久々に革靴の手入れ。
汗だくになってオイル塗りたくり。
先週土曜日、ヘアカット。
いつも通り、髪を切った後にブリーチして色を入れてもらう。
面の皮同様にw頭皮も厚いのかどうか知らぬが、オイラはブリーチでの頭皮のしみが少ないようだ。
オイラが痛がらないので美容師さんにはここぞとばかりに容赦なく髪をヤク漬けにしていただく。
客が痛がると特に髪の生え際に脱色ムラが出たりする。
割と時間との勝負のようなものらしいので、美容師側としては躊躇なく思い切った脱色がしたいだろうが、客が痛がると手が鈍るだろうね。
痛さを我慢しろとは言えないから、なんとか客が痛がらないような薬品が出来ればいいんだろうなと思う。
ところで、オイラが行っている美容室はチェーン展開していて、働いている人を定期的に海外研修に行かせてるような、なかなか立派な店である。
店長やらディレクターやらスタイリストやらアシスタントやらが忙しく店内を行き来している。
でね、先週オイラが行った時に何人の美容師さんが関わったか数えたら...。
メインで髪の毛切ってくれる人、眉毛を切ってくれる人、頭を洗ってくれる人、ブリーチしてくれた人。
4人もの人が関わってた。
美容室では普通なのか?
それぞれがそれぞれの仕事に注力してくれる事によって得られるクオリティーとゆとりというものは絶対にあるなといつも感じる。
そこそこ高い値段を出すに値する時間と空間の気持ちよさというのはあるんもんだ。
例えが適当かどうか分からぬが、ザギンの高級ドコロのクラブなんてのはこんな気分にさせてくれるものなのかしらん。
行った事ないけど(笑)。
先週土曜日、耳鼻科。
痰の滞留はあったりなかったりで完治はしていないものの、ボチボチ治療を始め十ヶ月ぐらい。
微量とはいえ抗生物質の服用はボチボチ止めようということで、一旦中止に。
元々の息苦しさが心療内科系の薬で治まっているようなので、痰の滞留そのもので苦しくなるような事はないと思う。
が、最近朝方に少々の鼻づまりをする。
特に息苦しくなる事もないのだが。
あまり神経質にならずにいようとは思う。
本日日曜日ジムに。
行ってすぐにマッサージ機に座りウトウトすること30分ほど。
サウナでストレッチをして身体をほぐしてプールに。
一時間のプールでのウォーキング。
今日は25m一本だけクロールで泳ぐ。
ウォーキングは掌を開いた状態で腕を動かし負荷をかけ、腰をひねりつつ走るようにプールを行き来する。
体重95.50kg。
ちょっと減ったけど、これ位はすぐもどっちゃいそうだ(笑)。
アウチ!
と、思わず口をついてでてしまった出来事があった(笑)。
先週月曜日に会社に着いて、机の下にあるPCを起動させようと、若干、じゃっかん屈んだら
「ビシッ」
文字通り布が裂ける音w。
3年モノのジーンズの股下が裂けましたがな(笑)
「アウチ!」
英語で書くと"Ouch !"(笑)。
どんな状態が見極めようと股下を見ようとしたら更に、
「ビシッ」
おーまいがっ!!ふぁっく、ふぁっく、ふぁっく。
英語力の貧困さのなせる業でキタナい言葉がつぎつぎと出る(笑)。
そそくさのトイレに駆け込み裂けた部分を確認すると、本当に丁度股下の部分が裂けているので、通常オイラの股下を下から覗くというプレイをしないかぎりオイラのセクシーなパンツは見えない(笑)。
一時は会社から速攻で逃げようかとも思ったが、そんなわけで一日隠れたセクシーで一日仕事をした(笑)。
で、先週の土曜日ユニクロにズボンを買いに。
最初ジーンズをと思ったが、高いし、これから夏だから履き易い方が良かろうと思い、
レギュラーフィットカーゴを色違いで二本買う。
ジーンズはもう一本あるのだが、腰回りどころか太もももパンパン。
いつのまに膨れたのだ(笑)。
ウエスト103cmのオイラにはレギュラーフィットカーゴしか選択肢がない(笑)。
秋までに今あるジーンズがはけるぐらいになれば良いが(笑)。
この秋発売と同時に欲しいモノ。
ナイキフューエルバンド。
並行輸入品としてAmazonで既に買えるのだが、日本発売の秋まで待つ事に。
早い話がデジタルな万歩計というところかね。
見た目がカッコイイ。
すぐには買えないが欲しい
モノ。
いや〜、こんなのを待っていたのだよ(笑)。
カッコ良いなあ。
すっげえ欲しい。
SFだ。『パト2』だ。『ゴーストプロトコル』だ(笑)。
まだまだ高価だから、オイラが手が出せるのは数年先かなあ(笑)。
『無限の住人(29)』
作中おそらく最強の戦士である乙橘槇絵が表紙画。
今回、右腕を落とされた万次が、相手の左腕を自分の右腕に付けるという驚愕の描写がある。
いや、そのイメージに驚愕したのではなく、そのイメージを描ける作者の画力に驚愕したのだ。
山口晃のエッセイ本で、デッサンという見たままを見たままの状態で描くという退屈な訓練について語っていた事がある。
この基礎訓練が出来ているかいないかで、その先にあるあり得ない飛躍したイメージを説得力をもって描けるという事を言っていた。
作者の画力というのはまさにそれなのかもしれない。
この長きに渡る作品も終盤。
どんな結末が待っているのか、楽しみである。
『ミレニアム2 火と戯れる女(上)』
遅々と読み進めている。
『ミレニアム1』よりもなんとなく読み易いのはキャラクターについての知識が既に頭に入っているからだろうか。
それにしてもミカエルはヤリチンがすぎるんでないか(笑)。
少女売春についての物語が展開されているのに、まあ相手は自分より年上の中年以上の女性で和姦であるとは言いつつも性に奔放すぎやしないか(笑)。
スウェーデンは幼児ポルノの所持も厳しく規制されているようだが、だからといって性に対してモラルがあるというわけではないようだ。
まあ少女売春と不倫を同列に考える事はできないわけだけど。
ミカエルの"カサノヴァ"っぷりに辟易してるのはオイラだけではなく、スウェーデン版もハリウッド版も適度にカットしている。
『なぜ君は絶望と闘えたのか [単行本]』
購入した日に、 大月死刑囚が再審請求をしたと知った。
『コミュニケーションは、要らない』
読了。
なんだかんだ言いつつも押井守の本は買ってしまう。
ただし、小説以外(笑)。
表題である「コミュニケーションは、要らない」というのはどちらかというとネット上に反乱するtwitterやblogやメールの類いでのことだと思われる。
ネット上の媒体でかわされるそれらを使った情報や言葉に押井は価値を見いださず、それ故、ネット上での『コミュニケーションは、要らない』ということだ。
ネット以外でのコミュニケーションが不要と言っているのではない。
論理的な書き言葉ではなく、話し言葉による文章の氾濫は本来言葉にする時の「覚悟」というものをスポイルする。
そればかりではなく文章としての体裁を甚だしく荒らして行く。
異論はあると思うが、小説でも鍵括弧で綴られる会話で物語を進行させるのが多いのは、書くのも読むのも楽だからということがあると思う。
物語を作るというだけであれば最初から最後まで鍵括弧の会話だけで作る事だって可能だ。
オイラはそういう小説も読むが、あくまでもそういう小説としてしか読まない。
つまり物語の面白さの印象は残るが、その紡がれた文章の一節を覚えたいと思わせるものではないということだ。
多くの場合、オイラはその小説の鍵括弧以外の部分の文章から言霊の力を受け取る。
それは背景の描写であったり、登場人物の描写であったりするわけだ。
オイラが最初に衝撃を受けたのは、<そういう人は結構多いようだが>三島由紀夫の『仮面の告白』のオナニーの描写だったな。
二十歳前でその本を読んで、薄汚い行為としてのオナニーと思っていたのを、三島由紀夫は躍動的で美しくすらある文章で表現していたのに驚いたもんだ。
話がそれたが、押井は話し言葉によるお手軽な言葉で覚悟もなく発する言動と、発っした以上の事を考えずに思考停止する様を批判的に語っているのだ。
言ってる事も分かるし、読んでいて「フンフン」とうなづきながら読んではいた。
オイラにとっては面白い本であったよ。
ただね。
押井、老いたなあ。
今更ネットの否定をしてみてもなあ。
典型的な新しいものを否定する頑迷な老人のようなね。
そしてなにより、この本って語りおろしだろう。
口述筆記というやつで、押井が文章として書いたものではない、と思うんだけど、どうなんでしょう。
話し言葉を信用するなという一方で、自分が口述筆記で本を出すというのは、アイロニカルに言えば押井自身も信用するなといってるようなもんだね。
世に害悪を垂れ流す作品を作っていると偽悪的に言っている押井だけどさ、まあそれも込みでオイラは読んでいるという事もあるけど。
孤立した老人が開き直ってるような感じがするね。
だいたいオイラが押井の本を買ってるのは対談本か今回のような後述筆記本だけだもん。
百歩譲ってエッセイは読むけど、小説は読めたもんじゃないよ(笑)。
最初にゲームのエッセイ本を買った時にあまりの文章の下手さに暗澹たる気分になったもの(笑)。
小説に至ってはまったく美しさのかけらも無い文章。
こんな文章力で小説を出すというのも驚くきだが、他の小説家を批評するなんてのもおこがましいよね。
皮肉にも押井が一所懸命批判していた話し言葉にしか押井の良いところが出ない。
話し言葉にこそ押井があると言えると思う。
だからもう少し柔らかくなって、twitterでもやってみればいいのにな(笑)。
スパっと切れ味の鋭い言葉が出てくると思うぞ。
『大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書) [新書]』
押井の本の中のチラシに入っていた惹句に惹かれて購入。
日本人の多くが楽観的なのか、それとも見て見ぬ振りをしているのか分からぬが、少なくともオイラはそのどちらでもない。
今後どう考えてもガンの発生率は増加する筈だ。
この手の本を買う事はそうそうないのだが、自分の今後を考える指針の一つになるかなと思い購入した。
『宇宙戦艦ヤマト2199 第一章』
DVD購入。
発売日から一日経ってから店に行ったら、本作のパッケージがない。
正直買うかどうか微妙だったのだが、つい店員に「売り切れですか?」と聞いたら、ありますと持ってきやがった(笑)。
こなったら買うしかないので買いましたよ(笑)。
まあ予告編みたり、OPを観たりして結構良いかなとおもっていた事もあるしね。
で、観てみましたよ。
観たんだけどね。
いや〜、コレがなんというかあらゆる部分で微妙なんですな(笑)。
とは言っても、観た人間は無かった事にしたいと思ってるのに作った人間が厚顔で『ディレクターズカット』なんてものを出した『復活編』なんかよりは数千倍良かったですよ(笑)。
それでも微妙だと感じてしまうのは、この作品の持っている世界観を今現在においても説得力を持って描くという事の不可能性を露呈してしまってるという事なのかもしれません。
なぜヤマトに日本人しかいないのかという説明もちゃんとしてありましたよ。
遊星爆弾によって物理的に地球上の国が寸断されてしまったからという説明。
まあ説得力があるような無いような。
国連を含めて最後の希望がヤマトであるという事。
そんなわけで日本人しかいないから登場するメカニックのモニター表示に漢字が使われている。
なんか遅れて来た『エヴァ』みたいと思うも、当初監督に予定されていたのが庵野秀明だったらしいからの名残りのようなものか。
今回作品のOPの絵コンテが同梱されていたのだが、オイラがYouTubeでOPを観た時に感じた
♪♪えがおおおでこたあえぇぇぇぇ
の部分のカット割りが庵野の手によるものだと思ったら、監督の出渕裕による改稿コンテによるものだった。
大筋では庵野の絵コンテは決定稿とちがわないものの、上記のカット割りが無い分つまらないものになっていた。
こうなってくるとあらゆる部分が気になってくる。
アニメーションの登場人物が自分より歳下に見える事は滅多にないのだが、今回のヤマトは予告編では気にならなかったキャラクターのデザインを含めた行動原理が非常に幼く見えた。
行動原理が幼く見えてしまうとだいたい自分の想像の範囲での解決にまとまる傾向があるのでつまらなくなる。
そもそもプチではあるが、浅薄なナショナリズムが表立ってでない分、オイラにはたちが悪く感じられた。
ヤマトに既に三連のショックカノンが装備されているんなら、冥王星海戦での艦隊にも実装すべきだったというアナもある。
パっとみよく見えたキャラクターデザインもなにか重さを感じない。
動きや台詞なども軽く見える。
マイルドすぎるのか。
沖田艦長は旧作の雰囲気のままで重々しくていいのだが、許せないのは
徳川機関長の眼がツブラすぎだ(笑)。
今回の地球荒廃の状況は放射能によるというものを完全に隠蔽している。
これは時節柄の自粛もあるだろうが、放射能による荒廃という限定したものではなく、未知の物質による荒廃を作り出そうとしたのかもしれない。
第二次大戦末期に無用の長物でしかなかった戦艦で強い日本を再生しようという幻想だとかね、一事が万事共感が出来難い世界観。
やはり『ヤマト』は『ヤマト』が作り出された当時にのみ力を得られた世界観であって、普遍性をもたせるのは不可能なのではないか。
それから権利関係でしかたないのだけど、本作で松本零士の名前が無いのはやはりフェアではないような気がする。
冒頭の沖田艦長の「バカめ」と敵に打電しろという件だとか、火星のアルカディアなる場所の名前だとか、結構松本零士っぽいと思ったのだが。
松本零士がヤマトの全てを掌握していたというのは言い過ぎではあるが、設定の部分に関わりを持っていたというのは事実であろう。
監督と声優のコメンタリーもつまらなかった。
そんなわけでかなりがっかりな感じであるのだが、第一章のラスト、爆煙の中から旧作の音楽とともに姿を現すヤマトに高揚したのも事実ではある。
次巻は購入ではなくレンタルでいこうかな。
と、思ったら、こんな予告編を観たら、やっぱりまた期待してしまう(笑)。
悩ましい限りであるw。