『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』

●哀悼:高見のっぽ
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良い写真で良い顔だなあ。
訃報の報は2023年5月10日(高見の誕生日)であったが実際死去したのは2022年9月10日、心不全のため88歳没。
小学校の授業の一環で見る事ができたTV番組のなかでほぼ唯一子供達全員の興味を引いて集中させたのは『できるかな』をおいて他にない。
NHKではその他にも『理科』とか『はたらくおじさん』などの番組も授業で観るものとしてあったが、当然だがそれらの番組は"教育"がついて回る。
やはり第一義が"教育"であるという印象は避けられないためか、『理科』とか『はたらくおじさん』も子供が観ていても楽しい番組になってはいるが最終的には勉強のためだよなあと勉強嫌いなオイラなどはげんなりしていた。
しかし高見のっぽの『できるかな』は違っていた。
いや、違っているように見えた。
『できるかな』は勉強ではなく楽しさを教えてくれた。
それはなにかモノを作るということの楽しさだ。
授業で言えば図工の授業になるんだろうが、『できるかな』に出てくるようなモノ作りは授業では行われない。
それでいて材料などは誰がどこでも手に入れられるような段ボールとか画用紙のたぐいだ。
『できるかな』で作られたものは子供でも手軽に作れそうであり、更に学校で作らされるモノよりも遥かに魅力的に思えた。
誤解を恐れずに言えば『できるかな』で行われていたのは堅苦しい教育などではなく、楽しい遊びだ。
モノを作るという楽しい遊びを大人がそれこそ楽しげに真剣にやっていたからこそ当時のガキどもは熱狂したのだ。
『できるかな』で何かを作るというのはこんなにも楽しいものなのだというモチベーションを得て後々漫画家やイラストレーターやその他のアーティストやパフォーマーになったり、なるきっかけになった人は大勢いるだろう。
図らずも『できるかな』はモノ作りを行う才能ある人間を増やしたと言っても過言ではない。
何かを作ってそれを見せて喜んでもらうというモノ作りのサイクルを『できるかな』はオイラたちに植え付けた。
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それとこれは大筋とは関係ないがオイラが高見のっぽと同じ考え方を共有できていたことが心からうれしくなった。
衷心よりご冥福をお祈りいたします。


■西田昌司
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不当な差別について記者が西田昌司に問うたら
「この種の問題が出てきたのは、ロシア革命以降のね、マルクスの共産主義ね、の思想の延長線上に出てきたのは、事実です」
とかなんとか。
この西田の発言って分かりづらいし、こいつの目的が反共を言いたくて途中の説明をすっとばして乱暴に過激なことを言ってるにすぎないんだけど、
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西田の言ってることは後述する井上 純一の『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』にだいたいの意味が描いてある。
念のために言うが井上の著作が西田を肯定しているわけではない。
井上は日本にもたらされたある現象の結果を描いているにすぎない。
ところでこの西田昌司ってヤツ
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こんなこと言ってるのね。
オイラからすると典型的な厨二な野郎にしか見えん。
ちょっと人が言わないような過激な事を言うと知的であるとか人より知識があって頭がいいと思われると思い込んでいるバカ。
で、 Wikipedia調べで最近意外だったのがこのバカが
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西部邁と親交があったという話。
・・・
いやオイラも心情的に西部がトコトン好きだった、ということはないよ。
それでもさあ、なんで、よりによって西田なんだ?って思うのよね。
皮肉を効かせてバカにしていたというのならわかるんだがねぇ。


●電動昇降デスク
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先週楽天で電動昇降デスクFlexiSpot E7を7万円で購入。
プラス、Amazonで
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京セラ(Kyocera) 旧リョービ ドライバードリルキット 鉄工5mm 木工10mm FDD-1010KT 646051A 【すぐに使える14種類のビット・ソケットなどが1パッケージ】 軽作業のネジ締め・ゆるめ・穴あけ 最大穴あけ能力(鉄工)5mm・(木工)10mm ネジ締め能力3.8mm 最大締付トルク6.4N・m購入。
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HAODEMI デスクチェアマット【大判サイズ160×140cm 】厚さ4mm 床保護マット ダイニングマット ゲーミングチェア 床保護 傷防止吸着 床マット 騒音対策 滑り止め カット自由床暖房対応 (ブラック)購入。
で、土日でなんとか部屋に設置できた。
いやいやとにかく電動昇降デスクが重いこと重いこと。
脚と天板合わせて約50kg。
天板も脚も梱包のままなんとか二階の部屋に持ち込めたが、キツかったぁ。
本当に買うこと考えている人は作業は二人以上でやった方がいいよ。
オイラは辛うじて一人でやったけど。
あまりに重いので階下にいる母親がビビって天井から落ちてくるなどと文句を言っておった。
一応ネットで調べて一平方メートルあたり180kgまで耐えられるように建築物は設計されていると言って納得させた。
本当かどうか知らんが(笑)。
この電動昇降デスクFlexiSpot E7に決定したのは付いてくる天板のサイズが1400mm×700mmという室内の空いているスペースのギリのサイズであったためだが、一応設置はできたものの何事もギリギリのサイズにするのは考えものだと思った。
隙間ギリギリでやると一応机は入るんだが設置する時に自分が作業するスペースが必要だったと言うことを設置するまで気がつかなかった(笑)。
それでもなんとかズリズリとひきづって移動したりしてことなきを得た。
この時に購入したHAODEMI デスクチェアマット4mm厚が功を奏したというところか。
この電動昇降デスクを選んだのは

このYouTubeを見たからだ。
型式は少し違うが組み立ての要領などは参考になった。
同一メーカーの型番違いの解説などが非常に分かりやすかったので参考になった。
オイラが購入した昇降デスクは昇降モーターが格脚にひとつづつある計二つのモーターなので重量がある。
モーター二つだと重量はあるが一つだと片方のモーターから軸を出してもう一方の脚のの歯車を回すという機構になるようで組み立てが若干面倒になるという。
それと脚のネジ留めについてだが、天板に穴を開けることを想定して電動ドリルも購入していたんだが、マニュアル通り組み立てたら自分でわざわざ穴をあけることもしないで済んだ。
しかもこの組み立ての半分ちょいぐらいが六角穴のボルトを使用していたので電動ドライバーの出番があまりなかったのよ(笑)。
まあ、電動ドライバーの使い方にも慣れていないので手締めでできればそれに越したことはなかったけど。
一応、メインマシンのMacBookとモニターの設置は終わった。
前の机よりも1.5倍ぐらい広いわけだが
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すでに一杯になりつつある。
TV用のWindows VAIOを右と左のどちらに置くかで迷っている。
机の設置も大変だったが、電源のコードの取り回しも大変。
なんせ机の高さが変えられるのでコードが引きずられないように長さを保っておかなくてはならず延長コードを買い足したりした。
そもそも立って作業するために買った昇降デスクだが、今まで使用していた机と椅子が高さの変更ができずに非常に疲れる体勢で作業していたんだが、今回机だけでも高さの変更ができるようになり、椅子が高さが変えられなくても割と良好になった。
しかも電動で昇降できるというのはその時々の体調や気分で楽に自分に合った微妙な高さ変更ができるのがいい。
なのでしばらく座ったままでもいいかなとは思うが、ためしに立った状態で作業したらやはり脚が疲れる。
ので、スタンディングチェアをそのうち購入予定。
椅子の脚のスペースが心許ないのでやはり一本脚のスタンディングチェアを購入だな。
今週末までにWindows VAIOとその他のセッティングを完了させねばな。


『キミのお金はどこに消えるのか 令和サバイバル編』
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行動経済学という聞きなれぬ用語が出てくる。
たまたまであるが後述する『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』でもその言葉がセリフとしてでてきていて、ちょっとした予習になった。
分かりやすくはあるのだが、自分が思い込んでいた考えを修正するのに時間がかかる。
更に問題は本書で書かれている事が本当かどうかというのを自分でも検証しなくてはならない。
というのは当たり前だがすべて著者の井上純一の考えがオイラの考えとイコールではないからだ。
まあそのあたりは井上の『逆資本論』でカール・マルクスの言葉を借りて
"全てを疑え"
という言葉を額面通り受け取って自分でも検証するべきだと感じる。
まあ時期的なこともあるが
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今はどうだかわからぬが、オイラは井上ほど河野太郎を信頼してはいないんだけどね。


『中国嫁日記(1)-(8)』
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井上純一が中国人の年下の嫁を貰って生活する様を描いている。
マンガで描かれている井上も嫁の月(ユエ)さんも非常に魅力的で愛おしいキャラクターとして描かれている。
だからこそそんなキャラクター達が酷い目に合うととにかく憤りを禁じ得ない。
二人が妊娠初期で子供を失ったり、一巻から登場していた井上の友人でありビジネスパートナーに巻の途中で裏切られて裁判沙汰になったりと心底気の毒に感じた。
オイラなどは結婚もしてなければ子供もいないので子供を失った夫婦の悲しみというものが本当の意味で分からないのかもしれない。
が、それでも本作で描写されていた夫婦の悲しみは切々と伝わってきたよ。
井上を裏切った友人もそう。
単行本一巻の段階で井上の10年来の友人だった男が5巻目で碌でもない人間であったことが発覚するなどオイラも描いている井上でさえ思ってなかった。
裁判中とのことで詳しくは描かれていないが、はっきり言って井上との共同会社の金を横領(作中では横領などとは書いていないが)し、自分の私物を会社の金で買いまくり、借金し、その借金を井上に払わせるような事までになり。
いったい井上がこんな目に合わなきゃならんような業があったとしたらどんなものなのか?
信じていた友人にここまで裏切られる辛さたるや。
そんな辛さとは逆に井上の力になる友人知人親類縁者の多い事。
ひとえに井上と嫁の月(ユエ)さんの人柄によるところだろう。
この夫婦は本当にお互いがお互いを思いやっているのがわかるのだ。
人の不幸は蜜の味とは言うし、この夫婦に起こった様々なひどい有様は正直読み手の興味をそそる。
しかしね、それ以上にこの夫婦の幸せな日常を見ることが読んでるオイラにも幸せな気分にさせてくれる。
ある種の希望かね。
誠実に親切を心がけて思いやりを持っていれば不幸を上回る幸せが巡ってくる、というね。


『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』
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バラモン左翼とビジネスエリート右翼の存在というものがでてくる。
バラモン左翼というのは教条主義的な感じというか、なんとなく宮崎駿がインタビューで答えていた内容みたいだ。
オイラとしてはバラモン左翼というのは多くの大衆が意識的になって到達する目標のようなものと思っていたが、本書でいうバラモン左翼とビジネスエリート右翼はそのどちらも主義主張は反対でも大衆というものから乖離しているのは同じだという。
オイラは大衆はバカであり愚民であるから少しでも意識を高く持たねばならん、という一方で、社会的政治的な事を考えることが苦手だったりする人に無理強いして考えろというのは傲慢であるとも思ってる。
個人の生活よりも人権問題や反差別、原発問題や環境問題を意識しなくてはならないのだろうか?
多くの貧乏人が豊かになろうと思うのは罪なことなのだろうか?
人権問題や反差別、原発問題や環境問題が巡り巡って個人の生活に繋がっていくのは分かるが、数年先の未来よりも明日の仕事の方が大事だという言葉も否定しきれない。
前述した西田昌司の差別問題に対して
「この種の問題が出てきたのは、ロシア革命以降のね、マルクスの共産主義ね、の思想の延長線上に出てきたのは、事実です」
とかなんとか言ってるのは、日本の左翼が東欧諸国の共産主義の敗退と資本主義の限界を通して経済や労働問題では運動が成り立たず人権問題や反差別、原発問題や環境問題を意識しなくてはならなくなったということを言っている。
西田が言うのは共産主義憎しで説明を乱暴にすっ飛ばした言葉なのだ。
本書は行動経済学、自己責任や保育士不足のような具体的な問題などのを提起しつつその解決方法までも提示している。
そして中学高校で習った政治経済の知識の延長を本書で深めることもできる。


『ザ・ファブル The second contact(7)』
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単行本の表紙折り返しの作者の文章で
ケイスケサカモトという人のプロモーションビデオの絵コンテを『ファブル』の作者である南勝久が描いた、と。
なんでも南はケイスケサカモトの『あなたと元気に暮らした町』という楽曲が気に入ってプロモの絵コンテを描くとかって出たとのことだ。
非常にしみじみと良い楽曲だと思うが、
そのメイキングの2:56とか3:16などに開いた口が塞がらないほど見覚えのある人物が(笑)。
すげえな南勝久って実はそんなに画に興味がない漫画家だと思っていたんだが、まさに二次元のキャラクターにクリソツな実物、ではないw、実物にそっくりでまんまな二次元キャラクターを作り出していたんだな(笑)。
似せ方に感動したよ(笑)。


『新装版 零士のメカゾーン』
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オイラが小学生の時に毎日新聞の別冊みたいに木曜日に送られてきた『くりくり』という新聞があった。
比較的子供向けのものでアニメや映画のネタなんかもあり、そのなかで松本零士の"零士のメカゾーン"というコーナーがあり、毎週松本零士が自身が描いたメカのイラストとともにその蘊蓄が語られるものであった。
メカの画はおそらく松本の戦場マンガシリーズで描かれるメカの画よりもディティール細かく、もっと言ってしまえばマンガ画よりも丁寧に丹念に描かれていたと思う。
それを毎週興味深く読んでいたんだがそののちそれらがまとめられて本二冊で発売された。
当然購入して読んだ。
戦車、戦闘機、銃、ヘルメット、双眼潜望鏡、鏃、手榴弾、戦闘機の照準器などなど、様々な兵器の蘊蓄を松本零士が直々に解説するというのは魅力的であった。
今回電書で買い直して再読。
情報的には古くなってはいるが松本のメカに対する思い入れの印象は全く変わらず懐かしい感じ。
兵器に対する蘊蓄のなかで人間爆弾"桜花"についての件が胸をうつ。
松本自身はこの"桜花"を扱った作品を描いた事があるそうで、それをひどく後悔していると。
今現在のタカ派を自認して好戦的な奴らってこの"桜花"という兵器がどれほど悪辣でサイテーな兵器であるという事を認識できるのであろうか?
この兵器を肯定的になってるような人間は碌でなしだろう。
オイラは宮崎駿よりも前に松本零士から兵器というものは人間が作り出した美しくも愚かな道具であるという認識を得たんだと思う。


『アオイホノオ(28)』
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本巻かなり面白かった。
ホノオくんがアシスタントを雇ってのやりとりが面白く感じられた。
それにもまして漫画情報誌『ぱふ』の編集の一人が漫画化志望でよりにもよって(笑)ホノオくんのアシスタント希望だったのが
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藤島康介であったというネタ(笑)。
オイラとしては島本自身の作品でまさか「江川達也」の名前が出てくるとは思わなんだ(笑)。
そういう意味では気に入らない相手であっても事実であれば「江川達也」という名前を自分の作品に出すという態度は公平であり大人だなと感じたよ。


『首』

予告編観たら楽しみでしょうがない。
同じく時代劇の『座頭市』と同じ感じだったらどうしようと思ったが、予告編を観る限り果てしなく重厚に思えた。
城のヴィジュアルや合戦のモブの演出など今までの北野映画にないような金と時間をかけまくって、まったく手を抜いているようには見えぬ。
構想30年というのは伊達じゃないね。
昔から時代劇やりたいとは聞いていたけど、その当時は信長や秀吉や家康などは遠景にあってそれらの大将を遠くで見つめる百姓の話にする、なんて言ってたと思うが・・・。
とにかく今年の秋までは死ねない(笑)。


『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』

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先週金曜日109シネマズ菖蒲。
若干ネタバレあり。
流石に公開直後なのでネタバレはしないようにする。
というよりもネタバレ云々よりも前作から月日が経っているので頭の中でうまく辻褄が合わせられないところがあり、詳しく感想がかけないという事が正直なところ。
一つだけネタバレになるが本作は所謂第三期と呼ばれるシリーズの前章となる。
つまり第三章で伏線もなく唐突にあらわれた物語の謎を繋ぐミッシングリンクを描いている。
はやい話がなぜ常守朱は勾留されていたのか?という顛末が明らかになる。
そういう意味では唐突に訳の分からない状況になっていた第三期よりも本作は分かりやすくとっつきやすいものではあったと思う。
ところでふと思ったのだが、本作の主役の一人である常守朱についてである。
常守は作品の世界観上どんな過酷なストレスにさらされても犯罪を犯す可能性がある心理状態や性格傾向になることはないという極めての特殊な体質だということになっている。
その人間の心理状態や性格傾向の負の値を計測した数値を犯罪係数といい、人間の犯罪係数を測る機能を持つ演算システムを「シビュラシステム」という。
これによって犯罪の傾向のある者を犯罪を犯す前にある時は拘束しストレスをケアして犯罪係数を問題のない数値に戻すか、或いは犯罪者として執行対象になり執行官により殺害されることになる。
これは本作のテーマにもなっているのだが、その「シビュラシステム」というものが完璧であるならば法律は必要ないのではないか?
「シビュラシステム」は人間が作ったシステムではあるが、それは生体脳というおそらく実際の脳みそと同じように液性情報を行き来する仕組みによって従来の機械プログラムの論理的な判断だけではなく、もっと不確かで一般的でない思考から解答を導き出すような。
通常理解不能なものを正式解として導き出せる。
つまり通常動機など理解不能な犯罪者の心理もそれで理解できるのではないか?
そこまでのシステムだからこそ犯罪者を予測したり個人の傾向から職業や結婚相手までも「シビュラシステム」が出す結論を最適解として疑うことがないのだ。
これは一種の神の外部化に成功したという事だと思う。
客観性というものを「シビュラシステム」が担保した完璧な管理社会なら人間が論理に情緒を持ち込んだ法律よりも正当性があるのではないか?
しかし、本作ではその完全無欠である「シビュラシステム」によって犯罪係数を測定させないテクノロジーが出てきている。
どんな最悪な犯罪係数であってもその人は犯罪者の認定されないのだ。
で、常守朱である。
彼女は例えば身内が殺されたり、目の前で人が殺されても犯罪係数が上がるような事はない、ことになっている。
主人公だから強靭なメンタルとストレス耐性があるという事で納得していいものなのだろうか?
目の前で人が殺されたり、ましてや身内が殺されたりしたら「相手を殺す」「殺してやる」という感情が出るのが普通なのではないか?
むしろ常守のような人間は情緒の乏しい人間として逆にサイコパスなのではないか?
「シビュラシステム」の問題は犯罪係数が高くなった場合、犯罪予備軍として厚生省の執行官に殺される可能性があるんだが、よくよく考えてみれば犯罪係数が高くなるような他人への殺意があったとしてもその相手を殺すような事態はそうそう起きない筈だ。
それは人間の社会的な慣習やなどの法の遵法意識によるものでもある。
殺意がある人間だから必ず殺人を犯すなどという事はあり得ない。
むしろ常守のように「シビュラシステム」から弾かれた「シビュラシステム」から無印と判断された人間が実は「シビュラシステム」が感知しえなかったサイコパスであるのではないかという疑いが出てくるのではないか。
しかし常守をサイコパス認定にすると普通の人間のサイコパスの基準も上がってしまう可能性もある。
法の支配というのも不完全ではあるが問題は神であろうと法であろうと人間の作り出したものに完璧はないという当たり前の事実だという事にならないだろうか。


今週末は心療内科。

# by 16mm | 2023-05-14 19:14 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(2)

『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』

■未来のための現状肯定
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内田樹のTweetに溜飲が下がる。
図らずもTVドラマの『エルピス-希望、あるいは災い-』での最終回での浅川恵那(長澤まさみ)と斎藤正一(鈴木亮平)の対話の非常に論理的な解説になっていると感じた。
斎藤「それからこれは信じてもらえないかもしれない。
だけど約束する。
時間をくれ。
オレに然るべき力がついた時には今日君に言ったことに必ず応えて見せる。
今日の君のともオレのとも違う。
より建設的でより有効な方法を必ず見出してみせる。」
この斎藤の言葉の信用ならなさはオイラでも当時から気が付いてはいたが、それを言葉としてうまくまとめ切れてはいなかった。
なんとなく斎藤の言葉にも現状を変える方法論としての正論があるようにも感じていたし。
仕方がないけど、信用は全くできないけどそう言うしかないとも思えた。
が、内田はその言葉の危うさを非常に明快に言葉にしてくれた。
ある時期から「権力者を批判したければ、自分がまず権力者になってから言え」というタイプの言説が幅をきかせるようになりました。「現状を批判したければ、まず現行のシステムの中で成功して、それから言え」というロジックにうっかり頷いたらもう出口はありません。
それを認めたら「現状を否定したければ、まず現状を肯定しろ」という背理に導かれて身動きできなくなる。いまの立憲民主党はまさにそれです。そして、その身動きできない現状を「リアリズム」だと思い込んでいる。違いますよ。リアリズムというのは「現実変成力」のことです。
この言葉は非常に力強い。
この手の「現状を否定したければ、まず現状を肯定しろ」という一見合理的な方法にしか思えない言葉に明快で力強い反論の言葉を見出してくれた。
素晴らしいと思う。


先週土曜日、歯のメンテナンス。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
歯茎の若干の不調を指摘される。
それからいつものようにお互いの健康方法を disりあう(笑)。
先生とカメラの話。
先生が購入した
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ライカSL2と
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SIGMA50mm F1.4 DG DN Art レンズのコンビを触らせてもらう。
第一印象、すごく重い(笑)。
主にカメラボディが重いようだが、いくら強力な手振れ補正機能がついていてもレンズ込みで手持ち撮影ができる気がしない(笑)。
さらにこのシグマの50mm、なんんとなく見た目で良いレンズっぽい印象。
銃と同じで印象で当たりそうな銃というものがあるそうで、レンズも見た目でよく写りそうという印象のものがあると思うんだが、このレンズは印象が良い。
しかしね、50mmのレンズが通常使用で使いきれないほどある状態で流石にこれ以上は増やせないよな。
なんとなく持ってたら撮影のモチベーションがあがりそうな気がするね。


先週土曜日、マッサージ。
脹脛と肩甲骨のコリを重点的にとってもらう。


GWが今日で終わる。
本当に何もしないで寝てばかりだった。
この怠癖をなんとかしたいと思いつつもなにもしない。
本当に何もしていない。
寝て起きて『RDR II』で虐殺行為をするルーチンである。
せめてブログの本の感想の書き置きぐらいしようと思ってもまったくその気にならず、連休の最終日にやっと重い腰をあげている。
自部屋を多少整理して懸案であったスタンディングデスクを購入して連休中に組み立てようとしたら、自宅に来るのが休み明けだと。
Amazonでの配送日の表示は休み中であったのに、だ。
休み明けでオイラがいない時に1400mmあるテーブルを自宅警備員の婆さんに受け取らせるのはまずいと思ったのですぐに商品をキャンセルした。
なので今週末に再度注文してオイラが在宅の土日に配送してもらえるようにするつもり。
毎度のことだが明日からの会社が憂鬱だが、自宅にいて有意義に何かしてるわけでもないのでなあ。


『よそじとふたごのメシ事情』
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小坂俊史の夫婦のエッセイ漫画がたまらなく好きだ。
しっかりしているようでちょっとしたポンコツぐあいが楽しさになっている。
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"西"出身の夫婦が子供に納豆を食べさせねばならなくなった時の葛藤が表情と共に面白かった。


『逆資本論』
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この人の漫画は以前から興味があって何から読もうという感じで気になっていた。
そこで資本論に関する本ということでこの本から読むことに。
一応経済学部出身のオイラである。
用語など結構覚えているものだ。
それよりも
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カール・マルクスは『資本論』という本一冊で世界を半分に分けちゃった、という惹句はすごい、その通りだよな。
あと経済学部で経済学の一つとしてマルクス経済学をやっていたから、カールってば経済学者だと思ったら結構数字に弱い哲学者であったという。
考えてみればそもそも学問として専門化細分化して経済学やら心理学やら社会学やらがでてきたわけで、元を正せばすべて哲学という言葉に集約されるような気がする。
ただ漫画だからわかりやすいだろうと思ったら大間違い。
作者はかなりわかりやすく描いているとは思うが、真剣に読まないと訳がわからなくなる。
それはオイラに関して言えば今まで信じていた論理から外れたものが出てくるので、どんなに分かりやすく描いてあってもおいそれとは己の脳がなっとくしないのである。
これは後述の『キミのお金はどこに消えるのか』も同様である。


『キミのお金はどこに消えるのか』
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本書で書かれている事が基本の基本常識であっても例えば"お金が借金から生まれる"とか"医療費で国が潰れるのは難しい"という言葉が本当であってもなかなか納得できる形で頭に入ってこない。
これは間違いなくオイラの読解力の問題でこの本に答えは必ずあるように描いてあるはずなのだ。
かなり読み込みに耐えるほどの作品であるのでオイラも現状納得できないところを何度も読んでいる。
これが理解できたら多くの人が幸せになるような働き方の形や人間関係の構築なんてのも出てきそう。
非常に希望を語れる本なのかもしれない。


『大物女優の付き人は、ほぼ奴隷の日々でした。』
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新人俳優が売れっ子の女優の付き人をするという話。
なかなか興味深く読めた。
予想の範囲だがこの女優が口が悪くて横柄なんだが、実は付き人くんに役を付けようと働きかけたりとなかなかなツンデレっぷり。
この女優が誰なのか分からぬが自分のイメージではない役に積極的になろうとするところが好感が持てる。
後書きでこの原作者である付き人の俳優が、付き人をしていた3年半が結構苦しい体験であったと吐露しているので、漫画で描かれるようなハートウォーミングな部分ってそんなになかったんだろうな。
それよりもあれか、付き人よりも俳優として立ちたいという思いが強かったために付き人としてのある種のぬるま湯が嫌だったのかな。
本作の女優の名前は分からぬが、出てくる他の俳優やタレントはわかりやすい名前の変更ででてきたり。
たとえばタウンタウンの梅本は遅刻魔でその間出演者の時間のつなぎを相方の浜辺がやってるとかね。
そうか梅本は遅刻魔か。
ロクでもねえな。


『北欧女子オーサ、日本で恋をする。』

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スウェーデン人の漫画家が語る恋愛やパートナーについての話。
思いのほか慣習の違いが多いと感じた。
例えばスウェーデンではオープンマリッジという結婚している二人が伴侶とは別に肉体関係を含んだ人間関係を容認しあうという慣習があるそうで、これは日本で言えばダブル不倫とかに値するわけで、これは大方の日本人には羨ましいと思いつつも一般的には認め難い部分だろうな、とか。
結婚したパートナーの異性の友人がいてその付き合いを継続するというのもなかなか日本では看過できない話になるんだろうな。
そういった異国の文化の違いが知れることは非常に興味深かった。
スウェーデンの婚姻の慣習で"サンボ"というのがあって、一緒に暮らすが結婚はしないという制度。
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↑これってタイトルは言及されてないけど、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』『ドラゴン・タトゥーの女』のことだよな。
スティーグ・ラーソンには共著者のサンボのパートナーのエヴァ・ガブリエルソンがいたんだが、彼女には印税を含めた遺産が法律的に渡らなかったという悲劇があった。
これはスティーグ・ラーソンが反ファシズム系のジャーナリストをしていた関係で正式な婚姻関係をエヴァ・ガブリエルソンと結んだ場合、その敵対勢力からのなんらかの危険を彼女が被る可能性があったからだ。
その思いやりが結果的にエヴァ・ガブリエルソンが継承するべき遺産が法律的に否定されてしまったという結果になった。
どんなシステムでも良し悪しはあるものであるな。
そう言えば前述したオープンマリッジって『ミレニアム』の主人公もそうだったな。



『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』
『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』_c0022635_17170387.jpg
Amazonプライムビデオでレンタル視聴。
初めて金を出してAmazonプライムビデオでレンタルだ。
それがよりによって『ドライブ』の監督であるニコラス・ウィンディング・レフンの『オンリー・ゴッド』のメイキング、というか監督の嫁が単にカメラを回しただけのドキュメンタリー。
考えて見たら世間的な評価はあったもののオイラは『ドライブ』も『オンリー・ゴッド』もノレなかったんだよな。
『ドライブ』は辛うじてハードボイルドっぽい印象だけがよかったように感じたのを覚えているんだが。
この手の映画のドキュメンタリーはどんなものでもオイラは大好物だ。
自信満々な映画監督が嫁の前で無様に泣き言を言ったりするのを観ると結構嬉しいんだよね。
世の中自信満々なことなんてありえないとはいえ、指揮官としての監督がスタッフやキャストに不明瞭さや自信のなさを見せるのは明らかな悪手だ。
監督についているスタッフやキャストは監督の言う通り動いている、だからそのスタッフやキャストのために作っている作品が素晴らしいものであると制作中は信じ込ませなければならない。
『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』_c0022635_17351118.png
『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』_c0022635_17351193.png
こんな弱音を映画監督は嫁にしか言えない。
言われた嫁だって「失敗作だ」と夫がいったら「そんなことない」を言わざるをえないではないか。
夫としての弱みと映画監督としての空元気に苛まれる苦悩。
そんな中で娘の
『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』_c0022635_17392593.png
この言葉が本当に力強い。
女性ってのは大きくても小さくてもとことん賢くあるんだな。


今週末は新しい机を部屋に入れる予定。

# by 16mm | 2023-05-06 14:53 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(0)

『アンメット(10) ーある脳外科医の日記ー』『 家が好きな人』『ヨシキ×ホークのファッキン・ムービー・トーク!』

先週土曜日ヘアカット。
ブリーチとヘッドスパ。
今回はヘアカット担当の長年世話になってる兄ちゃんがブリーチまで一手に引き受けていた。
やはり経験値の差か、手際が違う。
単なる気のいい兄ちゃんではなかった。
ブリーチをアシストしてくれていた女性にセクハラしつつ楽しい時間を過ごせた。
ちなみに毎度のことだが全工程で5時間かかっとるからな(笑)。


先週今年の健康診断の結果がでた。
なんとも驚異的なことに色々数値が下がっておる。
左から2021年→2022年→2023年と列記していく。
HbA1c:13.3→12.3→9
血糖:321→291→181
体重:89.4→84.8→81.2
腹囲:99.4→96.5→92.3
血圧(1回目):138/103→166/107→152/89
血圧(2回目):133/86→158/108→142/87
まあ他人の診断結果世間に晒しても当事者以外関心は無いのはわかるが、オイラ自身にとってはかなりハッピーな気分(笑)。
軒並み数値が下がってて気分が上がったは。
だけどそれでも数値的には危険域のなかで再検査とか診療所に来いというレベルなのだが。
この改善しつつある原因だが、一つは一年前からやってるストレッチ"用"ポールで代謝が良いように上がって体重減に寄与したということがある。
それと先週飲むの止めると言っていた
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森永のトリプルヨーグルト砂糖不使用 ドリンクタイプのおかげで血糖値とか血圧が下がった可能性もあるなと思い、また飲み始めることに。
とりあえずさらに続けて数値を下げていきたい。
引き続き糖質制限も注力するつもりである。


●坂口尚 フランス・アングレーム国際漫画祭「遺産賞」受賞
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これについては浦沢直樹のTwitterで知ったわけだが、浦沢の言う通り「また海外か、」というのと「うっそだろ」という言葉に尽きる。
クールジャパンだのなんだのマンガに無知な官僚や政治家から坂口の作品の強さというのを読み取れない故の日本での評価の低さ。
それをもってしての浦沢の今頃坂口を評価、しかも日本の漫画であるにも関わらずフランスからの評価だ、という絶望を含んだ「また海外か、」「うっそだろ」だ。
この『石の花』って1983年の作品だよ。
まあ遅くても評価された方が、評価されるべき作品であることには間違いないが、それでも遅すぎた。
これ、『石の花』が日本よりだいぶ遅れてフランスで出版されたからこの栄誉も遅くなっただけで、フランスの評価自体はほぼリアルタイムで評価されたと思う。
マンガの国だのなんだの言っておきながらこの体たらく。
更に言うとこの名作戦争マンガはコミックトム誌で連載された。
コミックトムとは潮出版社というところで出していたコミック誌。
潮出版社というのは言うまでもなく創価学会系の出版社だ。
『石の花』を出版していた頃の潮出版社はまともな方だったんだな。
潮出版社はその昔『石の花』出版していながら今の公明党の体たらくを猛省すべきだ。
まあ自民公明の中にこの『石の花』を褒める輩はビタイチいないと思うがな。
まあ今の公明党に『石の花』を褒められても片腹痛いだけだけど。


『RDR II』
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たまにやっても相変わらずホテルの上に籠城しての虐殺の限りを尽くすという碌でもないことをしておる。
ストーリーを追うのがもうかったるくてね。
ちょっとした時間で楽しむ方法が現状のこれというね。
本当にマジに別のゲームに鞍替えしないとな(笑)。


『アンメット(10) ーある脳外科医の日記ー』

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AmazonでKindle版購入。
相変わらず面白い。
脳外科の話がメインでありつつも地域医療というものが採算重視だと削られる現実があったりと。
そこで自己責任だのという優しさや思いやりというものをないがしろにしても仕方ない、むしろそんな感じに冷徹に判断できるオレってクール、みたいな考えを否定する。
いまのこの世の中だからこそこの作品のメインの登場人物達の考えや心意気が魅力的に感じる。
なによりもこの作品の主人公の三瓶の弱者への寄り添いが魅力的で力強く説得力があるのがいい。
彼らの肯定感が今後も魅力的に描かれる事を切に願う。


『家が好きな人』
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画がかわいくてジャケ買い。
男が一切出てこないというのも思い切りが良いと思うのだが、オイラとしては物足りない。
別に男が出ないから物足りないというわけではない。
おそらくオイラの好みなのだろう。
静かに平和に過ぎていく女性たちの日常というものにあまり関心が引かれなかったのかもしれん。
その中でも作家の女性の話は比較的惹かれたかな。


『ヨシキ×ホークのファッキン・ムービー・トーク!』

『アンメット(10) ーある脳外科医の日記ー』『 家が好きな人』『ヨシキ×ホークのファッキン・ムービー・トーク!』_c0022635_09183183.jpg
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高橋ヨシキとてらさわホークの対談本。
非常に魅力的な二人の対談
前書きにも書いてあるが本書は個別の映画を抜き出して評論するものではない。
映画を取り巻く時事、時事をとりまく映画を交互に行き来する一種の社会評論だ。
トム・クルーズの老けないことを論評しつつ現代の格差社会やそれらの原因を自己責任だとイキっている輩に対する批判。
この二人、本当に思いやりのある優しい人たちなんだなと思う。
徹底的に弱者に寄り添う姿勢は尊敬に値する。
すごくそれが論理的でもありカッコいい。
またこれも前書きに書いてあったがこの二人の言質にすべて賛成とはもちろんならない。
そんなオイラみたいな人間をも許容する懐の深さがこの二人とこの本にはあるということだ。
非常に面白く興味深い本であった。


最近映画観てないなあ。

# by 16mm | 2023-04-24 04:32 | | Trackback | Comments(2)

『ドキュメント「シン・仮面ライダー」〜ヒーローアクション挑戦の舞台裏〜』

■宗教国家
Twitterにあったが日本は統一教会と創価学会が連立与党の国なんだよというテーゼが上がっとった。
オイラは考えないようにしていたのか思い付かなかったのか。
言われてもっともだと溜飲が下がった。
宗教は貧困とか戦争から遠くなくちゃいけない筈なのに、現状日本は国民の無知の所為で貧困や戦争をイメージできなくなっている。
だから戦争や貧困は自分以外の誰かがやることで自分ではない、という当事者意識が欠けまくっている現状がある。
よく考えてみたら戦争をしないとか貧困をなくすというのは宗教ではなく政治だよな。
拝んだところで戦争は収まらないし貧困は是正されない。
宗教に実際の力がないから政治関わろうとしてくるんだな。
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それで宗教の力を借りてこんなバカが政治をしてるフリしてる。
このどんなにひどい目にあっても自民とか公明に入れる人間の思考停止っぷりが多くの日本国民の現状なのだ。
この北村ってバカ議員も統一教会をはじめとする宗教を真剣に信じているわけではあるまい。
宗教の力を借りていながら宗教に対して非常に不真面目な態度は問題だとも思う。


先週土曜日、歯のメンテナンス。
いつものように美形で剽軽なドS歯科衛生士女史に歯石を取ってもらう。
三週間ぶりだったがさほど歯石はついていないとのことだが、女史のこと歯石や磨き残しがある事を指摘するとオイラのブラッシングが過度に強くなって歯肉を痛める結果になりそうだと判断してネガティヴな事を言わないようにしていると考えられる。
女史と血糖値の話。
女史が最近やっている牛乳とバナナでの血圧コントロールを自分も取り入れることにした。
以前女史に勧められた
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森永のトリプルヨーグルトだが、レッテルには砂糖不使用と書いてあるも成分表には糖質がいくらか含まれていることが判明。
ちょっと今後できる限り糖質を取らない方向に(ポカリスウェットなんかも止め)するつもりなのでやめることにした。
先生とカメラの話。
先日は見せてもらえなかったがライカSL2を購入したとのこと。
オイラも新しいカメラでも買えば撮影のモチベーション上がるかしら。
とは言いつつ、月曜日は撮影。


月曜日、撮影とマッサージ。


最近便秘が酷くて難儀して、先週とうとう浣腸でむりやり放出(笑)。
とうとう軽めの下剤が効かなくなったので新たに強めの下剤コーラックを購入。
効くのに6〜11時間とのことだったが12時間目で効いて放出。
これも使いすぎると効かなくなるようなので要注意。
以前は便秘にはファイブミニを飲めば解消できたのが効かなくなり、一蘭の唐辛子も牛乳もバナナもオイラの便秘には効果がなくなってしまった。
腹のマッサージとかをこまめにやることにする。
結構後がないような気がする。


『ニューズウィーク日本版 4/18号特集:追悼・坂本龍一』
『ドキュメント「シン・仮面ライダー」〜ヒーローアクション挑戦の舞台裏〜』_c0022635_19324372.jpg
AmazonでKindle版購入。
坂本龍一について結構なページを割いていると思う。
読み物としては結構面白かった。
坂本が『MINAMATA-ミナマタ-』の音楽を作ったのはおそらく規定より安いギャラだったらしい、とか、大江千里との交流など色々興味深かった。



『Cameraholics Lab デジタル赤外線写真マスターブック』

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AmazonでKindle版購入。
立ち読みしてこれは有用だと思って購入したが、デジカメの受光側に赤外線フィルターが入ってないと良好な結果が得られないというのが分かった。
最近のカメラはフルスペクトラムとかいう赤外線も受光できるものがあるそうで、それプラス赤外線フィルターなら結果が良いと。
通常は赤外線をカットするフィルターが入っているので赤外線フィルターを使っても良い結果は得られない。
それでも撮った画像をレタッチで処理しなければならない工程があるので撮って出しというわけにはいかないようだが、その辺のやり方をかなり詳細に記述している。
フィルム時代のような赤外線写真のようにはどちらにしてもならない。
この本の筆者の澤村徹は数年前赤外線画像の写真集を出したんだが、その当時はあまり面白いと思えなかった。
それから色々なノウハウを溜めてきたのであろう。


『仮面ライダーをつくった男たち 1971』
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AmazonでKindle版購入。
読み物としては面白いんだが情報のボリュームが薄いと感じる。
もっと色々エピソードはある筈だろう。
石ノ森章太郎のデザインをめぐる話は面白かった。


『妻が口をきいてくれません』
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AmazonでKindle版購入。
オイラは男なので男の無神経さというのは痛いほどわかる。
この本を読んで嫁が口をきいてくれなくなるぐらい激怒しているというのは普段の夫への小さな積み重ねの末の状態なのだ。
便器の蓋を閉めなさい、くしゃみは口を押さえて、服を脱ぎ散らかさないetc・・・。
それら一つ一つは些細なことであっても夫がそれを守らない。
気兼ねなく気を使わなくても許してくれるのが家族ではないか、というのは男の誤解であるというのがこの本を読んでわかる。
男のこの気を使わなくても許してくれるのは"母親"しかいないのだから。
嫁というのは自分たちの子供の母親であって夫の母親代わりではない、というのを男は自覚するべきなんだろうな。
オイラもつくづく結婚には向かないなと思った次第。


『首』
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噂では聞いていた北野武の映画がとうとう発表になった。
役者はオールスターキャストと言っても良いような布陣。
制作スタッフの情報が公開されていないので分からないが、オフィス北野時代の片腕であった森プロデューサーを切ったことでの制作上の問題はなかったのか?というのは映画の出来上がりで判断されることだろう。
それでも『首』というあっさり目のタイトルに反してポスター・ヴィジュアルが堂々としたもので、
『ドキュメント「シン・仮面ライダー」〜ヒーローアクション挑戦の舞台裏〜』_c0022635_13344702.jpg
どことなく『ソナチネ』のヴィジュアルを見た時のような衝撃があった。
公開が楽しみである。


『ドキュメント「シン・仮面ライダー」〜ヒーローアクション挑戦の舞台裏〜』
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NHK総合1・東京 録画視聴。
再放送の視聴で最初の放送時以降の世間のレビューにワクワクしていた(笑)。

作品の評論としては非常に信頼のおけるYouTube"BLACKHOLE"の高橋ヨシキ+てらさわホーク+柳下毅一郎などでもこのドキュメンタリーが取り上げられていた。
言ってみれば庵野秀明による無茶振りに対して、というかドキュメンタリーで行われた庵野無双をやや半笑い気味で指摘していた感じ。
この"BLACKHOLE"の三人の鼎談に限らず世間一般のドキュメンタリーの感想、というか、庵野無双の感想が割とネガティブなものだったので、実際現在公開中の『シン・仮面ライダー』の興行に影響があるんじゃないか?なぜそんなネガキャンな放映を映画本編が上映されている最中に放送するのか?というのが不思議でならなかった。
が、それは杞憂というものであった。
『シン・仮面ライダー』を未見で観ようかどうか迷ってる人ならこのドキュメンタリーを観たら間違いなく観たいと思うだろう。
最初から関心がなかった人でももしかしたら劇場に足を運ぶかもしれない。
というのはドキュメンタリーで描写された映像のほとんどが『シン・仮面ライダー』の本編では使われずCGに置き換えられたからだ。
ドキュメンタリーのそのほとんどで行われた役者によるアクションがカットされるというとんでもない事態になっていた、と。
あの役者達の渾身のアクションがどんな有様になったかという興味で鑑賞したい人がいると思うのだ。
庵野は撮影現場で「本気で殺すつもりで」とか「段取りなんかいらない、すべて役者のアドリブで」とかアクションシーンの演出を半ば放棄して他力本願のようなことを怒鳴り散らしていた。
庵野の危惧していたのはわかる。
なんせ仮面ライダーという通常あり得ないコスプレをした者が出てくる映画なのだ。
有り得ない扮装をした者にこれは本物であるという説得力を持たせるには本気の殴り合いや暴力が必要で、そこで様式化された殺陣が入ったならばそれは段取り化されたダンスに他ならない。
更に言えば庵野の意向で仮面ライダーの仮面はオリジナルの仮面同様に首を振ればグラグラゆれ、仮面の構造上ある程度の身長の高さがなければ身体の対比的に顔を含めた頭部がデカく見えるという事をわざわざ踏襲した。
言うなれば着ぐるみに見えながらもリアルな殺し合いをするキャラクターとして説得力を持たせたいというチグハグさが問題となる。
ハリウッドのコスプレ・ヒーローものであるアベンジャーズの例えばアイアンマン。
アイアンマンの中の人はロバート・ダウニー・Jrでこの役者は決して背が高い人ではないのだが、着ぐるみを着た後のアイアンマンは頭部と身体全体のバランスが適切で頭でっかちになってないのは、アイアンマン自体をCGで置き換えているからだ。
そしておそらく間違いなくアベンジャーズのアクションはコリオグラフ、徹底的な段取りと振り付けによるものだ。
庵野はアクションに関しては1970年代の仮面ライダー1号が活躍した頃のアクションでいいわけがないという部分は最初からわかっていたようだ。
それはアクション監督にしても同じく感じていたようで、アベンジャーズ以降のアクションの振付を創出したんだと思う。
どうも庵野はその言葉尻の振り付けとか段取りという言葉に引っ張られてアクション監督の振り付けを真剣に観てなかったんじゃないのか?
アベンジャーズのアクションは見せ方としては相当にレベルが高くて振付や段取りであっても劇中のキャラクターの本気度などは伝わってくるが、庵野はそれでは足りなかったのであろうか?
だったら庵野はアベンジャーズのこの部分が足りないからそれを補填する方法論を提示すべきであった。
「本気で殺すつもりで」とか「段取りなどいらない、全部アドリブで」などと精神論、演出放棄のような言葉は監督として無責任でしかない。
そもそもアクションに段取りが必要なのは演出の流れもさることながら、役者の安全を担保するためだ。
その辺りを真剣に分かっているのか?庵野は?
なんかトム・クルーズの悪癖というかどんなアクションやスタントも主演俳優が行うと何かが生まれるかもしれないという思い込みな悪癖。
トム・クルーズ自身がアクションをやることで怪我をして撮影が伸びたり、それ自身がスタントマンの仕事を奪っているという事実。
『シン・仮面ライダー』でも主演の池松壮亮がライダー1号のスーツアクターとしてアクションをしていたが、それを演出部が強要する意味あったか?
池松自身はなかなか運動神経良さげでアクションを無難にこなしていたが他の俳優との格闘シーンで合わせるというのに慣れていない為に他の俳優に怪我させたりしてるわけよ。
演じてる俳優がアクションもやることによってある種の精神性が保たれるなんてのは戯言だと思うよ。
言ってしまえば仮面をつけて仕舞えば演じているのが池松でもアクション俳優でも関係ない。
その時々に演出家が適切に演出すれば問題ない。
なんか妙な精神論を持ち出していながらそれが上手くいかないとわかるとキレる監督というのはどうかと思う。
このドキュメンタリーで、庵野が「オッケーです」とか
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言ったのはいみじくも主演の池松がいっていたが「いらない」という意味の「OK」だと間違いなく思う。
その後そのアクションが5分で覚えて5分で撮影というような付け焼き刃な感じの荒さを庵野が気に入ったと言ってたようだが、散々ダメ出ししていたのを一発OKにするなどというのはその演技が再現性が低いと判断してそのカットをやはり使うつもりはなかったのだと思う。
さらにクライマックスのアクションシーンの顛末では
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「NGの出しようがない」などと言ってるのは絶対肯定的な意味ではなく、自分がアクションの段取りを否定して役者に演技をやらせることになったにもかかわらずその演技は再現性がとぼしく何度もアングルやニュアンスを変えて取り直すことが不可能だと、どんなに言っても自分の思う通りにならない俳優の演技に諦めたとしか言いようがない。
それで最終的に再現性はあるって役者相手と違っていくらでもアングルやタイミングに拘れる、しょぼいCGにアクションの大部分が置き換えられたということだ。
殺し合いをするように見えるアクションというのは役者の演技だけではなく演出上のカット割、構図、画面のルックなどの演出でいくらでもできる。
庵野は自分の映画の為なら役者は怪我しても、もしくは死んでもいいからいう通りにできるとでも思っているのかね。
撮影初日に庵野が「安全第一」だのと言ったのが本当に空々しい。
池松や柄本佑など仮面で顔が隠れている中で彼らに十全な演技が表現されるとは思えない。
身体的な動きの演技が、というのもオイラはあまり信用しない。
殺意とか殺すほどのアクション表現てのは北野武監督作の『その男、凶暴につき』の
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このシーンだよな。
これはもはや演技ではないマジな迫力だよ。
役者の北野武が相手の俳優にマジなビンタを喰らわせて頬が内出血で赤くなる様を見せながら演技をさせている。
役者に決死とか死ぬ気の演技を求めるなら顔の表情まで込みで演技をさせるべきだろう。
結局最終的に庵野得意とするところのCGによるアニメーションでアクションシーンが置き換えられたのは、タイミングや演技をコントロールできるからに他ならない。
が、それは庵野がこだわっていたリアルとは程遠い絵空事になっていたけどそれでイイわけね。
庵野監督的には生身の役者のアクションよりもCGで作成したアクションの方が良いという判断なわけね。
オイラはその点まったく同意しかねる。
庵野秀明って役者に興味がないとはBLACKHOLEの柳下毅一郎だったが、興味がないというか生身の役者に演技をつける演出の方法論を持っていない。
アニメーターに原画上でキャラクターの演技の演出はできても生身の人間との関わりがダメダメ。
庵野が忌み嫌う自分以外のオタクのようにコミュニケーション不全な大人でしかないのだと思う。
最後に庵野がアクション監督に泣いて謝罪したなんてこと言っていたが、これも庵野常套で、『トップをねらえ』で背景画のリテイクを締切直前に出し美術監督に断られるや否や泣きながらロッカーを蹴ってたという逸話がある。
つまり泣いて謝るなんて庵野はなんとも思わない、単に他人に情に訴えて自分の思い通りにしているに過ぎない。
それも演出家の仕事をさせる方法論といえばそうなので、別に庵野自信がアクション監督に本当に謝罪したわけではない。
世間は庵野が反省して謝罪したと思っているだろうがそうではないと言うことだ。
オイラとしてはこの『シン・仮面ライダー』は庵野実写映画としては面白い方だとは思う。
庵野は演出家を名乗るならアニメでのみにするべきで、実写を監督する技術や才能は本人が思っているほどはないと言わざるを得ない。
しっかしこのドキュメンタリー、放映したら庵野に批判がいくと分かっていながらよく放映したな。
・・・
それとも庵野は批判的なことは言われないなどと思ってたんではあるまいな?


今週末はヘアカット。

# by 16mm | 2023-04-16 19:12 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(2)

『ペリフェラル -接続された未来』『暗殺の森』

●坂本龍一 死去
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2023年〈令和5年〉3月28日に死去との報。
音楽に詳しくないオイラであっても坂本龍一の音楽は知っている。
知っているだけでなく好きな曲も多い。
サントラが中心であるが『ラストエンペラー』に『シェルタリング・スカイ』。
そしていうまでもなく『戦場のメリークリスマス』。
『戦場のメリークリスマス』の曲があまりにも有名になりすぎたせいか坂本の代名詞のような感じになっていたのは坂本にとって幸せだったのか、それともいい加減にしてくれだったのか・・・。
それでも誰もが口ずさんで鼻歌にでるほどに知られている曲があるというのは作曲家としては幸せだったんじゃないかな。
オイラなどはサントラ以外のアルバム『音楽図鑑』から"SELF PORTRAIT"が大のお気に入りなのだが。
何が言いたいのかと言えば坂本龍一を語る上で『戦場のメリークリスマス』だけではない、本当に代表作というものが特定できないほどの幅がある作曲家であったのだ。
まあこんな事を言うのはおこがましいんだけど。
更に坂本龍一はビートたけしとの絡みもあってか笑いも積極的にやっていたのが好感が持てた。
オイラが結構好きなのが
ダウンタウンとのコント、アホアホマン(笑)。
上の動画だと8:41 ぐらいから始まる。
初めて観た時坂本龍一の思いがけなさすぎる一面が観れて衝撃的すぎた(笑)。
さらに言えば10:31ぐらいで突き飛ばされた浜田を坂本が受け止めようとする仕草がなんともね。
心根の優しい人だったんだなと思ったよ。
だいたい若い時の坂本龍一って
顔つきは怖いは上の映像のダンスもなんとなく投げやりだし(笑)。
東京芸術大学大学院修士出のインテリで
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吉本隆明と対談本を出すほどに硬い思想家の一面もある強面の人が、後年朗らかにお笑いをやるとは思わなかったよ。
小室哲哉が流行っていた時があってオイラも嫌いではなかったけど、坂本龍一との類似なんかが当時も言われていたがそれでも音楽的な基礎教養の厚みを考えれば小室は坂本の足元にも及ばないんじゃないかとも思っていた。
実際そうだったし。
坂本龍一もポップをやっていたが格調の高さがあった。
『王立宇宙軍』の音楽をやってそれを黒歴史にしちゃうのはなんだかなとは思うが(笑)。
自分の世代で最も活躍して親しまれた音楽家であることは間違いない。
今後坂本の新しい音楽を聴くことは叶わないまでもこれまで作ってきた曲は今後も残る事を考えればこんなに嬉しいことはない。
それこそ未来への贈り物だと思う。
衷心よりご冥福をお祈り致します。


統一地方選挙。
行ってきた。
消去法で自民と自民公明系の立候補者を除外して無所属の議員に一票を投じ。
しかしこの無所属の議員の政治思想までは調べられず。
投票した理由が自民公明ではないからという甚だ心許ない理由ではある。
息子はこうなのに母親は平気で自民に入れやがった。
オイラの母親のような年寄りが世の中にはたくさんいるようで暗澹たる気分になる。

ところで選挙の前日の土曜日の23時ぐらいにJRの駅構内で選挙のある選挙の候補者が
「おかえりなさーい」
とか言ってた。
これってさ挨拶だから選挙運動ではないという理屈で問題ないことなのかね?
よくわからんが。
だったら選挙期間中じゃなくてもやってくれてもいいんだぞ、ウザいけど(笑)。


『Spotted Flower 6』

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AmazonでKindle版購入。
以前の巻よりはビターな描写がなくなったが、購入して読んでなんだが、オイラはこの内容をどう咀嚼して楽しめばいいのか?
オイラ自身の立ち位置で迷子になっておる(笑)。


『Sweet and Hot』
『ペリフェラル -接続された未来』『暗殺の森』_c0022635_19422805.jpg
DMM FANZAで電書購入。
紙魚丸、やっぱ上手えや。
どんだけ真剣にデッサンやってきたんだろう。
身体の起伏を丹念に観察した上で適切に線を省略しているはずなので、紙魚丸の画が常に人体の正確なアウトラインをとっているとは思わない。
が、紙魚丸の描く人体は本物だと感じられる。
この画が良いからと言って紙魚丸の画から模写した人体はやはり偽物にしかならんだろう。
身体のラインもそうだが指の表情も新鮮な描かれ方している。
紙魚丸の引いた人体のラインが全て新鮮で、これまでの見てきた人体の描いたものが非常に単純化されたものだと思わざるを得ない気持ちになった。


『ペリフェラル -接続された未来』
『ペリフェラル -接続された未来』『暗殺の森』_c0022635_20083626.jpg
Amazonプライムビデオで視聴。
原作がウィリアム・ギブスンでサイバーでパンクなものだろうと期待して観た。
たしかにサイバーでパンクなものだったが、物語の進行がグダグダ。
ある情報をめぐっての物語なのだがその情報がとてつもないもの、という印象だけはあるのだがその内実がわからないままシーズン1が終わった感じ。
登場人物の人間関係などもいまいち説明不足というか人物同士の関係が上手く描けていないのでシーズン1は消化不良で見終えた。
景観というか美術もこれ見よがしというかやりすぎ感があり、先日見終えた『高い城の男』の物語や映像美術の完成度と比べるとがっかりな感じ。
シーズン2は観ないであろう。


『暗殺の森』
『ペリフェラル -接続された未来』『暗殺の森』_c0022635_07415416.jpg
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この映画の名前を知ったのは学生の時。
『ラストエンペラー』公開時に坂本龍一が監督のベルナルド・ベルトルッチについて『暗殺の森』の監督として紹介していたのが印象に残っていた。
当時もこの『暗殺の森』なる作品がどんなものか知らなかったのだが、邦題がカッコイイなと思って印象に残っていたのだ。
更に撮影監督がヴィットリオ・ストラーロ。
当時からストラーロは名撮影監督の誉れが高かったしいくつかの作品『ラストタンゴ・イン・パリ』『地獄の黙示録』などは観てはいたが、撮影監督を意識して観てはいなかったのでこの機会に真剣に向き合うつもりである。
そして学生の頃から約30年を経てやっと本作を観れることになった。
よく言われているのが本作からの映像的な引用。
『ブレードランナー』の
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このシーンとか
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本作のコレが元ネタだとか書いてあったし。
『未来世紀ブラジル』でも
『ペリフェラル -接続された未来』『暗殺の森』_c0022635_08440732.jpg
情報剥奪局のただっ広い空間に受付がある設定なんか
『ペリフェラル -接続された未来』『暗殺の森』_c0022635_08454344.jpg
本作のコレとか(笑)。
同じく『未来世紀ブラジル』でアングル違うけど
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なんか微笑ましいね。
もちろん剽窃ということを言いたいわけではないし、剽窃などではない。
素晴らしい画を見た時に自分でもそれを取り込みたいという衝動は分かるんだよね。
製作者たちが嬉々としてこういう画を引用したいというのが伝わってくる。
そういう意味ではヴィットリオ・ストラーロの作り上げた映像というものは非常に魅力的だと言える。
映像の中での画の切り取り方や構成が巧みであった。
が、今の眼から見ると、というかオイラの好みなのかもしれないがところどころやりすぎというかあざとすぎな感じが散見された。
ストラーロが30歳ぐらいの時だからまだ若さ故に力が入りすぎてたということだろうか。
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斜めの構図なんてスチル撮影し初めの頃によくやらかす素人っぽい感じだ。
まあ名匠もこんなことがあるということなんだろうかね。
で、映画自体の感想で言えばOPのタイトルのアールデコのフォントが好みではないとか、音楽がちょっと煩すぎないか。
とあるトラウマを抱えた青年がイタリアのファシズム時代の時世に自分を合わせることで普通というものを獲得するも最終的にファシズムが崩壊しトラウマであった事柄そのものが幻想であったという現実を最終的に突きつけられる物語。
結末まで観て、なんとなくだが三島由紀夫の『豊饒の海』の"天人五衰"を思い出したかな。

普通の人間として生きるためにファシストになろうとする青年のプロットが面白いと思ったかな。
それから当時のイタリアの事を知らないとよくわからないことも多い。
例えばクライマックスでファシスト政権が斃れた後に主人公が旧知の知人に向かって
「ついてるぞ」
『ペリフェラル -接続された未来』『暗殺の森』_c0022635_08582126.jpg
と指摘するシーンがあって
それがなんだかわかんなかったんだけど、ファシストのバッヂだったんだよね。
おそらく
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こんな感じの徽章だと思うんだけど、この知人て冒頭にも出てくるんだがその画像を確認しても
『ペリフェラル -接続された未来』『暗殺の森』_c0022635_09040574.jpg
判りづらいというかそもそも教養としてそのファシストの事を分かってないオイラには一発で理解などできるわけなかったのだ。
ネタバレという意味ではある程度こういう事を知ってないと理解できなかったり楽しめなかったりする。
特に自分の国ではない国の歴史が絡むと難しいね。
陰惨な話ではあるんだが、物語的には面白いと感じた。


今週末は歯のメンテナンス。

# by 16mm | 2023-04-10 04:41 | 映画・Blu-ray・DVDの感想など。 | Trackback | Comments(0)