"Director's Viewfinder Mark Vb"以下冒頭の70行。自分には興味がないと思ったら飛ばして下さい(笑)。「あのファインダーって高いんだよね」
とかなんとか、TVで言っていたのを覚えている。
映画監督の写真を見ると、特に外国の映画監督なら必ず首から下げていたりのぞいていたりしていたのがディレクターズビューファインダー。
これは変態ロマン・ポランスキー(笑)。
こんな感じで映画監督がこの"筒"(笑)をのぞいてるのがカッコよく見えてね。
オイラ、結構この手の「覗くもの」に萌える性癖があり(笑)、もう別にどうってことないけど、一眼レフのカメラを持っていなかった時はそれを覗いてみたくて覗いてみたくて(笑)。
レンズを通った光が45度の鏡に反射してプリズムを介して正像で見える。
理屈では分かってるんだけど、そんな構造を介して見える世界が特別なものに感じられたんだよね。
まあ、実際一眼レフを覗けば別にどってことない像が見えるだけなんだけど。
そんな感じで、件の"Director's Viewfinder"欲しいは覗きたいはでもう何年もモンモンとしていた(笑)。
映画のメイキングなんかでも監督や撮影監督が"Director's Viewfinder"を覗きながらアングルを探ったり演技を見たりしているのをよだれを垂らしてみていたのだ(笑)。
まさにオイラも変態。
欲しいと思いつつ何処で買えるのか分からんかったんだけど、たまたま10年ぐらい前にネットを見ていたら
見つけたんだよ、ブツを(笑)。米国アランゴードン社の"Director's Viewfinder Mark Vb"とな。
値段をみたらべっくりw。森田芳光が「高い」というのも頷ける。
こんな筒がその当時でも10万円ちょいしてたんだよね。「これは無理だ」と思いつつ、それでも諦めきれずにクヨクヨすること10年w。今Amazonで¥ 147,420 になってますw。うひょひょひょひょ(笑)。オイラのこの"Director's Viewfinder"の使用目的はやはり撮影時のアングル・ハンティングなんだけどね。そもそもこの"Director's Viewfinder"が映画関係で使われる理由は、映画を撮る為のアリフレックスなどのカメラが無茶苦茶重くて容易に動かせないから。撮影助手が三人掛かりぐらいで三脚なんかに運ぶらしいから相当なもんだ。そんなのを担いでアングルを探れないから、同じ画角と同じサイズでマスクした小型の光学ファインダーが重宝されるようになる。で、オイラといえば、三脚は使いつつもそこに乗ってるのはソニーのミラーレス機。無茶苦茶小さいは軽いは。だったらその撮影するカメラを持ってアングルを探った方が効率はいい筈だ。んが、しか〜し。所詮趣味の世界である。仕事と違い効率を求めることがマストであろうか(笑)。否w。必要なものは趣味を楽しむため、その世界観に没入するための「作法」こそ必要なのではないだろうか(笑)。通常使わないような妙なファインダーを覗きながらアングルをさぐる中年おやぢw。必死で床を這いつくばり、見上げるような角度のアングルを探るオイラを見てモデルさんは「抱いて」と思う、かもしれない(笑)。以上の理由でAmazonでポチっとしたのであった。で、前述したようにこのDirector's Viewfinder、高いし、買う人間はおそらく仕事で使う映像関係の人ばかりだと思うので、わざわざ仕事道具について述べ立てる機会もないのか、これが実際どういうものかという部分が分からなかったりする。なので以下、興味のあるヒトが知りたいであろう事を箇条書きしておく。●見える像は正像(天地左右が逆に見えるわけではない)。●大きさは上の画像を見てもらって見当をつけてもらいたいが、350ml缶ぐらいだと思ってくれていい。●光学ズームがついており35mm換算で18mmから200mmぐらいを網羅する(このレンズの焦点距離についてはオイラは検証していないのであくまでもカタログスペック)。●覗いた時に焦点距離18mmが接眼レンズいっぱいに見えて、それが200mmに向かっていくにしたがって倍率が上がるとともに周りのトリミング枠が広くなっていき、見かけ上の半分ぐらいの大きさの見え方になる(特に見づらくなるという事はないが)。●適度な重さが心地よい。●対物レンズの一番前についているリングが画面のサイズを調節するもので、代表的な指標のところはクリック感のあるカチリとした止まり方をする。オイラが持っているソニーα7Rの画面サイズは自力で割り出し、上の画像のように指標を"16×9-Digital"と刻印されている"D"のところにすると丁度いい。以上が自分が買う前に知りたかった部分である。興味がある方はコメント欄に質問してくれればできるだけ答えます。結構高いもんだから色々知りたいだろうから。しつこいけど、これ、あくまでも映画で映画用のカメラの代わりにアングルを探る道具なので、普通のスチルカメラを使う人は、使わないのが普通(笑)。結構良いレンズが買えちゃう値段だからね(笑)。
先週土曜日、歯のメンテナンス。いつものように美形で剽軽な歯科衛生士女史に歯石をとってもらう。
電動歯ブラシにしてから力を入れすぎての傷が少なくなったとのこと。ただ同じ場所をずっと動かさずにおくのはひかえる方が良い。治療後先生と雑談。"Director's Viewfinder Mark Vb"を持っていって自慢をする。
先生、大いに喜ぶ(笑)。やはりこういう反応をしてくれるとうれしい。高い買い物だったからねえ(笑)。
『Nights In White Satin [Kindle版] [アダルト]』Kindle版購入。最近AmazonのKindle版で洋書のヌード集を物色している。サンプル版をDLして中身を確認するんだけど、ほぼ9割9部がどうしようもないものばっか(笑)。でたまに本書のようなものにぶちあたる。全体的な画質淡さは撮影時のフィルターの所為か、書籍を複写した時のものなのかは不明なのだが、非常に雰囲気がよい。非常に美しい写真集だなと言う印象。こういうのがエロだとかアダルトだとかで一括りされて結構酷いめをみているのではないだろうか。これが300円だもん、安すぎないか(笑)。更に内容にまったくマッチしないタイトルデザインが安っぽくしてる。だけど非常に良い写真集だった。
『天の血脈(4) [Kindle版]』Kindle版購入。合わせて一巻から三巻までもKindle版を買う。もう紙の本は買わない(笑)。大杉栄が出て来た。明治のこの頃の時代は関川夏央・谷口ジローの『「坊っちゃん」の時代』があり、自分としても興味がある年代である。興味があると良いながらあまり勉強はしないのだがwこういう本をそのつど手に取って読む事で分からないところを調べたりする。本書は日本の成り立ちにまで範囲を広げているので自分の知識がまったく追いつかない。本書を読んで日本書紀をよむ切っ掛けになればいいんだけど、さすがに不勉強なオイラはそうはなるまい(笑)。
『まんが親(3)』待望の第三巻。Kindle版を待っての購入。こういう自分の関心のある作家の日常を垣間見るというのは楽しいものだ。二人の天才作家の日常。多分にカリカチュアされたものであるとは思うが、それがリアルに見える(笑)。
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 原画集 -Archives- [大型本]』Amazonで書籍購入。モノクロでの印刷はシャープで見やすいということはあるのだが、元の原画は色鉛筆で塗り分けられている事を考えると、情報量は目減りしている。先行していた『安彦良和アニメーション原画集「機動戦士ガンダム」』は修正の黄色い紙の色まで出してるカラーだったから、本書もそうしてもらいたかった。宮崎駿は紙に描かれた原画や動画自体は映画を作るための材料にすぎない、という立場であまりそれらに価値をおいていないことを以前言っていた。本書の前書きではアニメーターが描いた原動画が散逸し、それを保管する術すらないということを語っている。それが本書を出す切っ掛けとなった、と。たしかに紙で作画を取っておくということは不可能だろう。オイラとしては手練のアニメーターが描いた原画はまちがいなく美術的な価値があると思うんだけど、それを言い始めるといろいろ面倒な問題が生じるだろうしね。一番の手としては原画を高精細にスキャンして取っておくということかな。お金をとってそのアーカイブされた原画のデータを閲覧できるという風にしてもいいし。需要は決して多くないだろうけど、見たいと思ってる人間は何を置いても見たいとおもってるだろうしね。本編全部とは言わないが、アニメーターの肉筆の原画と動画を撮影して映画にしてもらえたらなあ。気になるところは静止にしてじっくり見たりとかさ。少なくとも押井守が酔狂でつくった『攻殻機動隊2.0』なんかよりはずっと魅力的な画面になることまちがいなし。だいたその肉筆の力強さを全面に出そうとして高畑勲は『かぐや姫の物語』を作ったんだから。
宇多丸の『思い出のマーニー』評。スケッチブックでの心情描写やキャラクターのもつディティールを上手く演出している、という評を聴いて、またまた自分の見方がたりなかったと反省。なるほどそういう視点では観てなかった。だけど全体の感想はそれでもオイラはかわらんだろうなあ。
『アオイホノオ』
毎週観ているうちにどんどん面白くなっていく(笑)。特にあの芝居がかった矢野健太郎が出てくると本当に面白い(笑)。
『STAND BY ME ドラえもん』
先週土曜日。109シネマズ菖蒲。3D版。ネタバレあります。ピクサー・アニメーション・スタジオのように、一作のCGアニメーション映画を制作するほどの期間も予算も配給規模もない事を前提に、本作を制作した白組は、例えば映像の全てをフルCGにするのではなく、背景となる家などはミニチュアを作って撮影して、それをCGと合成するという手段をとっている。
本作を観ているとなるほど背景のリアリティがピクサーのそれとは別な感じで出ていてた。日本のアニメーションが、ディズニーのアニメーションのようなフルアニメで制作できないことからセル画の枚数を減らした制作余儀なくされたわけだが、その苦肉の策でしかなかった手法が徐々に洗練され表現の方法論として確立していった。画を動かさず迫力のあるタッチを使った止め画の表現や、動きのなかでセルの枚数をコントロール(1秒(24コマ)あたり12枚の2コマ作画とか、8枚3コマ作画とか)することで動きのメリハリや緩急がつくという独自の方法論を作ったわけだ。事実、いまディズニーの昔のアニメの動きを見ると「滑らかすぎて」気持ち悪いという感想もあるぐらい。白組は日本の現状の制作体制の中でできる新しい表現を模索しているようだ。そういう意味では白組、あなどれねえwとなる。が、それと本作である『STAND BY ME ドラえもん』の出来は別である。とにかく前提となることであるがなぜ『ドラえもん』なのか?映画を制作する上で、いくら実績のある白組といえどもやはり原作モノのビッグネームが必要だったというところだろう。その原作に足かせをかけられたというなら気の毒だったとしか言いようがない。が、なんの考えもなしに原作通りにすればいいと本作を制作したのだとしたら。アナクロで新しさの微塵もない古めかしい駄作だったというのがオイラの本作の感想。本作を観てリアリティーを感じたり、それこそもしかしたらドラえもんが自分に寄り添っているかもしれないと思えるだろうか。現代を舞台としておきながら子供達の部屋にはゲーム機がない。今時土管のある空き地などがあるのか?あったら駐車場になっているだろう。暴力的ないじめっ子であるジャイアンやスネ夫が時としてのび太と楽しく遊んでいる。かといって、いつも友好的な出木杉くんは仲間の環の中にははいってない。たしかに原作通りではあるけれど、現在作られるべき映画としてはアナクロチックな懐古主義。時代遅れも甚だしい設定であるとしか言いようがない。オイラは本作の制作をすると聞いた時に『ドラえもんの最終回』をやるのだと思った。数年前、田嶋・T・安恵という作家が『ドラえもんの最終回』を同人誌で描いて問題になった。著作権の侵害という意味では責めを負うべきなのかもしれないが、田嶋・T・安恵の描いた『ドラえもんの最終回』というのが実に出来が良かったのだ。なんで出来がいいかというと、のび太のドラえもんへの依存というものを断ち切って、それこそしずかちゃんと結婚してもおかしくないような男に成長させるという見事なストーリーだったからだ。オイラを含めて読者達はドラえもんがいなくなったらのび太はダメ人間になるだろうとしか思ってなかった。事実上作者である藤子・F・不二雄でさえ一度ドラえもんをのび太から去らせながらも、またのび太のところに舞い戻ってくるような話にしたぐらいだから。つまり誰一人、のび太が「男」になる姿を思い描けなかった。が、そこで田嶋・T・安恵がすばらしすぎる最終回とのび太の成長を説得力をもたせて描いたもんだから世間はひっくりかえったのだ。今現在、『ドラえもん』を映画にする意味があるとしたら、のび太の成長を確実に描くことでしかないだろう。そうすると田嶋・T・安恵の『ドラえもんの最終回』かなあ。でも権利問題なんかがあるからどうなんだろう。と思いつつも、本作の監督である山崎貴の監督デビュー作である『ジュブナイル』のオチはまさにまんま田嶋・T・安恵の『ドラえもんの最終回』だからね(笑)。パクリ、とはいわないけど、だったら本作もその線で行くのだろう、と。観終わるまで思ってたよ。でも全然違う(笑)。ハッキリ言おう。原作のドラえもんが未来に帰って、また戻ってくる話の映画化なのよ(笑)。例えば成人したしずかちゃんがまさにドラえもんを懐かしむような口調で話したり。成人したのび太が過去からやってきたドラえもんを見て、まさに子供の時の楽しい夢であったかのごとき口調で話したり、と。本作の中で絶対のび太がドラえもんと別れ成長したと思わせるようなニュアンスがあったんだよ(笑)。それなのにさあ、原作通り未来に帰るドラえもんを安心させる為にのび太がひとりジャイアンに立ち向かって取っ組み合いをする様は良かったよ。それで終わればよかったんだよ。でも御丁寧にその後の原作通りドラえもんが帰ってきちゃう顛末を入れちゃってる。これ、なんでいれたかあなあ。もうこれでのび太の成長は絶対無くなったようなもんだと思うんだけど。トトロがさつきとメイから姿を消したように、『モンスターズ・インク』でサリーとブーの別れがあったり。分かれというのは通過儀礼としてものすごく重要なものでしょう。本作は完全にドラえもんを殺し損なってるんだよね。いつまでも甘い夢を見続けましょうという甘々な展開。そうは言ってもグっとくる展開がなかったわけではないよ。ジャイアンとの取っ組み合いや、雪山で遭難しかけたのび太が未来の自分に助けを求めるところなんてナイスなアイデアだったと思うしね。でもそれ以外で言えば未来の街のビルの看板にTOYOTAだのPanasonicだののロゴがでるたびにげんなりしたよ(笑)。更に最後に件の『モンスターズ・インク』を真似てか、本編をメタ視点で描いたNG集的なものえおエンディングでやるんだけど、心底頭にきたよ。最後の最後でのび太とドラえもんの涙の再会のシーンの場所に主要登場人物がやってきて、ドラえもんにくす玉割らせてそのなかから「祝 制作終了」なんて書いてある。これなに。ここに出てきたキャラクター達って役者として演技してたってこと?世界観の中にある現実の中にリアルに生きていた存在ではなく、それすらもすべて演技であったと。もう本当に殺意が湧いたねw。本作、他の評判は良いようだから一つぐらい酷評があってもいいだろう。観る価値なし。更に蛇足で言えばたのキャラクターは許せる範囲だったけど、のび太だけは造形的に「不気味の谷現象」だっとと思う。
今週末は母親の通院の送迎。