『あゝ、荒野』

竹中平蔵教授を学内で批判した東洋大4年生の学生に 大学が「退学を警告」
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結果的にはこの洋大生の退学はなくなったとのこと。
本当によかった。
マジによかった。
......
本当になくなったんだろうな。
ほとぼりが冷めた時に退学処分なんてやめろよな。
これ、多少なりともネットなどで話題になったから問題になったけど、ならなかったら本当に退学処分が人知れず執行されていたかもしれんと思うと背筋が寒くなる。
本当にクソだな東洋大学
そもそもさ竹中平蔵なんぞを大学教授にするなんてどういう了見なんだ。
この立て看を立てた学生は大学当局に2時間以上拘束されて「本学の秩序」や「学生の本分」を理由に退学処分をチラつかせたと。
竹中平蔵を批判したら「大学のイメージを損なった責任を取れるのか」と大きな声で言われたり、「入社した会社で立場が危うくなるのでは」と恫喝。
クソみたいなサイテーな恫喝だな。
大学職員は学生が授業料を払ってる客だということを忘れてるのか。
歳若い学生だと思ってナメてんのか。
オイラからすれば東洋大学のイメージなんて竹中なんぞを教授に据えた時点で失墜しておるわ。
坂口安吾も草葉の陰で泣いておろう。
この学生はたった一人で、東洋大学は竹中平蔵万歳ばかりの画一的な集まりではないということを勇気を持って示したわけだよ。
褒められこそすれ、ひどい恫喝を職員ごときに受ける謂れはない。
大学当局としてはせいぜい立て看を撤去くらいにしておけばいいものを、本人捕まえて恫喝。
本当にクソだな東洋大学
はい、恥ずかしながら、本当に恥ずかしいがオイラもこの大学の卒業生なのである。
竹中が教授の大学の卒業生だというだけでも恥ずかしいのに、大学当局の質も随分と下がったもんだ。


GINNENN撮影会
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オイラがこの撮影会に参加したのは
2000年ぐらいからである。
女の子の写真を撮りたくて大人数の撮影会などに参加しつつもイマイチで。
できればモデルの女の子と一対一で個人撮影してみたいと思っていたところに知人の紹介でこのGINNENN撮影会に参加した。
オイラにとっては夢のようだったな。
下手くそながら撮影を心底楽しめた。
モデルの女性との対話で撮影時のコミュニケーションの度胸もかなりついた。
この撮影会がなければオイラはこんなにもカメラにも撮影にものめり込まなかったろう。
この20年近くをショボいおっさんに夢中になれる趣味の場を与えてくれた事に感謝いたします。
今までありがとうございました。


先週土曜日、銭湯にストレッチ、ジェットバス、岩盤浴。
五十肩、だいぶ動くようになった、気がする(笑)。


観たい映画
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『フロントランナー』
近場でやらないかしらん。


まずい事だが、色々無気力になりつつある(笑)。


『あゝ、荒野』
前回からの続きである。
ネタバレあります。
バリカン健二a.k.a.ヤン・イクチュンと新宿新次a.k.a.菅田将暉の主役二人はすごかったというのは言うに及ばず、他のキャストも相当なものだ。
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普段TV観ないのでわからんが、この映画での“片目”こと堀口a.k.aユースケ・サンタマリア作りこみはいい。
見えない眼をサングラスと髪の毛で隠して、スレンダーでシャープな佇まいが映画にマッチしている。
ユースケの普段TVで見せる脱力した雰囲気と本作での硬質な感じが絶妙であった。
そういう意味ではユースケが濡れ場を演じるというのがかなり意外だったというか、フレッシュな印象を受けた。
本作への気合の入り方が伝わってくる。
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でんでん についてはなんも言うことない。
貫録と雰囲気で場をさらうんだよね。
この人の印象って『冷たい熱帯魚』の印象が強くて、
「ボディを透明にする」
っていつ新次に言うんだろうと(笑)。
本作、俳優陣がすごく好演しているのは間違いないんだが、適材適所というか、それぞれにマッチングした役者を配するというキャスティングのディレクションも相当に上手くいっていたと思う。
美形を集めれば良いというものではない。
物語の世界観のパーツに相応しいリアリティをもつ俳優を配するべきで、有名俳優がいれば客が入る、などという目論見とは別の軸の話なのだ。
そういう意味では大変申し訳ない言い方になるが本作のヒロインの一人
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木下あかりってものすごく存在感を感じた。
ものすごく失礼な言い方だが、ものすごく美人というわけでも、可愛いという顔立ちでもないと思う。
しかしね、この女性が荒野で唯一無二だと思えた瞬間に美しくも可愛くも見えてくる。
劣情をそそるような存在にも見えてくるように演出されている。
そこがリアルに感じた部分。
本作では
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木村多江以外の女性キャストはみんな濡場があって脱いでるんだよね。
よく女優は
「必然性があれば脱ぎます」
なっていうよね。
木村多江は言ってたかどうだかしらんけど、本作の必然性であれば木村多江も脱ぐべきだったと思う。
木村多江のしっかりした部分とか硬質で冷たい感じというのはその佇まいで表現できていると思うんだが、女性の「生」とか「性」の部分を出すには木村は硬すぎると思うんだよね。
本作は「生」とか「性」に対して獰猛な部分を全編通して描いているわけなので、オイラには最終的に木村多江の感じが及び腰に見えてならなかった。
おなじ木村多江の主演映画で『ぐるりのこと』の方が「生」とか「性」に対する強さを感じられたんだがなあ。
本作は登場人物たちが概ね相互になにかしら関連している集まりになっている。
例えば新次の父親と健二の父親が自衛官であり、新次の父親が自殺した遠因が健二の父親。
新次の女である芳子の母親と、新次のトレーナーである堀口がデキているとか。
昔学生の頃観た寺山修司の『田園に死す』なんかでも感じたんだが、いわゆる"血縁"という強い幻想によって作られた世界での安寧と拒否というものを感じた。
この手の関係者の多くが赤の他人ではなく、なにかしらの血縁であったというのは、今はどうか知らないが、一昔前の少女や女性向けの漫画に多用されていた。
偏見ではあるが、女性は男に比べて"血縁"という繋がりを強く渇望するような気がする。
オイラにはこの"血縁"に関する思いというものが希薄な所為か強く共感ができないでいるんだが、寺山修司などはどこか血縁、母親との愛憎というものをテーマの中心に据えざるを得なかったのかなと思う。
この関係者全員が最後にバリカン健二と新宿新次の試合に集う。
その集う場所が"リング"という四角いサークルの周りだ。
そして試合が終わるとその関係に気がつくこともなくそれぞれに散っていく。
この試合会場もさディファ有明でやったんだけど、できれば後楽園ホールでやってもらいたかった。
後楽園ホールのあのすり鉢状がコロシアムみたいで、より最後の殺伐とした感じがでたんじゃないかと思うんだが。
このバリカン健二と新宿新次の試合もラストを飾るような世紀のタイトルマッチというわけではないんだよね。
単なる8回戦だ。
『ロッキー』などのように大観衆の中華々しく勝ったり負けたりがあるわけではない。
それに比べれば遥かにささやかな場であっても、真剣に命のやり取りをするという強さに感動した。
バリカン健二は死ぬ。
8回戦の小さな会場のマットの上で。
『ロッキー』のアポロは大きな会場の大観衆の中でロッキーの腕の中で息を引き取る。
が、バリカン健二の死がそれよりも見すぼらしい死に様だとは思わない。
誰と戦って、劇中の言葉で言えば、<繋がる>ことができたかどうか。
相手を殴らなければ繋がる実感を持てない男という生き物の悲しさ。
本作はそれを実に上手く映画にしていた。
"人間は、中途半端な死体 として生まれてきて、一生かかって完全な死体になるんだ"
という寺山修司のあまりにも有名な言葉がセリフになっていたりと、巧妙に脚色されつつも寺山修司のテイストを随所に滑り込ませている。
本作、とにかく傑作だと思う。
撮影、演出、セリフ、演技。
5時間という上映時間を臆せず作った勇気。
現在から近未来を想定した地続きのSFの匂わせ方。
つよく現在というものも反映して描かれた世界観。
SFという括りで考えれば『散歩する侵略者』なんかよりもずっと強さを感じた。


今週末は歯のメンテナンス。

by 16mm | 2019-01-27 20:11 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(2)
Commented by chata at 2019-01-27 20:28 x
東洋大学
・・・難解すぎる試験にぶち当たり、不合格となりましたw
Commented by 16mm at 2019-01-27 20:50
■re:chataさん
オリンピックのマークをパクったデザイナーの美術大学並みに、名前を出すのが恥ずかしくなった出身大学です(笑)。
ちなみに嶋田久作もここの卒業生だというのがオイラには誇らしい部分ではありました。


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