思う。
オイラの趣味、カワイイ女の子、銃、殺戮、(笑)、とヒロイズムに関する哲学がありドストラクな映画であった。
この映画の監督マシュー・ヴォーンは自分のヴィジョンを曲げない為に自腹も切ったらしい。
ますます好感が持てる。
ニコラス・ケイジも出てくるけど、これがまたカッコいいんだわ。
今まで観てきたニコラス・ケイジの中では一番好きかな。
『ザ・ロック』のニコラス・ケイジも良かったけどね。
DVDは絶対買う。
by 16mm | 2010-12-19 22:46 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(2)

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渋谷。
by 16mm | 2010-12-18 09:59 | iPhone

佐藤秀峰さん、ありがとうございます。

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感激である。
by 16mm | 2010-12-15 00:03 | | Trackback | Comments(2)

『龍馬伝』『ベロニカは死ぬことにした』『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』

昨年と同じ感じで仕事がエライことになっている(笑)。
しかも同じ仕事(笑)。


民主党、オマエんトコもダメかあ(笑)。
「都青少年健全育成条例」の改正案が可決される見通しだと。
非実在な世界を実在の条例で取り締まるというシュールなことがおこるようだ。
そもそもオイラが民主党に選挙の票を入れたのは、この手の問題はむしろ自民党の方が急進的にやりそうだと思っていたからだ。
それが民主、自民、公明の3会派が一致して改正案成立をさせるという。
所謂18禁の漫画雑誌はコンビニの中でも区分けされ、中年のオイラですら立ち読みできない様にテープで封印されているのだが、これで十分ではないのか。
子供の目から本当に性の知識を封印できると考える方が非現実的なんだけど。
この法案は販売ではなく、創作者に枷をはめるものになる。
創作上において強姦や近親相姦を扱う事がそんなに罪なことなのか?
石原慎太郎や猪瀬直樹のこの問題に関する上から目線の態度に非情に不愉快に思うのだが。
というわけで、もう民主党もダメということが分かった。
入れたくないけど、今後は共産党に入れる(笑)。
或は雑民党(笑)。
ほんとね、国政についてはオイラの手に余るからあまり口出ししないけど、この条例に関しては非情に危機感をもっていてね。
「慎重な運用」なんて言っているが、誰が信じるかボケ。
テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』のような悪夢のようなディストピアが実際に目前に広がり始めた。


土曜日、今年最後であろう歯のメンテナンス。
治療後、歯の先生にLEICA M9を見せてもらう。
まさか購入していたとは思わず、かなり衝撃を受ける(笑)。
LEICA M9は実物を見るのも触るのも初めてである。
いや〜スゲえ。
一言で言えば風格が他のカメラとは違う。
このカメラにだけ違う風が吹いているような(笑)。
良い拳銃というのは、的に当てられる気がする銃だ、と言ったのは押井守w。
カメラも同じで、良い写真撮れそうな気がするカメラというのも存在していてw、まさにLEICA M9がそう(笑)。
裏蓋を外してメディアを出し入れするというのも煩わしいと思ったが、実際やってみるとそうでもないということが分かった。
一眼レフのようにミラーの動きによる振動がない所為か、"コトン"という音とともにシャッターが切れ、しっかりホールドしてれば手持ちでもブレはかなり抑えられると思われる。
一瞬自前で持ってる全てのカメラを売っぱらってLEICA M9を買おうかと思ったが、そこは冷静に冷製に(笑)。
道具として持つ嬉しさという特権的な気分にさせられるモノであるのは間違いない。


来年FUJIからFinepix X100というレンジファインダーなカメラがでるようだ。
性能的にはとても興味深いものであるのだが、どうにもガタイのデザインが、よく言えばクラシカル、端的に言えば古くさいwのであまり食指が伸びないw。


来年は中級機のフルサイズの一眼デジカメを買うつもりである。
本当はフラッグ・シップ機を買いたいところだが、無理w。


iTunesで『伝説巨神イデオン』のエンディング曲、『コスモスに君と』を購入。
作品自体にはあまり思い入れはないのだが久々にこの歌を聴いたら欲しくなってしまったのだ。
戸田恵子が歌ってたのね。


坂本龍一と言ったら『戦場のメリークリスマス』が条件反射で脳内に曲が流れる人が多かろう。
オイラもそう。
『シェルタリング・スカイ』も『ラストエンペラー』も好きだけどね。
そんななかでオイラが発作的に聴きたくなっちゃうのが『SELF PORTRAIT』。
受験の時にウォークマンで聴いて、それから断続的に聴き続けている。

多分一番好きな曲だと思う。


本日ジムに。
ストレッチ、筋トレ、ランニング・マシン。
65分で9.08km。
体重91.60kg。


『龍馬伝』
NHKの大河ドラマを一年観続けたのは『新選組!』以来である。
で、『龍馬伝』だが一年間とても楽しんで観れたドラマであった。
まず映像のルックが好みだったということがある。
ほこり、スモーク、よごし、逆光、自然光のシミュレート。
これらの要素が画面の向うの世界をリアルに感じさせていた。
構図やカメラの動きも結構凝っていて感心した。
NHKにもキッチリと映像を作ろうという姿勢をもっている人達がいるのだな、と思いうれしくなった。
この手のリアルな映像であるが、ネットだか雑誌だかでは案の定「画面が暗い」などという感想も散見した。
オイラは逆に『龍馬伝』観たら、他のドラマの映像が明るくて嘘くさく感じちゃいましたけどね(笑)。
映像的にはかなり力を入れているし、セットなんかもかなり大きく作られているんじゃないだろか。
不景気な時はNHKは強いのかw。
民放でこんな映像で作ってるドラマってないだろうね。
ノンスポンサーのNHKならではの強みがいかんなく発揮されて良い方に転がったのだろう。
さらに実制作をした人たちの努力にも頭が下がるね。
物語としては、日本で一番有名な坂本龍馬の小説を意図的に踏まえないようにしていたのが伺える。
その小説とは言うまでもなく司馬遼太郎の『竜馬がゆく』である。
坂本龍馬をやる場合この司馬の作品の影響下から脱するのは並大抵のことではないだろう。
本当に多くの人が『竜馬がゆく』から坂本龍馬を知った気になっているわけだから。
オイラも当然そうだけど。
なので『竜馬がゆく』であった展開や台詞を別の要素で補うことについては相当に大変であったろう。
坂本龍馬のドラマをすべて観ている訳ではないが、『龍馬伝』のように水夫としての龍馬を掘り下げたのはこのドラマが初めてなのではないだろうか。
武田鉄矢と小山ゆうの『お〜い!竜馬』で多少描かれてはいたが、海の男でありながら船上で動き回る龍馬というのは今までなかったような気がする。
そういう意味ではエポックメイキングな龍馬像を造ったような気がする。
福山雅治の龍馬というのも上手くハマっていた。
飄々としたハンサムさというのは、実際の龍馬がもっていたであろう"人たらし"感がうまく表現されていた。
ナイスなキャスティングであった。
ただ、前述した司馬の作品からの離脱の為のものであろうが、岩崎弥太郎の回想という形での構成は少々無理があったのではないだろうか。
龍馬に憧れつつも龍馬のようには生きられない多くの人の目線代表が弥太郎なのだろうけど。
体のいい龍馬の引き立て役でしかないわけだが。
物語全体としては多少VS欧米という部分にキナ臭さがないわけではないが、江戸末期のその時代ならそういう反応が自然だったのかなとも思う。
どちらにしても非情に面白いドラマであった事にはかわりない。
来年の大河は観ないが、映像はまた以前の明るい映像に逆戻りw。
まあ女優さんが多く出るドラマだから仕方ないかw。
DVD、買ってしまいそう(笑)。


宇多丸のラジオで今週の映画評論の俎上にのるのが『スポーツマン・ヤマダ』(笑)。
TBSが出資している映画の評論である(笑)。
こんな感じなので評論の中身はなんとなく分かってしまうな(笑)。


今までラジオは文化放送一辺倒であった。
いまでも文化放送は大好きなのだが、お昼の番組のパーソナリティーがあまり好きではないので(笑)、TBSの小島慶子を聴く様になった(笑)。


『ベロニカは死ぬことにした』
ネタバレあります。
iTunesでレンタルしてiPod touchで視聴。
この作品の興味は言うまでもなく真木よう子のおっぱいであった(笑)。
ただ如何に真木よう子のおっぱいが神々しくても中年のおぢさんであるオイラには観る動機としては弱い。
で、iTunesでレンタルする前にプレビューとして作品の冒頭が観れるのだ。
それがたまらなくよく感じたのだ。
図書館での描写。書棚を横移動で追い、本の隙間から真木よう子を撮影している感じがなんとも思わせぶりでクールで無機質で、オイラの好みの作品かも、と思ってしまったのだ。
薬を綺麗に並べる偏執狂的な描写もすばらしい。
絶対オイラ好みだ、と思ってしまったのだ(笑)。
有り体に言えば自殺に失敗した真木よう子演じるトワが入れられたサナトリウムのシーンになると、途端に饒舌な会話が繰り広げられる事になる。
冒頭の寡黙さがふっとぶw。
好みの問題として言ってしまうが、この展開が異様に鬱陶しく感じられたのだ。
この手の内面さらけ出しな感じのの感じって、役者に妙なアドレナリンを噴出させる傾向がある。
普段思っていても言えない事を嬉々として言える訳だからね。
中島朋子だとか、非情に芸達者が出ているのでおかしな事にはなっていないのだが、どうにも作品に入り込めなかった。
映画自体もどのあたりのリアリティを着地点にしているのかオイラには分からず。
一種のユートピア、ファンタジーにも見えるわけだが。
心象風景としての映画という風でもない。
非情になんだか分からない。
楽しみにしていた真木よう子のオナニーシーンであるが(笑)、これはこの映画の中でそんなに必要か?
オイラの好みとしてはむしろ真木よう子、脱がなくてもよかったんではないか?と、真木よう子のおっぱいを観てから言っても説得力はないが(笑)。
ああ、でもサナトリウムのシーンで考えれば脱いで激しくオナニーというのもアリな気がするが。
サナトリウム全体もう少し抑えた感じで描写すればオイラ好みだったなあ。
そうすれば真木よう子は別に脱がなくてもいいわけだし、パンティーだけとって、服着たままオナニーしてた方がよかったかも。
あと、サナトリウムの人間がみんな特殊すぎ(笑)。
患者を普通に落ち着いた感じで演じさせて、医者だとか看護士をエキセントリックにすれば上手い対比として成立したんじゃないかな。
医者がこんなにはしゃいだ感じなのに、患者はそれに影響されない。
影響されず淡々とした感じがむしろ普通じゃなく感じさせたりとかね。
あのサナトリウムにいた人間がみんなおかしな事になっているのがどうにもリアルに見えない。
なのでオイラはまったく面白さが分かりませんでした(笑)。
真木よう子のオナニーシーンの直後にシャワー・ルームのシャワーや水道が全て出しっぱなしになってる描写がある。
それはそれでイメージ映像挿入した気持ちは分からんではないが、映画としての描写としてはリアルさに欠ける。
少なくとも真木よう子演じるトワはリアルな死を意識させる存在であるべきなので、なにからなにまでファンタジーの体裁では物語自体が破綻するのだ。
結局印象としてはトワ自体の存在にもリアリティが感じられず、映画自体はすべてが思わせぶりなだけのなんだかななものであった。
最後に、この頃の真木よう子の演技はイマイチだと思う(笑)。


『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』
ネタバレあります。
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先週の木曜日、会社帰りにテアトル新宿に。
平日の最後の回であったが半分くらいは客で埋まっていたか。
実に良い映画であった。
傑作と言ってもいいかもしれない。
今まで観てきたサイバラ関連の映画の中でも屈指の出来ではないだろうか。
演出の手つきが安定しているというか、まあ東陽一というジジイの監督だからw老練と言えるのかな(笑)。
原作は西原理恵子の旦那であった鴨志田譲の小説。
たぶん小説と言ってもいいと思う。
鴨志田の原作は一人称の視点で、アルコール病棟のこと、自分の病気のことなどが割とカラリとした感じでかかれている。
この原作もいい本であった。
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表紙絵はリリー・フランキー。
このリリーがパンフにかいた文章がまたいい。
<鴨志田さん、自分のことが映画になっちゃって、照れてるだろうなぁ・・・。>
いやあ、もう単文でいい文章だな、リリー。写真はへたっぴだけどw。
それはともかくw、この本は鴨志田が生前かいたなかで唯一サイバラの挿絵がない。
この事からも鴨志田のある種の覚悟が垣間見れて泣けてくるのだが。
しかし映画の方は完全に三人称の視点に移行している。
一人称から三人称への移行は口で言う程簡単なことではなかろうが、その脚色がとても上手くいっているのだ。
この辺りが脚本もかいた監督の老練さか。
三人称にすることで、塚原(浅野忠信演じるアル中の戦場カメラマン)の心情からも距離を置いている。
それは映画での台詞にも現れていて
「地獄を見た人と、その地獄の中で生きている人とどっちが苦しいでしょうか?」
この原作をかいた鴨志田に対しても容赦のない台詞をこの映画の監督はかいている。
これは地獄を見てきた塚原に対し同情をしないということではない。
同情するにしても批判するにしても、当人以外完全に理解する事はできないものだということを前提にしようということではないかと考える。
それはアル中の当事者がかいた物語を、さも分かったかの様に映画にするつもりはないという誠実な態度だと思う。
なので映画のタッチとしては同情的にも批判的にもなっていない。
塚原の方の気持ちに立たないかわりに妻の方にも肩入れしていない公平さ。
映画として描く価値だけを信じて誠実につくられている。
ある家族が遭遇した出来事を淡々と綴っている風に見えるのだ。
この手触りが『ベロニカは死ぬことにした』になかったんだよね。
オイラには珍しくこの映画のパンフを買ったのだが、この中で鴨志田穣の御母堂の文章があり、映画の中の穣と現実の穣は違いますと言い切っている。
たぶんサイバラも同じ気持ちであろう。
映画でもいわれたらうなされそうな罵倒が出てくるが、実際はそんなものではないということなのだろう。
関わった人にしか分からない地獄というものを見てきたのだろうなと思うと本当に泣けてくる。
大きなお世話だが、映画に子供が出てくるのだが、それは現実のサイバラの子供達と繋がっている。
映画に出てくる子供達があまりにも良い子なので、現実の西原の子供たちが比較の対象となってしまうことに他人事ながら心配してしまう。
まあ、それはそれとして。
で、ここまで傑作だと持ち上げていたが、この映画には致命的な不備と感じられる部分がある。
それが映像表現。
酔った塚原の前に幻覚の人物が現れたり、最後にドッペルゲンガーのような塚原が去って行くシーン。
これが酷い(笑)。
フィルムを一回止めて役者をフレームインして再び回しました。
フィルムを一回止めて役者をフレームアウトさせて再びまわしました。
というのが丸分かりな稚拙さ(笑)。
映画に予算が無かったのと、たぶん監督自身がこの手の映像表現に無頓着なのだろうね(笑)。
折角の気分の盛り上がりが、音を立てて崩れて行くよw。
今後は非SFであっても積極的にCGを含めた映像表現を考えた方がいいと思う。
折角良い映画なのにこんなことでマイナスになるのはもったいない。
物語さえしっかりしてれば映像のアラは帳消しになる、という理屈は少なくとも今は通用しない。
監督がジジイで無頓着なら山崎貴監督を映像関係のスーパーバイザーに呼べばよかろうよ(笑)。
この映画、幻覚のシーンだとかをもっと入れ込めば現実と虚構をテーマにしたエポックメイクングな作品になってたはずだと思う。
日本でフィリップ・K・ディックの世界を描ける映画がつくれそうだったのに。
まあ詮無い事ですが(笑)
映画としては実に良く出来ていた。絶対DVDだかブルーレイは買うだろう。
俳優陣はみんな上手い。
子役も上手いし、永作博美の丸顔がサイバラっぽくて萌えました(笑)。


今週から『キック・アス』。初日に見るのはむりだろうな(笑)。


今週末は母親の通院につき合うつもりである。
by 16mm | 2010-12-12 22:04 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(3) | Comments(2)

『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』

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会社帰りに新宿に。
面白い。傑作(^∇^)。
だけど致命的に惜しいんだよな。
原作が良いだけに、もったいない。
by 16mm | 2010-12-09 21:14 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(2)

『グラン・トリノ』『SPACE BATTLESHIP ヤマト』

本日、ピザを食べたら歯が欠けた(笑)。


うっそ〜w
金城一紀の"帰ってきた「映画日記」"が終わってしまった。
残念。しかたないか。


土曜日、ヘアカット。
切ってくれる美容師さんはオイラより10だとか10以上歳若い人たちなのだが、揃いもそろって仕事に対して真面目で熱意をもって向上心に溢れていて、薄汚い大人となったオイラは「どーしてオイラはこーなったのか」などと考えたりするw。
やれやれw。


本日日曜日、ジム。
ストレッチ、筋トレ、ランニングマシン。
数日前からフクラハギが張っていたので、約40分で4.19kmでおしまい。
体重91.67kg。
またまた増え傾向。昼を若干食べる様になってしまったせいだろうかw。


潰したと思ったらゾンビのように甦る。
またも東京都議会が『青少年育成条例改正案』通そうとしている。
性描写の激しいマンガを嫌悪するのはかまわんし、公に批判する事もかまわんよ。
それが自由というものだから。
その好き嫌いになんらかの根拠を与えたいという欲求が法制化に繋がっているのが大問題。
性描写が嫌い、という個人的嗜好では他人を説得するにははなはだ弱いが、法律で禁じられているからと言えばどうどうと自分の嗜好がお墨付きなものとして強制力を持ち得る。
自分の息子のオナニーの現場を目撃したくないという母親の意気地のない願望がこの法律を後押しする。
オナニーの現場を目撃したら問答無用で頭をドつけばいいじゃないの。
「このエロむすこ。エロい写真見やがって。こういうのは大人になってから見やがりなさい」
それで済むだろう。
こんなくだらいない事の為に法律なんてつくるなよな。
そもそもこの判断を下すのがどういう見識をもった人間なのか分からない。
前の法案が通りそうだったとき、都の職員かなんかが永井豪に対して、
「あなたの作品は大丈夫ですから」
と、言ったとかw。
アウトだろう永井豪(笑)。どう考えてもw。
彼の若い時の作品なんて悪書の代表として無茶苦茶な糾弾をされていたんだから。
こんな調子の奴らに文化のなにが分かってるというのか。
百害だけだ。
猪瀬直樹が
「こんなくだらないものを本当に守るんですか?」
などとあるエロな漫画を例にだしていっていた。
アホか。
とても作家の発言とは思えぬ。
多くの読者が読む前に規制したら、その作品がくだらないのか、そうでないのか分からんではないか。
大人でも子供でも最初はオッパイだのオマンコだのちんちんだの衝撃的な部分に目を奪われるが、それは一時的なもので、それ以降それらが出ていても、読むに値するかどうかは個人で決めて行く。
そこで本当に下らない作品を描いた作家は淘汰される。
そういう過程を経ないで、猪瀬ごときのようなヤツがオッケーを出したものだけを読まされるようになった時、文化としては実にくだらない状況になる。
エロ本だって見続ければ、それがおっぱいが出ていたってつまらない作品だというのが分かってくるものだ。
言っておくがエロ漫画を見た人間が即性犯罪を犯すなどということを本気で思っているのか、この法案の推進者は。
子供の未来を守るって錦の御旗のように言ってるけどね。
宮崎駿が言う通り子供の未来なんてのはくだらない大人なんだから。
その子供時代の一瞬を大人が見た綺麗なものだけでなく、隠れてこっそり覗き見るような体験をする自由というものも大人として与えるべきではないのか?
オイラは石原慎太郎は大嫌いですけど、ヤツがかいた小説すべてを否定するわけではない。
『完全な遊戯 』をかいた石原がなぜこんなバカな法律の片棒を担ぐのか。
『完全な遊戯』の登場人物なんて単なるエロよりも酷いことをやってるよ。
アホな子供に影響を与えるという意味では単なるエロ漫画よりも害になるかもしれない。
しかし、その小説を読んで自分の内面と向き合う人だっている。
それともなにか。
石原は自分の小説とエロ漫画は違うと思い上がっているのか。
漫画は視覚的な要素があるから衝撃が多いので規制の対象になるのも仕方ない、などという意見もある。
つまり、小説にはもう人心を動かす力は無く、漫画の方が文化としての力をもっているという事だな(笑)。
一部の小説家は文字の力で読み手の想像力を喚起させて、文学の力を信じている者だっているのだ。
筒井康隆であるとか、三島由紀夫もそうだ。
漫画は描かれたもの以上のものはなかなか見えてこないものだが、小説で喚起されたイメージは実態化できないほどのおぞましくも背徳的なものになることだってあるのだ。
そっちの方が危険ではないのか。
愚にもつかない奴らによる検閲が法制化されたら、それが覆る事はまずない。
ここが踏ん張りどころなのだ。
漫画や小説のエロよりも、非実在ではない、実在する幼児のポルノを摘発する手だてを考えろ役人ども。


『岳 13』
今回も全編が傑作。
住所不定なセイントがいることを許された場所。
『寅さん』みたいなものかw。
だけど『寅さん』じゃ人は死なないからね。
人が滑落したり遭難するような山に住んでいる三歩。
いくら経験値が違うと言えども死の危険は三歩にだってある筈なのに我々は彼を一種のスーパーマンのように認識していると思う。
単に今の所山に愛されている男だということにすぎないのではないか。


『セラフィム 2億6661万3336の翼』<限定版>
今から15年ほど前、アニメージュ誌で『風の谷のナウシカ』の連載の後を受けて始まったコミック。
原作が押井守。作画が先日亡くなった今敏。
いまの今まで単行本化されなかったのは、色々理由はあるだろうが、連載が16回で終わり事実上の未完となっていたからだ。
13回目以降は押井のクレジットは"原作"から"原案"に変わった。
つまり押井が作品から手を引いたということだ。
なにがあったかは推測するしかない。
邪推でいえば<今敏も部分的にいっているのだが>、進まぬ押井の原作に対し今敏が挑発的にエンターテイメントの方向にブレてみたせいなのかと思う。
もっと邪推すれば作品のなかで出てくる犬、バセットハウンドが凶暴に人間ののど笛に噛み付いたり、銃で撃たれたりしたカットが描かれていた。
押井がバセットを凶暴に描くとは思えないのでこのあたりで今敏との齟齬が生じたのではないか。
つまり、原因は犬w。
今敏については画力はあってもアシスタントをしていた大友克洋のエピゴーネンでしかないというのがオイラの当時の見方。
『セラフィム 2億6661万3336の翼』を描いていた時は初監督作の『PERFECT BLUE』の頃。
『PERFECT BLUE』は今でも観るのが辛くなるような、ハッキリ言えば大嫌いな作品。
そんな作品しか作れないような人間が、痩せても枯れても押井に意見するなんてのは思い上がりもいいとこだなと思っていた。
今敏については今でもオイラはそう思っている。
彼の作った映画でオイラが観た内では『パプリカ』が面白かったぐらい。
そんなわけで他の作品も意識的に観ようという気はまるでない。
この『セラフィム 2億6661万3336の翼』については連載のごま切れではなく、通して読んでみるとまた違った印象で、結構面白く感じられた。
コミックは限定版を購入した。付き合いのあったアニメーターの献辞であるとか対談が小冊子にまとめられていた。
ほぼそれが目当てでわざわざ高い限定版を買ったようだもんだ。
押井も一言あってもよさそうなものだが、それはナシ。
両者に埋め難い溝があったのかなと思ったりする。


『グラン・トリノ』
ネタバレあります。
iTunesストアで購入。
購入の理由は宇多丸が
「『グラン・トリノ』を観ない奴は映画ファンを名乗る資格なし」
と言っていたから(笑)。
この映画、昨年同じくイーストウッドの映画である『チェンジリング』のすぐ後くらいの公開であった。
『チェンジリング』は悪くはないけど、まあ『ミリオンダラー・ベイビー』ほどの衝撃も受けなかったしということで、その後のイーストウッドの映画をなんとなく敬遠したのだ。
『グラン・トリノ』は俳優クリント・イーストウッドの最後の作品という触れ込み。
この触れ込みを見て観に行かないヤツは......という事なのだと思う。
イーストウッドはジョン・ウェイン以降のハリウッド映画史そのものだからね。
しかし、オイラ別段昔からイーストウッドが好きだったわけではないし。『ダーティー・ハリー』なんてTVでチョコチョコ観た程度なのでちゃんと観たうちにはいらないし。
あの手のバイオレンスがイマイチ好きではなかったんだよね。
このジジイ、もしかしたらすごいかも、と思ったのは『許されざる者』から。
だからかなり遅れてきたイーストウッド・ファンであるといえる。
で、iPod touchの小さな画面で観たよ『グラン・トリノ』。
結果、劇場で観なかった事を激しく後悔した。
傑作。
もしかしたら現時点でのイーストウッドの集大成かつ最高傑作かもしれん。
まずスター俳優が出ている事の肯定的なメリットというものをまざまざと見せつけられた。
そのスター俳優とは言うまでもなくクリント・イーストウッドに他ならない。
物語自体は非情にシンプル。極端に言えば字幕が無くてもなんとなく分かるような内容なのだ。
スター俳優のメリットというのは説明を省けるという点である。
それは観る側の共通認識でイーストウッドがこれまでどういう映画に出てきたかというのが分かれば演出上の説明を省く事ができる。
例えばイーストウッド演じるコワルスキーが上着の内側に手を入れるシーンがある。
ショルダーホルスターに手を伸ばすような描写だが、コレ、まさに『ダーティーハリー』のハリー・キャラハンじゃん(笑)。
これで説明無しでこのコワルスキーがどんな男なのか分かってしまう。
それから普通の映画では、多分画にならないとしていたであろうアジア人俳優を多く使う事ができる。
アジア人を何人使おうがイーストウッドが出れば場が十分に持つという。
この辺りはイーストウッド自身も冷静に考えている部分であったろう。
なんといってもこの映画の出ずっぱりの主要キャストはアジア人なんだから。
イースウッドが主演するという条件でなければ出来ないキャスティングだ。
日本のつまらない車がもてはやされているアメリカ。
そのなかにあって古き、良いと信じられていた頃のアメリカの終焉につくられたフォードのグラン・トリノ。
その車を大事に乗り、家の前には星条旗をかかげ、芝生の手入れを怠らない、働き者の保守親父がイーストウッド演じるコワルスキー。
そんな頑固親父なもんだから身内である息子や孫にまで疎まれる存在。
イーストウッドの映画で『ミリオンダラー・ベイビー』がそうだったが、最悪の身内というのが出てくる。
身内より身近な知人の方が信頼できるという構図。
『グラン・トリノ』に出てくるコワルスキーの身内も最悪だったが。
更にコワルスキーの隣に越してきたのがモン族の一家。
悪態をつき唾をはくコワルスキーを見て、モン族のばあさんも唾を吐くのがいい。
唾を吐かれたら取りあえず吐き返せというのは両者を対等の立場に持ち上げる手段ではある。
しかしこの身内にも心を許さないコワルスキーが、見ず知らずのモン族の隣人に対して心を開いて行く。
まあコワルスキーはメシで釣られたと言う事もできるが(笑)。
普段一人でビールを呑みビーフジャーキーを齧っているような生活から、言葉は分からないが大勢の人がいるなかでうまい飯を喰うという事の幸せに目覚めた。
飯をキーにしたのは絶妙だね。食べるという事はすなわち生きるという事だから。
それからモン族の人たちがなにかにつけコワルスキーを気にかけ家に押し掛け、なにかしらおいて行く事を彼自身がしだいに許して行く事になる。
コワルスキーも彼等にどんどん優しくなっていく。
アジアの人間とも仲良くなれるんだと今更ながら気づいたのであろう。
しかしそれによってコワルスキーの過去が彼を苦しめ始める。
妻の遺言であるにも関わらず教会での懺悔を頑に拒否するコワルスキー。
彼が従軍した朝鮮戦争での地獄は神の存在すら無にするほどの経験だったのだ。
モン族の隣人と同じような顔をした民族の兵士を殺したという自責に苛まれる。
モン族の少年タオに向かって言う台詞
「"人を殺してどう感じるか"?この世で最悪な気分だ。それで勲章などもっと悪い。相手は降参しかけていた。お前のようなガキだった。そいつの顔をあの銃で撃った。毎日思い出す、その気持ちがわかるか?」
こんな気持ちを抱えている人間に神や宗教は本当に安らぎを与えられるのか?
戦争だからしょうがなかったと思考停止できないのがコワルスキーなのだ。
『ミリオンダラー・ベイビー』でもそうだったが、イーストウッドの映画には教会が出てくる。
この宗教的描写というものが肯定的なものなのか否定的なものなのか、ちょっとよく分からない。
その辺りはもうちょっとオイラがつっこんで考える所だと思われる。
『グラン・トリノ』では散髪をしたり、服を新調したり、身体を清めたりなどのような死の準備的な儀式の一つとして教会での懺悔が挿入されている。
十字架に張り付けられたジーザス・クライストのように死ぬコワルスキーは、ある意味宗教的な死のイメージを被せているのだろうが、深い意味としてオイラには受け止めきれてないのではないかと思っている。
コワルスキーはある策を練ってタオの姉を暴行したモン族の家に行く。
銃も持たずに、あたかも持っているかのごときふるまいをし(このあたりが前半の懐に手をいれるというのが上手く伏線になっている)相手に撃たせる。
丸腰の人間を蜂の巣にしたら彼等はそう簡単には刑務所から出て来れない。タオ達一家は平穏に暮らして行ける。
同じ民族のタオに殺させたら、同じ民族内での憎しみの連鎖は止まらない。
病に蝕まれ、最悪な事態を招いた幾ばくかの責任を取る事を考えたらコワルスキーが一人で決着をつけるしかないのだ。
カッコよすぎるね。
とにもかくにも、こんな死に様なら本当に俳優としてのイーストウッドの最後にふさわしすぎるではないか。
鏡に向かって、写った自分に「誕生日おめでとう」なんていうイーストウッドを誰が想像したであろうか。
ここまでやられたら、これが最後でも良いと思っちゃうよ。
コワルスキーの心は身内ではなく、アジアの少年に託された。
アントニオ猪木的に言えば「闘魂注入」というやつかw。
タオという少年の顔が実にいいんだ。
姉のスーもオイラ好みだw。
それはさておきw。
自分の作ってきたものはアメリカだけではなく、人種おも越えて伝わる筈だという自信や希望なのかもしれん。
この映画、宇多丸がそうであったように、ある種のクリエイティブな人間なほど作品のなかに埋め込まれた"バトン"の存在を察知し、そのバトンを誠実に受け取ろうと思わせる、そんな映画なのではないか。
むろん"バトン"とはイーストウッドからのものほかならない。
最後に、毎度思うのだがイーストウッドの映画の照明はすばらしい。
明と暗を意図的につくったシンプルな照明。
タオがコワルスキーのガレージに忍び込んで立ち回るときの揺れた照明の効果がすばらしい。
すべてがシンプル。
間口は広く、そして観終わった後は自分の立っている場所が一段高い所に上った気がする。
そんな映画である。
今年の新作ではないが、今年観たなかではベスト3に入るだろうね。


『SPACE BATTLESHIP ヤマト』
ネタバレあります。
先週の金曜日MOVIXさいたまで鑑賞。
昨年の大晦日の『ガキつか』のスペシャルのCMで始めて本作の映像を目にした。
一年ずっと楽しみにしていた本作。
期待は高まっていたと言える。
結論を言えば、取りあえず楽しめた、だ。
楽しめた。面白かったと言っても良い。入場料代は十分に楽しめた。
もっと言えば山崎監督の前作『BALLAD 名もなき恋のうた』よりも楽しめた。
あの最も志の低い昨年の『復活編』なんかよりも1000倍ぐらい楽しめたw。
本作の感想で言えばこれで十分。
他人に気軽にオススメだと言える映画だ。
すくなくともオイラにとっては。
以降蛇足である。
この映画が楽しめたのはある程度これまでの『ヤマト』という作品を知っていたからという意味である。
つまり『ヤマト』という作品の約束事をすべて了解した上で楽しむ映画だということだ。
というのは製作者は明らかに、意図的にそれをやっていると思うからである。
なによりもヤマトのデザインを<多分>変えられなかったことが本作の物語を構築する上で時代性を獲得できなかった一番の原因であろうと思えるのだ。
なんと言ってもいまだにヤマトの船底に第三艦橋があるのだ(笑)。
この艦橋ってアニメ版の時からなぜあるのか謎であった。
最初のTVシリーズでは最低2回は第三艦橋が無くなってるんだけど、次の週には何喰わぬ顔で復活してたりとゾンビのような第三艦橋。
なんでここが狙われるかと言えば答えは簡単、ヤマトの船底には武装がないから(笑)。
確かに日本海軍の戦艦大和は船底は海のなかだけど、宇宙戦艦は360度すべてをさらしている訳だ。
それをまったく考慮せずに船底に武装が無ければ弱点にもなるわな。
今回の本作においても、第三艦橋を見殺しにする所があるけど、あれって船底に武装があれば防げたのと違うのかなw。
だから第三艦橋は軍の規律を破った者とか、素行不良な者だとかが島流しにいくところ。「悪ことすると第三艦橋におくるよ」っていわれていたのかもしれん(笑)。
更にヤマトのなかの重力について。
宇宙船でありがなら艦内でクルーはフワフワを浮かずに歩き回り、ヤマトが傾けば皆ものにしがみついて傾きに耐え、古代進に至ってはワープ中に森雪とセックスしてナカダシをするという暴挙にでた(笑)。
つまりであるヤマトは人工重力発生装置なるものを装備し(作品中何の説明もなかったが)、その発生源は船底である第三艦橋にあったのではないか(笑)。
その他、地球の命運をかけるのにクルーが日本人だけってのはどーよ、とか、結局第一艦橋が一番安全だった、とか、宇宙船の格納庫で実弾を盛大に発砲するというのはどーなのよ、とか、ガミラスとかイスカンダルが憑依した時の目の光り方ってショボくない、ってとことかね(笑)。
かなり揶揄した形の半笑いな物言いになってしまったが、これらの事って監督の山崎貴が気にしてない訳ないんだよね。
この人は『ジュブナイル』とか『リターナー』を作った人でSFについて分からない人ではないのだから。
ヤマトのデザインは変えられないというのが至上であったのは間違いない。そうすると現在では明らかにおかしいと思われている艦内の重力問題も今までのヤマト・シリーズを踏襲せざるをえないわけだ。
『ガンダム』の富野由悠季の最大の発明は宇宙での無重力を表現した点だと思っている。
動くグリップで移動する事によって、歩かせるというアニメーションで最も地味で難しい事をしないですみ、尚かつ宇宙での環境というものを的確に表現できる。
予算の問題や技術的な問題があるのは分かるがそれをやらなかった事により、確実に時代性を獲得できなかった。
あの『アバター』の冒頭の見事な無重力シーンを観た後だ。
それから古代進をはじめクルーの様子が楽観的すぎに見えてしまったりとか。
特に古代は自問の独り言が多い(笑)。
これは明らかに表情の情報量の少ないアニメーション的な演出方法で実写でそれをやると全体にもたもたした感じになって画的に鬱陶しい。
これはもしかしたら古代進役の役者に見せ場を多く作るためのものだったのかもしれないが。
物語的にも本作は一番最初のTVシリーズの『ヤマト』と劇場二作目の『愛の戦士達』を折衷したものになっていて、クライマックスがブレてしまっている。
つまり最初のTVシリーズの『ヤマト』は沖田艦長の死をクライマックスに持ってきて盛り上げていたのだ。
第二作ではヤマトの特攻と古代と森雪の甘美な死というものがクライマックスになっていた。
本作ではクライマックスがヤマトの特攻なので、沖田艦長の死というものがものの見事に宙ぶらりんになってしまっている。
オイラと山崎監督は同世代。
多分ほぼ同じものを観てきた世代だ。
だから『ヤマト』というアイコンが『スターウォーズ』なみに重要なもので、自分が手がけるチャンスがあったら絶対に手に入れたい気持ちも分かる。
感動したであろう劇場二作をどうしても入れたかったのは分かる。
しかしである。根本的な事を言えばデザインを変える事も出来ずに周辺の世界観やデザインを少ししかいじれない状況で、今この時に『ヤマト』をやる意味がどこにあるのか?と開き直ってもよかったのではないか。
山崎監督は夢のような映画を演出できて多少は満足だったかもしれない。
しかし、この映画CG的(たぶんCGだけではなく模型も使っていると思うが)に観る価値があるところはせいぜいヤマトが地中から飛び出してくるところぐらい。
それ以外は見せ方もクオリティもアメリカ製のSFXやCGを見慣れている目で見ればお粗末なものだ。
多分CGも内容も海外にもっていったら失笑をかうであろう。
オイラが満足したのは間違いないが、それはあくまでも『ヤマト』という約束事と日本の映画の状況をある程度理解しているからにほかならいない。
本作は山崎監督の『リターナー』ほどには至っていない作品である。
しかし、『ヤマト』を作った山崎監督にしてみれば憑き物がとれたであろう事は間違いないので、激しく次作に期待したい。


あ、来週ちょっとだけ『龍馬伝』の総括を覚え書き程度にやっておこうかな。
by 16mm | 2010-12-05 22:26 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(1) | Comments(6)

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by 16mm | 2010-12-05 12:40 | iPhone