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『息もできない』

ウサをはらすというときに、お酒を呑んだり、バクチをしたり、おネエさんとHな事をしたりするようだが、オイラの場合ウサの根本を叩かないとハレないということが判明(笑)。
ここより酷いところ、酷い境遇はいくらでもあると自分に言い聞かせて今週乗り切るつもりである。
「しーばらまー」
いささか後ろ向きな姿勢ではあるが(笑)。


先週土曜日歯のメンテナンスに。
仮歯を入れてもらう。
今週本チャンを入れてもらう予定である。
ライカM9、ほっしいな(笑)。


一月末から薬を飲んでいる所為か花粉症の症状が表立って出ていない。
世間は結構花粉が俟っているらしいが、くしゃみは出ても鼻水鼻づまりが納まっている。
このまま乗り切りたい。
ただ、電車に乗るのにちょっとダッシュしたりすると息苦しくなり息が切れる。
またもちょっとした酸欠の恐怖を味わう。


本日日曜日ジムに。
ストレッチ、筋トレ、ランニング・マシン。
どうにも気が重く、気が乗らない。
40分で4.57kmで終了。
体重91.65kg。


iPhoneのアプリで最近重宝しているのが"駅.Locky(カウントダウン型時刻表)。
使う駅を登録しておけばそこに電車が来るまでの時間をカウントダウンしてくれるすぐれもの。
時刻表の代わりにも当然なるし、すごくいいですな。
今のところ無料だしね。


土日の休みでテクスチャー作り。
「しーばらまー」
仕事では使うつもりがないので、逆に丹念に作る(笑)。


『機動戦士ガンダム THE ORIGIN (22) ひかる宇宙編・後』
『ガンダム』は群像劇だなあと再確認。
それもこれもそれぞれのキャラクターを過不足なく魅力的に描ける安彦良和の画力に負う事が大きい。
巻末の安彦×大河原邦夫対談もなかなか興味深かった。
彼等と例えば宮崎駿なんかとのアニメーション作品を作るということの考え方の違いを思う。
どちらが良い悪いではなしにね。
当事者は自分の方が正しいと思ってるのだろうけど。


先週の宇多丸のシネマハスラーの企画。
『あしたのジョー』の評論であるが、TBSが制作に噛んでいるからしかたないとはいえ、鬱陶しいものになってしまい残念だなと思う。
宇多丸にマトモに評論(批判)させたくないTBSの思惑どおりにはなったんだろうけどね。


先週は映画はナシ。
『悪魔を見た』を観ようと思ったが、iPod touchで視聴した作品があまりに強烈すぎて。
地元の映画館では『英国王のスピーチ』もやらない。
「しーばらまー」


『息もできない』
ネタバレあります。
iPod touchで観る。
この映画を観ようという気になったのはPodcastで宇多丸が本作の監督であるヤン・イクチュンと対談していたのを聴いたからだ。
多分暴力が重要なキーになり、そして監督自らが自腹を切って完成させた映画、というところに引っかかったのだと思う。
で、宇多丸がザ・シネマハスラーで『息もできない』を評論したPodcastを聴きいた。
色々調べたらオイラも投票に参加させてもらっている日本インターネット映画大賞では外国映画作品賞部門で6位。外国映画監督賞でヤン・イクチュンが2位。外国映画主演男優賞ではレオナルド・ディカプリオと並んでヤン・イクチュンが同率1位。
キネマ旬報での2010年外国映画ベスト・テンでは第1位が本作。
宇多丸のザ・シネマハスラー2010年 全映画ランキング!では総合第3位。
生涯ベストの映画という当時観た人の意見もあるぐらい。
日本アカデミー賞の優秀外国作品賞に『息もできない』はノミネートすらされてないが、まあこの賞自体が「しーばらまー」なのでね(笑)。日本アカデミーの見識の程度が知れますな(笑)。
と、言いつつオイラもこの映画の存在を知らなかったのだから同じだ。
この映画、昨年の上映時も公開館数が少なく東京でも一館しかやってなかったらしい。
それでも多分存在を知っていても観に行かなかったろうな。
韓国映画で知らない監督の映画だったしね。
『息もできない』はあらゆる意味で韓国映画の裾野に位置している。
監督は映画学校に通った訳ではなく俳優として叩き上げた人だ。
だからという訳ではないが映画をある意味アカデミックに語る術を持っていない、というかあまりそちらに興味が無いように思える。
そして最小規模であり最低予算の映画だ。
状況だけ見ればとても頂きに位置している訳ではない。
が、この奇跡のような映画は輝かしくも山の頂きの更に上に存在していた。
最近イーストウッドの映画を劇場で観なかった事を散々後悔していたが、まあイーストウッドはオイラが観なくたって観る人間は大勢いる。
しかし、ヤン・イクチュンの『息もできない』は違う。
一人でも多くの人間が触れる機会を持つべき映画だったかもしれない。そしてその一人でもの中に絶対オイラも入るべきだったのだ。
もう本当に不覚である。
観なかった事を仕方ないとは思いつつも後悔している。
オイラだって全ての映画をフォローしているわけではない。
むしろ大予算の映画ばかり観ている方だと思う。
大予算なら面白い筈だという根拠の薄い幻想に踊らされてるとも言える。
そうは言ってもやはり金を出して観る時の判断基準に制作費や監督やキャストの知名度に頼らざるを得ない。
だから信頼できる映画評論家が欲しいなと思っているのだ。
宇多丸もそうだが町山智浩の二人の信頼に足る評論家がいるので今後彼等のオススメはなるべく観るようにしようと思う。
昨年本作を観ていたら絶対ベスト5には入っていただろうな。
ものごっつい傑作であります。
この映画を奇跡と形容したのには訳がある。
映画を作りたいと思う人間は多いだろう。
その中で自腹を切っても映画を作ろうとする人間は少ない。
更に、そんな状況下で傑作と呼べる作品を作り出すなどというのは稀、というか奇跡のようなものではないか。
低予算であり小さなバックアップのみの制作を補填できるのは、監督の並外れた熱意だけなのだ。
それゆえ誠実な監督であればこそ、その小さくても映画を作れるチャンスにすべてを賭ける。
全てを出し切り、全てを使い切る。
こんな制作の仕方で生涯何本も映画が撮れる筈が無い。
今回盛り込めなかったのなら次作で盛り込めれば良いと思えることがどんなに恵まれているか。
本作は世界中から賞賛され、監督のヤン・イクチュンは次作のオファーも山のように来たというが全てを断ったらしい。
当然であろう。本作のヤン・イクチュンは文字通り全てを出し切り全てを使い切ったのだから。
誠実さも極まれりである。
予算がない、監督の経験もない人間に、そんな人間に気まぐれに生涯に一本だけ、神様がくれた奇跡の一本なのかもしれない。
それこそ誰にでも出来るものではない。
映画に愛された人間というのが存在するものだなと思う。
映画をアカデミックに学んでいないからといって、情緒的で感情的な映画ではない。
技術が伴わない監督の映画は自分の熱苦しい熱意を全面に出せば観客に分かってもらえると錯覚するものだ。
多くの人が出来ない中、自分は映画を作っているんだという高揚のみを糧にしているにすぎない。
ある意味映画というものは自分以外の観客が観るという視点が欠けているともいえる。
しかし、本作『息もできない』はまったくそんなことがない。
驚くほどの冷静な視点での監督の演出が冴え渡っている。
この映画を傑作にできたのは監督の鋭い感性と勘の賜物であろう。
とにかく信じられないぐらい俳優を映すサイズと編集のセンスがズバ抜けているのだ。
特に最後。
主役のサンフン(ヤン・イクチュン)が死んだ後のシーン。
シーンは焼き肉屋で明るく笑うサンフンの姉と子供、焼き肉屋の店長であるサンフンの友人が映し出される。
そのシーンで回想としてサンフンの死の悲しみのシーンが挿入されているのだ。
普通はサンフンの死の後に死を悲しむ描写を入れるよ。
だけど本作の編集によってサンフンが死んだ後の時の流れを表現しつつ、彼等は笑っているけど心のうちではきっと多大なる喪失感を埋められてはいないんだろうなと観客に思わせる。
すばらしいね。
本作では登場人物達に幻影(幻覚ではない)を見させるカットがある。
サンフンの父親の自殺未遂の場に、父に殺された母と妹が見えたり。
ラストの女子高生のヨニが屋台を破壊している弟がサンフンに重なって見えたり。
実に巧みな映像的な演出だと思う。
映画にしか出来ない、成立しない演出だ。
この映画には借金取り立てのチンピラであるサンフンと、彼の吐いた痰がたまたまかかった事で知り合ったヨニという女子高生の交流が描かれている。
この二人の交流が実に物悲しくていいのだ。
映画の中で彼等二人が知り得ない、ある悲しい出来事を観客である我々は知る事になる。
この悲しい出来事を我々は知っているから、この映画の結びが決してハッピーなものではないという予感を持つ事になる。
前半、粗暴なチンピラでしかなかったサンフンが後半自分を変えようとする。
借金の取り立てを一緒に組んでいたヨニの弟の暴力的な行動に、自分を見てしまった。
ちなみにサンフンは一緒に組んでいた若造がヨニの弟であるということを知らない。
自分を変えようとしていたサンフン。
かつてサンフンがやっていたような暴力をふるっているのに、そのサンフンにたしなめられるヨニの弟。
サンフンはヨニの弟に撲殺される。
暴力と罵倒の言葉しかしらないサンフンは結局巡り巡って自分がやってきた暴力によって殺されるのである。
もう言葉もないね。
暴力の連鎖というものが巧みにあらわされている。
そしてラストのヨニが、屋台を破壊している弟を見てサンフンを重ねてしまうところで彼女は隠されていた事実を見てしまったのだと思う。
「しーばらまー」というのはサンフンが劇中で何度も使う言葉である。
韓国版の予告編ではその言葉の上に「ピー」が入っていた(笑)。
相当にキタナい言葉らしい(笑)。
いわゆる「腐れオメ.」というやつらしい(笑)。
自分の感情を言葉によって相手に伝える術を知らず、唾を吐き、暴力をふるい、罵詈雑言でしか相手とコミュニケートできない悲しい男の末路。
そんな男の末路を実に最後まで冷静に作り上げたヤン・イクチュン、おそるべし。
暴力描写も殴ってる人間と殴られてる人間が同じ画面に映されないところがいい。
殴ってる人間の表情のみを映すという演出は徹底している。
宇多丸も指摘していたが初期の北野武映画を思い出したといっていたが、オイラはもっと特定して『その男、凶暴につき』のテイストに近いなと思った。
一言「これはちょっと」というのが、オイラの単純な好き嫌いなのだが、唾を吐いたり痰を吐いたりする描写がなんとなく生理的にキツかったっす(笑)。
これは単純なオイラの好き嫌いである。
オイラの感想はこのくらい。
まだ語り切ってないディティールもあるのだが、それは機会を別にしたい。
評論なら宇多丸のコレを聴けばいいし、宇多丸とヤン・イクチュンの対談もらコレコレを聴くべし。
本当に良い映画であった。
いずれ、ブルーレイで買うかな。
最後に、血まみれのサンフンのメイクはすばらしかった。
よくやった、ヤン・イクチュン。

追記
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映画のサンフンに扮するヤン・イクチュン。
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素顔のヤン・イクチュン(右)と宇多丸。
ヤン・イクチュン、素顔と役柄にすっげえギャップ(笑)。


今週は歯のメンテナンスと車の点検である。
平日がすごく憂鬱である(笑)。
by 16mm | 2011-02-27 22:01 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(2) | Comments(2)

2011年第1回更新のお知らせ

本日メインHPにて"Hit Girl"をUPいたしました。
お暇な方、ご覧いただければ幸いです。

今まで付けていたカウンターが10頁までしか付けられない事が今更発覚(笑)。
今回からカウンターは付けない。
が、一応アクセス解析は出来るようにしておいた(笑)。
by 16mm | 2011-02-20 19:25 | メインHPと更新のお知らせ | Trackback | Comments(4)

『ヒア アフター』

先週土曜日、母親の通院の付き合い。
午後、病院の帰りがけに昼飯。
帰宅し満腹の所為ですぐ寝る(笑)。
夕方起きるもまったく腹がへっていないので、土曜日ではあったがジムに行く事にした。
ジムではストレッチ、筋トレ、ランニング・マシン。
腹が苦しかったせいもあるがランニング・マシンは軽く流す程度。
68分走ってやっとこ7.03km程度。
体重90.65kg。
ジムの後に映画に。


ビッグコミックオリジナル誌の『岳』から目が離せないのがずっと続いている。
作者の石塚真一さん、エピソードを引っ張る引っ張る(笑)。
石塚さん、今月末のサイバラの画力対決にも出る模様。
たのしみである。


『西原理恵子の「あなたがいたから」―運命の人鴨志田穣 (NHK「こころの遺伝子」ベストセレクション)』
TV放映されたらしいサイバラの生い立ちに関する内容を書籍化したもの。
幼少期から夫の死別までを語っている。
ちょっと気合いの入った西原理恵子フリークなら全て知ってる内容(笑)。
そういう人は別段買わなくてもいいんじゃないかな。
オイラも「買わんでも良かったかな」と思ったぐらい。


『GANTZ』での演出の冴えの所為か釈由美子主演(断じて伊藤英明が主演ではないw)、佐藤信介監督作の『修羅雪姫』を再見したくなりデータ化する。
本編からコメンタリーからメイキングまで全て。


TV版の『SP』の本編やコメンタリーを再見している。
何度観ても面白い。
TV枠だからしょうがないな、という部分もあるが、逆にその枠でよくここまで出来たなと感心する。
その割には映画版の『野望編』はイマイチ驚きが足りなかった。
しかし『革命編』には期待している。


同じように『東のエデン』も観ている。
現在最後の『東のエデン 劇場版II Paradise Lost』をiPod touchで視聴中。
もうすぐ観終わるはずである。
途中に入る小ネタ的なギャグが鬱陶しい、というかストーリーのテイストに合ってない。
押井の『パト2』では納得できたのだが、劇中で語られるミサイル事件が日本を救うという部分と重なってないような気がするが。
これは最後まで観なければわからんな。


母親の通院の待ち時間に観ようとiTunes Storeで『バグズ・ライフ』をレンタルした。
が、母親の診察が思いのほか早く終わってしまって途中で視聴中止。
レンタル期限の二日で観れるかどうか分からんw
レンタル期間短いなあ。
通常レンタルが一泊二日なのは分かるがもう少しなんとかならんかな。
『バグズ・ライフ』、最後まで観れたら来週感想を。


『ヒア アフター』
ネタバレあります。
先週土曜日109シネマズ菖蒲で。
現在のクリント・イーストウッドはオイラの中でピクサー並にブランド化している。
特に最近観た『グラン・トリノ』『インビクタス/負けざる者たち』は本当に劇場で観なかった事を後悔したぐらいに良い映画であった。
なので三度目は絶対に脚を運ぶべきだと思い、本作を劇場で観た。
結果的には劇場で観て良かったと思える映画であった。
"ヒア アフター"は "来世"という意味らしい。
また劇中でフランス人の女性ジャーナリスト(TVで辛口目のキャスターもやっているようだった)が著した本のタイトルが"ヒア アフター"。
割と心霊モノ的な紹介をされている本作である。
この手のジャンルにイマイチ食指が伸びないオイラなので、監督がイーストウッドでなければ観に行かなかったであろう。
映画を観ると分かるのであるが、決して心霊現象をメインに扱った内容ではない。
マット・デイモンが霊能者役としてメインキャストの一人になっているが、彼がメインで進行するなようでもないのだ。
フランス人の女性ジャーナリストの臨死体験。
アメリカ人の元霊能者。
イギリス人の双子の兄を失った子供。
上記の三人が本作の主役なのである。
彼等のエピソードが順番に紡がれて映画は進行する。
"死"という誰にでも訪れるその体験がどんなものか知る事ができないが故に様々な想像力をかき立てられ、よく分からないにも拘らず恐れられ、或は甘美な幻想を抱かれたりする対象になっている。
この映画は死後の世界というテーマには最終的に着地はしていない。
特異な体験や能力を持った者達が、天文学的に少ない確率で巡り会う話なのである。
特異な体験や能力というものは普通の人が持ち合わせていないから"特異"なのだ。
つまり普通の人達には理解し難い事である事が多い。
その結果、その能力を金に換える事を考えたり、或は何の覚悟もなく好奇心だけでその能力をかいま見てしまったが為に傷ついたり。
かように特異なものを目の当たりにした普通の人々は自分たちの尺度でそれを理解しようとする。
普通の人々の価値観が普遍的であるという事を前提として接する限り、"特異"な人々を理解する事は不可能なのだ。
普遍的なものとは何か?
それは真実などではなく、一番多く信じられている事に他ならない。
そんな多くの者達が信じている事を、信じられない、違和感を感じてしまう、そんな人達が周りから好奇な扱いを受け、変わり者扱いされるのだ。
劇中、霊能者のジョージが自分の能力を"呪い"のようなものだと言うシーンがある。
普通の生活を心底願ってやまないのに、その普通を心底信じる事ができないジレンマ。
自分はもしかしたらこの世の中で独りなのではないかという絶望感。
そんな中であっても自分の理解者が世界のどこかにいるという希望をこの映画は描いているのだ。
それは映画のラストでフランス人のジャーナリストの女性とアメリカ人の霊能者が結びつき生を前提とした幸福な予感で結んでいる事につきる。
スピルバーグが制作を受け持っているからというわけではないだろうが、普通の一般常識からはみ出した者が理解者を見つけ、その世界に向かっていくというのが『未知との遭遇』のプロットににてるかな。
そしてこの映画、死の要素というのもそれなりに入っているのだが、ちょっとあからさまと思えるぐらいエロティックな描写があって、80歳のイーストウッド、いまだにHなんだなあと思ったりした(笑)。
特にアメリカ人のジョージが料理教室で出会った女性と授業の一環で目隠しをして食材を当てるシーンなど、モロにエロっす(笑)。
この女性、ブライス・ダラス・ハワードで『スパイダーマン3』なんかに出てた女優さんなんだけどこんなにエロくみえるとは(笑)。
つーか演出が巧みなんですな(笑)。
『インビクタス/負けざる者たち』に引き続きマット・デイモンがキャスティングされているが、イーストウッドとの相性ってかなりいいんじゃないかな。
マット・デイモン自体にあまりピンとくるものは無かったんだけど、イーストウッドの二作でかなり好きになってしまったよ。
本人はかなりのインテリなんだろうけど、知的なブルーカラーがよく似合うなと思う。
イーストウッドの『硫黄島』の二作別にして、大規模なセット撮影とCGが使われている。
特に冒頭の津波のシーンだ。
ヴィジュアル的にもリアリティがあり、そして臨死体験に移行する直前の水の中に漂い、海中から海面を見ているところの美しい事よ。
セット撮影もすばらしい。
こういうの見ちゃうとやっぱり日本のセットは奥行きに欠けるなと思う。
本作は手前から奥までずっと家屋が続いているように見えちゃう。
カメラのポジションの問題なんだろうね。
カメラの位置を高くすると奥の背景まで作り込まなければいけないけど、その分画に厚みが出る。
カメラの位置を低くすれば奥の家屋なんかは手前の家屋に隠れて見えなくなる。
遠くの背景なんてレンズの深度の問題でアウトフォーカスになるわけだけど、やはりそれを写す事には意味があるのだと確信した。
『ヒア アフター』はちゃんと劇場で観たので、今年のベスト映画の中に自信をもって入れられる。
イーストウッドの次回作はFBIの初代長官ジョン・エドガー・フーヴァーの伝記映画『J.Edgar』。
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ディカプリオ他、なかなかのオールスター・キャストで今から楽しみだ。
『ヒア アフター』はDVD買うつもり。


今週は歯のメンテナンス。
by 16mm | 2011-02-20 17:29 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(3) | Comments(2)

HDR Pro HDR

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個室にて。
by 16mm | 2011-02-14 22:48 | iPhone

HDR Pro HDR

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雪の池袋。
by 16mm | 2011-02-14 22:00 | iPhone

『あしたのジョー』『ザ・タウン』

先週土曜日、カメラ店の手伝いで集合写真。


同じく先週土曜日。歯のメンテナンスに。
9年前に差し込んだ銀歯が歯ブラシ中に取れた、のでその治療をお願いする。
歯自体は神経を抜いていて痛くはないのだが、かならモロく柔らかくなっているらしいのでどう治療するかは二週間後の経過をみて決めるとの事。
いつもながら痛みを徹底的に抑えて手早く的確な治療に頭が下がる。
治療後、先生と雑談。


本日日曜日。ジムに。
ストレッチとランニング・マシン。
筋トレはまるごとサボる(笑)。
67分で9.37km。
体重90.67kg。
1kg減った(笑)。


『ちばてつや 総特集 漫画家生活55周年記念号』
河出書房新社から『あしたのジョー』公開に合わせて出たちばてつやのムック。
相当に内容が濃い。
寄稿者のメンツもさることながら、大友克洋がちばてつやについてインタビューを受け語っている。
文藝春秋からの再録ではあるが、実弟のちばあきお氏の文章を読む事もできた。
あきお氏が亡くなって27年たつ今をもってしてもちばてつやはその死を受け止め切れていないのが分かる。
ヤングマガジン誌に掲載された『トモガキ』も、このムックに掲載されている『家路 1945〜2003』もそうなのだが、漫画として非情に面白い作品なのだが、そのどちらも最後のコマがとてつもない暗さで終わっている。
ああ、ちばてつやという人は本音の部分で相当なペシミストであるのだな。というか中途半端なペシミスト以上の絶望を抱えて生きてきたのだなと理解した。
私は当ブログで再三再四かいてきたが、東京都青少年の健全な育成に関する条例に関しては大反対であり、これを推進した者達をもう本当に八つ裂きにしたいぐらい腹がたっているw。
コイツらもう想像のつかないような惨たらしい死に方をすればいい、ぐらいに思っておるのだw。
が、オイラがクドクド能書きをかいたわけだが、一番の説得力のある反対理由をあげれば、ちばてつやが反対しているからにつきる(笑)。
思考停止と言われてもいい。
石原や猪瀬なんかの意見に組して思考停止するより1万倍ぐらいマシというものだ
ちばは漫画界の良心であり、体制側から的確に距離を置く姿勢は尊敬に値する。
そんなちばを蔑ろにした石原慎太郎は当然許せる存在ではない。
今後漫画界の中心が弘兼憲史なんぞに移ったら、もう体勢ベッタリだろうね(笑)。
弘兼の反体制、心情左翼って単なるポーズだから(笑)。
ほんとね、ちばてつやには長生きしてもらいたい。
漫画描いてもらいたいのが本音だけど、生きて存在しているだけどもいいよ。


『江口寿史のお蔵出し 夜用スーパー』
もう漫画家として半笑いでしか話題にできない江口寿史の単行本未収録を集めた単行本。
これ、去年の年末に発売されていたようだが、全く知らなかった(笑)。
本当にくやしいが、面白い。
面白いからタチが悪いとも言える。
つまり、他の作家に対し上から目線でエラそうな事を言えるだけの作品はちょぼちょぼ描いている、ってことで(笑)。
前述したちばてつやのムックにも江口は寄稿の漫画をよせているのだが、最後のコマでまだ自分が漫画家でちばを目指して漫画を描いていこうという決意表明じみた事をかいているのだが、映画『告白』的にいったら、もう一つコマを増やして「な〜んてね」という台詞を追加したらいいんでないの(笑)。
椿屋の源こと狩撫麻礼原作の『平成大江戸巷談 イレギュラー』の5話分が収録されている。
狩撫麻礼的な商業主義的なるものに対する嫌悪は少々閉口するが、この5話分ぐらいがたしかまともに江口が作画していたところだろう。
それ以降本当に「間に合わせ」「時間切れ」「それ故の雑さ」が作画に表れていき、この二人の漫画作品は玉砕する。
作品を続けていけば面白くなったのかどうかは分からぬが、現状読める範囲で言えばそんなに面白い話とも思えない。


狩撫麻礼についてである。
彼の原作の漫画は結構すきで、『迷走王 ボーダー』は雑誌掲載から単行本まで揃えて読んでいた。
が、読んでいるうちにいや〜な気分になったのだ。
所謂マスコミのオペレーションに乗っかることしかできない一般大衆をを上から目線で説教する姿勢が。
内田裕也一派がやたらと商業主義のオペレーションに乗った音楽などと売れてる曲や歌手をディスるのと同じぐらい鼻持ちならないと感じた。
狩撫原作の漫画や内田裕也一派に共通しているのは、一般大衆で思考停止したお前らが知らないものをオレが持っている。
お前らはどうしてオレ達がもっているすばらしいものに気がつかないのか。
そんな匂いが共通して漂っている。
彼等の嗜好に見向きもしない一般大衆がそんなに悪いのか?
彼等は思考停止した一般大衆が一斉に自分の方を見れば満足なのか?
それは彼等が唾棄していた多数派に実は自分もなってみたいという気持ちの現れではないのか?
自分達のやっている事が少数にしか理解されない事はむしろ誇りに思うべきであろう。
多数派になるという事は次第に提示したものに対し思考停止していくことで広がっていくのだから。
売れてるものをディスる必要等ないではないか。
どこかで自分たちも多数派になりたいというヨコシマな下心が非情に下品に見える。
ディスるのではなく、思考停止した一般大衆を己の腕力で自分たちの方に振り向かせる努力をするべきなのだ。
内田裕也一派といっしょくたにしちゃったけど、狩撫麻礼はその点の努力や腕力は怠り無く持ち合わせている。
だからこそ、『迷走王 ボーダー』は比較的多くの一般大衆(オイラを含める)の指示をうけた。
サザンやTVドラマが好きな事を彼等に批判されるいわれはないのだから。
上から目線で大きなお世話だよ(笑)。


町山智浩のPodcastで『Space Battleship ヤマト』がらみの評論において、以前タモリがなぜ谷村新司やさだまさしをやり玉にあげてディスっていたのかという理由を解説。
東宝で『連合艦隊』歌を谷村新司 が。『二百三高地』の主題歌をさだまさしが。
当時のフォークソングというものが平和を愛し戦争に反対するという立場にありながら、こんな戦意高揚を旨とした映画に歌を付けるという事に我慢がならなかったとのこと。
なるほど合点がいったわい(笑)。
タモリは良い奴である。


『あしたのジョー』
ネタバレあります。
先週金曜日109シネマズ菖蒲で。
言わずと知れた日本漫画界の至宝であるちばてつやの作品。
まず『あしたのジョー』とは?
これは人によって様々な意見があるだろうが、オイラが独断で言えば有名なラスト・カットにつきるのである。
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このラスト・カットがどれだけの読者の心を捉えたか。
ジョーは死んだのか?生きているのか?
そしてあまりにも見事なラスト・カットだった為に一時期最終回というと真っ白な登場人物で終わる漫画もあった。
明らかにパクリなんだけど、パクリたくもなるようなまさに語りぐさになるラスト・カットであるのだ。
今もなおブレードランナーの世界観から抜け出せない状態と同じぐらいに、あのラスト・カットはエポック・メイキングであり完璧な終わり方だ。
ただ漫画原作で一番に語られるのはこのラスト・カットだとしても<ここから更に意見は分かれるだろうが>、物語上の盛り上がりはラスト・マッチであるホセ・メンドーサ戦ではなく、対力石徹戦だ。
ジョーが力石と邂逅することでその後にボクシングをやることの強力な推進力になった。
そしてジョーが試合を通じ彼のその強さを素直に認められるだけの男になった矢先に、力石は死ぬことになる。
その後はジョーをバンタム級に縛り付ける呪いのような存在に死して力石はなるのだ。
つまり物語の盛り上がりの最高長は力石との死闘なのだと思っている。
今回の映画版で力石が出るという時点で、あの原作のラスト・カットはナシだなと思っていた。
危惧としては、あのラスト・カットなしで映画をどうしめくくるのだろうか?というところである。
映画版は実に大胆に原作のエピソードをカットしていた。
「すまん、ジョー」
の鼻からうどんのマンモス西のシーン(笑)はあるものの、ストーリー上の完全な傍流での描写になっていた。
つまり徹底的にジョーと力石をフォーカスした作りになっている。
映画の二時間ちょいの尺の中でこの作品を作るにはこの手段しかないし、ベストなものだと思う。
では映画自体のデキはどうかと言えば、ちょっといいぐらいの凡作であるというのがオイラの率直な感想である。
まず上映時間が131分と長く感じた。
長く感じた理由は分かっている。
ジョーと力石にフォーカスした脚色であることを前述したが、もっと狭く深く二人にフォーカスするべきだったのだ。
まず白木葉子役の香里奈は雰囲気も演技も好演していたと思うが、彼女の役柄の比重をもっと小さくすべきであった。
白木葉子がジョーにパンチを繰り出すシーンがあるのだが、それが所謂「女の子パンチ」ではなく、ちゃんと肩を入れたものだったのに感心したが(笑)。
感心したけど、白木葉子がドヤ街出身であるとか、ドヤ街の再開発なんてサイドストーリーは削除するべきだったのだ。
演じる役者の為に見せ場を作る為の設定だろうが、これがなければ30分は削れるんじゃないだろうか。
それからウルフ金串との試合ももっとあっさりとするべきであった。
そのかわり力石の減量シーンをもっとねちっこく。
本作ではあっさりしすぎ。
アニメ版の力石の方がもっと鬼気迫って凄惨な印象があった。
これを徹底的に粘ってやらなければ力石の死に説得力が半減してしまう。
さらに白木葉子を入り込ませない為にもジョーと力石の関係をもっとホモソーシャル的なもので描写してほしかった。
ジョーにとって力石は自分の前に立ちはだかる憎き存在であったかもしれない。
が、ジョーが試合を重ね強くなっていくにしたがい、力石への憎しみという部分は薄れてきた筈なのだ。
力石との試合後に初めて彼を認めたのではなく、それまでの過程ですでに力強さを認めつつあったに違いないのだ。
ジョーにとって力石との試合は自分が尊敬に値する相手としての確認の為でしかなかったはずなのだ。
「強さ」というものを知ってる相手がリングの上で待っている。
しかも体重差のある中で試合の前からすでに命をかけて階級を落とす力石。
お互いがお互いのいる場所に死にものぐるいでにじり寄っていくさまのなんと官能的な事よ。
結局は白木葉子の出自であるとか余計なものがくっつきすぎて、ジョーと力石の戦いの印象が散漫になってイマイチ盛り上がらずに終わってしまった感じである。
更に追い打ちをかけるようにエンディング。
これはもう、力石が死んだところで上手くまとめて終わらせるべきであった。
このエンディングがものすごくトロくさい蛇足にしか見えない。
このエンディングを切ればいいのだ。
力石の死後一年とか、戻ってきたジョーとか、そんなもんはどーでもいい。
製作者達も物語の落としどころに右往左往しているかんじが見て取れた(笑)。
まだ真っ白になったジョーを描いていないから、と実写の続編は勘弁してくれよな(笑)。
ほんとにヴィジュアル的には語るべき内容はないし、ラスト・カットをやりたいがための実写なんて上手くいくわけないのだから。
オイラの読解力がつたないせいかもしれないが、原作において白木葉子がジョーに愛の告白をするところがいまだに納得できない(笑)。
最初に読んだ時はかなりの衝撃があったのだが、あまりにもとってつけたというか、唐突すぎて正直よく分からん(笑)。
そういう訳でこれ以降のジョーはラスト・カット以外作る為の推進力はないのだから作らない方がいいよ(笑)。
最後に本作のキャストは皆よかったと思う。
ジョーがジョーに見えないのは仕方ない(笑)
あんな髪型にできるわけないんだから。
力石役の伊勢谷友介の計量シーンのもう腹と背中がくっつきそうな描写(アレ、CGぢゃないよな?)は凄まじいのひとこと。
ドヤ街の食堂のオカミさんが西田尚美でホルホルしたり(笑)。
同じくドヤ街のシーンで倍賞美津子にそっくりな人がいるなと思っていたら、本人だったりとか(笑)。
でも秀逸は丹下段平役の香川照之だね。
ある意味丹下段平はジョー以上に(元)ボクサーっぽく見えなくちゃいけないわけだけど、さすがはボクシング・オタク香川(笑)。
ものすごくそれらしい動きをしてた。
ボクシング映画なら『ミリオンダラー・ベイビー』『キッズ・リターン』。
本作の曽利文彦監督なら『ピンポン』が現状代表作だね。本作『あしたのジョー』は曽利監督の『ICHI』よりは面白かったよ(笑)。
そして『あしたのジョー』なら、やっぱり原作かアニメ版の『2』で十分だろうね(笑)。
『あしたのジョー』は映画の尺には致命的に納まらないということが今回で判明したかたちである。


『ザ・タウン』
ネタバレあります。
先週金曜日109シネマズ菖蒲で。
ベン・アフレック監督作。
次期イーストウッドの呼び声も高いベンであるが(笑)。
映画自体はすごく手堅く作られている。
手堅く作る事ってむずかしいからね。それだけでもたいしたものである。
ただ物語的に新しさというものがなくて。
ただただ上手く演出したなという印象のみ。
銃の発砲音が良かったかなあ。印象に残るのは(笑)。
後、たぶんアサルト・ライフル(だったと思うがw)で車のエンジンブロックは砕けないと思う(笑)。
パトカーを無力化するならやはりタイヤ狙うのが一番だね(笑)。
そんなところである。
by 16mm | 2011-02-13 21:35 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(2)

『告白』『バイオハザードIII』『毎日かあさん』『GANTZ』

先週月曜日から出勤したもののインフルエンザの診断書が必要とのころで出勤して3分で早退(笑)。
地元のクリニックに行って診断書を貰うも午後になってしまったのでそのまま休む事に(笑)。
ヤレヤレである。
診断書ってのも高いなあ。
すげえ出費である。


宇多丸も言っていたが、今ちょっとおかしなぐらい映画館でかかっている映画で話題作が多い。
いわゆる"祭り"状態と言ってもいいのではないだろうか(笑)。
週末に2本ぐらいのペースである程度フォローしたいと思う。
オイラとしても観ておきたい映画が多いからね。
でも東京の単館で公開中の『冷たい熱帯魚』は観たいけど無理だろうな。


土曜日、今年初のヘアカット。
インフルエンザで五日間風呂に入れなかった所為か、頭を洗って次の日の朝は大きなフケが出る事をヘアカット担当氏に言うと、大きなフケは単に洗い残しの所為かもしれないとの事。細かく小さなフケは乾燥のが原因らしい。
なるほどなと思う。
ここのお店は女性が多いので行く前に鼻毛や耳毛を
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バリカンで削って行く(笑)。
そう言えば今週はインフルエンザで延期した歯のメンテが週末にある。
そこの歯科医院も女性が多い。
鼻毛がピロリとでてるのを見つけられ
「チョーウケる〜」
とか言われたら恥ずかしいので今週も削るであろう(笑)。
実際一週間や二週間では削るほど伸びてないんだよね。
以前ハサミでカットしていた時と違い、粘膜を切って鼻血を出しながら鼻毛を切るようなスプラッタ状態に陥る事無く、短く安全にカットできるのはすばらしいw。


本日日曜日。二週間ぶりのジム。
ストレッチ、筋トレ、ランニングマシン。
65分で8.63km。
体重91.55kg。
取りあえず増えてなくて良かった(笑)。
土曜日にヘアカットに行ったとき、鏡に映った自分が非情に肥えて見えたのでゾっとしたよw。


ビッグコミックオリジナル誌の『岳―みんなの山―』の展開が気になって仕方ない(笑)。
気のせいか作画自体にも気合いが入っているように見える。
事と次第によっては号泣するかもしれん。
涙でないと思うけど(笑)。


映画秘宝誌で2010年度の映画のベスト10をやっているのだが、その中で浅草キッドの水道橋博士が息子さんと二人で車で二時間かけてオイラの地元映画館109シネマズ菖蒲に『アバター』を観にきたとの記述(笑)。
地平線の見えるド田舎とまでかいてあった(笑)。
いや、否定はせんが、博士が来てたんだというのがなんとなく嬉しかった。


『月曜ゴールデン特別企画「私は屈しない~特捜検察と戦った女性官僚と家族の465日」』
ネタバレあります。
厚労省女性元局長である村木厚子氏の不当逮捕事件ドラマ化。
非情に面白かったので最後まで観てしまった。
今後ドラマを作る上で当分は公安と同じくらい検察が悪役として設定しやすい状態が続くのではないだろうかね。
実際無実の人に対しとんでもない恫喝と暴言をはく検察という存在はドラマを観ている間は一定の憤りを感じるわけだ。
しかしである。それは結果論として「無実の人間に対する恫喝」という事になったが、取り調べ中はシロかクロかなど分かる筈も無い。だから取り調べるわけだし。
更に弁護士に入れ知恵された暴力団の構成員に対し、人権を前提にした取り調べが有効であるとは思えない。
だから恫喝を取り調べで禁止しろ、とは一概には言えない。
また恫喝や暴言などの脅威を是とした取り調べを容認することもできない。
ではどうしたらいいか。
多方面で様々に言われているが、取り調べの全面可視化と弁護士同席を義務づけるのがいいかなと。
日本の司法の現状では起訴されれば99.9%有罪になるらしい。
それは確実にクロな人間を捕まえているから、なのか、それとも99.9%という前提が先にあり証拠のねつ造や情報操作を駆使して無理矢理クロに仕立て上げたいるのか。
村木氏はそのような前提のなかで無罪になった稀なケースだ。
これまでだってシロをクロとしたケースがなかったとは言い切れまい。
村木氏に非があるとしたら、公印の管理が甘かった、ところだけだと思う。
我々としては、警察の情報、マスコミの情報、全てを疑ってかかり、圧倒的に少ない与えられた情報でのみで事件を分かった気になって容疑者をクロ扱いするような愚はさけたいものだ。


『告白』
ネタバレあります。
DVD購入。
データ化してiPod touchで視聴。
やはり面白い。
原作も読んだが一人称の語りで進行する物語を見事に映像化してると思う。
脚色がすばらしい。
つまり
「な〜んてね」
この映画でのオリジナルなこの台詞につきるね。
それこそ全ての偽善性を
「どっか〜ん」
と吹き飛ばす破壊力がある。
映像もハイスピード撮影を多用した映像表現は結構新鮮に感じられた。
一種の滅びの美というものが表現されていたのではないだろうか。
松たか子の最後のシーン。
最初観た時は最後の台詞と相まって非情に悪魔的なクールさを持った女性なのかな、と思ってました。
再見したら最後の台詞を言う前に涙を溜めてるんですよね。
これは多分、自分のやったことの罪悪を感じてるんだな。
それでも娘を殺した相手に対し精一杯な虚勢をはっての
「な〜んてね」
だったのかな、と。
なので森口先生のこの小説版にはない台詞を言わせる事で、映画版はより複雑な人間描写に成功してるんだと思う。
ところでこのDVDにはメイキングもついていたのだが、中島監督、子役にまったく遠慮なく指導してますな(笑)。
もともと口があまりよろしくない人だというのは知っていたけど(笑)。
北原美月役の橋本愛ってなかなかの雰囲気を出してますな。
大人な感じ。
それに引き換え男は、ダメだなああ(笑)。


『バイオハザードIII』
ネタバレあります。
iPod touchで視聴。
『バイオハザードIII』を観る前に『バイオハザードIV アフターライフ』を観てしまったので、色々な辻褄が会った感じ。
アクションは取りあえずそこそこ退屈しないで観れたと思う。
この映画に対する評価が結構低かったので、オイラもかなりハードルを下げていた所為でそんな気持ちになったのかもしれない。
そんな感じで(笑)。


『毎日かあさん』
ネタバレあります。
土曜日、MOVIXさいたまにて。
本年初の劇場鑑賞。
昨年の『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』に引き続き西原理恵子モノ映画である。
『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』が自分にとってかなり思い入れた映画だったので、本作である『毎日かあさん』も楽しみにしていたのだ。
多分に主演の二人、永瀬正敏と小泉今日子というキャスティングの魅力もあったのだろう。
つまらなかった。
最悪、とまではいかない。
まあ中の下下下下ゲぐらいか(笑)。
まずこの映画の公開時期の問題はあったと思う。
物語の構造上、本作は『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』と決定的に被る要素がある。
それは夫である鴨志田穣のアルコール中毒とその死である。
どちらの映画もこのポイントの比重が高いためほぼ同じ時期に同じような映画を公開する事が興行としても良策であったとは思えない。
更に公開時期が近ければ両作がネガティブに比べられる事だってある。
実際オイラがそうだ(笑)。
だが、原作である『毎日かあさん』は必ずしも鴨志田の死がメインではない。
鴨志田の死はサイバラ一家の長い日常の中の、重いが一つの要素でしかない。
その他の日常の子供達との交流などのスケッチの方が要素としては圧倒的に多いのだ。
その日常の雑多な要素と鴨志田の死というものは、二時間という映画枠で考えた場合非情に食い合わせが悪い。
ものの見事にテーマというか視点がブレた印象にしかならない。
しかもサイバラがアルコール依存症については真面目に描いてくれと言ったにも関わらず、その辺りは小泉今日子のヴォイスオーバーで簡単に処理してしまっている。
監督が演出しているなかで収集がつかなくなったのが手に取るように分かる。
『毎日かあさん』として映画化するのであれば、子供達との日常のスケッチに重点を置き、鴨志田は劇中で死なせず、死の予感程度にとどめておくのが良かったのではないか。
どうもこの監督では人間の死の重さというものを表現できないような気がする。
演出がことごとく場当たり的なのだ。
永瀬正敏と小泉今日子は良かった。
小泉今日子は演技力というよりもその場を支配する魅力的な雰囲気で映画に対している。
永瀬正敏は演技的にすばらしかった。
最終的に12kgの減量した根性はすばらしい。
鴨志田穣としての死のシーンも、監督の演出力というよりも、いわば"永瀬力"で見せたような(笑)。
さらにそれからエンディングに劇中で永瀬正敏が撮った写真が映し出されるのだが、更に後に本物の鴨志田穣の撮った写真も映し出される。
ご丁寧にサイバラとのツーショットまで。
これは、反則だろう。いや、反則だと思う。
これでは『毎日かあさん』というよりも鴨志田穣の映画になってしまうではないか。
しかもフィクションとノンフィクションの境界のあいまいな原作であっても、やはりフィクションなのだ。
フィクションとしての虚構を突き詰められない自覚があるからだろう、現実のサイバラや鴨志田を映す事によってこれは現実の話ですよと。
物語としての不手際も現実をなぞった結果ですよと言い訳してるようにしかみえん。
もっと開き直って『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』的な方向で作れば良かったのだ。
『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』に比べれば本作は鴨志田穣についてはそんなにつきつめて描いてない。
言い過ぎだと思うが、故人をダシにお涙ちょうだいかと勘ぐりたくなる。
不愉快極まりない。
これで決定。
サイバラ映画の最高峰は現状『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』。
『毎日かあさん』は原作か一億歩譲ってアニメで楽しめば良い。


『GANTZ』
ネタバレあります。
土曜日、109シネマズ菖蒲にて。
『修羅雪姫』ですごく楽しませてもらった佐藤信介監督の待望の新作。
『修羅雪姫』から色々撮っていたようなのだがオイラは知らずにスルーしていたり、『ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜』のようにちょっと敬遠したいなと思う作品があったりとしたが。
『GANTZ』は二部構成であるので最後まで観て作品の感想を言いたいところだが、PART1とも言うべき本作であるが実に面白かった。
山崎貴監督や樋口真嗣監督に無くて佐藤信介監督にある決定的な違い。
エロスなんですな(笑)。
臆面もないんだけど見せ方がすごく上品で好感がもてる。
だけど、エッチだ(笑)。
今回の夏菜の全裸の描写。
乳首は見せないとこもいい(笑)。
だいたいガンツスーツを着用した感じが官能的なのだ。
原作の漫画はだいたい1巻を拾い読みした程度で内容の予備知識は皆無と言っていい。
それでも内容は十分に分かるように出来ている。
上映時間が長く感じられた、というと語弊があるのだが、情報の詰め込み方が的確なのか、これだけの話を128分で描いたというのが信じられん。
二時間半越えの映画を観たようなちょっとした疲労感があったりもした。
映画については役者の雰囲気からヴィジュアルやエフェクトに至までまったく破綻が無い。
驚くべき事に、当初この映画アクションをメインにした映画だと思っていたのだ。
が、全体の比率としてアクションは半分ぐらい。後の半分は実に丁寧に登場人物達のバックグラウンドを描写する事に費やしている。
全編アクションを期待して行くと多少肩すかしを食うが、冷静に考えてみれば実にバランスのとれた構成なのだ。
これはさすがであろう。
ところで、この映画の原作がそうであるのだが、敵の設定やGANTZに表示される誤字的な文章がどちらかというとギャグに見えてしまうのだが(笑)。
ギャグに見えるような者が不気味だという意図なのかなとは思うが、作劇的には結構ハードルが高いかなと思う。
田中星人なんて存在そのものがシリアスに見えない。
だけど映画ではちゃんと不気味な存在として成立していた。
映画としての総論はPART2を観てからにしよう。
ある意味『SP』よりも続編が楽しみである。


さて今週は歯のメンテナンスである。
映画は2本いけるか(笑)。
by 16mm | 2011-02-06 21:50 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback(1) | Comments(4)